こんにちは、ストロング宮迫です。
この前ここで書いた理由で、最近やたら買いまくっているスポーツ新聞に井村雅代コーチが出てた!とってもイイ記事でしたよ(^^)!
図書館かどこかでバックナンバーを探してでも読んでほしい記事でしたな。この記事は5月10日のデイリースポーツです。
井村雅代コーチについては、ここでは繰り返し取り上げているので、詳しくはもう触れないけれど、親技を駆使しようとする者なら参考になることが山ほどあるでしょう。
このメルマガを読むより、井村雅代コーチの本を読んだほうがタメになるんじゃないのかなあ。それくらいボクが親技で言いたいことと「シンクロ」してる。
ボクは自分がお金を出して読んで、いいなあと思った本しかここで紹介しない主義だけど、初めてその禁を破る。
読んだことはないけれど、↓↓↓この本は絶対あなたに参考になる(と断定的に推測します)。
きっと親の皆さんにとっての金言が満載のはずです。たとえば、こんなこととかさ。
もちろんあなたにとっては、ここで書かれている言葉は「金言じゃない」可能性はあります。でも、ボクは子供たちを見てきて、この見方、捉え方を100%支持します。これまでも、そうここで書いてきたと考えています。
親技では、それを「子供を観察する」とか「意味を探ろうとする態度」という括りで書いてきました。
子供の行為には必ず前兆があるというのがボクの考え方です。ある日突然降ってわいた行動や発言を子供はしない。一定の蓄積があってはじめてそれが表に出てくる。
それは子供がすることにはすべて意味があると、大人は考えてみるということでもあります。すぐに答えが出ないこともしばしばだけれど、こうかな、ああかなって考えてみる。
井村コーチのすばらしさの1つは、その観察眼なんじゃないでしょうかね。だから選手の限界も見抜くけれど、選手のウソも見破っちゃう。そこを容赦なくグイグイ突く。「あなたまだできるでしょ?」ってさ。だから「鬼」って呼ばれたりもするんじゃないか。
それはね、選手もイタイけれど、指導者もイタイんですよ。イタイけど、やる!
一言でいえばヘンタイですな。
「鬼で結構」って思っているところ、選手に好かれたいってまるで思っていないところも、井村コーチのすごいところですな。
親が言う「あなたのためよ」が、もし「子供が本当だと思えたら」、子供は親に付いてくる。
だけど親が言う「あなたのためよ」が「オレなんかのためじゃなくて、あんたのためだろう?」なんて思えたら子供はついてこない。
親子はね、そこのせめぎあいなんですよ。ギリギリと音がするくらいのね。
ボクが親と話していて、突き詰めて問うていくと、結局「あなたのためよ」は「実は自分の見栄のためだった」とか「自分(親)のためだった」となったことが何度もある。
でもね、その親には悪気なんて全然ないんですよ。心から「あなたのため、子供のため」って思ってきたけれど、突き詰められたら、グイグイ突かれたら「自分のためだった」とわかってしまっただけでね。
親は子供に本音でぶつからねばならない!というのは親技の流儀だけれど、「なんちゃって本音」に親自身が気付いていない場合もしばしばあるってことです。5分くらい考えて、「これが私の本音です」なんて、だいたい違うから。
「子供は神の目を持つ」というのも、ここで何度も取り上げてきた親技の考え方の1つだけれど、子供こそは相手の本質をズバリ見抜いてしまう。
世間体で言ってるな、見栄で言ってるな、どうしてあんなに格好をつけるんだろ、結局イイ学校に行っている子供の親になりたいだけだろ、どうしてああいう対応しかできないんだろ、どうしてあんな嘘を平気で吐くんだろ…etc
子供と話していると、大人(親)の本質をズバリと見抜いていて驚かされることもしばしばです。
子供がさ、「神の目を持つ」からといって、「子供が神」ってわけじゃないんですよ。
その見抜く目「だけ」が神のごとくなんであって、子供のひどい言行不一致やイイ加減さは、とても「神のごとく」とはいえない稚拙で未熟な生き物なんです。
そんな未完成な生き物である子供だけど、「目だけに神が宿ってる」というこの複雑さが親子関係をおもしろくしてるんだし、純な子供がやがて「汚れた大人」になる過程でもあるんですよね。「汚れた大人」っていうのをボクは決して悪い意味では使ってないんですよ。
いずれ子供も大人になったら、親になったら、わかるってもんです。親子なんてその繰り返しですから。
でも、今はあなたが親で、親は親の経験や立場や考え方があり、子供には子供の感性やある一定の年齢まで備わってる「神の目」があるから、そこに溝ができる。この溝は言うなれば、世代間ギャップともいえるものです。
20歳にならなければわからない、30歳にならなければわからない、大人に、親にならなければわからない、離婚してみなければわからない、死んでみなければわからないというようなものがありますよね?
その必ずある親子の世代間ギャップをスポーツでは指導者側が、家庭では親が子供にガブリと食らいついて、言うことを聞かせてやらせるには、相当な決意と報われない努力をする覚悟がいる。何十年というどうしようもない世代間ギャップを乗り越えないいけないんだから。
井村コーチの本の題名を見てくださいよ「あなたが変わるまで、わたしはあきらめない」ですよ(-“-)
相当執念深いんですよ( ^)o(^ )
その執念深さを持てるってことは、「こうすることはイイことなんだ!」っていうものが「真の本音」でないと、実際はそれほど執念深くなれないんです。
本音じゃない建て前や見栄では執念は生まれない。子供に反抗されたらすぐ心が折れちゃうからね。
だから子供と接すると、密に接すれば接するほど「自分(親)の本音の正体」が明らかになるともいえます。一枚、また一枚と皮がはがれていく感じ、子供に一枚ずつはがされていく感じですな。
自分で自分の皮を剥がすのって意外と難しいんです。自分はこういうもんだ!って大人はすぐ逃げられるし、こうせざるをえないんだって言ってもいい立場でもあるし。
でも、子供はそれを許してくれないんですよ。だから子供に当たるのは親の修行って親技では言う。我が子なのに思い通りにならないんだから。
そのこと自体を楽しみましょうよ!っていうと怒り出す人がいるんだけれど、逆に楽しもうとしなくちゃ、やってられないってことなんですよね。
また、楽しもうという意志だけじゃ、続かないってことも、ここではたびたび書いてきました。あっちこっちに頭をぶつけながらも、ときどきうれしいことがないと、意志だけじゃ継続は難しい。
1つ報告を紹介します。4カ月、または3カ月に1回ずつここに登場している方の報告です。
第1回目がここ
今回は4回目ってことになります。この報告があなたの明日への希望と勇気につながれば、うれしいです。どうぞ!
生物大好きっ子さん
いつもメルマガを拝見しながら日々の親技の励みとさせていただいています。現在4年生の父親です。息子と二人勉強を初めて1年が経過しましたのでご報告申し上げます。
小学2年生の夏から大手塾に通い始めましたが、泣かず飛ばずの成績で、小学3年の4月にストロング先生に出会い(勝手に知り合いみたいに書いてすみません)親技をスタートしました。
親技をスタートしてからは上位2番クラスに定着することができました。
小学校4年生からは最上位クラスと意気込んで臨んだ1月のクラス分けテスト・・・・
結果は下から2番目のクラスに一気に降格となりました。まさに広島カープ並みの歴史的大敗を喫し、新シーズンが開幕しました。
リベンジを誓った3月の組み分けテスト・・・大連敗を喫しました。
新シーズンではノルマも増え、なかなか自宅学習のペースがつかめないまま春休みに突入しました。
普段は仕事をしているとじっくりと腰を据えて息子に向き合う時間がとれないので年2回とれる1週間の休みを春休みの時期にとり、息子と試行錯誤を繰り返しながら共に勉強に励みました。
絶対的に必要な時間は勉強時間は確保しつつも、何とか取捨選択をしてやるべき事を整理しました。
勉強のあとは息子の好きな電車に乗って二人で日帰り旅行もしました。
ゴールデンウィークも今日は休んでいいよ・・といいたいところを我慢し毎日勉強しました。
昨日は『今日の勉強は本当に楽しかった!すがすがしい気分だ』とも言ってくれ、涙がでました。
ともすれば新学期になりノルマが増える→ノルマがおわらない→こどもがわるい→怒る という負のスパイラルに陥りがちです。
しかし新シーズンに移行して感じたことは、勉強のペースをつかめなかったのは息子ではなく、私自身だったということ。うまく取捨選択ができていなかったんだと思います。そういう意味では、春休みの1週間は本当に大きかったと思います。
きっと親技でめざすところの頭のいい子の親というのは、こんな事をしなくても、常にうまく取捨選択をし、的確にやるべき方向へと導いてやることができる親のことなんだろうなと感じています。そういう意味ではまだまだ親技初心者ですねえ。
何とかこのペースを維持することで4月の月例テストでは最上位クラスには届かないまでも、そこに迫る成績を残し連敗を脱出することができました。
残念ながら今回のテストではクラスの昇降には制限があるので、まだ下位クラスのままですが、一歩ずつ進んでいきたいと思っています。
最後に毎日がんばってついてきてくれる息子を本当に褒めてあげたいと思います。ありがとう!!また一緒にがんばろう!!
おじさんは、泣いてしまった・・・
我慢できなくて、声を上げて泣いてしまった。ここに掲載するためにもう一度読んでまた泣いてしまった。
未熟で未完成なくせに、純な小4の子供の一言『今日の勉強は本当に楽しかった!すがすがしい気分だ』は、誰が聞いても泣いちゃうくらい、うれしいですよね。
これまで4度の生物大好きっ子さんの登場でも書いてきたけれど、お父さんはね、「知るかよ、自分で考えてやれよ」って言ってもいいくらいの状況でもね、忙しくてもね、ちゃんと見て、子供と向き合って、自分の身体についた皮を一枚ずつ丁寧に自分で剥がしていっているようにボクには見えるんです。
あなたはどう思います?
失敗を重ねて、失敗のたびに考えていると思うんですよ。もちろん「どうして子供がダメなのか?」ではなく、「自分の何がいけなかったんだろうか?」ってベクトルで考えてる。
だからね、歴史的大敗を、それも連打で喫しても、また戦いに戻ってこられるんじゃないか。連敗のあとの子供が発した言葉は偏差値80以上の価値があるとボクには思える。
こういうのを今、時代や教育が求めている「生きる力」っていうんじゃないでしょうかね。
貴重なお休みの1週間をあえて子供の春休みに取ったご褒美はあったとボクには感じられます。
親技でめざすところの頭のいい子の親というのは、こんな事をしなくても、常にうまく取捨選択をし、的確にやるべき方向へと導いてやることができる親のことなんだろうなと感じています
たしかにこれがうまい親はいます。でも、最初っからうまい人はそうはいないんです。でも、うまい人は一度頭をぶつけたら、二度目は同じ過ちをしない人というのは言えると思います。
生物大好きっ子さんの話でいえば、「ノルマが増える→ノルマがおわらない→こどもがわるい→怒るという負のスパイラル」に今後陥りそうになったら、陥ったら、すぐに軌道修正「うまく取捨選択」を行うってことになるでしょう。
「うまく取捨選択」は、なかなか難しいけれど、「ノルマが増える→ノルマがおわらない→こどもがわるい→怒る」この部分の「→こどもがわるい→怒る」まで行かない段階で取捨選択をしようとするという感じでしょうかね。
「ノルマが増える→ノルマがおわらない→取捨選択を行う」
はじめはね、「まあノルマが増えたけど、やれるだろ!」っていう見積もりをしてしまうことは誰だってある。多くの親が必ずやってしまう見積もりが甘い「これくらいならできるでしょ」ってやつです。
親は欲張りだからさ。ついやっちゃう。でも、子供を見たら「終わらない」ってわかる。
わかったらすぐ軌道修正!「取捨選択」をする!
親技でいえば「捨てる」だ。「今はやらない」選択だ。とりあえず保留ボックス行きだ。
理想は見積もりを厳しくしておいて、最初っから「これだけ」ってすることだけど、学年が上がっての新シーズンとか新しく通う学校とか、ステージが変わるとノルマや課題のやることが自然と増えるから、つまり「普通のレベルが上がる」から、やらかしちゃう。
ボクだって我が子の勉強の見積もりを間違ってしまったことは数えきれない。それはある意味では仕方がない現象とも言っていいんじゃないか。そこまでは親が悪いと言えないんじゃないか。
でも、そのあとすぐ軌道修正して取捨選択できなくて、怒る、どうしてだ、なんでだ、やる気あんのか、まじめにやれ、4年生にもなれば、中学生にでもなれば…etc となるのは親が悪いとしませんか。
そういう意味での親技の成績がイイ子の親という話でいえば、軌道修正がすぐできる親と言い換えることもできるでしょう。そして、軌道修正して取捨選択したら、その次はあらかじめ以前よりは減らして取り組める親であるといえるでしょう。
一度か二度した失敗の経験が続けざまに、近い時間の中で三度、四度と起こるのは「成績がイイ子の親」とはいえない。まあ、同じ失敗の現象が何度も続けて起こっていると、成績がイイ子にはならないけどね。
「反復横跳び親子」は、いつまで経っても勉強貯金残高が0円、下手するとマイナスになるから。
生物大好きっ子さん、「毎日がんばってついてきてくれる息子」さんをしっかり「褒めて」あげてくださいね。そして、お子さんの目を見て声を大にして照れずに言いましょう「ありがとう!!また一緒にがんばろう!!」ってね。
「オヤジったら、一緒に頑張ろうとかウゼェーんだよな、そんなこと言われなくても、オレは頑張るんだけどさ」なんて言うようになったら、もう一人前ですぞ!
うん、ボクも、もう手を離れてしまった息子たちのことをあれこれと思い出してしまった。LINE電話をしよう!「あのう、用はないんですけど、少しお話させてもらえますか?」ってね。
ノリ勉終わったよ!報告
小6 灰色うさぎさん
◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
全然ノリノリじゃない状態でスタートし、修正できないまま、4日目で私がブチ切れ、ストロング先生にヘルプを求めました。
超速で返信をいただき、数々のアドバイスの中でも最も有難かった言葉、「私はとことんあなたに付き合うから!!!」というメッセージを口頭で子どもに伝えるということ。
劣等感の強い甘えん坊の長男には、乾いたかっぱの皿に水ってくらい必要な言葉だった。
これで劇的に子どもがやる気になった!とかうまい話ではありませんが、私が確実な後ろ支えになるという言質をとったことで、以前のように、「やりたくないけどやってやる」という憎たらしいポーズはなくなりました。
うちの場合、それだけでも大きな前進です。
◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:
これまでも、一緒に勉強に付き合うことはあったけど、兎角、字が汚い、書き方が違う、これくらい暗算でできるでしょ、とダメ出しのオンパレードでした。
叱ってるわけじゃないから、と自分を正当化してましたが、やっぱりそばからあれこれケチ付けられたらムクれたくもなりますね。
私にとって、褒めるって難しい仕事でした。
「わ~、すっごーい」なんてキャラが違いすぎて子どもが気持ち悪がるし、「あぁ、できたの、やったね」なんてドライに感情こもらないセリフもなんだし。
そんなところを、ストロング先生のうまい言い回しアドバイスもいただけ、親として、褒めるための勉強で、褒めるべく持っていく勉強、そうした展開にするための準備は親のがんばりどころなんだと・・・簡単すぎてはシラケるし、難しすぎるとムクれる。
扱いにくい小学生をノリノリにさせるには親の高いスキルが必要なんだとつくづく思い知りました。
ノリ勉は無数のトライ&エラーから蓄積されたノウハウから成り立っていることに感心した次第です。
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:
楽しくなかったです。ほとんどが辛かった。3人の子どもの世話、フルタイムの仕事、ノリ勉、うぜーと悪態つきまくる長男。
それでも、途中、私がブチ切れた後は、トライ&エラー&リカバーの過程で、子どもが嫌そうにしつつも再テストに向けた2回めの勉強をこなし、再テストでも30分集中してがんばり、結果25問中24門クリア、正答率96%を出したことで、親子とも、あぁ、やったー、できたーと達成感と安堵を経験出来ました。
ムツゴロウさんばりに、よーしよしよしと顎の下を撫でてやりましたよ。
結局、通常6日でワンクルーのノリ勉がうちの場合、10日かかっています。でも、7日目にあたる最後のテストの2回目を成功裏におさめ、今回カバーしていない小5算数の問題を今後もノリ勉で続けていこうと合意できました。
期待としては、やるほどに辛さは軽減していく、親技を磨くほどに、楽しくなっていくと。Hopefullyですが。
◆先輩たちの記録は読みましたか?それは参考になりました?:
とても参考になりました。特に、子どもの悪態にキレてしまうお母さんが(私の他にも)こんなにいるのかと、ちょっと安心しました!
もちろん、いろんなタイプの子どもがいて、うちの場合でも、長男悪態、次男トロマ、末娘ワガママと困りどころはそれぞれ別ながら満載です。
今、問題の長男のケースでは、小学生は基本、憎たらしくて扱いにくくて、親に対して挑戦してくる生き物!!と開き直るといっては変ですが、私の心も置きどころが見つかりました。
世の子ども教育本は、お利口さんをモデルにし過ぎでは?とことん喧嘩を売ってくる。特にうちの子は突出して憎たらしいけど、多かれ少なかれ、誰もが悩むのがそこなんだと知って安堵しました。
そして、そこを制すれば道は明るく広くなるということを示していただきました。
この先、私の目標はできる、できる、できるじゃ~~~ん、という、ハイテンションに持っていくことです!
子供が口に出していう言葉とは別の
子供の本当の気持ち
頑張りたいという気持ち
勉強ができるようになりたいとい気持ち…etc
子供の本心に親が迫ると鬼にもなれ、仏にもなれる。子供の本当の気持ち、わかってますよね?