こんにちは、ストロング宮迫です。
受験生にとっては、9月に続く「夢の3連休」が今週末にやってくる。
模試への出撃や入試の予行演習の第2弾、第3弾ができますね。
中学生は定期テストだし、小学生は次の学年に向けての「壁」を越えなきゃいけない時期だし、まさに「勉強の秋」到来ってわけです。
テストでも試合でもなんでもそうだけど、受けるとき、やるときは「狙い」がないといけません。狙いは目的といってもいいでしょう。
なにを「狙う」か、なにを目的とするかは人それぞれですが、今までの教訓を含めて「今回はこうしてみよう」「これを試してみよう」っていう意図ですよね。
たくさん模試を受けても、この「狙い」があやふやだったら、なにが達成され、なにができなかったのかの結果の測定も、あやふやになる。
つまり、すっごい頑張った感だけが残る・・・でも、それじゃ次に活きない。
狙いができたのかできなかったのか。できたとすれば、どれくらいできたのか。満足できるものだったか。そこから次に向けての改善策も生まれる。
漫然と「ただ頑張る」は次につながらない。
たとえば、いつもここで書く「できる問題は落とさないように時間配分を重点的に配して臨む」としても、なかなかできないんですよ。
結果、見れば、できる問題をたくさん落とす。テストを受けて結果を見たらそれはわかるんだけど、なぜそれが起こったのか、どうして間違えたのかまで検証しないと、次でまたやる。
やろうと思っても、うまくできないから、みんな苦労するわけだから。
この前、アマチュアなのに「日本女子オープン」というゴルフのメジャー大会で優勝しちゃった17歳の高校生が出現した。
「世界に羽ばたく子供になって欲しい」とアメリカ航空宇宙局と同じ“NASA”と名付けられた高校3年生・畑岡奈紗選手だ。キャディーはお母さん!
※この毎日親技は2016年10月6日に配信したものです
ゴルフ情報ALBA.Net 10月2日
史上初アマメジャー制覇の畑岡奈紗、プロ転向については「両親と相談」・・・畑岡奈紗が逆転で史上初となるアマチュアでのメジャー制覇を成し遂げた。
昨年最終組に入りながらも優勝を逃した「樋口久子 Pontaレディス」、そして3打差2位で終わった「日本女子アマ」ともに最終日の後半でバーディを奪えていなかった。
その為、今週は集中を切らさないようにと小まめに水分と食事を補給、そしてバーディの取れる位置を狙って置くといった2つを徹底。
難コース、そしてメジャーの優勝争いでも気持ちを切らすことはなかった。
今まで受けた「テスト」を振り返って、次はこうしようって試しながら、徹底するものを決めて臨む。狙って臨む。
狙うのはたくさんじゃない、「小まめに水分と食事を補給、そしてバーディの取れる位置を狙って置く」のたった2つ。
「小まめに水分と食事を補給」なんて、たいしたことないじゃないかなんて言うなかれ。
意識することなんですよ。
後半で集中力を切らなさいようにすること、そう思うだけじゃ人間はなかなかできない。みんな思ってるけど、できないんだから。
だから、そうするために、そうなるために、「動作として」なにをするかがあったほうが人は意識できるようになるとボクは思います。
決意や思いはみんな、ある!
問題は、それを動作でどう表すかまで決めて、初めて真の意味で意識できるんじゃないか。
同じように「小まめに水分と食事を補給」している選手はたくさんいるだろう。しかし、それは「何のためにそうしているのか?」を意識している人は多くないんじゃないのか。
模試を受けたときに通過時間を記入していくのは親技では「当たり前」にすることだけれど、「何のためにそうするのか?」がないと、記入を忘れる、もしくは記入しない子供が続出する。
挙句の果てには「通過時間なんか書いている暇はない!」なんて子供に言われたりしてね・・・
「小まめに水分と食事を補給しなさいよ」「わかってるよ、ちゃんとしてるし」とかの会話になっちゃう。
他人にとって「小まめに水分と食事を補給」がたいしたことがなくても、これまでの結果を検証して出てきた改善策は値千金だ。
こうやって自分の「ルーティンワーク」ができていくんだから。
他人は無意味なものに見えるかもしれないけれど、本人には意味がある。今までやってきたことの検証から出てきた改善策だから。
改善しよう!じゃ、できないんですよ、人は。
だから「型」にしていくんですよね。
「シャーペンに芯は2B」なんですよ、ボクにとってはね。
最近は子供たちの中でも「0.3のシャーペンを使う」子がだいぶん増えてきた。狭い解答スペースにはちょうどいいんだろう。それはイイ。
でも「0.3のシャーペン」でHBは怖ろしい。この前もそれで「-マイナス」の符号を見落として3問も落としているアホな中学生がいた!
でも、そうやって失敗して「自分のルーティンワーク」ができていくんだからさ。
罫線のあるノートで家庭勉強していると、テストでは罫線がないので「いつもと違って」ダメなんじゃないか、テストと同じようにやりたいと無地のノートで家庭学習をやり始めた小学生がいた。
成績が上がった!
それは罫線のない無地のノートにしたからか?
あなたの子供も無地のノートを使い始めたら成績が上がるのか?
ノーだ。
みんな結果を出した人の真似をするけれど、真似をしても、「そっくりのルーティンワーク」をしても、結果は同じにならない。
そこに「何のために?」が伴わないから。
その人がやる「ルーティンワーク」には、その人の目的や理由がすべてある。その目的や理由が出るためには受けたテストを検証しなけりゃいけない。検証するから、次はこうしてみようっていうのが出てくるんだから。
西武ライオンズの監督に就任した辻新監督が就任会見をしたそうです。その記事にはこうあった。
・・・心に刻まれた言葉がある。
「稽古とは一から習い十を知り 十よりかえる元のその一」。
プロの門をたたいた1984年。当時の広岡達朗監督からもらった色紙にしたためられていた。
この言葉は「利休道歌」「利休百首」ともいい、千利休の教えをわかりやすく、覚えやすいように、和歌の形にしたものらしい。
30年前に渡された色紙を覚えているなんて、すばらしい。言葉の選択はさすが我らが広岡達朗先生だ。人を見て、その人に合った言葉をぶつけてる。
言葉はね、人にどう作用して、どう影響していくかわからない。辻新監督の現役時代はまさにこの色紙通りの言葉の実践だったともいえるわけで。
あなたの子供に対する言葉もね、30年後に大きな影響を与えているかもしれない。だからね、気をつけて言わないと。
影響はイイ影響だけではなく、悪い影響を与えることだってあるからさ。
それはともかく、「茶道裏千家ブラジル」のサイトで、この言葉を解説してる。
稽古とは一から二、三、四と順を追って十まで進み、その次には再び初めの一に戻って 又改めて二、三、四、五と順に進むのである。
初めて一を習う時と十から元の位置に戻って、再び一を習う時とその習う人のこころはまったく変わっている物である。
ここでは子供たちの進む道をよく「終わりなき戦い」と書きます。子供たちだけでなく、ボクたち大人にとっても人生が終わるまでは「終わりなき戦い」が続く。
ただ戦いは終わらないんだけど、その訓練方法や手法は永遠に先があるわけじゃない。
ある地点「10」にいったら、次は「11」じゃなくて、また「1」に戻る。
でも、同じ「1」でもまるで違う「1」だ。
質の違う「1」だし、風景の違う「1」になる。
子供たちも、成績がイイ子たちはこれが3周目とか5周目って感じで回ってるんですよね。
何回も回ってたら飽きないのかって!?
同じ「1」じゃないですから。
質が高くなった違う「1」だから。「1」でも1周目の「1」より難易度が上がる。正確には、子供のレベルが上がって再び「1」をやるから、新たなに意味付けした価値のある「1」にできるってことです。
何十回、何百回受けるテストも子供のレベルがあっていけば、飽きない(イヤだとは思うけどね)。新たなことを試すテストになるから。
3回テストを受けたら1つ「ルーティンワーク」が増える。3連休で3連戦の入試演習をしたら連休明けには「何のために、なぜそうするのか」が明確な「ルーティンワーク」が1つ加わっているはずです。
なんにも生まれないなら、テストなんて受けずに遊びに行ったほうがイイですな。気分転換にはなるからね。
最後に「利休道歌」から2つ、
ならひつゝ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり
心ざし深き人にはいくたびもあはれみ深く奥ぞをしふる
突き詰めていくと最後は「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてゝ飲むばかりなる事と知るべし」となるらしい。シンプルだ。名人は、みんな同じようなことを言うねえ。
検証と改善を積み重ねて、「ルーティンワーク」が決まると、子供たちのテストに臨む動作もシンプルで、なんも緊張していないように映る。
いつものように、いつものごとく、入試を受ける。なかなか難しい・・・完成形にはならない。
「これが勝負だ!」って思った時点で「いつものように」でもなく、「いつものごとく」でもないのだから。
千利休だって、その境地になるまで何十年もかかったんだ。凡人はその境地の過程でたいていは人生は終わる。
子供たちの受験がこうした境地に至る過程であってほしい。
検証と改善から生まれたルーティンワーク、それがその人の今を表す。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
小3えっきーさん
実は以前に本も購入させていただいていました。メルマガも読んでいました。
でも、実は「理解」した気になっていただけ。じゃ、これをどうやって現実に落とし込んでいくのか。
メルマガを見て、へえ、と思ってやってみても、子供の前に親があきらめてしまう、そんな状況が続いていました。
これからはちがいます!いえ、かわります!実行できていなかった鉄則は、すみません。全部です。
これからどうやって落とし込むのか考えます。。。。
とくに最近、子供が勉強嫌いになりかけているので、勉強にも楽しさがあることを教えてあげたいと思っています。
大きな夢がなくてもイイ。他人をアっと驚かせる必要もない。
目の前にある「勉強という課題」を前に、毎日30分そばに座って親子でやってみようということです。
学年が上がって中学生なので30分ではとても課題をこなせません!という方がいます。
ではお聞きします。
30分で成果のある勉強はできているんですか?と。いくら課題をこなしても、3時間机に座っても、成果があったとは決していえません。
「オレいける!」「オレ今日頑張った!」「これカンタン!」そうした勉強の積み重ねがもっとや上への原動力。
必要な勉強時間がたとえ決まっていたとしても、まずは30分で成果が出せる勉強ができるか?
これがスタート。
8時間でも10時間でも必要なら勉強をやったらイイ!しかし、成果のない長時間の勉強は「拷問」ですぞ!!
最近では「虐待」と言った方がわかりやすいかも・・・