oyawaza271.jpg

こんにちは、ストロング宮迫です。

2016年4月14日の熊本地震は、四国や紀伊半島を通る中央構造線断層帯にも連なるそうですが、専門家は「南への延長部分では地震が起きておらず、地震活動が南へ拡大する可能性も忘れてはいけない」と警鐘を鳴らしています。

中央構造線 Wikipedia

赤線が中央構造線、青線に囲まれたオレンジ色の部分はフォッサマグナ

地震調査研究推進本部 中央構造線断層帯(金剛山地東縁-伊予灘)

中央構造線断層帯は、近畿地方の金剛山地の東縁から、和泉山脈の南縁、淡路島南部の海域を経て、四国北部を東西に横断し、伊予灘に達する長大な断層帯です。

もう日本ではどこにいても地震は起こりうる。

毎日どこかで「必ず」起こってるから


震央分布図(過去100日間)

幸運にも朝が迎えられたら今日を生きる!大事な1日ですから。

それにしても地震のニュースで聞かされる「もともとエネルギーをためている」とか「ひずみ」とか「連鎖」とか「断層」という言葉は子供たちを連想させるものばかりです。

目に見えないところで「ひずみ」が発生し「エネルギーをためて」プレートがバンと動く。ボクたちに見えていないだけでね。

この前、小学4年生の子供について、ある教室の先生と話していたんですが、

◆1週間のスケジュールが習い事でガッチリ詰まってる

◆本人も忙しいんだと口癖のように言う

◆習い事の成果は特に問われない

これらのことだって「ひずみ」になる子供はいるとボクは思っています。

「ひずみ」は「エネルギーをためて」、短時間でも座っていられないとか学校での遠足なんかでも一人で勝手にどこかにフラッと駆けだしたりするなどで出る。

「ひずみ」にならず、忙しい習い事をノリノリでやっている子もいる。同じスケジュールでも「ひずみ」になる子とならない子の違いが出る。

いや、それは「ひずみ」なんかではなく、専門家が見てたとえばADHD(注意欠陥多動症障害)であるとか診断がつき、それに対する対処を先生が教えてくるなら、それでかまわない。病名がつくものであるならそれで対処が可能になる。

でも、その子の言動「オレは忙しいんだ」と言いながら「習い事はやりたくないんだけど」とも言い、「辞めたらいいんじゃない?」っていうと「親がやめさせてくれない」と答える。

この言動にはもう「ひずみ」が出てますよね?

「この問題、できないっていってたけど、できたね。お母さんにも言って褒めてもらわないとね」と先生が言えば「親は絶対ウソだって言うに決まってる。信じないもん」と答えるのを聞くと、病名云々じゃなく、親子関係の「ひずみ」のように思える。

遠足なんかで一人で勝手にどこかにフラッと駆けだしたりするのも、別に駆け出したいわけじゃなく、追いかけてきてほしいだけのようにも映る。

ボクが親子関係の「ひずみが溜まっている」と考えるポイントは子供が矛盾したことを平気で言うときです。

自分の忙しさを自慢してみせながら、実はそれらは全部やりたくないんだと嘆いて見せるなどは典型的なそれで、親とのやりたい、やめるなどの意思疎通が皆無

加えて、忙しいくらい習い事をしても、その成果は誰からも問われず、家でうまくなったり、できるようになったりの進歩する過程がない

人との関係はものすごい接近戦を求めてくるけれど、矛盾したことを平気で友達や先生に言うことで煙たがられ、求める接近戦が実現できず、結局一人で駆けだしてにみせる。追いかけて来られないと腹を立てる。

こうなったら仮になにがしかの病名がついても、薬を飲んでも解決はしない。付き合ってくれる先生がいなくなると、もっと不安定になる。不安定になれば、集中して習い事は一層難しい。教室で邪魔者扱いになり始める。各種の習い事でそれが出始めると、子供自身が居場所がなくなった感じがする。

楽しくみんなと仲良くやりたいって気持ちは人一倍あるのに、行動はまるで正反対のことをするから気持ちはますます満たされない。

とっても多いです、こういう子が。今はね。

毎日親技「好きなようにさせて失敗してから学ぶ」

・・・まずは約束か決まりを作ってみたらどうですかと。

とにかく成果を出そうと思うのであれば、勉強だけでなく、習い事でも部活でも、「○○はやる」という親子で合意できる決まりがあったほうがいい。

決める決まり、親にしてみれば、そんなちょっとばかりやったからといってなんになるんだという不満がいつもあるようですが、子供もやる、できるという量でいいからまずはそこからスタートしたらイイ。

親子でやる!これこれをやる!決めた。しかし、今度は親が「やると言ったのにやりません」とかの文句を言う。でも、親子で合意した「決まり」なり「約束」は子供も守る義務があるけれど、親には守らせる義務があるんです。

決まりも負荷もない状態で子供の好き放題出来る環境にしてしまって、「失敗したら学ぶだろう」なんてことはありえないんじゃないでしょうか。

とにかく決まりを親子で話し合って決めて、それを死守する。死守できる約束にする。

これはつまり親子のコミュニケーションがあるかどうかってことです。

「これやりなさい」という親から「正しい指示」をする一方通行の会話ではなく、相互のコミュニケーションです。

子供だけじゃなく、親だって「やらねばならぬ」けど「やりたくない」っていう葛藤があるでしょう。その葛藤を話し合うこともコミュニケーションだ。

「いいからやりなさい」ではなく「わかるわ~、その気持ち。そういうことってあるもの。でもね・・・」で最低限の決まりを実行しようとするから価値がある。

1週間のスケジュールが習い事でガッチリ詰まっていようが、塾に毎日行こうが、気持ちは満たされない。行く必要があると思っていても、です

気持ちが満たされるのは習い事でも塾でもわかって、うまくできる子供だけになる。あなたのお子さんがそうなら放っておいてもいいけれど、そうでなければ、あなたがこれを子供にクリアさせてやらないと誰も面倒がって見てくれない。

会社で窓際族になってしまったら、たぶん給料をもらっていても満たされないのと同じ。

「プレートが動いて」大地が揺れたら、見えない場所で何が起こったのだろうかって誰だって考える。

地震のことは地震学者が考える。我が子のことはあなたが考える。

「プレートが動く」前に考えておく。気づく前に「プレートが動いたら」そこからでもいいから考える。

大地の揺れも子供の起こす「地震」も原因はシンプル。ただそれが見えにくいだけ。

でも子供にはね、必ず前兆がある。「本震」の前に小さな揺れが、気づかないような揺れが何度も何度も起こってる。見逃しているだけで。

同一の対象物に対して起こる「自慢と嘆き」はその表れの1つ。何度だって言う「子供の話を聞いてやってくれ」と。

さて、今日は1つの質問について書こうと思っていたんだ。長くなってしまった・・・

ストロングさん、こんにちは。

海外より、ストロングさんのメールをいつも拝見させて頂いています。いつも刺激を受けています。ありがとうございます。

ストロングさんの担当分野ではないかもしれませんが、相談させて頂きます。

結婚をして現在、小学生と幼稚園の子供がいます。

二人はインターナショナルスクールに通い、英語50%、フランス語50%で、それぞれのカリキュラムに沿った授業を受けています。

日本語は私が教えています(私との会話は日本語ですが、それをキープするのに必死です。)。

しかし、私はフルタイムで働いていて、小学生の上の子は「三言語(英・仏・日)」での学力をつける時間が十分にないので、小刻みに三言語なんとかこなしているという感じです。

時間がないので、宿題等をこなしているという程度で、どれも完璧にやれていないかもしれません。。。が、その分、勉強ばかりで、子供達の遊ぶ時間を削ることになっています。

最近上の子の勉強ばかり見ていて、気が付いたらほったらかしていた下の子が日本語をキチンと話せなくなっているのです。(反省そして今挽回中!)

将来のおおまかな目標はヨーロピアンバカロレア(欧州大学進学ための試験)でいい成績を取り、適切な大学に行き職を得るということですが、そうなると英語、フランス語の完全なる教育でのバイリンガルという求められます。

優先ということであれば、英語とフランス語ですが、日本語もどうしても諦められません。(日本語は話せればいいのですが。親のエゴかもしれませんね。)

子供のキャパって限られているのでしょうか。三言語での教育を全部完璧にしようというのは無理なのでしょうか。

最近ストロングさんのメルマガで、勉強とスポーツをやって偏差値60を目指すことがあっていいし、勉強よりも習い事重視で偏差値55を目指してもかまわないと言われていましたが、スポーツをやって偏差値70を目指すことは無理なのでしょうか?

効率よくすれば三言語での教育は可能でしょうか?(どのように効率化???)

反対に、子供のためにも日本語を諦めて、その時間を英語/フランス語での教育に集中した方がいいのか迷っています。

まず「スポーツをやって偏差値70を目指すことは無理」ということはないでしょう。そういうひともいるからね。覚悟と決意と労力の問題です。

まあ、でも偏差値70といっても何の母体による偏差値70かで同じ偏差値70でもステージが違ってきます。

たとえば「東大出身」の「プロ野球選手」ってなれば、いってみれば勉強も野球も偏差値が70を超えたっていってもいいんじゃないでしょうかね。

スポーツ新聞に出てたので成績とその後の肩書をザックリ掲げてみると・・・

東大出身のプロ野球選手たち

1、通算9勝6敗で引退・・・球団の非常勤取締役
2、10年で現役引退・・・フロント入りし、編成担当の球団取締役
3、現役2年間で1軍での登板はなし・・・球団取締役
4、現役2年間1試合だけ1軍で登・・オペレーションディレクター
5、プロ8年間で未勝利・・・アメリカ球界挑戦を目指して渡米

野球のほうではどうも偏差値70ってわけにはいかなかったようですね。でも引退後を見れば、チャレンジした甲斐はあったとみることもできるのでしょう。

球団も純然たる野球選手の力量っっていうよりも話題性や引退後も踏まえてのドラフト指名と見ることも可能ですしね。

なにゆえこんなに難しいかといえば、ボクの考えでは、ここの読者にはおなじみの「基礎固めに1万時間」がどうしても必要だからです。

誰だってイチロー選手みたいになれる!あとはその「基礎固め1万時間」をどの年齢までに消化できるかです。


英語でも「1万時間」理論は言われているらしい。

「基礎固め1万時間」を計算してみると、こうなります。

1日3時間、1年で1095時間、10年で10,950時間

1日2時間、1年で730時間、10年で7,300時間

1日30分、1年で182時間、10年で1,820時間

2種目でこれをしようとすれば、2万時間ということになります、基礎固めにね。

1日3時間なら20年かかる(>_<)

仮に2万時間確保できたとしよう。親も付き合えるとする。じゃあ、それで子供はできるか?

まあ、ほとんどできないんだな、これが。

なにが問題になるかって、それはノリノリで、できないんだ、これが。

子供のほうが「やってられない」ってたいていはなる。それで脱落する。

導き手が工夫して考えに考えてやらせても、それでもエベレスト級の難山だ。

加えてエベレストを2種目なら2往復する必要がある。

導き手がフルタイムで仕事を持ってたら、やる子供のほうばかりじゃなく、導き手のほうがもたない。だいたいこういう結論に落ち着くでしょうね、理屈上はね。

もう1つ、ガツンとくるようなことをもう10年も前に書いておいたが忘れちゃったかな!?

この中ではアメリカで日本人駐在員の子供たちの教育に携わった経験をお持ちの市川力さんの本の一節を紹介してる。

毎日親技「理想的なバイリンガル」

子ども時代から2つの言語に触れ、どちらの言語でも読み書きができる「理想的なバイリンガル」は、確かに存在する。

しかし、そうなるためには、

1、大人になるまで膨大な時間をかけて2つの言語を継続して学び続けていること

2、本人が2つの言語を学ぶことに対して強いモチベーションを持ち続けていること

3、親が2つの言語に精通しており、子どものために良質な学習環境を整備する配慮ができること

4、子どもが2つの言語をマスターするために必要なことには惜しみなくお金を投入できる経済的な余裕があること

以上の4つの条件がそろっていなければならない。

「理想的なバイリンガル」を育てるためには、多大なコストがかかるのである。

エベレストを2往復という意味がわかりました?

まあ、これもどの程度までの習熟度を求めるか、偏差値を求めるかで大きく変わってきますけどね。日常会話程度なら多くの人が達成もしているわけですしね。

でも、これを偏差値70レベルでやった人がいるんですな。エベレストを10往復くらいした人がいる。それがこれも以前にも紹介したことがあるこの本に書いてある

この本は海外在住の方のよくある質問の「答え」にもなりうるので、ボクのを読むよりこっちの本を読んだ方がいいんじゃないですかってオススメしています。

内容については少しだけここに紹介した。

ヴィッテは父から教育を受けた結果、5,6歳までに、約30,000という多数の単語やすやすと覚えたらしい。

「天才だったんだよ」っていえば、みんなも気持ちがラクになるんだろうけれど、そうはイカの●ンタマよ。

「早教育と天才」木村 久一著

・・・単語をたくさん覚えるには、やはりおもしろい本をたくさん読んで、その中の単語をうまく覚えるようにしなければならない。

これと同じように子供の語彙を豊富にするにも、頭から単語を詰め込もうとしても効果がない。

否、単に効果がないばかりでない、かえって害がある。

ヴィッテの父は、ここを実にうまくやった。

その方法は、食卓上の物や、室内の物や、庭園の花や虫等を捕えて、それに関してヴィッテといろいろな話をする。

そうしてその話のうちに、新しい単語とその意味をうまく教えるのである。もちろんその話は、初めのうちはきわめて簡単なものである。

それを毎日根気よくやるのである。

こうしてヴィッテが少し話がわかるようになると、父と母は毎日、彼にお話を聞かせた。・・・ヴィッテの父は、ヴィッテにお話をして聞かせるばかりでなく、それをヴィッテに繰り返させた。こうしなければ、お話の効果を十分に収めることができない。

まあ、これが「基礎固め1万時間」の中に入っているってわけですな。

ここまでも親としては難関ですが、これを実はやっている人って結構いるんですよね。ボクの周りにも読者にもたくさんいる!!

ただーし、ここから先がほとんどできていないんだ。

ここから先とは・・・

ヴィッテの父は、ヴィッテに3歳半ごろから読書を教えた。

しかし、それは決して無理に教えたのではなかった。「強いて教えるな」とは、彼の教育の大方針であった。

彼は必ず、まず、子供が興味を起こすようにし向ける。そして子供が興味を起こせば、その時初めて教え始めるのである。読書を教える場合にもそうであった。

「早教育と天才」木村 久一著

これね。

【絶対的な量&勉強と思わない学び】ってわけです。これが親には難関だ。どっちもできたら、あなたのお子さんも「ヴィッテ」になる。

ここまでいかなくたって思う人も多いだろうから、あとはそれをどこまでやるか? それがあなたの選択です。

この本の題名は「早教育と天才」となっていますが、「早教育」のすばらしさがここに表れてるとボクは思います。

「入試に出た小説はこれだ!」とか子供の興味があるなら別だけれど、子供の興味を無視してこれをやっちゃうと読書キライなんてすぐできあがっちゃう。「強いたら」子供は距離をとる。

幼少の子供ってね、入試とかテストとかが迫ってきてないじゃないですか。

だからね、導き手も「待てる」可能性が高まる。興味が湧くまで待てる。

「強いて教えるな」ができうる。

これが幼少でも小学校受験をするとか、もうウチは小学校高学年で中学入試をするとか、高校入試ですとかの学年になると「待っておれない」んです。

だってテストが迫ってるから\(^o^)/

よって「強いて教える」にならざるを得ない。詰め込まざるを得ない。ぶち込まんでいかざるを得ない。

詰め込まれたら、「強いたら」あぶれる。やってもやってもこぼれ落ちてしまう。やった甲斐がない。甲斐がないからやれなくなる。やらないとテストがダメで、もっとやる気がなくなる。。。という循環を多くはたどる。

早く始めたほうが待てるんです。

まあ、早く始めても待てずに、早く始めた分、お早めに子供をぶっ壊している人もいるけどね。早めに結論が出ちゃったというパターンですな。

フルタイムで働き、時間がない分、残り僅かな時間を有効に使いたいと子供に「強いて」ぶっ込んでしまう危険性がすでに質問の中に芽生えていると私は見ます。

焦るのはわかる!気持ちはわかる!入試が迫れば「強い」らざるを得ないのもわかる。あとは加減だ。

導き手の裁量による加減が子供の可能性を伸ばしもするし、摘みもする。

ヴィッテの父の方針は「強いて教えるな」、親技の方針は「親は勉強を教えるな」だ。そこに導き手による独裁的な裁量やひどい加減が出てきやすいからです。

これも先日書いたと思うけれど、4歳とか5歳、小学1年生なんかが英語教室に行って「グッモーニング」っていわれてモジモジしたりすることがあるでしょう。

お母さんは絶対に言う「はい、【おはよう】よ、【グッモーニング】っていわないと」ってね。なかには「言いなさい!」って鬼の形相でいう親もいる。

でもね、もじもじし始めるってことは、なにを言わされようとしているのか子供がわかっているからモジモジするんですよね。

そうなったら無理強いしないことです。

だって、それは子供を英語から離す作用になるもの。「なんか英語ってイヤだな」って思わせる要素になる。

もうちょっと大きくなってそれが顕著に出るのは「オレは日本人だ。おはようでイイだろ!なーにがグッモーニングだ!気取りやがって」とかいう子がいる。

これなんかは完全に親かその周りが自らの力で「強いた」結果、子供を「英語なんて・・・」に追いやった成れの果てだ。

究極の勉強っていうのは、それが「勉強と思えない」ってことなんんです。それについてもすでに以前書いた。

毎日親技「どうしても一番になれなかった!」

自分は勉強をしているという意識などなくて、どちらかというと偏執狂で、興味にかられて文字通りしらみつぶしに問題を解いていただけなのだけれど、結果として大変な量の勉強をしていたようだ。

これが理想。こうありたい。

ヴィッテはヴィッテの父によって、こう仕向けられたんだ。

でも、親もついうっかりしてて時間も経って、入試も迫ってきて、勉強を勉強として「こなさなければならなくなった」のであれば、それはしようがない。

でもその中で

【できるだけ楽しく (^^)♪ できるだけにノリノリで(^∇^;) 勉強をしよう!】

それを親技で提唱しているだけ。

「いや、勉強なんて楽しくないんです!」

「うん、それは勘違いだよ。じゃあさ、この次の確認テストで100点取れたらうれしくない?」

「そりゃあ、まあうれしいけど、勉強はしたくないし・・・」

「だからさ、最低限でイイから30分でいいからノリノリでやって試してみようよ!するのはたった3つだけの約束です!」

こうやって親子ノリノリ勉強法は始まったんだ。おもしろきなきことを面白くするためにどんな工夫ができるかを考えてみたらこうなったって提案してるだけ。

最小限度の労力で最大限の成果を出せるようにするために考えたらこうなったのが親技のいけドン法だ。親がいけドンシートを作るのはタイヘンだ。

でも、もう子供をじっくり待てない時期まで来ちゃったのなら、「強いる」のを少しでも弱めてやってみせる、親の労力を使ってでもね。

そう考えていけば、「できることからやらせる」のなんて当然なんです!

「これとかは軽くできちゃうよ」「すごーい。お母さんよりも早いのに軽くできちゃうなんて・・・泣いちゃうから」とかなんとか。「いやいやそれほどじゃないけど・・・ニヤ」とかさ。

「強いた勉強」を続けたら応用力は発揮できないよ。伸びしろがないし、頭に余裕はないし。型どおりにしか頭に入っていないんだから。変形して使おうなんて思えないし、できない。

まだだいぶん言いたいことはあるんだけど、もうだいぶん長くなったから質問に戻ります。

市川力さんが『教えない英語教育』『英語を子どもに教えるな』で書いておられるように外国語の習得は「母語(第一言語)が確立してから」がイイと私も考えています。

プレーは人格を越えないし、勉強も人格を越えないが、外国語の習得は母語を越えない!これがボクの考えです。

お子さんの場合、それが英語なのかフランス語なのか、両方が母語になるのかわからないけれど、その確立を目指すべし!

「多くの子どもたちは、2つの言語のはざまで翻弄され、気づいてみたらどちらの言語も中途半端になっていたというのが現実だった」ということにならないようにする。

あなたの場合はこの「言語のはざま」が「英仏と日本語」ということになるのかもしれませんね。

その上で、市川さんが指摘する「安易なバイリンガル幻想の警告」にある

圧倒的に英語優位の環境においては、ほとんどの子供たちが、半年以内に、英語を聞き分け、話せるようになると同時に、それに反比例してまたたく間に日本語力が落ちていく。

この傾向は、渡米時の年齢が低ければ低いほど顕著で、就学前に英語環境にどっぷり使った場合、それまで身につけた日本語を失い、母語が英語にスイッチしてしまうことも珍しくなかった。

を頭に入れておく。

忘れるのが当たり前なんだという前提でいること。

日本語はおまけだ。

じゃあ、あきらめるのか?

ノーだ。

お子さんがなにに興味を持っているのか?

それによるが、家では日本語で語りかけるようにしてもいいし、日本語の絵本を読み聞かせしてもイイ。興味があることでやるんです。

子供が興味を持つもの、漫画でもいいし、ポケモンでもいい、着物でも、日本人形でもなんでもいい。

子供が興味を持ったもので「知りたいわ」って思えるものを「強いないで」与えられるか。

日常生活において日本語は必要ないわけだから、スイッチが切れて当然だし、無理強いすれば「なにが、おはようだよ!」ってなるから。そうならないようにお子さんが興味を持ちそうなものを探って投げかける。

自然に朝は「おはよう」、寝るときは「おやすみ」になるならベットの中でウッシッシとニヤけてたらよろしい。日本語についてはあなたが「ヴィッテの父」になればイイ。

もう1つ、小さい頃に聞いてきた日本語は日常生活で使わなければスイッチが切れて忘れてしまうかもしれないけれど、必ず頭の中に残ってるから泣かなくてよろしい。

あなたが語り聞かせた分だけがお子さんの脳に貯金として残る。金利はつかないし、目減りするけれど「0」にはならず、いざ日本語をやろうとしたらそのほこりをかぶった貯金が俄然有利に働くでしょう。

日本語なんてイヤだー!ってなっていないなら、少しでイイからあなたの母語を家で聞かせてあげなさい。注入しなさい。イヤだってなったらやめるんですよ。ならないようにするんです。

そこはあなたの手腕よ。あなた次第!

そして語りかけるなら、あなたが日本のどこの出身か知らないけれど、できるだけ方言ではない標準語で子供たちに語りかけなさい。

ヴィッテの父のことばの教え方には、決して見逃してはならないことが1つあった。

それは彼が、ヴィッテに片言や方言やなまりを教えなかったことである。・・・「おっぱい」とか「あんよ」とか「わんわん」というような言葉を教えることほど無意義なことはない。

・・・言い回しは、きわめて明瞭正確を期し、決してあいまいな言い回しを用いないように教育した。

頭を明瞭にするには、まずことばを明瞭にしなければならないとは彼の持論であった。

日本語を語りかける時間はわずかで数少ないチャンスなのだから、「明瞭正確を期し、決してあいまいな言い回しを用いない」ようにすることをオススメしておきます。

「気づいてみたらどの言語も中途半端になっていた」なんてことがないようにしてください。基礎固めには1万時間ですからね。

★タイガー山中は「伸びしろ」=「応用力」といい、「偏差値60を超えても伸び続ける力」であると定義しました。

今、同じ偏差値の子供だとしても、これから偏差値をアップしたいと思ったとき、スッと上がる子供と時間がかかる子供がいます。それが「伸びしろ」の違い。

これまで多くの方に読んでいただきましたが、新学期をスタートするにあたって、全6回の応用力を身につけるコツ&実践編を1つずつ改めて紹介していきます。

第3回 応用力を身につけるコツ[総括]

以前読んだ方でも、もう1回じっくり読んでみてほしいのです。以前は読んでも気づかなかったことに今なら気づくかもしれないから。

sb_ld_soudan.gif
うれしい報告

小6 すなめりさん

(省略)3月から始めた復習テスト講座、算数を中心に使用していますが、偏差値で7upしました。

親の作業がしんどいところですが、少しずつでも模試の成績が上がっているので頑張れるといったところです。

今までが悲惨な点数でしたし、問題も難しくなってきているので、まだこれからというところですが、親子の「やる気」は急上昇です。

ストロング先生の「成果はすぐに出る」「成果こそがやる気の秘訣」がそのままあてはまっていておかしいです。

日曜日に受けたテストはまだ詳細わかりませんが、勉強した範囲はよくできていて結果も前回よりは良くなっていると予想しています。

テストが返却される前に子供とテストを見てあれこれ話し合うのも恒例になって、子どもから「これはできないといけないね」と言ってくれるのがうれしいです。

夏までが勝負という先生のCDを受け売りで話すのもうまくなった様な気がします。(省略)

第一志望にはまだ届いていませんが、GWも休まず、遊ばず、家族で協力して乗り切ります。これからもよろしくお願いします。

いっぱい努力をしてほしいと思うんです。

皆が遊んでいる時に、歯をくいしばって勉強してほしいと思うんです。でも、頑張るためには「成果」がいる。成果が出なけりゃ、頑張れない。

仮に、今度のテストで偏差値が「確実に5」上がりますと言われれば、みんな頑張れる。上がるんだ!と思って頑張れる。

成果が出ていないと、入試まではもたない。励ましても、慰めても、将来の話をしても響かない。

成果こそが燃料であり、原動力!

あなたはお子さんに燃料を注いでいますか?

中学入試で勝負するなら塾で習ってきたことを確実に落とし込んでいくノウハウは受験生になるまでにはきっちり確立すべし!

  • 復テ対策講座
  • 10の鉄則
  • ノリ勉
  • 中学受験コース
  • 30点上げよう会
  • 公開テスト対策講座
  • 親カツ講座(夏まで
コース)
  • 親カツ講座(入
試実践コース)