こんにちは、ストロング宮迫です。
七夕には短冊に願い事を書いて・・・
落ちてるーー!
ウチの娘が通う小学校では、この七夕の短冊に願い事を書く代わりにパソコンの練習?の一環として、名刺サイズの大きさの紙に願い事を書いたそうです。
「短冊名刺」はクラスみんなが書き、それぞれがみんなで交換。というわけで、娘が家にクラスみんなの「短冊名刺」を持って帰ったのでした。
小学校4年生ともなれば、こましゃくれたことでも書いているかと思いきや、
・ピアノが上手になりますように。
・友達と仲良くいられますように。
・足が速くなりますように。
・頭が良くなりますように。
・英語が読めるようになりますように。
・家族みんなが長生きできますように。
・いつも元気でいられますように。
・習い事がうまくいきますように。
・水泳で25m泳げるようになりますように。
などなど、みんな純真でストレートですなあ。
さらに読み進めていきますと、勉強関係も出てきましたよ。
・全教科100点になりますように。
・テストで100点取れますように。
あまり欲張らずに、
・テストで90点以上取れますように。
というのもありました。
ほとんどの子供が文末を「・・・ように。」としていましたが、
・塾のテストで100点を取りたい。
と強い決意を示したものもありました。
文末が「決意」となっているものでは、
・赤ペン先生の問題をしっかり出したい
という「泣かせる」ものもありました。
多くの子供たちが似たような感じのことを書いているのは、
事例を挙げて書かせたからそうなったのか
人のを見ながら書いたからそうなったのか
わかりませんが、こうして改めて見ると、それでも10歳の子供はまだまだ「思い」がストレートだなあと感じました。
ただし、わりとイメージがボンヤリしているという印象も受けました。
というのも、たまたまかもしれませんが、
・プロ野球選手になれますように
・サッカー選手になれますように
・学者になれますように
など、具体的な職業を書いている子供はいませんでした。
これが小学校6年生くらいだったらどうでしょうか。具体的ななりたい職業を書く子供が結構いるかもしれません。小学校4年、5年くらいがその境になっているのかもしれませんね。
また、5年経って、15歳の中3の子供に書かせたらどうでしょうか?
15歳の子供は、より「具体的な願い」を書くでしょうか?
たとえば「100点を取りたい」なんていうのは、なかなか出にくいんじゃないでしょうか?
それとも「わかんない。書くことねぇし・・・」なんてなるでしょうか?
興味深いところです。
以前紹介した小学校時代「すばらしく勉強ができなかった」吉村先生は、小学校5年の頃には、「大学は理学部の生物学科に行って、将来は生物学者になる」と決めていたそうです。
ある段階で「●●になる」と決意するということは、その前に当然ながら序走の段階があるはずです。
ある日突然「●●になる」なんてことはあまりないですから。
親はよく我が子に対して「夢がない」ということを言うわけですが、親の出番は子供が夢や希望を持つ序走段階こそです。
子供がどんな夢を持つかは子供自身が決めていく。ですが、その夢を持つためのさまざまな可能性をはぐくむ序走段階には、親の志向や嗜好が大いに作用します。
ぜひご家庭でもなにか書いたものがあれば、見てもらって、なければ、七夕の短冊を書かせてみていかがでしょう?
ボクは、子供たちの名刺短冊を見ながら、これは「自分が心の底からそう思っているのか」、それとも「普段親からガミガミ言われていることがスーと出たのか」
いったいどっちだ?と子供に学校の様子を聞きながら想像したんですが、なかなかおもしろかったです。
意外とこういうことをしているときに子供の本音って出ますから。
ちなみに我が娘の名詞短冊には、3つの願い事が書かれていました。
おっと・・・あまり期待しないように!!ごくごく平凡な子供ですからね。
とはいえ、飛びきり「かわいい」娘ですから、そこんとこよろぴく!
書かれた願いごとは3つ。
・ピアノが上手になりますように。
・いつまでも元気にいられますように。
・くじけずに勉強をがんばれますように。
えっ、勉強にくじけたのかって!?
ハイ!つい最近なんですが、つまらない不始末がございましてボクに怒られまくったんですな、娘は。
たぶんそれで「イイ点取れますように!」ではなく「くじけずに」になった模様です。
ねっ? 子供の心の内が短冊に出てるでしょ?
ぜひ書かせてみてください。
ただし、
祈りの後に努力なし。誓いの後にこそ努力あり。by浅田次郎
ですからね。
「願い」で止まってちゃあ、いつまで経っても、「願い」は、かなえられないものです。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
小4 ルーピーさん
目標を作ることの大事さを教えられました。
本人も目標がないので、達成感が得られない、つまらないと思っているかもしれません。
先日戻ってきた実力テストでは、算数78%程度。国語については平均以下の46%でした。
今までただなんとなく塾に通い、毎朝6時に起きて宿題をこなし、それでも成績が悪いのはなぜかと悔しい思いをしてきました。
読んでみて、なるほどと思いました。
子供をできない子にしているのは私のやり方が悪いからだったのかと反省。親次第で伸びるなら、やるしかないですね。
その前に子供に改めて話をしなくてはいけません。
これが一番難しい。まずはそこからスタートです。
一番難しいところは、他人は誰もやってくれません。
塾の先生は「本人のやる気が一番です」とか言うし、学校の先生は「家庭でよく話をして下さい」とか言うでしょう。
一番の難問は常に親の役割。しかし、難問ゆえに親はそれを外部へ振りたがる。
実際に振る。やってほしい、お願いしますと願う。
しかし、面倒くさいことは誰もやってくれません。
そこは親しかいない。そうストロングは思っています。
何度も何度も同じことを、同じことで違う角度から、手を変え、品を変え話し合っていくんです。
一回話してカタがつくなら、塾に行ってカタがついているハズ。
でも、カタがついていないなら、そのことに気づいたら、気づいたとこからやらなくちゃ。
子供に拒否されたら親もヘコむ。だから考えるんですね。
何が足りなかったんだろう?
何が必要なんだろう?って。
当たって砕けて、また当たる。そんなことは愛情ある、そばにいる親しかできないのですよ。
親の修行です!!