こんにちは、ストロング宮迫です。
この時期に書くことは毎年同じようなことなので過去の記事も参考にしてください。
1つだけ気をつけることは、入試から逆算して「今、この時期に取り組むべきこと」が決まっているとしても、それが全員に等しく当てはまらないということです。
入試から逆算して「今、この時期に取り組むべきこと」は塾なんかが詳しくてスケジュールを組んでいるからわかりやすい。まさに今塾でやっていることですよね。
でも、それがクラス全員に当てはまるってわけじゃありません。同じクラスであっても、ここまでの進み具合も理解の度合いも得意苦手の意識も違うんだからね。
その「今、この時期に取り組むべきこと」と「自分がやるべきこと」にうまく折り合いをつけていかなくちゃならない。
ここまで志望校に対して順調な人はそんなに難しく考える必要はないけれど、順調でない人ほど、そこは考えないといけない。
でも不思議なもので順調な人ほどよく考えていて、順調でない人ほど考えていないという現象がこの時期から顕著に表れる。
ツイッターを見ていると、先週、そのような趣旨でつぶやいている先生もいました。
直前の受験生には度胸がいる。その度胸とは「思い切って基礎に戻る」度胸だ。偏差値が伸びない時、基礎に戻るのは理に適っているとわかってはいても、「直前なのにこんなことやってる場合じゃない。応用問題やらなきゃ」と気が焦る。だが、平常心で基礎を粛々とやる心の強さが、いま一番必要なことだ。
— 笠見未央(猫ギター) (@nekoguitar) 2015, 10月 7
焦りもあるだろうが、それ以上に「いや、それくらいは分かってます/できてます」っていう"誤った自負"の方が要因として大きいとも思う。
「分かってないからここまで戻れ」と言ったとき、「そうしてみます」と戻れる生徒より「そんなところはできてるんです!」と怒り出す生徒の方が多い印象。
— 学習空間シグマゼミ (@sigma_seminar) 2015, 10月 7
入試まで時間もないけれど、まだまだ時間もあるよって考え方もできるでしょう。年内でも2か月半あるし、冬休みもある。
直前なのにこんなことやってる場合じゃない。応用問題やらなきゃ
という考えで「やるべきこと」がおろそかになり、ドツボにはまらないように注意しましょう。
焦りもあるので、今が「基本に戻れる」最後のチャンスですから。
勉強関係以外の人だっていうことは同じです。
できることをやればいい。周りはやれないことを望む。自分でも「できる」と思ってやるからドツボにはまるんだ。できっこないって。勘違いをするやつとしないやつの差が、ついてくるんじゃないかな。この世界でずっと野球を見ていると。(10/08/13)
— 落合博満bot (@ochiai_66) 2015, 10月 9
行き詰まりは異文化で洗うと突破口がみつかりやすい
とおっしゃった。
時々あらゆる教育関係の本を読み漁っている方に出会うけれど、子供にやっていることは失礼ながら「そんなに読んでその程度っすか?」って人がいる。
親は子供に「考えなさい」ってしきりに言うけれど、親も「考えてやらない」とザルに水を汲んでも溜まらない。
そういう人は「行き詰っている」という感覚がないから仕方がないけれど、ホントは行き詰っているんであって、そういうときこそ「異文化で洗うと突破口がみつかりやすい」と思います。
我が子のことや勉強のことなんだけど、まるで違う方面の本や人の話を聞くと、ヒントが得られることが多々あります。
これも時々あるけれど、このメルマガで「もっと勉強のこと」を書いてほしいっていう要望があります。スポーツのことや戦争のことや小説や映画のことなんかいいから「勉強のこと」を書いてほしいと。
でも逆なんですよ、ボクの感覚では。勉強のことや子供とのことを本当に「解決したい」なら「異文化で洗う」べきだし、そのほうが「突破口がみつかりやすい」と思います。
辰巳芳子さんがおっしゃってる「異文化で洗う」は言葉通りの「異文化」だけれど、私たちは関わっている分野や専門分野以外の文化や言葉で行き詰った問題や課題の突破口を見つける。
もう少し踏み込んでいえば、会社での問題や人間関係の解決のための手段やツールの本質は家庭でそのまま適用できるってことです。
上司と部下も、親と子も、監督と選手も、先生と生徒も、場面も違うし、状況も違うけれど、その本質的なところは同じだという意味です。まったく同じではないけれど、心の動きの基本は一緒。
その本質的な部分に目を向けないと、会社は会社、スポーツはスポーツ、家庭、学校や塾、それぞれでまるで違うことを身につけないとやっていけなくなるけれど、そんなことはない。
会社でうまくやる人は親子関係でもうまくやれる可能性が高い。なぜなら心の動きは本質的に同じだから。これを「応用」といいます。
親が子供にお金を払ってでも身につけさせたい「応用力」ですが、「応用力ってなんなの?」って視点を親が持っていなければ、子供に応用力を求めても機能しません。
会社でやっていること、学んだことをベースに場面が違う家庭で応用する。身につけておくべきことはそれほど多くないってことです、応用が効かせられるなら。
例題をちゃんとやればおのずと基本問題ができたり、基本問題をよく理解していれば応用問題もできるか、ヒントがあれば解けるように、学んだことをいかに普遍的な形にして駆使するかがすべてです。
勉強は人生に比べて応用を効かせる範囲が狭いから、人生にとってイイ練習になるだけですから。
「考える」ってことは自分がラクするためです。会社は会社、家庭は家庭、スポーツはスポーツ、学校は学校、塾は塾なんて限りない場面や状況がある中ですべてを1から構築してたら人生80年じゃ全然足りなくなるし。
一流の職人が一流の人間になりうるように、1つを極めたら、他もその原理を応用して処理できるから1つの分野の専門家が他分野や多くの人に影響を与えるのでしょう。
先の食の専門家の辰巳芳子さんと華道家の川瀬敏郎さんという違う分野の方が話しているのに、多くの共通項や考え方の一致を見るのもそのためでしょう。
言葉で表すのは少し難しいけれど、教育の本を読んで「いいね!」と言うとき、その「いいね!」をその本の土俵で言うのか、自分の土俵で言うのかでは意味が違う。
すべてのことは、あらゆる事象は自分の土俵に呼び込んで、自分の知っていることに当てはめて、これかなとかあれかなとか考えないといけない。
「知っている」だけというのは自慢になるけれど、生きていくときに使えない。会社|家庭|親子|・・・というように自らの出来事が間仕切りで区切られて別のものであってはならないのではないでしょうかね。
すべてに通ずる自分にとっての普遍的なモノに昇華しないと。
孫子に
卒を視ること嬰児の如し、故にこれと深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故にこれと倶に死すべし。
厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
とあります。
2つほど訳を紹介すると、
司令官が兵士たちを赤ん坊のように思っていれば、兵士たちにもその思いは伝わり、司令官に従って深い谷底のような危険な場所にも行けるようになる。
司令官が兵士たちをわが子のように思っていれば、兵士たちにもその思いは伝わり、司令官に従って死ぬこともいとわなくなる。
だが、ただ手厚く用いるばかりで働かせることができず、愛するばかりで命令できず、好き勝手やっているのを止めることができないでは、たとえばわがままな子供のようなもので、とても使い物にはならない。
兵士達を赤ん坊のように大事に接すると、兵士達は深い渓谷に赴くことを厭わなくなる。兵士達を可愛い我が子のように大事に接すると、兵士達は死地に赴くことを厭わなくなる。
しかし、手厚く遇するだけで使役することができず、可愛がるばかりで命令することができず、軍規が乱れていても統率することができなければ、我侭な子供のようなもので、とてもものの役には立たなくなる。
だいたいの意味はこれでとれるでしょう。
会社で部下を持つ方にはよく理解できるでしょう。でも子供も同じじゃないでしょうかね。
確かに子供は「兵士」ではありません。その通りだけれど、お金を渡してメシを食わせるだけじゃ子供は育たない。それじゃあ愛情は育まれないし、愛も感じない。
だから小遣いの渡し方を親は一生懸命考えるのだし、食べさせるものにも配慮するのでしょう。思いが伝わっていないと子供は動かない。でも親はみんな思ってる。伝わっていないだけだ。
じゃあ子供にどう伝えるのか。それは人それぞれです。
伝えられなければ「使い物にはならない」だけだし、それは「好き勝手やっているのを止めることができない」という現象にすでに現れているでしょう。
これからの受験生は、着くべき場所について「かかれー!」の号令とともに丘を一気に駆け下りていかなければなりません。小さなミスを犯しながらも最小限度にとどめ、敵陣に自信を持って挑まねばならない。
そのための準備と作戦と小さな成果を積み重ねた実績を自信にして入試に挑む。
準備がなく、作戦が杜撰で、自信がない「兵士」は丘を駆け下りる途中で討ち死にする。頑張ったけれど、すべては揃わないかもしれない。それでも行かなきゃいけない。
決戦の日は近い。親にとってはもはや「異文化で洗うと突破口がみつかりやすい」なんて悠長なことは言ってられないかもしれない。
でも、準備はしましょうよ。
決戦の日は近く、逆算すれば「今、この時期に取り組むべきこと」が決まっているとしても、それは全員に等しく当てはまりません。
「今、この時期に取り組むべきこと」は認識したうえで、それでもそうするために「自分がやるべきこと」があってもおかしくない。
入試で、できる問題や基本問題を落としてちゃ「戦争」になりません。今月あと3週間、最近のテスト結果を見て、必要なら「広く浅く」の基本問題の総ざらいをすべし。
あとになればなるほどできなくなるのだから。
最後にもう1つだけ勉強に関係のないツイートを紹介しておきます。
30】「大東亜戦争は百年戦争である」とか「現地自活・長期持久」などと呼号していた日本軍には何一つ長期的な準備はなく、三年ぐらいで比島を奪還するつもりでいた米軍の方が、何年でも持ちこたえうる準備をしてゲリラ戦を展開していたとは。
— 山本七平bot(戦争編) (@yamamoto7heiwar) 2015, 10月 9
例年通り、今年の受験生への『10の鉄則』は10月末、『親カツ講座「入試実践コース」】の販売は来春中学受験の方は10月末、来春高校受験の方は11月末をもって販売を終了いたします。
これは、親技では成果が出るまで実践しはじめてから最長3ヶ月という考えを持っていますので、来春一番早い1月受験の方に合わせた処置です。あしからずご了承ください。
成績上がったよ!報告
小5 希林さん
ストロング先生、「努力の天才の君へ」を机の前に掲げ、夏休みを乗り切り、2回連続で偏差値65が出ました!(省略)
それでもA問題B問題をいくつか間違いますが、時間制限のある中での問題のさばきかたは良くなっていると思います。
子供の通う塾は5年の1月には全範囲を終えますので、このまま食らいついていきたいです。(省略)家のあちこちにいけドンシートがいっぱいで主人に怒られますが(>_<)、怒られても鷹揚な態度でのぞめます(^▽^) 引き続きよろしくお願いします。
成績の値の評価だけでなく、姿勢や時間配分の仕方など、目を皿のようにして観察し、きちんと褒めてやって下さい。
そしてお手柄は子供に!まだまだ続く受験ロードです。油断は禁物ですぞ!