こんにちは、ストロング宮迫です。

しばらく前になりますが、成績があまりいけていない子供と各科目の勉強の状況を聞く機会がありました。子供は性格的にも真面目な子らしく、いろいろと話してくれました。

曰く、

「先生の授業の教え方が下手」
「先生の声が聞こえにくい」
「先生が何を言っているのかわからない」
「宿題をちゃんと出してくれない」
「テストをすぐに返してくれない」
「試験範囲をちゃんと言ってくれない」・・・etc

本人は決して他人のせいで成績が落ちていると本人は言っているつもりはないんです。でも、延々と成績が悪い理由は、「他人のせい」ということでした(ボクにはそう聞こえた)。

なので、ボクは、「てめえの話は全部、人が悪いって話じゃねえか!テストの点数が落ちてるのは、てめえが勉強を単にしてないだけなんだよ」って怒鳴ったんです。

ボクも1回火が付いたら、もう止まらなくて「受験をこれからしようという者が、自分以外のあれが悪い、これも悪いなんてタチが悪い。お前は死ぬまで人のせいにして生きていくんか!」と言っちゃった。
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いきなり「てめえ」だなんだって言われて真面目な子供もビックリしたことでしょう。

でも、ボクがそう言ったら、子供は思い当たるフシがあったのか、涙をポロポロ流して嗚咽しておりました。怒られたから泣いたという感じではなかった

「滂沱のごとく」泣くとは、まさにあのことなんじゃないかというくらい涙が止まりませんでした。

「誰のせいでもないぞ!誰もお前の成績が悪くても心配もしてくれやーしない。お前がやるしかないんだよ」というと、もう何度も何度もうなづいていました。

塾も行っているんです。でも、聞いてみれば、塾でやっていることは今の子供にとってはかなり上のレベルのように思えました。これはわからないだろうなあと思って聞くと「速く進むので全然わかりません」と。

親は塾も行かせている、勉強しなさいと言っている、勉強に必要なものは与えている・・・と思っている。

こういう子が小学生も中学生も非常に多くなっているのが現状です。

とてつもない孤独とはこういう状態を指すんじゃなかろうか。

この話は、ちょうど夏休み明けのテストの前でしたが、ボクは勉強を見てやることができないので、とりあえずこれをやりなさいとやるべきものをとりあえず言ってみた。

そしたら、数学が70点だったと。

「どうなのよ、この70点は? テストを見る限り、やりなさいと言った問題はできているから、オレから言わせれば、キミにとっては満点だから、いいぞー!って感じなんだけどなあ」

「はい、今までの数学の最高点でした」って。

「オイオイ、スゲェーじゃねえか!」

「どうした? 嬉しくないの? 親はなんて言ってくれた!?」

「点数は言ったんですが・・・それだけです。」

「お前なあ、もしウチだったらパーティーしちゃうよ。すげぇーこと成し遂げたんだからな。もう少し嬉しそうにしろよ」

とまあ、こうなったのですが、少し鍛えれば、少なくとも普通には十分なれる子供たちの多くが何らかの事情でイケていない状況にあるのを目の当たりにした次第です。

子供の責任というよりは、やっぱり家庭の問題のようにボクには思えます。
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昔に比べて親も忙しくなった。忙しくすることで手に入れる物は多くなったことでしょう。しかし、その一方で失ってしまったものもある。

忙しくても子供を見てやる人もいれば、暇なのに見てやらない人もいますから一概には言えませんけど、少なくとも入り口で詰まっている場合はそこを突破するまではみてやってほしいですな。

これは勉強だけじゃない。それ以外の友達関係でも習い事でも、もう少し関心をもって見てやってほしいと思う。詰まってる部分なんてそんな大問題ではないんだし、本気で見て、ヒントを与えたら前に進めるんだから。

子供はやらないのではなく、やれないのかもしれない。背中を押してやるのも抽象的な「頑張れ!」じゃなく「このページの問題を3回やれ!」のように具体的な「これをやれ」のほうがいいですよ。

さて、この前、ここで千利休の「稽古とは一から習い十を知り 十よりかえる元のその一」の言葉を取り上げました。
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知人から「あれってわかるようでわからない言葉だよね。深いっていうのか、なんというのか・・」と言われました。

名人の言葉だからねえ・・・あとはボクたちが自分の経験に基づいてそれぞれ解釈していくしかないんじゃなかろうか。ボクの解説が見当違いってこともあるだろうし。

それで思い出した話があったので紹介しておきます。

皆さんは「権藤博さん」って聞いたことありますか?

ボクの好きなプロ野球選手の一人なんですが、現役時代は知らなくて、のちにコーチや監督をしていた姿だけ知っている方です。

権藤さんは、プロ野球1年目からエースで活躍され、1年目はチーム試合数130の半分以上にあたる69試合に登板、そのうち先発登板は44試合して35勝19敗という今では考えられないような数字をたたき出した人です。

連投に連投を重ねる権藤投手を指し、当時は「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」という流行語も生まれたとか。それくらい来る日も来る日も投げてたんですね。だからすぐに肩を壊しちゃって現役時代は短かったけれど、その経験を生かして監督やコーチ、評論家としても活躍されました。

権藤さんにはエピソードが数多くありますが、ボクが一番好きなエピソードはこれです。

中日コーチ時(2012年)には高木監督(当時)と投手起用などで持論をぶつけ合い、また当時の高木はマスメディアの前やチーム内部で自軍の選手を厳しく批判・叱咤することが多く、そのことに対して
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「かばってくれるはずの味方に怒られるほど、つらいことはない。何十年もコーチをやってて、怒って選手が良くなった試しはない

「打たれた・打てないはコーチの責任。勝った負けたは監督の責任」

と諭したこともあった。

紹介が長くなりました。その権藤さんがしばらく前に日経新聞に連載されていた時の記事です。

千利休の「稽古とは一から習い十を知り 十よりかえる元のその一」を考えるときに参考になる話なんじゃないかと思い、ここに抜粋して紹介します。お子さんの勉強も同じ視点で見てもらえればヒントになるはずです。

日本経済新聞 権藤博
これなら続く、元日からの肉体改造法

私が編み出した持続可能なトレーニング法を紹介しよう。・・それは私が社会人のブリヂストンタイヤ時代に吉川英治の宮本武蔵かなにかを読んでいてひらめいたものだ。

剣士を目指す少年が体を鍛えるときに、成長していくアサだかケシの葉を毎日飛び越える稽古をする。今日が30センチならあすは31センチといった具合に伸ばしていくのだ。

やがてアサの葉は人の背丈より伸び、180センチくらいになるが、毎日クリアしていくことで知らず知らずのうちに跳躍力が付き、ついにはその高さでも飛び越えられるようになる(はず)、という話だった。

これだと私は思った。体のトレーニングでも勉強でも、最初からきついことをしたり、急に負荷を増したりするから、ああやーめた、ということになる。

昨日も今日もほとんど変わらぬようにみえるアサの葉を飛び越えるのと同じように、自分でも気づかないくらい、毎日少しずつトレーニングを上積みしていけば、肉体的にも精神的にもつらくならずに済む。これなら続けられるはずだ……。

・・・当時私は佐賀県鳥栖の実家から、福岡県久留米のブリヂストンに通っていた。家から鳥栖駅まで10分、鳥栖から久留米まで2駅で10分ほど。久留米駅から野球部の練習場がある工場まで10分ほど。着替えに5分。

元日の誰もいないグラウンドに出た私は40メートルほどのダッシュを1本、うさぎ跳びをぴょんと一飛び、腹筋、背筋運動を1回ずつ。それで練習は終わり。

うさぎ跳びは何メートルというのでなく、本当に一飛びだけだから、時間にして3、4分だろう。あとは着替えて家に帰るだけ。翌2日はそれぞれ2回ずつ、3日は3回ずつというように増やしていった。

なんだそれだけか、と侮ってはいけない。定期預金がいつの間にか増えているように、少しずつの積み増しでも時がたてば十分鍛えられてくるし、1日の練習量も結構ヘビーになってくる。

20日を過ぎたあたりだろうか。膝が悲鳴を上げた。

ダッシュくらいならなんのことはないが、うさぎ跳び20回が膝にいいはずがない。今のトレーニング理論ではうさぎ跳びなど体を痛めつけるだけで、百害あって一利無しとされているが、当時は誰もいい練習だと信じて疑わなかった。

痛みが出たときにどうしたか。

私は自分に「後退」を許した。体を痛めては元も子もないから、もう一度、前に戻ってやり直す。といって1回からというわけにもいかないので、10回から。

肉体や精神が「ギブアップ」と悲鳴をあげる前に、緩めるのが続けるためのコツだ。

肉体の鍛錬にも、勉強にも応用できる考え方ではないだろうか。

走り高跳びの選手ならともかく、180センチのアサを飛び越えるのは小説や劇画の世界の話で、現実にはそうはいかない。

しかし、日々積み重ねていると相当なところまでいけるのは確かだ。その証拠に鈍足だった私が1年、2年とこのトレーニングを重ねるうちにスプリンターに変身していたのだから。・・

大人は、親は「後退」を「負け」とすることが多いんじゃないでしょうかね。

実際は自分の時は臨機応変に後退したり、横道にそれたり、休憩したり、一杯飲んだりするはずなんだけど、子供の勉強になると途端に「後退は負け」となり、グチグチ言ったりする。

相手は自分よりも経験が少なく、レベルも低い子供です。グッとこらえられるのも親のほうのはず。

親技ではエラーって言ってるけど、エラーが出たら緩めたらイイ。緩めるっていうのは「なにもしない」ってことじゃないから。ちょっと前に戻ってみる。

前に戻ったら後退でダメじゃないかなんてことはない。戻った時の風景は依然通った時とはまた違う風景だから。

勉強せずに20点と勉強して20点は「同じ20点」だけど、意味が違う。次がある20点と次がない20点。そこに価値を見出すのは大人しかできない。「子供は、あ~あ、頑張ったのに20点かよ」っていうに決まってるから。

無価値に見えるものから価値を見出してやる。意味づけしてやる。それは親の役目なんじゃないでしょうかね。

権藤さんの話は千利休の「稽古とは一から習い十を知り 十よりかえる元のその一」に通ずる話だと思ったけど、どうでしょうかね?

もっとわからなくなったって!?

それは千利休のせいでも、権藤さんのせいでもなく、ボクの問題と思います。なので気にしないでください。
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うれしい報告

『ノリ勉「算数・数学」を終えての感想

小4 さりままさん

7日間のご指導、ほんとうに有り難うございました。この1週間、親子ともに本当に貴重な体験をすることが出来ました。

今後も、課題がでたら解決策を見つける、トライ&エラーで取り組んでいきます。

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

基本的に式を省略しなくなりました。ところどころ抜けている箇所もなくはないですが、これから改善できると思います。

最終日を迎える前に塾のテストの結果が出て、前回と比べて45点も上がったため、本人も勉強の成果の手応えを感じたようです。

お陰様を持ちまして、塾へ行く足取りも軽くなっていました。

◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:

小学生のうちは、子供のそばで勉強を見ることは必須だと思います。そばで勉強を見ることができるのは、中学1年までだと思います。

親にとって学ぶべき点がたくさんありました。親の姿勢や接し方が、こどもの勉強への影響が非常にあると感じました。

親の演出次第で、子供は変わるということを身をもって体験することが出来ました。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

楽しかったです。

◆先輩たちの記録は読みましたか?

読みました。皆さん、いろいろ苦労されていると感じました。

また、自分だけではなく、仲間がいるんだという意識が働き、やり抜いて見せる!という意欲も湧きました。

子供は親からあれこれ言われます。子供には親の眼が光っています。

しかし、親は誰かもあれこれ言われません。親には誰の眼も光っていません。

親の間違いは誰も軌道修正してくれない。この怖さをもっともっと親の方には感じてほしい。

だから親はかなり神経を使って自らを振り返らなくてはならない。

ただ勉強面においてはテストがあります。このテストの結果が親がやらせていることの良し悪しを教えてくれる1つの基準です。

テスト結果はもちろんすべてじゃない。でも、親子のよかった点、悪かった点を反省する材料は与えてくれる。

テストが悪くて子供を叱っても、「今の現状」はなにも変わらない。

テスト前の勉強を変えなければなりません。

  • ノリ勉
  • 10の鉄則
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  • 復テ対策講座
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  • 親カツ講座(夏まで
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