こんにちは、ストロング宮迫です。
怒涛の中学入試も後半戦、と思ったらいよいよ中学生の高校入試の本格化。胃液あふれる戦いもあと1ヶ月となりました。
このヒリヒリするような日々を過ごすと受験生はたくましくなる。明暗分かれてしまう辛さもあるけれど、子供たちは確かに一歩大人に近づきます。
海外で仕事をする人は、そういうヒリヒリ感をしょっちゅう味わうらしい・・・
ジャズピアニストの上原ひとみさんのブログを読むと、その「強さ」に驚かされる。
海外で仕事をしている方がみんなこんなにポジティブに涼やかにトラブルに対応できるわけではないんでしょうが、それにしても1つ1つの手の打ち方も考え方もすごすぎる。
とてつもないスケジュールで仕事されている青山繁晴さんのブログにも先日海外出張の話が出ていました。題名は「なんてこともない」・・・
インドへの出張だそうですが「案の定、トラブルだらけ」だったそうで、イミグレーションの係官から「絶対に、入国させない」って言われたとか。
若かりし頃、新婚1ヶ月の妻を日本に置いたまま、タイガー山中とGWにニューヨークへ遊びに行ったことがありますが、深夜に着いた、たしかジョン・F・ケネディ国際空港に手違いで迎えが来ていませんでしてねえ・・・
荷物を運ぶ空港の作業員の人が申し訳ないけれど、正直みんなギャングに見えてずいぶん怖かった。電話しても「フフ」とか気取っていってはみたものの英語が全然聞き取れなくてね・・・ハハハ
新婚旅行にも連れて行ってやらなかった新婚ホヤホヤの妻を置いての豪遊旅行だったのでこりゃあバチが当たったって思いましたもん!
ただ慣れている人にとっては最初から「案の定、トラブルだらけ」と思っているから「なんてこともない」ということになるんでしょう。
つまり「こんなもの」と経験して知っていれば、「案の定」だし、やっぱり「こんなもん」だし、だから「なんてこともない」と思える。
ボクは海外では「案の定」とはならないけれど、受験においては「こんなもの」だしやっぱり「案の定」だし、だから「なんてこともない」と思える。それでも胃液は出ちゃうんだけどね(ToT)
要は海外行くときも、受験をするときも、最初に「案の定、トラブルだらけ」って思っておくことなんですよね。
なじみのない「場所」へ向かうときはトラブルがあって当たり前と思っていく。だったらなにかが起こっても、「案の定」となるし「こんなもん」だし、「なんてこともない」と思える・・・はず。
しかし、これが難しい。人は自分が経験した世界の範囲の延長線上でしか想像ができないから。一生懸命想像はしてみても、それは自分が経験した世界の範囲の延長線上にしか想像が広がらない。
悲しいところです。でも、実際は電車がほぼ時間通りに来る国っていうのも、世界にはほとんどないんでしょ。
海外での仕事では想像できないトラブルが起こりうるんだろうけれど、受験で起こるトラブルはもう誰かが確実に何度も経験していることばかりです。
そういう意味で受験はほぼ「想定内の範囲」でおさまります。あとはそれをあなたが想像してみようと試みるか、またよりリアルに想像できるかどうかにかかっています。
受験に想定外はない!と断言できます。だから準備次第。
これから子供たちは海外へもたくさん旅立っていくことでしょう。なので、まずは「想定の範囲内」で収まる可能性が高い受験で「案の定、トラブルだらけ」を経験し、将来に備える。
そんなふうに考えると、受験の意義も大いにあるのではないでしょうかね。
とはいっても、それは受験が終わってから考えられることで、受験の真っ最中には到底そんなことにまで気が回らないのは確かですが・・・
春は近い。あと少し!受験生、ガンバレ!
さて、前回ここで勉強においては、抽象的なものを、いかに具体的にイメージできるか、これが勝負。それには幅広い経験や体験がいる。身体全体を使って知る経験値が必要ですと書きました。
よく小さい頃から受験勉強なんてしていないで、子供は子供らしく思い切り外で遊ぶべきだ!という意見を聞きますよね?
それを聞くと、勉強ばっかりしてちゃダメだとか頭でっかちになるとか思う。ゆえに外で遊ばせる。
問題は遊ぶ「だけ」になることです。
逆に机に座っての勉強「ばかり」になる。
両極端なんです。
子供は抽象的なことがよくわからない。だからできるだけ学校なんかでも具体的なものを見たり、触ったりして実感することで学ぶ。今は塾でも学校でも映像で見せたりもしてくるでしょう。
紙の上でだけで覚えたり知ったりするだけじゃなく、なんとか映像を見たりして抽象的なものを具体的に捉えてほしいという試みだと思います。そっちの方が勉強の効率も良くなるしね。
本当は遊びの中に勉強があり、勉強の中に遊びがある。
ボクがこんなことを書くとヘンだなんて思う人がいるので、泣く子も黙る人に言ってもらいます。以前、ここでこういうのを紹介しました。このメルマガより断然役に立つ(キッパリ)!
この本で養老孟司さんは書いておられます。
脳の発達には身体を動かすことが大切ということが、なぜわかってきたか。
障害児の教育を一生懸命やっている人たちが、それに気づきました。特に脳性小児麻痺の子どもの発達の観察からわかってきたことです。
自分で身体の移動ができない場合、かわいそうだから寝かせておくわけです。小さいときからそうやって寝かせておかれた子どもは、実は言葉をしゃべることができない。
だから何をするかというと、とにかく自力で動けるように、と無理やりにでもハイハイを助けてやらせる。すると、次の段階でちゃんと言葉をしゃべることができるようになる。
自分の力で動きだすと、はじめて脳の入出力が大きく回り出すからです。
養老さんは、脳の入出力について、こう書かれています。
昔から言われているように、人は「知育」「徳育」「体育」という三つで、成長していきます。
「知育」は何かというと、感覚です。五感です。何かを感じる、つまり「入力」です。
「徳育」というのは、頭の中で起きることです。五感によって入力された情報をもとに、行動を決めます。その状況で自分がどういう行動をするか、あるいは行動をどうセーブするか。
それを頭の中で決めるわけです。コンピュータ用語で言えば「演算」です。
最後の「体育」というのは、この演算にもとづく身体の動きです。「出力」と言い換えてもいいでしょう。この「知育」「徳育」「体育」というのは、脳のはたらきそのものと言っていい。
われわれの脳は、外から「入力」を受けて、内部で「演算」をして、それで結果を身体の動きとして外に出す、つまり「出力」する。
ここでよく誤解されるのは最後の「体育=出力」です。
身体を動かすというと、なにか運動をすることだけのように聞こえますが、そうではありません。
身体の動きは、コミュニケーションを作っています。言語も表情も。言語は声帯や舌を動かすことだし、表情は、筋肉の動きです。
こうも書いておられます。
現代社会において一番足りないのは体育です。
わかりやすく外遊びのときのことを例にしていうと、都会で暮らしていたら、アスファルトとかコンクリートという基本的に同じ固さの地面しか踏まない。しかも平坦な地面しか踏まない。
つい何世代か前だったら、山や田んぼのある土地で遊んでいました。一日じゅう違う固さの地面をしょっちゅう踏んでいる。
なぜ地面の固さが問題なるのかというと、
子どもは、感覚から入って来るそういう(地面の固さの)「違い」を脳に入力し、それに従って動きを調整していく。
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固さの違う地面を踏むと、身体の動きをその都度変えなきゃいけない。そうすると頭の中にはある種の運動制御のモデルが自然にできてくる。
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だから私は、できぼこ道を歩けと、よく言っています。足の裏から、違う固さの感覚が脳に入力され、その都度転ばない歩き方を脳で演算して、運動つまり出力する。
「どんな本を読んであげたら、子どもの脳の発達にいいでしょうか」と質問するおかあさんたちは勘違いしていると養老さんは言います。
順を踏んでいくことが、教育では大事なのです。
その順を踏んでいくときの一番の根本になっているのが、脳の入出力が循環するということです。一歩でも動けば、世界は変わる。そのことが重要なのです。
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だけど、今の人はどう思っているか。幼いころから英語を勉強させるとか、特定のことをやらせたら頭の中でどんどんその能力が増すと思っている。その単純な因果関係というとらえ方が間違っているのです。
二宮金次郎の伝記では、薪を背負いながら「本を読んだ」、つまり寸暇を惜しんで勉強したことを偉いと言っている。そうではありません。
大事なのは「薪を背負いながら」の方なんです。
家が貧しく、幼いころから手伝いをさせられた。どうすれば薪を効率的に運べるか、少しでも肩が痛くならない背負い方はないか、近道はないか、幼いなりに考えたでしょう。
そうしながら本を読んだ。だからこそ、本をよりよく理解できた。「知育」「徳育」「体育」が子どものころから循環していたわけです。
もし、ずっと家の中にいて本ばかり読んでいたら、「尊徳」にはなれなかったと思います。
引用の長くなりついでに、養老さんが「誤解されている」とおっしゃる言葉についてもう少し。
文武両道
学校で文武両道というと、勉強しながら甲子園に行くことだと思っている人がいるかもしれない。
昔の人なら午前中は正座して「論語」を読んで、「師のたまわく・・・」とやって、午後になったら竹刀を持って道場に出て殴り合う。
そうではなく、「論語」を読んだ結果が自らの行動になって出てきて戻るということなのです。
「文」というのは、脳に入るほうで、いわゆる「知育」です。
「武」というのは出すほうで、つまり「体育」です。
「文武両道」とは、本来、入力した結果を身体で動かし、身体を動かすことで新たな入力を得る、という意味だったのでしょう。
ところが、いつごろからか、勉強も運動もできる、というように、別々のものにしてしまった。
ボクの話ではなく、養老孟司さんの話なら皆さんも、きっとうんうんとうなづけるでしょう。
これを一言でいうと「具体的なものを見たり、触ったりして実感することで学ぶ」となるとボクは解釈しています。
養老さん曰く「寝かせておかれた子どもは、実は言葉をしゃべることができない」。身体を動かさないと。勉強も一緒。
この前も、何回繰り返してもできるようにならないという方へのメールの返信で少し書いたんですが、
勉強における抽象的な側面を、
実際の生活の触感や視覚で捉えていくことも
取り入れることです。
紙の鉛筆と教科書だけでにらめっこするのではなく、
容積なら具体的に実際の容器を手に取って水を入れる、
立体は立体を手に取って分解するなど、
もうしているかもしれませんが、
具体化したものを目で見て触れてから紙の上のものの抽象的なものに臨むという姿勢も必要でしょう。
抽象的なことがわかりにくいのは子供は皆一緒です。
国語の文章題でも、抽象化された文章はまるで頭に入らない子供も多いです。
すべてを実地で経験することは難しいですが、テレビでドラマを見るというのも馬鹿にはできません。
実際に触ったことがないけれど、テレビで誰かが触っているものを見て疑似体験する。テレビで誰かが体験している経験を見て疑似体験することだって国語の文章題を解くときに影響してくる場合だってある。
知っているものは、見たことがあるものは具体的にイメージができる。
しかし、ただ言われたこと、読んだだけのことはイメージがわかないのです。
国語が良くできるのは身体を動かして実際の体験をたくさん積んだ子供であるというのも1つの真実です。
森林伐採と温暖化、途上国がそうせざるを得ない事情を言われても子供にはわからない。
森林伐採がわからない。
温暖化がわからない。
途上国がわからない。
途上国の事情が分からない。
全部わからなければ論理的に書いてあっても子供にはわからない。
イメージできるかどうかです。
それは本当にわかっているのとは違う。手にとって掴める感覚があるかどうか。
親子で楽しく決まったテレビドラマを見るのも1つの経験です。ドラマだけじゃなくドキュメンタリーでもいい。テレビのすごいところを大いに利用したらイイですね。
さらに、理解が進まない、何度やってもイマイチ頭に入らない場合、同じ方向から20回やっても、3回やったときと同じ効果しかないことがほとんどです。
繰り返しやって成果が出るものは3回、多くても5回やればたいていは成果が出る。それでも成果を感じられない場合は、違う方向からアプローチしてみることです。
図形や立体や容積は先に書いたように具体的な立体を手に取って感じてみる。
サイコロをやる時は実際に自分たちで方眼紙でサイコロを作ってみるのも同じことです・・・
自分たちの先輩が甲子園に出たら、甲子園に出るってことが具体的にイメージできる。
東大、ノーベル賞、総理大臣・・・なんでも一緒だ。
勉強においてもそう。試験には出ない雑学をよく知っている「雑学王」が勉強に強くなりがちなのは新しく習うことをその周辺の知識を伴って具体的に厚くイメージできる可能性が高まるから。そんなふうにも思います。
逆に言うと、勉強が良くできる子はテレビでよくやっているクイズ王になりうるってことです。
高校生のクイズ王とかってたいていは全国有数の進学校の高校じゃないですか。あれって賢いからクイズ王になったの?
ノーです(だと思う)!
クイズ王になれるくらい何でも知っているから机の上で学んでも、紙で学んでも習っていることをたいていは具体的にイメージできる、具体的にイメージできるからおもしろい。おもしろいからもっとやるとなる。
それこそが知る喜びを知っているということでしょう。
新聞だって誰でもおもしろがって読めるとは限らない。新聞自体は概して面白くないものだけれど、そこに載っている情報をいろいろなこととつなげて考えられるからおもしろく読めるわけですから。
「新聞なんておもしろくねーよ」っていう人は読む側に問題がある。だからといって新聞なんかを読んでも、社説を読んでも賢くなるわけじゃない。
問題は新聞に書いてあることを自分が持っている情報とどう結びつけて考えられるか。何も感じられない人もいれば、ただニュースを知るだけの人もいるし、ビジネスチャンスを見出す人もいる。
養老さんの「文武両道とは、本来、入力した結果を身体で動かし、身体を動かすことで新たな入力を得る」とはこういうことなんじゃないでしょうかね。
賢くなる人はどんどん賢く、アホはますますアホになる。必然です。
勉強も入力ばっかりやってたんじゃテストでは点は取れない。家庭の中で入力と出力を繰り返す。ただ繰り返すだけじゃ続かない。
どう入力するか、どう出力するか、それが勉強においては工夫になる。
子供はその工夫を思いつかない。だから親がちょいとその工夫を協力して手伝ってやってくださいと親技では推奨しています。だから勝負はたやすい。ちょび工夫すれば勝てるもの。
世の中には「工夫ってなんですか?」って人が大半です。新聞でいえば「ただ新聞を読む。終わり」なんてね。
多くの人が子供新聞を取り始めました!って披露する。だからなに?
新聞をどう読むか? どう使うかが大事なのであって、新聞を取ること自体に意味はない。
子供新聞を取らなくても、大人用の新聞で親が介在して新聞を読んでいる子供だってたくさんいる。同じことです。
入力なきところに出力なし
出力なきところに成果なし
工夫なきところに勝利なし
だけど、これらの前に考えておくべきなのは、現状では「親は子供に入力したつもりになっているけれど、実際は子供には何にも入力されていない」というのが多いことです。
入力していないのに「どうして出力できないの!」なんて怒ってる。災難ですわね、子供にとっては。
なので考えよ!あなたの家での入力ってなによって!?
子供にも言うでしょ、「ちゃんと考えなさい」って。だからボクも親に言う「ちゃんと考えてね」ってね。
公開テスト対策に使える理科のいけドンシートの事例「水のあたため方の問題」をアップしました!
復テ対策講座メンバー専用ページ勉強において繰り返し反復するのは最重要なことですが、それを知った上で1回目をどう考えて解くかも同じくらい重要です。
塾のテキストでは単元の基本をベースにあれもこれも類題が何種類も出てきますよね。問題のバリエーションは、基本的なものをベースにいろいろな変化をつけて問うことができる。
それらのすべてを、あるいはあらゆる種類の問題をやれるならやったらイイ。でも、全部を3回回すなんてことは難しくなっていく。時間がないから。
なので、1つの基本的な大問をやる中で問われていることはもちろんですが、それ以外のもの、周辺のものも確認できるようにしていくのが効率アップの勉強になります。見てね!
受験報告 夢の併願さん
親カツ講座「夏までコース」でお世話になりました。
親技をお手本に頑張りました。メール相談もして頂きありがとうございました。
サンデーショックの年、桜蔭と女子学院との夢の様な併願。両学校合格を頂きました。
娘は最高の受験を経験し、駆け足で大人になって行きました。
夏までに必死で偏差値を上げる努力をしました。溜息ばかりつく日もあり、ケンカもありましたが、夏を過ぎた頃には自ら机に向かい全く手が掛からなくなりました。
私の仕事は健康管理とプリント整理、塾の送迎とおしゃべりに付き合うのみでした。
ありがとうございました。
読むとなんだかとてもラクなように皆さん感じるかもしれません。
しかし、夢の併願さんも、1年生から通塾、宿題のみで上位クラスを維持してましたが
小5年11月でクラス落ち、算数は常に悪く、11月のテストでは算数偏差値42まで落ち込んしまいました。12月でも戻れませんでした。
実力テストに強く中だるみするタイプ(親もです)。
小5夏から家庭教師を週2回16時間、算数・理科を見ていただいてましたが、クラス落ちしました。先生はまだ大丈夫だと。。先生に任せれば難関校に行けるだろうと過信してました。
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これはまずいと思い、ネットで色々検索していたところ「親カツ」に出会いました。1月9日に親カツ講座が手元に届きスケジュールも書き込み受験までの流れを子供に伝えました。家庭教師を週2から1に減らし、スケジュールを組み直し「親カツ」をはじめました。親カツ夏までコースにどっぷりハマってます。
今まで横について学習を見たことがなかったのでこれを機にフォローしています。フォローしてみると穴だらけで今度は教育ママに変身。
初めてほんの数日、、付きっきりで猛勉強しました。
1月13日の組み分けテストでなんと算数偏差値67.5 総合67.7まで伸びてしまいました。
嬉しい気持ちはもちろんありますが、まぐれかもしれないとの気持ちが強く次の復習テストが不安です。
維持出来るでしょうか?
本人はルンルンですが、私がプレッシャーを感じてしまってます。
不安は的中して・・・
実践後小5、1月の組み分けテストで偏差値67まで上がりましたが1月末の確認テストで61に下がりましたというか戻りました。
理数系のテキストも厚くなりテスト対策の時間の捻出が厳しくなってきました。
本人は志望校に対する気持ちはありますが、実テが復テより良いので危機感があまりありませんし、勉強の進め方もいまいち分かっていません(私がですが)。
先生のお話のとおり2回続けて65以上の偏差値キープを目指しています。
夢の併願さんは、長い間、「子供のテキストすら確認した事がほとんどありませんでした」と1年前に書いていらっしゃいました。
確認してみると「穴だらけ」だった。塾と家庭教師を併用していたのにです。
そして、
夏までに必死で偏差値を上げる努力をしました。・・・夏を過ぎた頃には自ら机に向かい全く手が掛からなくなりました。
私の仕事は健康管理とプリント整理、塾の送迎とおしゃべりに付き合うのみでした。
来年の受験生がヒントにすべき材料がたくさんありますよね。
受験は夏までが勝負!受験は先行逃げ切りが鉄則!
親カツ講座前期初回2月号は「受験1年前に確認すること」
※子供が自覚するのを待つなんて、時間の無駄だと思います!