こんにちは、ストロング宮迫です。
入試について多数のご報告をいただいております。入試真っ最中のため、順次返信しております。まだの方はもうしばらくお待ちくださいませ。
さて、昨年12月にBenesse教育情報サイトにおもしろい記事がありました。
「家訓」がない家庭は7割、「必要ない」も6割
今回の調査では、「我が家には家訓がない」と回答した保護者が7割以上。
家訓を設けていない理由として目立ったのは、
「しつけとして普段から言い聞かせていることはあるが、『家訓』という位置付けではない」といった声。中には「『これだけを守れば良い』という枠にはまった考え方よりも、物事を柔軟に考えて対処できる人間になってほしいから」という声も。
皆さんの家庭では「家訓」ありますか?
「家訓がない」ということは、子孫に伝え残すほどの強烈な経験を先祖や自らがしていないと言えるのかもしれません。
なぜこういうことを言うかというと、
「住友家家訓十三ヶ条」というサイトにこう書かれているからです。
あの織田信長は一攫千金で桶狭間で大勝した以後は、頗る堅実な戦法に変化している。
一攫千金で成功すると、自己の才に増長するのが人間の性である。それが大抵の場合は自己過信となり、再び一攫千金を頼みとして失敗に終わるのが通例である。
一攫千金は、動乱期に成功する云わば奇習であり、平時の戦法ではあるまい。功なり名を遂げた創業者たちは、これらの事を身に染みて感じていたからこそ、口やかましく戒め、それが家訓の始まりではないか。
なるほど。
つまり、一攫千金などの大成功を経験し、功なり名を遂げた者が、続く者どもに高慢になってはいかんぞと戒めたものが家訓であると。
一理あると思いますね。
すなわち、一攫千金の経験のないもの、功なり名を遂げてはいない人にとっては、戒めへの情熱も薄いのかもしれません。
残念ながら我が家にも家訓がありません・・・・
先に紹介した「住友家家訓十三ヶ条」というサイトによれば、
住友家「家訓」十三ヶ条は、オール住友の範たるものであるが、住友銀行では、支店長など管理者は「主管者」と呼ばれ経営者の位置付けであり支店長になったら、人事部長から「支配人の務め」という書物を与えられた。
これは銀行業に特定したものであるが、この精神はいかなる時代でも生きるものと考えている。
しかし、いかに立派な家訓があっても、書物を与えられても、それを長く守り続けるのは所属する人が多くなれば、組織が巨大になればなるほど難しい。
住友家「家訓」十三ヶ条のうち、
第三条には、
一時の機に投じ、目前の利にはしり、危険の行為あるべからず。
第八条には、
廉恥(れんち)を重んじ、貪汚(どんお)の所為あるべからず。
第十二条には、
我が営業は時勢の変遷理財の得失を計り弛緩興廃することあるべしと雖も、いやしくも浮利にはしり軽進すべからず。
とありますが、書店に行けば、
なんていうおぞましい内容の本が売られている。なかなかおもしろい本なんですがね。
これらの本で触れられているものが事実かどうか、またこれらの行為が行われていたとして、それは一部の家訓を理解しないはみ出し者が行ったものかどうかはわかりませんが、家訓をきちんと守っておれば、出てくるはずのない話でもあります。
これは家訓を残した創業者や激烈な成功体験をした者の当時の「熱」を子々孫々にまで伝える作業がいかに困難かを示すものといえるかもしれません。
会津藩にも有名な幼年者に対する「什(じゅう)の掟」があります。
江戸時代の「什の掟」とは
6歳より9歳までの子供達が「お話を致します。」と言って次の心得を誓い合いました。
1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
2.年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。
3.うそを言うてはなりませぬ。
4.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
5.弱い者をいじめてはなりませぬ。
6.戸外で物を食べてはなりませぬ。
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです。
時代が時代ですから、今の感覚と合わないと感じるものもあると思いますが、現代でも十分に通用するといっていいでしょう。
しかし、会津藩の「什の掟」の素晴らしさは、それぞれの掟にあるのではないとボクは思っています。
では、なにが素晴らしいのか?
それは最後のならぬことはならぬものです
これですね。
現実問題として、親は子供に「なぜダメなのか?」「なぜすべきなのか?」などをうまく説明できないものがあるはずです。
たとえば「なぜゲームをしてはいけないのか?」この問いにスラスラ答えられる親はあまり多くありません。
しかし、スラスラと理路整然と大人が答えられないことが、「じゃあ、やっていいんだよね!」ということにはつながらない。
では、「なぜゲームをやっちゃいけないのか?」
「ならぬことはならぬものです!」以上
これでもいいんですよね。
実際、各家庭でこれが通用するかどうかは親の迫力とこれまでの接し方によって決まってくると思いますが、子供にうまく説明できないことを大人はあまりにも恐れすぎていないかという点は最近よく考えます。
そういう意味で、「ならぬことはならぬ」というのは便利ですな。
しかし、この便利な言葉を子供に使う困難さも並大抵ではないですから、この言葉は使う人を選ぶのかもしれません。
ボクのおやじ(父親)が孫たちにこんな風なことを言っているのを聞いたことがあります。いつか書いたことがあると思いますが。
「じいちゃんはな、あのズボンをずり下げてパンツを出して歩きにくそうにだらしなく歩いているのを見ると無性に腹が立つんだよ。キライなんだ。もし、お前たちが、自分の孫があんな恰好をして街を歩いているのを見たら、悪いけど、じいちゃんはお前たちをぶち殺しに行くから覚えておいてくれるか」って。
世の中がこんな頑固で融通が利かない「ならぬものはならぬ」のちょっと危ないおじいちゃんばっかりだと毎日殺人事件が起こっちゃいますから困るんですが、我が家の子供たちは、ウエストが少しでも大きいズボンをはくとずり下がりますから、油断なくベルトなどをして用心しているようです。
ぜひ渾身の力を込めて「ならぬものはならぬ」って言ってみて下さい。
くれぐれも「うるせー!」なんて言われないようにね!
小5 かずぱぱさん
ひとつひとつの鉄則に「なるほどなぁ」と思いました。
どの鉄則も、今までのやり方に照らし合わせてみると、中途半端だったと思いました。
塾の先生に相談することもせず、決まりを作っていましたが出来たかどうかを確認もせず、ちょっと頑張っている様子をみると休憩させるなど、改めて鉄則に照らし合わせてみると中途半端なやり方ばかりでした。
小5 雪割草さん
『10の鉄則』を読んで、この1年間家族で『受験勉強ごっこ』をしていたことがわかりました。
購入して感想を1ヶ月以上書けなかったのはそれを認めるのがいやだったからだと思います。娘の成績が上がらないのは自分のせいではない。私は一生懸命やっていると信じていたから・・・。
ウソをついたり、逆ギレされるのは結局母親の私に責任があったのです。寂しい中、一人でがんばらせるのは無理。まずは私が少しでも早く帰宅し娘が家に一人でいる時間をなるべく少なくするところから始めたい。
『受験勉強ごっこ』ですか・・・
言われてみれば、「ごっこ」をしている家庭が多いのかもしれませんね。
少なくとも難関校を受験するとなれば、家族の総力戦とならざるをえません。
総力戦においては、子供や親や塾などの役割がそれぞれあり、どこかに穴があれば、水が漏れる。
頑張っています、やっていますと水漏れ状態で気合い十分というのは成果がいっさい出ずに本当に苦しい。
すべての水漏れを防ぐことは無理でしょう。
であるならば、どこそこは「水が漏れている」という認識は持つ必要がある。
認識を持つということは優先順位が確定され、やると捨てが明確であること。
「これは捨てだよ!」そう子供たちにハッキリ言ってやることで気持ちも楽にしてやり、その分力を傾注したところは、突破する。
『受験勉強ごっこ』はそこが徹底的に甘いということですね。