こんにちは、ストロング宮迫です。

風が気持ちの良い秋の風になってきましたね。受験生もいよいよってことです。受験生だけじゃないですぞ!来春からの受験生は、受験生になる前の大詰めの大事な時期ですから。

じゃあ、みんな「今」が大事ってことになるじゃないかって!?

そう、みんな「今」が大事なんですよ。明日や来年のことを考える前に、今日成果があったか? なにを積み上げたかが最も重要です。

陸上では桐生祥秀選手が日本インカレで100mで9秒98を出したとか。

※この毎日親技は2017年9月14日に配信したものです

桐生選手と土江コーチによる師弟関係の話はすでに皆さん聞いているでしょう。反発と信頼の話です。

あれって親子の物語として読めば、あなたにも十分通ずる話だとボクには思えます。

日本で一番速いスプリンターを指導するとき、アスリートはすでにコーチよりもすごい記録を持っているわけですよね。となれば、自然と「感覚直観派」と「理論派」にならざるを得ないんじゃないでしょうか。

親が子供を自分の上の世界へと押し出そうとするとき、子供がすでに親自身が知らない未知の世界にいる、またはいったとき、それでも師弟として関係を続けるとすれば、子供が「感覚直観派」で、親は「理論派」にならざるを得ない。

そこに反発も生まれるわけです。


桐生祥秀の9秒98が生まれた軌跡。
土江コーチが語る反発、信頼、進化。
折山淑美

9月9日の日本インカレ男子100mで桐生祥秀が出した9秒98。彼を指導する東洋大の土江裕寛コーチは翌日の10日、レースをこう振り返った。

「今年の春先の感じでは、100mを走るということでとにかくスタートを意識した走りになっていた。昨日の本人は『しっかりスターティングブロックを蹴る』という意識でスタートしたというが、全体としてはすごくゆったり見える走りで、春先とはまったく違うパターンでした。決勝は最後まで走りきって、いつもより1歩少ない47歩になったが、ゆったり動けたことで2~3cm広いストライドで走れたのかなと思う。

今回は不安があったというか……完璧な準備をしてきた形ではなかったことも逆にプラスに働いた。スタートのところも“ガツンと行かない”トレーニングしかできなかったので。そこにあまりこだわらなかったということと、記録というものを意識したレースではなかったことが、9秒98につながったのかなと思います」

・・・「僕がいっぱい(桐生に)介入して記録を出させようとした時の方が出なかったので……。それがよく分かって今回は勉強になりました」と土江は苦笑する。

桐生の東洋大入学とともにコーチに就任した時は、「単純にこの選手とやりたいと思っていたが、これだけ注目されている選手だから失敗は出来ない。もし失敗したらその後は陸上競技の指導者は出来ない」という覚悟を決めていたという。

「僕自身、競技者としてはナショナルチームに入ってやっていたし、指導者としても数年の経験はあったが、桐生とやるようになってからはそれまでやってきた手法は一切通用しないな、と思いました。それまではこっちから『こうだ』という客観的な視点のコーチングしか出来ていなかったが、桐生とやるなかで、選手を主体に考えて『どう感じているのか』『どう助言すればいいのか』というようなことをイチから勉強したと思います」

土江が今でも忘れられないのは、桐生が1年になったばかりの春先に「あなたは僕を速く走らせる自信がないんですね」と言われたことだという。「僕は細かいことをゴチャゴチャいうタイプだから、そのフラストレーションが溜まっていて爆発したのだと思う」と振り返り、こう続けた。

「でもあの時、僕も本当に自信がないのかなと思いました。僕は何をするにしても常に根拠を大事にしたいと思っているし、こういう経過があるからこういう記録が出る、というのを絶対にブラさないようにしているんです。

実際に桐生が1年の時は、彼に9秒台を出させるという根拠を持てなかったので、そういう内容のアドバイスは言わなかった。

でも、そういう問答の中で桐生に、『僕は五輪のファイナルに出てメダルを獲ることが目標なんです。そのためにどうやればいいか考えてください』と、ズバッと言われたんです」

大学2年目の冬には、土江が「この練習を」と課した内容でトレーニングを進めることが多くなり、ウエイトトレーニングも一般的なものを取り入れ始めた。3月にはアメリカで追い風3.3mの参考記録ながらも9秒87を出すという成果を上げた。

だがそれは、桐生本人がやりたい形のトレーニングではなかったという。その迷いが、日本選手権前の肉離れにつながったのではないか、というのだ。

これを契機に、今度は桐生本人が自ら「こういうことをやらせてほしい」と土江に言ってくるようになり、ふたりで互いに練習方法を提案しあった上で方向を決めていく形となった。

いかがでしょう? 親子関係に通じない?

親は「子供という名の選手」について、こっちから『こうだ』という客観的な視点のコーチングではなく、選手を主体に考えて『どう感じているのか』『どう助言すればいいのか』というようなことをイチから勉強しなければなりません。兄弟姉妹が2人いれば、それぞれに考えなければなりません。

志望校という名の目標があれば、親の「これをしなければならない」と課すものも増えてくる。その「しなければならない」ものと子供の気持ちの間に齟齬があれば、「迷い」が生じる。怪我したり、成績が下降して、ふたりで互いに練習方法を提案しあった上で方向を決めていく形になっていく。

いや、そうならないような負荷は怪我につぐ怪我、または成績低迷、下降、不振とつながる。

親だけが創っていくものでもないし、子供だけが創っていくものでもない。親子で、共に自分たちの形を創っていくわけですから。そして、その形は100組の親子がいれば、100通りある。

その歩みが「10秒01」を出してから4年間で「9秒98」だ。4年で0.03秒ですよ。

こういうアスリートはすでに極限の闘いをしているので、4年で0.03秒とかになるけれど、ボクたち親子はまだまだ極限の闘いにまでは程遠い。だから半年で1秒とか改善できる。改善できる余地が山ほどあるから。

偏差値65から70までの闘いだと、0.03秒とかの闘いになりうるけれど、偏差値40なら半年で偏差値50なんて、わけない。今の成績が下であれば、やればやっただけ改善できる余地は大きいのだから。

でも、そのためには選手を主体に考えて『どう感じているのか』『どう助言すればいいのか』というようなことをイチから勉強しなければなりません。

できるでしょ!こんな基本的な問題はー!って叫んでも、「今はできない」んだ。

できろ!やれ!って言っても、言われても、できないものはできない。

そのとき、もっと子供に変われ!という前に、親のほうのアプローチを変えましょうよというのが親技の提案です。

もう1つ、この記事でおもしろいのは、この最速の記録が「今回は不安があったというか……完璧な準備をしてきた形ではなかった」ときに生まれたってことです。

ギリギリ歯を食いしばっているときに最速が出たのではないってこと。

先月8月の世界陸上の100m代表候補に桐生選手は漏れた。6月の日本陸上競技選手権・男子100m決勝で負けちゃったから。あそこでこの記録を出したかったはずだ。

しかし、記録が出たのは代表選考に漏れたあとのこの大会だった。

受験の合否に関係なく、受験後に子供はさらに伸びると親技では唱えてきた。結果はどうあれば、必死にやってきたあとにやってくる気楽さや完璧な準備ができないときに神様が笑う。神様がいるからそうなるんだとボクは思う。

ギリギリ歯を食いしばって結果が出なかったとき、人はみなそこで「0」にする。ゆえに「最速」を見ることはない。でも、「最速」はギリギリ歯を食いしばって結果が出なかったあとなんですよ。

だから努力の継続性、「0」にしないことが親にも子にも求められる。もっといえば、ずーーーと継続できるような努力にしなさいともいえるだろう。

あと100mだけなら全力で子供は走るだろう。でも、そこはゴールかよ?ってことですね。

あるときは全力疾走もいるだろう。してみたらイイ。それも経験だ。でも、いつでも走っていなきゃいけない。止まったら、終わりだから。

もう秋だ!みんな気合も入るだろう。でも、来春はゴールじゃないからね。ずっとできる努力ってなにか? どれくらいなのかを一度考えてみてもらいたい。

子供には負荷をかけるべし!これが親技の主張ではあるけれど、その負荷は子供ができる「チョビ上」でないと、子供は負荷を嫌がるようになる。実力通りの負荷さえ、しなくなる。イヤだイヤだでした努力は穴の開いた桶に水を入れるがごとし。

昨日、水を入れたよね? その水はどうしたの?

うん、こぼれた。いや、こぼれたんじゃない。最初から入っていなかったんだ。水を入れたっていうのは親の錯覚。でも親は確かに入れたんだ。でも水は溜まらない。

こんなことを3年もやれば、親も子も「意味ないじゃん!」とか「ムダだ」って結論に行き着くし、そこで止まるならまだいいほうで「この子はダメな子だ」ってなるから、何度でも同じ話をボクはする。

「この子がダメなんじゃないですよ。水の入れ方を考えてみてくださいよ」ってね。

1つ報告がきてるから紹介します。

[復テ対策] メンバーさんからの報告

ご報告というほどの嬉しいことはまだ先になりそうですが、ここにコメントされている親御さんのようにうまくご報告できずに、これまで色々な教材を読ませていただきながら一度もご報告することもありませんでしたが、私なりに少しずつ現状をお話しできたらと思い書いています。

今、子供は小4です。

実は小学校受験をしており、失敗しました。幼児教室に行ける限りたくさん通い、先生お任せでした。それで合格できると思っていました。それもたった1校しか考えておらず失敗という、子供につらい思いをさせてしまいました。そのとき、宿題などを怒ってやらせていました。

それから、家族には、公立でこの子には合っていたんだよ。という言葉に私は救ってもらいながら、今まできました。

今、中学受験をしたいと考えていますが、こうして文章にしてみますと、そのころとまったく同じ方法で宿題をさせています。

その上、昨年までは同じように、いずれも教室まかせで、家では怒って宿題。でした。

そして、親が宿題をいつまで見るのか・・・とネット検索していたところ、こちらのサイトと出会うことができ、一日中読んでいたように思います。読めば読むほど、思い当たることばかりでした。

小2のころから、あまりに覚えられない、勉強を嫌がるので、市の教育センターで知能テストをしてもらい、発達障害とまで思ったりしていました。それが、みなさん同じような悩みをされていることがわかり、初めて親の自分に問題があるということに気が付いた次第です。

でも、やはり今日でもバトルになり、お互い疲れたね。と慰めあっている毎日です。

受験のことを焦るばかりに、あの教材もこの教材も重要!と思い買っては読んでいますが、登山の絵を思い出すと、やはりまだ一番下から頂上を見上げており、鉄則とノリ勉の段階です。

学校の宿題の特に漢字が苦手で、ドリル写すだけなのにかなりの時間を費やします。

なので、毎日30分もノリ勉できていませんが、何か宿題以外のことを朝出かける前の10分に漢字10個とか、稽古事が終わってから15分算数の問題などはやるようにしています。

塾については、ストロング先生のレクチャーに、個別よりはクラスの塾と家庭学習と言われていたので、クラスの塾と系列でやっている個別塾で入塾テストの対策を夏休みから現在してもらっています。

まもなく入塾テストがあります。あまり自信がありませんが、計算1つ1つをクリアーさせながら塾の宿題を3回やったりしています。宿題も以前と違い親子2人で仕上げて持っていきました。

何と言いましても、塾の模試を初めて受けたところ、塾のなかで最下位をとってきました。テストの漢字も読めないながら、その上何と書いてよいのかわからず、2つ3つしか答えを書いておりませんでした。そこからどのくらい変われるかわかりませんが、とにかく入塾テストに合格する。うちはそこからです。

長々と、とるに足らないご報告で失礼しました。

私のほうが、子供より過去をすぐに忘れて小学校受験のときと同じことするところでした。文章にしてみて少し頭も整理できました。ありがとうございます。

すぐに忘れるので、何度も鉄則も読みます。これから長い道のりをよろしくお願い致します。

最近話題の山尾志桜里代議士も女優の斉藤由貴も、世間は「こんなに不倫が騒がれてるのに、どうして・・・」と不思議がるが、

人は自分のことになると途端に見えなくなるんだ!

志桜里や由貴や絵理子や一代や博之や健や英一郎だけじゃない。ボクもあなたもだ。

意識しなければ「そのころとまったく同じ方法で宿題をさせています」になる。

これは子供の勉強でいえば「わかった」と「解ける」は別次元って話でもあるし、親の話でいえば「やっぱりできることからやらせなきゃね」って思っても、昨日も今日も「これができなきゃダメで怒る」になってる。

グルグル同じところを回ってる。ハツカネズミかよ。

子供が「わかった」だけのか、「解ける」のかは問題をやらせてみれば、すぐわかる。時間を計ってやらせれば、さらによくわかる。

親のほうの「わかっただけ」なのか、「解けるほど理解できたのか」は、目の前の子供を見れば、すぐわかる。答えは子供の様子に出てるから。

やはり今日でもバトルになり、お互い疲れたね。と慰めあっている

とすれば、わかってないとなるでしょう。

「とにかく入塾テストに合格する」目標の前に、「この子はどれくらいの量だったら、伸び伸びと楽しくやれるのだろうか?」って考えてみてください。

子供が伸び伸びと楽しんでやれる量なんてわずかだときっと結論付けられるでしょう。それでかまわない。

イヤイヤになっている状態で2時間やっても身にならないですよ。2時間が無駄になるだけで。明日になれば4時間無駄になることは明白で、明後日には6時間穴の開いた桶に水を継ぎ足していたことが現実になる。

そうなることが明白であるのに、きっとそうなるのに、人は明後日その結果を目の前にすると、途方に暮れる・・・

それはおかしくない?

だって、そっちの道は行き止まりですよってことが子供の様子を見てたら明らかなのに、為せば成る、為さねばならぬ、何事もと突き進む。

かの大戦の軍隊なんかバカにできない。だって同じことやってるんだから。

「朝出かける前の10分に漢字10個」は「漢字2個」じゃダメなのか? 10個って設定は最初のスタートそれでいいけれど、子供の様子を見て修正したうえでの10個なのかってことなんですよ。

テストの漢字も読めないながら、その上何と書いてよいのかわからず、2つ3つしか答えを書いておりませんでした。

これでも「もっと頑張れ!」なんて苦行僧じゃないんだから。なんの罰なんですか、これは。

あのね、相当辛いですよ、このテストは。ボクならグレるね、確実に。

「テストの漢字も読めない」状態でテストを受ければ、そりゃ「塾のなかで最下位」にもなる。違うんじゃない、戦わせる相手が。

サラリーマンにプロボクサーと戦わせて「手も足も出ませんでした。ボッコボコにやられちゃいました。明日から頑張ります」なんてサラリーマンが言うか?

言わないでしょ!

だって戦う相手が強すぎるもの。土俵が違う。こうした対戦を通じて子供の自己肯定感は育つのかと言われれば、ボクの答えはノーです。

先に「とにかく入塾テストに合格する」目標の前にと、付け加えたのはそのためです。

「よーし!いくぞー!」とか、「やってやるぞ!」なんて金輪際思えないとボクには思える。

「頑張れ!」は、ほぼ互角で戦える相手を前にして親は言うべきです。「中学受験をしたいと考えています」という親の思いは否定はしないけれど、この戦いをあと2年半続けてたら、子供は腐るし、「オレはどうせダメだ」って結論に行き着かない?

親も「やっぱりこの子は少し知能が・・・」なんて最終結論に至らないのか。それは必然的にそうなる道ではないのか。

破滅になったとしても、そうしてでもする意味が「中学受験」にあるのか。破滅にはならないのかもしれない。どこかで親か子がうまく逃げだせばね。

受験なんてさ、目の前に提示された「仕組み」でしょ。なんだって仕組みには長所も短所もある。だからそれを踏まえて、ボクらがうまく利用すればイイ。

あんなの世の中に出ても役に立たない勉強だって思えばしなければいいし、夢の実現の手掛かりになりそうなら乗っかればイイし。親技ではほとんどの子供が多くの時間関わる勉強は「子供が頑張る・子供を頑張らせる」ための種目として利用しちゃいましょうよってスタンスです。

でも「イイ問題集も、使う親によっては【こん棒】になる」ように、仕組みだって取り組み方によっては、「悪魔の仕組み」になりうる。

子供を今よりもよりよく、生き生きと成長させたいっていう思いは、どの親だって同じでしょう。中学受験でいえば、その勉強は「+α」の勉強です。「+α」でするってことは、「もっとやってやろう」ってことだから、イイことのように思えるけれど、

「もっと多く」は「物足りない」になるし、

やり過ぎは反対の結果を生むように、

「いいもの」も全く反対の性質へと変わってしまう。

報告にあったような「仕組みの利用の仕方」だと毎日が苦しくないか? 継続さえしていれば、いつか楽しくなるのだろうか?

ボクにはそうは思えないんですよ。

だからね、「家族には、公立でこの子には合っていたんだよ。という言葉に私は救ってもらいながら」も、「今、中学受験をしたいと考えています」に至ったあなたのその思いっていうのがどこからきているのか、どこから出てきているのかを「今日でもバトルになり、お互い疲れた」の前にもう1回文章にするなりして考えてみたほうがいいとボクには思えます。

「別に中学受験しなくても、問題はないでしょ?」って思うけれど、あなたの中には小学校受験当時から身体の中に脈々と流れる何かがあると思うんです。

で、考えた結果、「やっぱり中学受験をしよう」ってなっても不思議ではないし、それでもイイ。

でも、もし中学受験をするなら、戦う相手を選んで子供にぶつからせないと子供が壊れちゃうよ。毎日ハンマーで手をたたいてると、骨が折れるだけじゃなく、指も腕も使えなくなっちゃうでしょ。これから社会に子供たちが出ていくときに学生生活の中で無意味にハンマーで殴られていくと、自信がね、自信がない状態で出ることになっちゃうんですよ。

確かに「上には上がいる」そのことを知るのが社会に出たときに感じることの1つだけど、そういう連中に会ったときに

恐れるか、それとも認められるかで、その子の行く道は違ってくる

とボクは思ってて、小さくてイイんですよ、自信がね「オレも頑張ってきたんぞ!」っていう小さな自信がないと、子供は下向いちゃうんですよ。

下向いて恐れたら、それはコンプレックスになるんです。コンプレックスになれば、自分が親になった時にそれを子供でリベンジしたいとか、自分の問題なのにね、子供で晴らそうとか本来の問題から離れていって解決しようってなりがちです。

誰でもさ、コンプレックスはあるし、これまた誰もがさ、子供を持てば、自分のなしえなかったことを成し遂げてもらいたいとは少なからず思うけれど、

自分のコンプレックスは子供ではなく、自分の人生の中で克服しなければならないんですよ。

その上で、ある期間、親は子供と師弟になる。

「人生はこうだ」「こうしなきゃならない」「こうすべきだ」と自分の経験からはあれこれ言えるけれど、それだけじゃダメなんですよ。絶対的に足りなの、それじゃ。

なにが足りないのかって言ったら、

それは最初に紹介した桐生選手の師である土江裕寛コーチが言ってたでしょ。

こっちから『こうだ』という客観的な視点のコーチングしか出来ていなかったが、桐生とやるなかで、選手を主体に考えて『どう感じているのか』『どう助言すればいいのか』というようなことをイチから勉強した

ってね。

子供の仕事は「理解した」から「解ける」までにするのが仕事だけれど、ボクたち親はそのことを「頭でわかった」から「子供に対してできる」にするのが仕事です。

過程も進捗もね、人それぞれなんですよ。仕組みに対する考え方も利用の仕方も自由なんです。どうするべきかの答えもあなたしか出せない。

子供たちは学校でいじめの問題なんかを通して「返すことができないもの」たとえば命を奪ってはならないと学びます。命を奪ってしまうようないじめや行為をしてはならないってね。奪えば謝っても二度と返せないから。

そのことはそういう経験を実際にする前にわからないといけないわけですよね。

親ももちろん命を奪ってはならないのは当然として、子供たちの自信もね、自己肯定感もね、奪ってはならないと自分に課さねばならないって思うんですよ。

ボクは3人の子供の父親として、3人の子供たちから多くの自信や自己肯定感を略奪してきたんです。返せないものを小さい頃に奪った。死刑を求刑されても反論はできませんし、しません。

でもね、そのボクの失態をね、子供たちは「小さな反抗」を重ねながら、今自ら積み重ねている段階です。ボクが奪ってしまった自信や自己肯定感がどれほどのものだったか、数値では測り知れないけれど、確かにあったものを奪ったし、その奪われたものを子供たちは自分で今取り返しに行ってるんですな。

申し訳ないです。少なからず親は子供に対して失態を犯すけれど、ボクのはひどかったから。

だから、己を顧みずに今からの親の方には恥を忍んで言う。

子供が持っている自信や自己肯定感を奪ってはならない。それは返せないのだから。

親が子供たちを社会に出すとき、できるだけ奪った自信や自己肯定感が少ないほうが、そりゃいいですから。

ボクは仕事を通して「人」になったわけじゃない。子供を通して「人たるもの」を学んだ。

でも、まだボクは50歳にして「人」にようやくなっただけで「まともな人」への道はまだ遠い。でもその道のりでも、大きくなって家を出てしまってもボクは「子供を通して」己の「人としての出来不出来」を考えるつもりです。

これから親技を駆使しようとする人は、ボクの失態をよく考えてもらって、実際に経験する前に「わかる→できる」までなってほしいですな。

解けもしないのに「わかった」というのは罪ですから。

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うれしい報告
この連休は、連打で模試を受ける受験生も結構いるでしょう。

入試は、特に中学受験の場合は、「午前・午後」2日連続とかの日程は当たり前にあるわけですから、入試の前にそういう経験をしておくのは大切な経験です。

そういう意味でも、他流試合となる模試の受験は本番までに大いにやっておきたいところ。

テストをたくさん受けるのはしんどいのですが、子供が本気になるのはテストなので、なんといっても一番勉強になる!

普段の勉強もテスト並に、時間を気にし、全力で1点でも多く取ろうという姿勢でできるのが理想。

それがなかなか難しいからテストを受けてみるという面もあるわけですから。

親カツ生のピロママさんからも報告いただきました。

私が入試実践テクニックのDVDを見てから、子供と一緒にもう一度見ました。

息子は早速塾のテストで試してきました。問題文の大事なところにアンダーラインは忘れていましたので、指摘しておきました。

エエカッコしいの息子で、ご指導通りに実行できるか不安でしたが、とりあえずはその気でやってます。

私が何か言うとうるさがっていたのに「オレが忘れていないか、チェックしてよ!」とやる気満々です。

テスト結果はクラスで3番だったよ、喜んでいました。今後も親子で努力して、モノにします!

なかなか気合の入った報告です。

模試や実力テストは、その結果ばかりが気になるものですが、子供がどう取り組んだかの検証はもっと大事です。

子供が持っている実力をすべて出し切ったか?

それは「オレ全力で頑張るから!」という気持ちの面だけではなく、

☆どう模試の問題に取り組んだのか?
☆どこから手をつけたのか?
☆時間配分は適正だったか?

などが大事になってきます。

入試で100点満点を狙うことがほとんどないように、模試でも、お子さんが「狙っていく点数」があります。

そのために、どう問題に取り組んだのかを模試のあとに親子で検証する時間が必要になってきます。

ただ頑張れば実力どおりの点数が取れるわけではありません。問題の取捨選択を間違うと、実力よりはるかに下の点数を取ることだって当たり前に起こります。

それが本番の入試で出ることないように、今、模試を受けて試しているわけです。

入試本番に力が発揮できる模試になっていますか?

◆親カツ後期「入試実践コース」
8・9月合併号 学力はそのままで点数を上げる受験テクニック←今ココ★
10月号 受験3ヵ月前に親がすべきこと←まもなく発送☆
11月号 受験1ヵ月前に親がすべきこと
12月号 受験本番!後悔しないために親がすべきこと

  • 親カツ講座(入
試実践コース)
  • 10の鉄則
  • ノリ勉
  • 中学受験コース
  • 復テ対策講座
  • 30点上げよう会
  • 公開テスト対策講座
  • 親カツ講座(夏まで
コース)