心が叫び続けているんだ。 pic.twitter.com/EL0cTjGAxp
— 全日本もう帰りたい協会 (@mou_kaeru) 2017年8月23日
こんにちは、ストロング宮迫です。
夏休みも最終盤ですが、すでに学校が始まっているところもチラホラありますな。
8月は、みんな頑張ったと思います、死ぬ気でね。苦手単元の克服もいくつかはしただろうし、夏前までの総復習もしたでしょう。
そういう意味では、うまくいったこともあれば、いかなかったこともあるだろうけれど、「夏休みに大勝負をした」わけだ。
その大勝負をした後・・・実はこれが最も大事なんですな。
ちょうど甲子園の決勝戦が終わった後だから、例に挙げるけれど、甲子園で戦った!決勝戦で戦った!この大勝負のあと、どう過ごすか?
これが大事。これはネットの記事で読んだんだけれど、こうあった↓↓↓
仙台育英に九回逆転サヨナラで敗れ、春夏連覇の道が断たれた大阪桐蔭が、敗戦から一夜明けた20日、新チームの練習をスタートさせた。
※この毎日親技は2017年08月24日に配信したものです
1カ月休んでスタートするわけじゃないんだな。
現在、高校野球界でもっとも才能豊かな連中が集まってる大阪桐蔭が「敗戦から一夜明けた20日、新チームの練習をスタートさせ」てる。そこを倒したいって人が3日も休んでたんじゃ、追い付かない。
永遠に追い付かないんですよ。差は開く一方でね。そこには意識の差があるからさ。
考え方、意識の差はカンタンには埋まらないんですよ。
皆さんでいえば、受験という大勝負が終わった!そのあとどう過ごす?って考えればわかりやすい。
受験だけが大勝負じゃない。この夏休みだって多くの人にとっては大勝負だったんだ。だからそのあとどう過ごす?をいの一番に考えなきゃいけない。
ただ、大勝負のあと、どう過ごそうかと考えても、すでに遅かったりする。大勝負のあとに「どう過ごせるか?」は、大勝負をしている夏休み中に、おおむね決まってるというのがボクの考え方です。
夏休みにどう過ごせるかは夏休み前に決まってる!
夏休み後にどう過ごせるかは夏休み中に決まってる!
だからね、大勝負しているときの考え方や意識がすごく大事なんです。ニンジンぶら下げて夏休みに走らせることはできても、夏休み後に糸の切れた凧になっちゃったら意味がないからね。
そこで「楽しく継続することが一番大事」という考えが出てくるんだな。
ずっとやり続けるためには、楽しくなきゃ継続できない。楽しさってなにか?
それはワイワイガヤガヤの楽しさじゃない。それは成果だというのが親技の考え方です。
進歩でも進化でもなんでもいいけれど、「良くなってる!」と実感できなきゃ、結局やりたくなくなっちゃう。
人はね、突然変われない。今日から別人になるぞ!なんてできない。過去の過ごし方が現在と、そして未来を制す!
野球名門校の中には、引退したら終わり!ってところもあるけれど、多くは引退後も、引き続き後輩の練習を手伝ったり、後輩に交じって自分の自主練習をすぐ開始する。なぜなら「終わりじゃないから・・・・」。どこに進学しようが就職しようが、その子たちの野球生活は続くから。
今はね、それが徹底してるんですよ。昔はね、野球部は引退したら髪伸ばして、好き放題やり放題ってところも多かったけれど、今はね、引退しても、すぐ次に向かって走り出す、それが当たり前のところも多くなった。
それは高校野球であろうが、勉強であろうが、なんであろうが一緒ってことです。
ゆえに子供は時に言うな。
ではお答えしましょう。いったいいつまで頑張るのかだよな、聞きたいのは。
ハイ、答えは死ぬまででーーす!!
— 倉持武志 (@KURAMOCHI_IZENE) 2017年8月21日
別に自分を「全国区」の連中と比べる必要はないですよ。そこまでのレベルになったら考えればよろしい。
遠くを見なくていいから、足元を見て一歩一歩だ。他人と比べてノルマが進んでなくてもかまわない。
問題は、自分のノルマが、自分たちが課したノルマができたかどうか?
10コ中6コしかノルマを達成できなくても・・・・その6コは自分にとって最もやるべき勉強の上位6コをやったことになる。
誰かと比べたり、本来やるべきことをあげつらうばかりで、それを言い訳にして、ただの1つもノルマを達成しないことが問題なのだから。「実績がない者は夢を語る資格はない」んです。
実績なんて小さくてイイ。他人から見たら屁みたいなことでもイイ。屁みたいなことに思えたとしても、それが子供にとって価値があるなら、親があのテこのテを使って最高の価値があるものだと演出してやればイイ。
昨日より今日ならサイコーじゃないか。それ以外に求めるものなんてないから。
さあ、9月!
9月に起きそうな問題はすでにあれこれここで書いてきた。今のうちに予習しておいてね。
さて、前回からの宿題があったので、それについて書いておきます。
前回のところをまだ読んでいない方は、こちらを読んで以下を読み進めてくださいな。
テキトーな受験をするならいざ知らず、最難関校に挑もうかって考えているなら、受験準備は必須だ。そしてそれはよく世間でも認識されて、早い段階から受験準備をしようって親がいることも知ってる。その心意気やよし!
でも、その早い段階の受験準備って、小さい頃から勉強をどんどん進めるってことじゃないですよ。学ぶってことは吸収するってことだから、吸収する土壌が子供になくちゃ、特に最難関校を目指す場合だったら、量がメッチャあるんだから。
それをわかりやすくカンタンに前回書いたのがこれです↓↓↓
1、生活態度をきちんとする
↓↓↓
2、親と一緒に勉強する(できることをさせる)
↓↓↓
3、成果が上がる
↓↓↓
4、親子で役割分担してともに勉強に臨む
↓↓↓
5、子供が自分一人で進んで勉強する
↓↓↓
6、ヤリッパ勉強で成果が出ない、成績が下がる
↓↓↓
7、もう1回、親が手伝って成果の上がる勉強を確認する
↓↓↓
8、子供が自分一人で進んで勉強する
↓↓↓・・・まあ、こういう行ったり来たりのサイクルを繰り返しながら、最終的に
子供が自立する
に向かっていくになる。
その上で、これも前回宿題の材料として読んでもらったこの記事↓↓↓を読んでいただくと、この指導者の方がどこで苦労しているかはわかるでしょう。
そう、1の生活態度をきちんとする、ここからスタートしてるってことです。
高校野球も受験も同じく、だいたいスパンは2年半だ。この2年半でどう仕上げて結果を出すかをみんな追ってるんですよね。
その2年半しかない高校野球生活のスタートが
◆就任前に部員の集団万引が発覚、山口大会の抽選会直前で出場停止処分になるなど荒れ放題だった
◆グラウンド整備や道具の扱いが、とにかくヒドかった。野球がうまい下手のレベルじゃない。そういうマナーを教えると、面倒くさがって辞めていく
これなら、野球をする前に、生活態度から入らなきゃいけない。
つまり、野球どころじゃないわけです。生活態度を直すには、必然的に厳しくならざるを得ない。だって任せたり、自主的にさせても、すぐに自堕落なほうに向かっちゃうから。子供は、いや大人だってみんなそうなんじゃないでしょうかね。
だから、心を鬼にして
――朝5時から練習するそうですが、選手が自主的に?
「半強制です。自主的にやるまで待っていたら3年間終わっちゃう。練習が終わって学校を出るのは21時くらい。本当に遅いときは23時くらいまでやることもあります。毎日ではないけど、長期休みの時期とか。遠征に行っても、大広間で生徒はみんな同じ空間にいるけど、やっていることはバラバラ。練習でもそうです。今の子は連帯感が希薄なんですよね。少しでもそういうのを大事にしていかないと、うちのような弱いチームは他に勝てない。進学校さんはそういうやり方が嫌いだと思いますけど」
こうでもしなくちゃ、前に進まなくなるんですな。
「進学校さんはそういうやり方が嫌い」なんじゃなく、進学校の連中はそこは押さえて入ってきている連中ということじゃなかろうか。
進学校にもいろいろあるけれど、それは置いておいて、一定の勉強をして実績を出すには「学ぶ姿勢」がないと出ない。その大本は生活態度に表れる。
それが「できている状態で入学する学校」と「そこから始めなきゃいけない学校」ではスタート地点が違う。
そのスタート地点が違う苦労をこの指導者はインタビューで述べているわけです。
野球で強くなるためには、それは野球に限らずだけれど、
秀岳館(熊本)のエースの川端健斗投手(3年)は「監督さんには野球のことよりも私生活のことを厳しく言われました。服装のことや学校、グラウンドをきれいにしておくことですね。部員は外出するときはハーフパンツもサンダルもダメ。人間としての基本的な部分を学ばせてもらえたと思います」
こうなる。
なんでかっていえば、それは以前から書き続けているけれど、
「プレーは人格を越えない」からです。
ボクはこの言葉がスキです!
勉強も人格は越えない!とボクは思ってる。
でも、不幸にも、神のいたずらで、瞬間的に「プレーが、勉強が人格を越えちゃう!」ことがある。
狂人に刃物を持たせると怖いように、すばらしい才能や技術やテクニックが「本体」とガッチリとスクラムを組んで構成されなければ、選手を終えて、または第一線を退いてからの人生のほうが長いから。
だから、生活態度をしっかりさせることにみな傾注する。そばにいないと、ダメだからずっといることになる。膨大な時間がかかるんだ。
「そういうことです。勉強しているときは『いや、僕野球やってますから』となるし、野球やっていたら『勉強が……』となる。“練習2時間で甲子園”って。2時間って試合時間より短い。長くやればいいってことではないけど、うちは1日1000本バットを振っている。1001本目で何か掴むかもしれない。なのに、時間で区切ってしまったら……。野球って自力のスポーツで、サッカーやバスケみたいな時間のスポーツじゃない。100点取ろうが、3アウト取らないと終わらない。2時間練習して終わりじゃあ、掴めるわけがないんです。スポーツ庁が(部活動の休養日や時間の制度化を検討し)練習を何時間以内にしようと言っているでしょ? あんなんやられたら、うちみたいな学校は、もう甲子園に出られない」
――選手に任せることはしない?
「自主性というのは指導者の逃げ。『やらされている選手がかわいそう』とか言われますけど、意味が分からない。」
――昭和の野球ですね。
「他校の監督さんは『楽しい野球』と言うけど、嘘ばっかり。楽しいわけがない。僕は現役のとき、日々の練習で野球が楽しいと思ったことはなかった。『楽しく』という餌をまかないと(選手が)来ないような学校はちょっと違う」
文武両道については養老孟司さんの説をすでにここで書いたので、ここでは触れない。
文武両道
学校で文武両道というと、勉強しながら甲子園に行くことだと思っている人がいるかもしれない。
昔の人なら午前中は正座して「論語」を読んで、「師のたまわく・・・」とやって、午後になったら竹刀を持って道場に出て殴り合う。そうではなく、「論語」を読んだ結果が自らの行動になって出てきて戻るということなのです。
・
・
「文」というのは、脳に入るほうで、いわゆる「知育」です。「武」というのは出すほうで、つまり「体育」です。「文武両道」とは、本来、入力した結果を身体で動かし、身体を動かすことで新たな入力を得る、という意味だったのでしょう。ところが、いつごろからか、勉強も運動もできる、というように、別々のものにしてしまった。
生活態度の重要性はこれを読んだだけでもわかろうというもの。
素振りしたことがある人はわかると思うけど、「1日1000本バットを振る」のは、たった1日でもつらいのよ。3日続けられたらすごいってなる。
で、そもそも職業でもないのに「1日1000本」振ることはできるのだろうか?ってなる。1000本のうち、真剣なのは100本で、あとの900本は惰性で形だけの練習になりはしないのかと。
なる。なるよ。
勉強でいえば、机に座ってる時間は8時間とかね。その8時間の内訳や中身をいずれ問うことになるけれど、まずは机に座れるってことが大事なんだって段階もあるからね。
そのあたりを皆さんもよくよく考えて、見たり聞いたりしないと、「1日1000本すればいいのか」って現象だけに目が行くと、思ってるのとは違い結果が生まれることになる。それが「キライ」だ。
キライになる!やりたくなくなっちゃう。
もっといえば、親が子供を毎日毎日キライに追いやってるという現象も出てくる。で、嘆くの「キライって言うんです!」ってね。
2年半、ひたすら我慢すれば甲子園に行けるんだ!行こう!って引っぱるなら、可能です。2年半の期間限定なら、できちゃう。受験だって、勉強だって、そうでしょ?
でもね、続くのよ、そのあとの人生が。
燃え尽きた感ややりつくした感がほしいっていうのはわかるけれど、終わりはないんですよ、戦いに。
みんなウサギよりカメのほうが好きじゃないか。
でも、1番の「基本的な生活態度ができてる状態で入ってきた学校」は、入学時からその次の段階に取り掛かれる。
30年前は本を読む限り、荒れ放題だった、つまり上記の学校と同じ状態だった横浜高校は今はどうか?
春夏全国制覇5度の名門・横浜高校は、渡辺元智監督と小倉清一郎コーチの最強タッグで、常勝軍団を築き上げた。 その名参謀・小倉コーチは2014年夏に退任、渡辺監督は2015年夏の大会を最後に勇退、名将のあとを継いだのが、横浜のOBで、2人の教え子でもある平田徹監督だ。今年で34歳だそうです。
横浜高は弱くなったのか?
神奈川野球を知るライターはこう見る
平田監督には大切にしている信念がある。
「野球を始めたときの少年の“心”と横浜高校に進学を決めたときの“志”の2つを忘れずに3年間プレーしてほしい」
初めてグラブを買ってもらったときの胸躍る気持ち、「横浜で勝負する!」と決めたときの覚悟。この2つがあれば、指導者がうるさいことを言わなくても、主体的に野球に取り組めるはず。そう考えている。
まだまだ心が未熟な高校生となると、監督がいるから一生懸命やる、いないからサボるということが起こりうる。厳しい練習を課す野球部になればなるほど、耳にする話でもある。
だが、これは平田監督がもっとも嫌うことだ。
「授業が終わってグラウンドに行くのがイヤになったり、いかに監督に怒られないかばかりを考えたり、実際にそういう高校生はいると思います。でも、それでは本当の意味での成長はない。指導者がいかに“うまくなりたい”“早く野球をやりたい”という前向きな気持ちにさせてあげられるか、環境を作れるか。そのためにも、苦言は呈しても、嫌味は言わない。一生懸命やっていることは認めて、褒めて、接するように心がけています」
この春から、筒香嘉智(横浜DeNA)と同級生だったOBの高山大輝氏がコーチに就いた。今の横浜の強みについて聞くと、興味深い話をしてくれた。
「練習をやらされている感じがまったくありません。こっちがうるさく言わなくても、自分たちで練習に取り組んでいる。向上心が強い。自主練習も本当によくやっていますね」
これこそ、平田監督が理想とする姿勢だろう。監督自らバッティングピッチャーを務め、30分でも1時間でも投げ続けることは、珍しくない。いい当たりが出れば、「ナイスバッティング!」と笑顔で褒める。
「言葉で教えるというよりは、一緒に練習をすることで、選手を育てていきたい。一緒にやるのは、私も楽しいこと。監督が前向きでワクワクした気持ちでいなければ、選手も同じ気持ちにはならないと思っていますから」
技術に関して、手取り足取り教えることは少ない。教え過ぎると、選手自身が考えることをしなくなるからだ。「こうやって打ってみたら」と助言にとどめ、そこからの創意工夫を求めている。
今のね、名門野球部はボクの知る限り、だいたいこんな感じになってきてる。
勉強でいえばね、生活態度もきちんとしてる、グズグズはしても机に向かえる、勉強もする、一定レベルの実績は出したことがある、そういう連中は自主的で、頑張ることはイイことだという雰囲気があり、向上心があり、誰が見てなくてもキッチリやるってことです。
そうなったら、今度は指導者が「いかに“うまくなりたい”“早く野球をやりたい”という前向きな気持ちにさせてあげられるか、環境を作れるか。そのためにも、苦言は呈しても、嫌味は言わない。一生懸命やっていることは認めて、褒めて、接するように心がけています」となる。
これはね、もう全国レベルなんですよ。
全国レベルじゃないところや人がいきなりそれを求めても無理ってことです。
「野球がうまい下手のレベルじゃない」、勉強ができるできないのレベルじゃない、「そういうマナー」、生活態度から入らなきゃいけない。それができたら次へだ。
もう1つ、全国レベルを見てみる?
この夏も甲子園に出場した天理高校の監督は中村良二監督(49歳)です。中村さんは、そもそも高校時代、野球推薦ではなく、一般入部からレギュラー、そしてキャプテンへと昇りつめ、個性の強かったチームをまとめあげ「天理高校史上最高のキャプテン」と言われていたとか。
「天理史上最高の主将」が監督に。元プロ・中村良二は超自由主義。
text by 氏原英明中村が監督として目指しているのは「自分たちで決めて、自己責任が持てるチーム」だ。自身が天理高時代に受けてきた指導そのもので、今の時代にも即したスタイルを取り入れようとしている。
中村が高校生だった1980年代というと、監督のもとで統制、規律のあるチームこそが「高校野球らしい」とされた。だが当時の天理は、プロ野球さながら練習中に音楽をかけていたし、監督の指示を待つのではなく、選手たちが主体となって練習メニューを決めていたという。
「僕の恩師である橋本武徳先生が、僕らの代からそういうスタイルにしようと言ってくださったんです。指導者が頭ごなしにいってもお前たちの個性は生きてこないから、練習メニューでやりたいものがあったら言ってこいと。僕らの意見が聞き入れられなかったことはなかったです。練習中に音楽をかけるのもそうですし、ある日の午後練習を『休みたい』と言ったら、練習を休みにしてくれたこともありました。当時では珍しかったと思います」
その裁量の大きさに、他校からは不思議がられたこともある。
夏の甲子園本大会の最中のことだ。高校のグラウンドでの割り当て練習が終盤に差し掛かり、主力選手の多くが木陰で休んでいた。もちろん、指導者の許可があってのことだ。
すると、天理の後に割り当て練習をする伝統校がやって来た。「ピッ!」という笛の合図と共に選手がバスから降りてきて、笛の合図で整列、グラウンドに入ってくるような統率の取れた学校だった。その伝統校の監督は木陰で休む天理ナインをみると「こんなの高校野球じゃねぇ」と憤慨したそうだ。
それでも当時から画一的な形ではなく、独自性を大切にしていたのが天理だった。そして中村は現役時代に受けた指導を自身も体現しようとしている。
「目標は当然、甲子園に出て勝つこと。(春夏通じて)4本目の優勝旗を持って帰りたいという思いがあります。もちろん子どもたちには優勝するための練習をしようと言っています。
でも、応援してもらえる高校、選手じゃないとダメだという話もしています。
学校生活、私生活、寮生活にしても“あれをしてはいけない、これは駄目だよ”と僕らに言われて我慢するんじゃなくて、自分たち発信で“これはしてはいけない、でも、こういうことはやっていこう”というのを見つける。
言われたことをやるのではなくて、自分たちで言いに来る自己責任が持てるチームが目標です。それが天理らしさだと思っています」
天理高校の野球部も、1998年に部内暴力事件、99年部員の暴力事件、そして2011年にもやはり暴力事件で出場辞退をしたことがあるようです。
ただ両校とも、生活指導から始まる情熱の30年を経て、「主体的に野球に取り組める」「自己責任が持てる」チームを目指して、新しい指導者が動き出してる。
30年の伝統と実績に対抗するには、生活態度から入らねばならない学校は「自主性というのは指導者の逃げ」という信念のもと、やらねばならないこともあるだろう。
どっちがイイとか悪いとかのもんだじゃない。スタート地点が違うんだから。横浜も天理も、全国から選りすぐりの連中が自ら集まる学校だ。学費を免除しても、タダにしても来ない学校もある。
でも、「昭和の野球」から「現代の野球」に時代の風潮ととともに、選手の気質とともに変遷しているように、30年の年月があって、いくつもの不祥事がありながらもそれを乗り越えて、今がある。
それはボクらの子育てにもそのままあてはまるんじゃないでしょうかね。
自主性を重んじながら、子供たちが自ら向上心をもって、誇りをもって、なおかつ勝つ!そんなチーム、そんな人になるのに30年かかる。
最初から自主性があって、向上心があって、自ら練習に励んだんじゃないよ。強制もアリ、体罰もアリ、間違いもあって、不祥事もあって、あれこれ考えて実績を積み上げてきたそのあとにそれがある。それが伝統でもある。
今年の甲子園ではホームランがよく出たってニュースを聞いたけれど、ボールもバットも変わらないのに何が変わったか?
あれはね、真っ向勝負!高校生らしい、勝ちゃいいんでしょ的な小手先ではない、力と力の勝負を勝敗を越えて高校生が挑んだからではないのかとボクは思っています。
敬遠だって!?
イヤだね。打たれようがホームランされようが、ボクはボクの持っている球を力いっぱい投げこむ。
勝負にはこだわるが、勝敗にはこだわらない!なぜなら、戦いはリーグ戦としてこの後も続くから・・・そんな風潮を感じています。
あなたも、あなたのお子さんも、当たって砕けたらよろしい。メイ一杯投げ込んだらよろしい。
150キロを投げろなんて言ってない。持っている力で精一杯投げ込め、今日投げ込めって言ってるだけだ。誰でもできることです。
遠くを見るな!足元を見ろ!自主性がなければ、やらせなきゃ仕方がない。やらせ方、強制の仕方は考えてね。
30年かけて、人としての伝統を作りながら、子供たちを育てていくんだ。やりがいがあるじゃないか!
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
中3 花蓮さん
家でなにもしないうちから、これはどうでしょう?あれはどうでしょう?と疑問ばかりを口にして結局なにも子供にしてやっていなかったことを知りました。
10の鉄則は全部中途半端でなに1つできていませんでした。なにもしてやっていなかったのにすごくしてやった気になっていました。娘に対して申し訳ない気持ちで一杯です。
目が覚めた気持ちですが、娘はすでに中学3年で8月。できることは少ないのかもしれませんが、10の鉄則を読んで、勉強のフォローだけが親の仕事でないと感じていますので、親として精一杯実行していきたいと思います。
ありがとうございました。
ただ反省するだけでなく、これまで中途半端だったモノは、なにが中途半端だったのかをハッキリさせることが最優先です。
たくさんしてきた失敗はイイ財産。その財産を無視してイイものは構築できませんからね。まずやることは今までしてきた失敗はなにがいけなかったのかを鉄則に当てはめて考えてみてください。
小5 kozueさん
自主的に勉強をする子供になってほしいと考えて低学年から家庭学習を中心にやってきましたが、高学年になって一人では手に負えなくなってきました。
子供の様子を見ていると、間違った問題の答えを見ながら赤ペンで書いておわり!となっていて、これまでこのやり方でずっとやってきたと言われて唖然としました。
もっとしっかり見てやっていればと悔やまれてなりません。
いつまでも親がついていてはいけない、自主性を大事にという考えばかりが先行して挙げ句に一人では勉強できないようにしてしまったと悔やんでいます。(省略)
親のかかわり方がたくさん書いてあるので、出来ていないことにこれから取り組むつもりです。(省略)
できうそうだからやる!解けそうだから頑張る!これが最初。
次に解けそうだから頑張ったけど、解けなかったのでヤケを起こす、フテくされる。これが第2歩。ここから親技の発動開始です。
モチベーションをいかに維持し、さらにかき立てるのか。これは成績がイイ子の親だけなく、世の中のあらゆる方が頭を悩ましていること。
まずは子供の様子を注視する。そこから課題や解決策が見えてきます。