こんにちは、ストロング宮迫です。
この前、中学生と話をしていて「今頑張っていることある?」って聞いたら「毎日柔軟体操をしています」と。
「お前、身体そうとう硬かったよな?」
「そうなんですよ、股関節は硬いし、正座がうまくできないくらいで」
「なんで目覚めたの? 父ちゃんに言われたんか?」
「お父さんには身体を柔らかくしろって小さい頃から言われていたんですが、その気になれなくて・・・はい、はいっとは言っていたんですが」
「それがどうして本気になったの?」
「1つ上の部活の先輩が怪我したくなかったら身体が柔らかくないとって。3ヶ月ちゃんとしたらなるよって。オレもなったからって。で、怪我もしにくくなったって言われたんですよ。先輩、すっごい柔らかいんですよ。それで始めて・・・」
「父ちゃんの言うことは聞けないけど、先輩の言うことは聞けるというわけか」
「そういうことじゃないんですけど。タイミングとかもあるじゃないですか。スーっとアドバイスが入ってくるときとか」
「今どれくらいやってるの?」
「1ヶ月位ですね。風呂あがりにお父さんに背中押してもらって」
「ははあ、父ちゃんにちゃんと手柄は立てさせてやっているわけか。にくいね、このー!」
親が昔から散々言っても、「右から左へ受け流すの歌」だったものが先輩に言われたらやってみようと思う。
おもしろいですよね、子供っていうのは。
いや、これはもしかしたら大人もそうかもしれないですね。
柔軟体操って、その行為自体が別に楽しいものじゃないでしょう?
単調ですからね。
だから、人から言われてやると、または柔らかくしなさいと考えている大人に無理やり背中なんかを押されると、イタイし、すぐイヤになっちゃうって経験、皆さんもあるかもしれない。
その気になっていない身体ってすぐ悲鳴を上げるんですよね。嫌で嫌で仕方がないと継続してやるのも難しい。
でも、先の中学生は自分でやろうと思っているから、夜の風呂あがりにお父さんがいなければ、お母さんに背中を押してくれるように自分から頼む。
風呂上がったら即、柔軟体操って自分で思ってるからね。まさにスイッチがはいっている状態ですよね。
ただ背中を無理やり押さえる場合はおそらく「痛い痛い」となるでしょうが、自分からグッと折り曲げようとすると、痛いのかもしれないけれど、もう少しいこうと頑張れる。
本人がその気になったのは、体が硬かった先輩が実際に3ヶ月で柔らかくなった、また怪我をしにくくなったという実績を出していることと、それが自分のすぐ目の前で感じることができたこと。
さらにその先輩に毎日接していることなどが大きいのでしょう。
勉強だって怒って殴ってやらせても、子供がイヤイヤしていたら、やった先から抜けていくわけですよね。全然蓄積されない。
でも、「やらせた」親の方は覚えているから「この前やったじゃない!どうしてできないの? また忘れたの?」ってもっと怒る。
まあ、こうして悪循環に陥り、やってもやってもスカタンで、その努力は徒労に終わる。
そんなとき、子供が親以外で誰に出会えるか。
先生、同級生、先輩・・・いい影響を与えてくれる人に出会えるか。すごい大事になってきますよね。
で、親は「どうかいい影響を与えてくれる人に出会いますように」と願って祈る。
でも、そんなに都合よく、出会えないわけで・・・実際はかえって悪い影響を与える人に出会っちゃったりしてね。
だから、子供が誰を引き寄せるかはその子供じたいの姿勢や生活態度や考えやあり方によるとボクは考えています。そこに親の重要な役割もある。
たまたまなんか出会わない。出会うべくしてキミにちょうどいい人に出会うんだと。
まあ、ボクはそう考えているので、子供たちには自分がいる場所と時間にはうるさく言う。
その場所に行っても、居てもいいのか?
その時間に行っても、居てもいいのか?
いつもここに書いていますけれど、コンビニでも、夕方5時と深夜2時では客層が違いますよね。
子供が夕方5時に行くより、深夜2時にコンビに行くほうがトラブルには遭いやすい。同じ店でも時間帯が違うからですよね。
場所も一緒。場所や時間帯、加えて生活習慣で引き寄せるものが違うからでしょう。
先の柔軟に目覚めた中学生と話して強くそう思ったのは、その子はもともと非常に我が強く、自分に厳しく、他人にも厳しいタイプの子供という印象を持っていたんです。
その子が「今なにを読んでいるの?」って聞いたら「坂井三郎の関連のもの」と応えた。
坂井三郎とはもちろん「大空のサムライ」のあの坂井三郎さんのことで、ボクが中学生の頃にも友人が読んでいたから30年経過していまだ読み継がれているんですな。
で、その子が携帯に坂井三郎さんの言葉をいくつかメモ帳に書いていました。
「他人は他人、我は我」
というのもあったし、今のお気に入りは
「朝の出だしは機嫌よく」
なんだと。
まあ、皆さんにとってはなんでもない言葉に映るかもしれませんが、その子にとっては実に新鮮に感じられているのでしょう。
なぜなら、その子は自分がちゃんとしたら、他人も同じようにちゃんとすべきだと当たり前に思っている中学生ですから。
まさに自分に厳しく、他人にも厳しい、その子らしい。
そこにちょっと違う視点の坂井三郎さんの「他人は他人、我は我」が入ってくることで、たぶん化学反応がその子の中で起こったんじゃないか。
ボクなんかは坂本龍馬の作と言われる
世の人は われをなにとも ゆはゞいへ
わがなすことは われのみぞしる
や、
『西郷南洲遺訓』の
道を行ふ者は、
天下挙て毀るも足らざるとせず、
天下挙て誉るも足れりとせざるは、
自ら信ずるの厚きが故也。
を聞いて感じたのと同じようなことがこの中学生にも起こっているんじゃないかと想像しました。
また、もう1つの「朝の出だしは機嫌よく」は毎朝機嫌が悪く起きて母親と喧嘩して気まずく家を出ることを繰り返している子にとっては実に新鮮に映って身体の奥深くに浸透してきたんじゃないか。
母親にも機嫌が悪いことは怒られていたと思うけれど、それを誰に言われるかにも大きく影響されるってことですよね。
その子には坂井三郎さんが色紙によく書いていた「ふとうふくつ」の画像を携帯待ち受け推奨しておきました。
同じ「不撓不屈」という字でも坂井さんの書く字もあれば、アートで書くと雰囲気が変わる。
写真は小林 芽久さん(愛知県岡崎市)の作品
こちらは岐阜に講演会で行ったときにたまたま通りがかりで行われていた『第17回フラッグアート展 2013 in GIFU』という岐阜オリジナルの全国公募型フラッグアート展で掲げられていたもの。
第一次審査を突破した横180cm(幅)×縦300cm(長さ)のフラッグアートが岐阜の街を彩り、公開審査の後、審査した結果が発表されるというものでした。
ダラダラと経緯を書くのに長くなったしまいました。
子供たちが良きものに出会えるように親は気を配っていかないといけないなあってことが書きたかっただけです。
先日、小5のかずやんさんから
2月から総合の偏差値が9アップして志望校の80%可能性まであと4の57になりました。ここまで苦しかったのですが、受験生はもっと苦しんですよね?
とメールをいただきました。
確かに受験生は苦しいのは間違いないのですが、かずやんさんは今までほど苦しくはないと思いますよと返信しました。
理由は10ヶ月間で総合の偏差値9アップしたということは「小5の壁」と言われる5年生の高いハードルを成績アップで乗り切っているからです。
多くの受験生は小5の成績でそのまま小6の受験期を迎える。これからはなかなか成績が動かなくなる時期なんですね。
かずやんさんがこの1年、小5の2月の偏差値の48だったら、志望校の偏差値を考えれば、メチャクチャ苦しい。
そこをアップで乗り越えたということは、受験の受け方、テストの対策などが確立されたからでしょう。
勉強のやり方、臨み方が確立された状態で受験生になるのが最も理想的といえます。
そういう意味で小学生なら小5、中学生なら中2がもっとも大事にしなければ、最も頑張らなければならない学年とも言えます。
受験生は苦しいけれど、「なにをやればいいのか」が明確になっていることほど、またそのやり方で成果が出せるとわかっていることがどれほど親子の精神状態に安定をもたらすか。
親の皆さんにはぜひ考えてほしいポイントです。