oyawaza389

こんにちは、ストロング宮迫です。

さあ、いよいよ8月ですね。ここまでがイマイチだった方は立て直してあと2週間をどのように走れるか。そこが勝負。

しばらく前に大学受験の浪人生の何人かと話をしました。その子達にツイッターでこんなのあるよって見せたうちの1つがこのツイート。


浪人でも誰よりもイケてると思って「予備校でウェーイwww」、そのうちに予備校にも行かなくなるということを実際に2年も繰り返して証明した2浪のボクとしては耳が痛すぎておもわずしゃがんでしまいますなあ。

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もう1つ紹介すると・・・


「残りの3分の1が合格を叩き出します」は、まあ身もふたもない言い方ですが、実際のところ塾や予備校の経営ではそうなっているのは事実でしょう。

ボクが話した現役浪人生に聞くとそのことはよくわかっていたようですし、書かれているように「予備校でウェーイwwwってやってる人」は結構いるらしいですな。

ただね、浪人生についていえば、今「予備校でウェーイwwwってやってる人」になるかどうかは、今春の受験にどう臨んだかでわかる

「予備校でウェーイwww」になる前に春のうちにそうなる子供はわかるんです。つまり、スタートする前に答えは出ているんですよね。

もっといえば、高3の受験生活をどう過ごしたかで浪人生活がうまくいくかどうかはほぼわかる。

ここのわかるというのは、合否がわかるということではなく、「予備校でウェーイwww」となるか、真面目に受験勉強に没入できるかどうかがわかるという意味です。

スタートするときに決まってるんですよ、この1年の行方は。

そして、今春の受験から半年経過したこの時期には来春の合否もだいたいわかるというか、もうほぼ出てる。もちろんここからの頑張りや浮き沈みはあるけれど、ライバルとなる連中(3分の1)はすでに確定していますから、その子達の中での勝負になるんですよね。

残りの3分の2は、糸の切れた凧となって空中を漂い続け、そして、いつか地上に落ちてきます。高いお金を出している親にとっては目も当てられません。

でもね、これは繰り返すけれど、浪人生活を始める前にだいたい決まってるのよ、これはもう。

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残念ながらボクは浪人時代、残りの3分の2のほうに属していました。だから、3分の2の連中のすることはよくわかるんですな。

予備校にはほとんど行かないから「他人の人生を邪魔」はしなかったけれど、予備校の「経営を支える養分」であったことは間違いありません。

ただね、1つだけ、この方が言うことに異議があるとしたら、ここ↓↓

浪人で根性見せない人間は今後何しても失敗します。

まあ、「大学受験生向け」のツイートですから、これくらいキツク言わないと理解してもらえないということで、こういう言い方になっているのでしょうが、そうでもないよってボクは思っています。

ええ「浪人で根性見せない人間」は割とその後も失敗しがちなんですが「今後何しても失敗します」とは限らない。入った大学で根性を見せるかもしれないし、社会人になって根性を見せる可能性もある。

まあ、大学に入ったとしても、こんな惨状の場合もあるけれど・・・

朝日新聞 7月26日
「悩みのるつぼ」学生がひどく講義できません

30代後半の女性です。大学で講師を始めて5年ほど経ちました。自分の専門分野について学生に講義をするのは楽しく、やりがいも感じています。最近は授業の評価も上がり、学生からわかりやすく面白いというコメントも出るようになりました。

しかし意欲・興味をもっている受講生はよくて半分で、1割程度のことも。多くの学生は私語やスマホ、内職ばかりで、注意しても改善されません。そこで私は、聴くつもりがないなら出席しなくてよい、出席はとらない、試験の結果が基準に達していれば単位は与える、講義に関係ない行為は周囲の迷惑になると説明し、問題があるときは退室を求めることにしました。

ある時、何度注意しても私語がやまない学生に退室を求めると、ふてくされて舌打ちをしながら「聴きます」と逆切れされました。その後ずっと私のことをにらみつけてきました。大学は基本的に自由な場で、講義を聴きたくないならサボればいいし、もっと楽な、興味のある他の講義をとればいいという私の考えは通じないようです。

講師の目の前の席で化粧、イヤホン、居眠りも日常茶飯事。こういった妨害に負けず、感情的にならず、自分の仕事(講義)に集中するにはどうしたらよいのでしょうか。無視すればいい気もするのですが、そうした学生が目について毎度イライラがおさまりません。

目の前のやるべきことを頑張れない「頑張れない病」は誰もがかかる病気ですが、その中でも浪人という受験勉強だけが目的の1年で出る「頑張れない病」は当然致命傷になる。

そんな「どーしようもない子供たち」が「今後何しても失敗します」とは限らない。「今後何しても失敗します」という奴もいるけれど、どこかで気づいて根性を見せるときがくる。見せなければ人生を再構築できないからね。

ただ長い時間がかかるのも事実です。

ボクが浪人も含む大学受験の失敗した要因についてようやく気付いた30歳手前でした。ほとんど人生では手遅れといってもいいくらいですな。

でも、手遅れってことはないんですよ、人生で。

まあ「完全手遅れになったボク」が言うことですから、言い訳がましく聞こえるかもしれませんがね。

そうした経験や見聞からボクは「目の前のやれることを頑張らせろ!」と親の方に提唱しているわけですな。勉強でも全部できればいいけれど、全部できないことだってある。わからないものもあり、難しいものもある。

そういうのにぶち当たったとき、子供は勉強が「0」に近づく、「0」になる。ボクはそうだった。「0勉強」が延々と続くんですな。

子供はある意味ではすごくまじめな動物だから、選択が「0」か「100」になりがちです。そう、やるかやらないかに。特にイヤな勉強ではそうなりがちです。

だから、全部できないときや、わからないものがあるときや、難しいものがあるときは、全部しなくていいよって言ってやれと親の方にお願いしています。

「0」にするなよと。

「例題と基本問題だけ」でもいいんです。もちろんそれじゃ志望校には届かないかもしれないけれど、「0」じゃあ、先の「予備校でウェーイwww」にいずれなってしまう。

だからとりあえずでも、最小限でもいいから「例題と基本問題だけ」はやれ、やらせろと。

勉強に対してやる気がない子供がほとんどだし、頑張らないといけないところで頑張らないし、頑張っても手遅れくらいの時期から頑張るのが子供です。

順調に言っているのは、頑張っているのは、今成績がイイ子だけ。それが事実です。

浪人といえば18歳を過ぎている。今さら親が勉強を見るなんてできないでしょう。聞いてもしないだろうし。

でも、小中高で「0」はダメよを教わっていない子供には20歳になっていても、教えてやらないといけない。

成人したら、それを教えるのは親じゃなく、他の大人なのかもしれないけれど、

結局、自分を救うのは自分自身です。

これを待っていたら、ボクみたいに30歳を過ぎてしまう。

それも人生といえば人生。でも、すでに自分が経験してやらかしてしまったボクは我が子も含めて子供たちに「早く気づかせる」ほうを選ぶ。

だって時間がもったいないもの。

今「予備校でウェーイwww」とやっている連中があと半年で「結局、自分を救うのは自分自身」とはおそらく気づかない。もう来春の入試で落ちても気づかないからね。それくらい図太く横道になっていくんです、人間は。

そんな「どーしようもない子供」の一人だったタイガー山中だって予備校の先生には珍しい「愛情ある鉄拳制裁」で行かなくなっていた予備校に通った。

出席取ってタイガー山中がいなかったら「このクソが、すぐ来い!」とわざわざ電話かけてきて言い、来たらシバき、間違ったらシバき、そして自分の出身校を受けろって言った。

それなくして今のタイガー山中はない。

違う形のタイガーはいたはずですが、道からずいぶん外れてしまっていたタイガー山中が「国道」までいかなくても「県道」くらいにまで戻ってこられたのは間違いなく薄井先生のお蔭です。

「県道」にも「市道」にも戻ってこられなかったボクは長いこと「獣道」を歩んでしまったのですから(もしかしたらいまだに獣道を歩いているのかもしれないけれど)。

今、予備校の先生にそれは期待できない。では、誰があなたの子供の「薄井先生」になるのか?です。

シバけとか鉄拳制裁をしろって言っているんじゃないですよ。こういうご時世ですから。

でもね、そうまでして「道」まで戻してくれる人がいなかったら、子供はすんなりと「獣道」を行きます。

その薄井先生はのちにタイガー山中の結婚時の媒酌人となり、タイガー山中も時候の挨拶は欠かさない。まさに師弟ですな。

その薄井先生とこの前飲みました。

先生として、校長先生として私立高校の学校改革に取り組み、以前では考えられない驚異的な大学実績と学校風土の改革を成し遂げた70歳手前の薄井先生の前でだけ態度の大きいタイガー山中は小さくなります。

もう何年も前のことですが、出張先の繁華街をタイガー山中とストロングが歩いておりましたら、な、な、なんと薄井先生ご夫妻と角を曲がって出会い頭に出会った。

タイガーが「あああっー」って言ってたら、薄井先生すぐに近づいてきて「この繁華街でお前はなんの悪さをしとるんじゃ」って頭をシバいたことがありました。

あれから何年経っても、薄井先生は相変わらずで「おう、山中、お前、真面目にやっとるのか。奥さんは泣かせてないか。お前、ロクでもないからなあ」と50歳前のタイガー山中に70歳前の薄井先生が吠えまくる。

ボクはこの師弟には縁もゆかりもないけれど、あの「タイガー山中」がぺしゃんこになるのをただ見たくて、オレも連れてってといって、そばでニヤニヤしながら酒を飲む。

うまいんだ、そうやって飲む酒は!

最初の話からだいぶんそれてしまいましたが、誰があなたの子供の「薄井先生」になって「目の前のことを0にするなよ」と教えるのか。

誰もが「薄井先生」に出会うわけじゃない。現にボクは出会わなかったからさ。

子供に親が一生懸命教えても「国道」には戻れないかもしれない。けれど、なんとか親の力で「獣道」じゃない、「県道」や「市道」に戻してやってくれと願っています。

「国道」をはじめ「道」と名のつくものは「0」でなければ前に進みます。たとえそれが「1」でも前に進むから「100」に通ずる。

しかし、道は道でも「獣道」は「0」じゃあ前に進めない。結果、下るしかないんです。落ちていくしかないんです。そして、それを止めてくれるのは「偶然」か「人」でしかない。

子供にかかわるのには力がいる。大きな力がいるんです。

加えて飽くなき情熱がいる

他人の子供をそんなふうに見てやれる「薄井先生」に多くの人はなれないけれど、我が子にはどうでしょうか。

なれると思うし、なるべきだとボクは思います。だって、かわいいもの・・・ね。