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こんにちは、ストロング宮迫です。

この間、もうすぐ二十歳になるウチの長男坊が電話してきていろいろと話したんですが、ウチの子だけの話ではなく、よその子の話を聞いても、今の大学生っていうのはみんな真面目に学校に行く子が多いんですなあ。

電話しても「今、学校」っていうし、駅で出会った子に聞いても「今学校からの帰りです」ってみんな言う。「今から飲みに行きます」って子にホント出会わない。ボクからすれば、みんな気でもおかしくなったんじゃないかって思うくらいです。

まあ、ウチの息子はカラオケ屋に行ってても「今、学校!これから授業」ってハッタリかましそうだから「言うこと」は信用できませんがね(ToT)

昔と違って、大学って「行くもの」なんだと今の子供らを見て認識を新たにしているところです。また就活の話もずいぶん早い段階から出てくるのは、社会の要請なのか、大学側からの働きかけやなんかが結構あるのかもしれないですね。

ボクみたいに大学は安い学食を食べるため「だけ」の存在だったり、電車通学なのに学校までの定期券さえ一度も購入したことがないふざけた大学生なんかはもうあんまりいないのかもしれませんね。

ただいくら「今、学校!これから授業」ってハッタリかましたって、電話で話していることを聞けば、頭の中で考えていることはすぐわかる。ですよね?

言っていることや相談事を聞けば、その子が今持っている問題意識や考えている、やろうとしていることもしばらく話すとわかる。

また、これはどんな本がおもしろかったかを聞くとさらによくわかる。もちろん「読んでいません」っていう答えも答えたり得るのですごくよくわかる。

ウチのドラ息子なんかも読む本の趣向というか、いいなあと言う本の種類がこの1年でずいぶんと変わりましたよ。

それは成長なのか、心境の変化なのかはわからないけれど「ああ、こいつも今はここらあたりまで来たか」って思う本の題名を挙げていたので、それはお金をかけて一人暮らしをした成果といってもいいのかどうか。

開高健、谷沢永一、向井敏という昔から仲間の3人の鼎談をまとめた本に「書斎のポ・ト・フ」っていうおもしろい本があるんですが、その本を発行なさった背戸さんという編集者が開高健さんの思い出を書いてらっしゃる。
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『断想 開高健』背戸逸夫【PDF】

・・・仕事があってもなくても月に一度、(開高健の)茅ヶ崎のお宅に伺った。

その訪問は、私にとって、一つの関門があった。

部屋に通されると、「この一ヶ月間で、君が読んだ本を三冊あげなさい」が、最初の言葉となった。

三冊あげると、「そのなかで、いちばん面白かった本を一冊あげ、四百字原稿用紙二枚に纏めなさい」という返事がもどってくる。枚数は時に三枚のときもあった。と、同時に開高さんは、ゴロリと横になられる。

これは難儀な口頭試問であった。

ともかく、しどろもどろ、二枚に相当する感想を述べることになる。それが、終わると、冷蔵庫から缶ビールが出てあとは雑談だが、その雑談が楽しみであった。が、一抹の不安が残る。


それから数日後、「読んだぜ、君の目は確かや」という電話をもらったときの喜びは、なにものにもかえがたかった。電話があるかないか、合格通知を待つ心境である。

精神のなかに、わずかでも糖分がなければ人間は一日も生きられない。

人間は誉められれば、次はもっといい仕事をしようという気持になる。もっと面白い本を探そうというファイトが湧いてくる。お釈迦さんの手の上に乗った孫悟空である。

まあ、レベルはこれよりもだいぶん低いけれど、共通の本を読んで、その感想を聞くと「その人」のことがよくわかるのは本当だと思います。

そして、背戸さんがおっしゃっているように「君の目は確かや」なんて言われたり、会話が成立した日には宝くじが当たったくらい(当たったことはないけれど)うれしい。

ボクの場合でいけば、息子に本を送って「父さん、あれはいいねえ。あそこの場面はちょっとエエわあ。なかなかイイの、知ってるじゃん」なんて言われると、言ったのがバカ息子でも、その喜びはなにものにもかえがたい。

まあ、こうしてボクは自分の人生を生きて、今もう1回大学生のあの頃を子供と話しながら生き直しているんだなあと最近よく思います。

人生は1回きりってわけじゃなく、1回の人生で何度も生き直す。「生き直す」ってことについては、今調べたら前にここに書いていて、作家のあさのあつこさんがテレビで言ってました。

 思春期を生き直す意味

あさのあつこさんが10代の少年少女の物語を描き続けているのは、

あの頃にしようとしなかったこと、避けてきたこと、逃げてきたことを今やっている。思春期を生き直しをしている。

それをやったら、大人の物語が書けるのかな、そっちに行けるのかなと思っています。

ボクにも、あの頃に仕出かしたいくつかの痛恨の失敗についてだけは自分の子にはしてほしくなくて、そうならないように言ってきたけれど、うまく伝わっているかどうかはわかりません。

でも話せば、話している内容を聞けば、持っている問題意識や考えている、やろうとしていることはわかる。話すことだけが唯一の頼みの綱ですな。

編集者にその厳しい口頭試問を課していた開高健さんは、あちこちで「良き相談には相手が発する問いに半ばの答えが含まれている」と言っていて、イイ答えをもらうためにはその相談内容がカギであるとボクは解釈しています。

話すこと、言っていること、読んでいる本を聞けば、「その人」のことがいくばくかわかるように、相談内容を見れば、その人の問題意識とやっていることは判断できる。

今回は小4と小6の方のそれぞれのメールを題材に考えてみましょう。1つめ、親カツ後期メンバーさんからの報告です。

小6 ikkoさん

やったぜ!という報告ではないですが・・・。

先日、ストロング先生のアドバイスをもとに一昨日の公開テストにのぞみました。家では一度しか練習できなかったので、思い出せるように、小さな厚紙にテストですること(時間配分、チェック)などをまとめ書きしたものをもたせました。

結果、理科は今までで最高得点をとることができました。

テストの順番は理科→国語→算数だったのですが、理科は出来てました!グルグル巻きや×印のチェック、時間配分もできたようで、結果も正答率の高い順に応えていました。よくやった!!

ただ、集中力がきれたのか理由はわかりませんが、国語では、チェックの数が急激に減り、算数にいたっては式も書いていなかった。当然結果は悪かった。

子どもに理由を聞いたところ、「焦った。忘れてた。」と。そして、間違った所を答えをみせずに式を書いてやらせると合うんですね。

塾の宿題では怒られるから式を書く。でもテストでは焦って書かないでミスを連発。今週のテストでは同じ間違いをしないようにさせたいと思います。

あと、写真を添付できないのが残念ですが、10月号のミッションで、さっそく母の五箇条!!として印刷したものをキッチンにはりだしました。

米は食べない、間食はしない、甘味、食べず、ビール飲まず、アルコール飲まず

米断ちやビール断ちは今年の1月1日からしていたのですが、紙に書いて張ることで、子供ひとりで戦っているのではないと改めて思ったようで、ジッとそれを見た後、ぎゅーっと抱きついてきました。それで充分です。

イライラ、暴れるの原因は、成績が上がらないことと、私の言い方だと分析しました。私が焦り、イライラしていたのが息子に伝わったのだと思います。

どっしり構え、今できることを一つずつ、確実に。いつもありがとうございます。

なんでも自分や子供がやったことはその結果が漏れなくついてきます。

結果が出たら、その過程を検証して、もう1回やってみるか、少し変えてみるかして、結果を待つ。

その試行錯誤を親技ではトライ&エラーと呼んでいて「トライなきところにエラーなし」とも言います。

エラーを出したくなかったらトライしなきゃイイってわけです。でもトライせずに入試を迎えて、入試でそのエラーが出たらタイヘンなことになるから、勉強でもスポーツでも練習段階でさまざまなトライを行うわけですよね。

ただ親の方の中で、トライしない方は論外としても、トライしたのに、その結果を検証しない人がいる。

勉強では、その結果はテストです。テストには小テストもあれば、確認テスト、週テスト、月間テスト、実力テストもあるけれど、いずれのテストでもトライして受けたら、その結果の検証までやるのがセットです。

だってトライしたことがテストでどうだったかを検証しなければ、このままでいいのか、少し変えるべきなのか、根本的に変えるべきなのかがわからないもん。

だから素点を見た後で、家で勉強した問題はできているのか、その類題はできているのか、応用は利いたのかを見る。それでこのままでいいぞ!とか変えようってことにつながる。

1回目でそれをやらなければ、頑張るとしてもそれは惰性で頑張っていることになる。良いのか悪いのかわからないけれど頑張る!それじゃあ結果には即座に反映はしない。

即座に反映しなければ、子供のやる気の賞味期限は切れる。言っているのはこれだけです。

さて、ikkoさん、広い範囲で問われる公開テストで、テスト受ける際の約束事を忘れないように「小さな厚紙」に書いて持たせた。とてもいいトライですよね。

しかーし、1教科目は「グルグル巻きや×印のチェック、時間配分もでき」て、「結果も正答率の高い順に応えて」いたので「よくやった!!」となったけど、2教科以降はできなかった。

2教科目では「チェックの数が急激に減り」、3教科目に至っては「式も書いていなかった」、「当然結果は悪かった」と出た。

次にやることはもうそこに答えが出てるってことですよね。

まずは「小さな厚紙」を別途持たせるということは、いつでもどこでも入試実践テクニックを駆使するという段階まで、まだできていないことを示し、普段から時間と格闘し、焦ってやることが「習慣」となるまで落としこまなくっちゃならない。

当然目指すは全教科だけど、テストは今週なんで2教科目まで「グルグル巻きや×印のチェック、時間配分」をすることが目標になるでしょう。

今週は週テストなので公開テストほど手こずらないって目論見が成り立つなら、全教科目指してもイイ。

入試実践テクニックを駆使したほうが結果が良かったわけだから、「やっぱりこれを全教科で当たり前にできるようにしていこう」で間違いはない。

そして、家に帰って「間違った所を答えをみせずに式を書いてやらせると合う」ことから、勉強している内容もいいし、あとは焦ろうが急ごうが「式を書く」をいつでもどこでもやることでしょう。

焦って式を書かずに5問やるくらいなら、焦っても式を書いて2問するほうが得点は良くなる。

問題を解くときは、いつもと同じようにです。これはなかなかできないけれど、いい加減に時間内にするより、ちゃんとやって時間切れのほうが結果もよくなるのは誰であろうが一緒です。

特にこれから受験生が取り組むテスト問題は、なにかを省略して解いてうまくいく問題は少なくなる。省いた瞬間に正答率は下がっていく。いい加減にしたら間違える問題ばっかり出るんだから。

これを意識して普段の勉強から徹底するってことですよね。カンタンな問題ほど省略はしない。

ikkoさんの報告の前半を読むと、もうこれだけの情報量のことが今は書いているから長くなっているけど、瞬時に判断できる。

前回も書いたけど100点満点を狙うテストじゃないんだからね。

全部を完璧に解こうしたら、時間切れになる設定になっているんだから。だからテクニックがあれば乗り切れる。もしこれが入試当日に起こっていたら、100リットル涙を流しても一生後悔が続きますから。

もう1つ、「焦った。忘れてた」というのは子供が言う常とう句だけれど、いつも言うのは「忘れた」というのは「そもそも覚えていた」人がいう資格があるものであって、覚えてもいないのに「忘れた」とはいわない。

問題に圧倒されて、普段通りにできませんでした!

これが正しいでしょう。

次の段階は家で入試演習やったときはできていたのに、テストでは家の通りにできなかった、という段階になる。そうなれば繰り返しだ。

さらにいえば、家での勉強の時の緊張感ですね。

普通、子供はテストの時が一番頑張る状態になる。手に汗をかいて、焦って、アドレナリンが出て、終ったらグッタリする。これ全力で「狩り」をするからです。

しかし、家で入試演習したとき、終ってもすぐゲームに取りかかれるようなら、それは「テストほど」全力で「狩り」をしていない証拠でしょう。

脳みそが爆発しそうなくらいに考えてやるのがテストなら、それに可能な限り近い状態で家でも行わないと、訓練にならない。テストでやっちまう。

それは厳しさがない親でないとできない。厳しいっていうのは怒るってことではなくて、やるべきこと、自分ができることを全力でやらせるってことを子供に伝えられる親ってことです。

厳しさを出すってことは、勉強の時と普段の様子が違うってことです。いや、違うことで厳しさが出せる。厳しさが出せる親は点数だけをあれこれ言わない。だって点数はコントロールできないモノ。

コントロールをできるのは、テストの受け方だけです。つまり過程ですよね。結果だけ見る親に厳しさは出せない、過程を見ている親にだけ、誰だってできることを「しなさい」って追及できる親だけが厳しさを出せる。

入試や入試前に慌てるのは、みんな厳しさの足りない親子だけです。本番にならないと本番が感じられない人に待っているのは慌てることだけだから。

そして、ikkoさんの報告の後半では「イライラ、暴れるの原因は、成績が上がらないことと、私の言い方だと分析」している。

もちろんこれはあくまでも仮説で、本当かどうかはこれからikkoさんが気を付ける言い方なんかで子供の出方が変わってくるかどうかを検証してからわかることです。

親も闘うっていう意味で親カツ講座でも推奨している「母の五箇条」は子供が「ジッとそれを見た後、ぎゅーっと抱きついてきました」で効果があったことがわかる。

あとはこの「母の五箇条」が「あなたのためなのよ」っていう子供に甘えた形で出ないように気をつけること。「やってあげているよ」って押し付けがましさを子供に出さないことですね。

人は押し付けられたり、あなたのためよって言われて、押されると引くものです。主役の子供がドン引きして脇役が舞台に躍り出たんじゃ、物語は成り立たない。

脇役は脇で、そっと「引く」から主役の子供が躍りだせる。それはまかせたってことではなく、引っ張るんだ!

そのためにもテスト分析した今回の結果なんかも報告に書いてくれたようなことを子供自身が自分の言葉で言うかどうか、言えるかどうかも、闘う受験生になっていっているかどうかの試金石になる。

頑張ってください。

さて、もう1つはikkoさんより2つ学年が下の方、小4のノリ勉を終えたばかりの方から相談です。

昨日、月に1度の四ツ谷大塚の組み分けテストがありました。

ノリ勉でやったところは全問正解で、基礎のみでやっていたのに、応用も利いていて、親子で喜びました。

そこまでは良かったのですが、娘は足し算するところを引き算にしてしまったり、半径を聞かれているのに直径をこたえたり、、という基礎的なミスが多いのです。

自宅ではあまりしないので、本番で焦っているのでしょうか。

こういう場合はどの様に対応したらよいのか、ストロング先生のアドバイスを頂けると幸いです。

この方の場合ですと、やっぱりちょっと足りないですなあ・・・

質問の「本番で焦っているのでしょうか」の答えは正直に答えれば「わかりません」ってなる(ToT)

ボクは子供も答案も見ていないから。手がかりは相談者の言葉だけなんです。その意味で、開高健さんの「良き相談には相手が発する問いに半ばの答えが含まれている」でいけば、相談に答えになる問いが、というより手がかりが残念ながらないんですよ。

ああ、別に怒っているわけじゃないんですよ(^^)

でも、霊能者じゃないから、手がかりもなく、質問には答えられないんです。あえてこうして皆さんの前で言うのは、すべてのものを、なんでも学ぶ材料にしたいからで、申し訳ないけど出させてもらっただけで。ごめんなさいね。

何が問題なのかは「見えない」けれど、もちろん言えることは、いくらでもありますよ。

四谷大塚なら過去問が売っていると思うけれど、過去問を時間計って実際にやってみたらそういうミスが出ないのか?

テストという形でやったら普段出るミスも出るんじゃないとか。自宅ではそういうミスは「あまりしない」とあるので、問題を小分けにしたら出ないけど、問題をいっぺんにやらせたら出るんじゃないかとか。

家ではノート一杯に使って答えているけれど、問題用紙の余白は小さくて、いつもより字が小さくなってミスするのかもしれませんし。

テストで書いている式はどうなっているのかってことも問題になる。

「42+30=12」と式を書いたうえで間違っているのか、いや式を書かずに筆算だけをやって間違っているのか。だったら式を書こうってことにもなる。式が頭の中を表したものだから。でも筆算だけやると頭にないものをやってる場合も出てくるとか。

「足し算するところを引き算にしてしまったり」では、その問題は家でやった問題かそうじゃないのか。家でやった問題の類題なのか。いや家ではやっていない問題でそれが出たのか。

どういう形でそれが出たのか、どうして間違ったのか、家でした勉強とテストで出た問題の比較によっても、それぞれ対処というか、考え方は違ってくる。

ここまで書いたことを全部やったらいいんだけれど、それじゃなくても時間がないんだから、前回より1つだけ検証結果から試してみる。1つずつつぶしていく。これ違う、これも違う。

そうやってトライ&エラーして、できなかったところをつぶしていって、自分たちの理想の形を作っていくんですよね。

そういう問いになるように考えないと、頑張った割には前に進まなくて、たいていは「これくらいか」って間違いなく諦めることになる。もったいないですよっていうのが親技の考え方です。

可能性は無限にあるのに「改善」をやめざるを得なくなる。緻密に進めていかないと。いっぺんには全部できないんだし、1つずつだから。

また「半径を聞かれているのに直径をこたえたり」するのはみんながする間違いなので、そこで問題で問われていることに線を引く子もいれば、ぐるぐる巻きにする子もいるけれど、なにかしているのか。

家でやった問題では「半径」を聞かれていて、テストでは「直径」を初めて聞かれたとすれば、それはミスではないし。

そもそも言われている「基礎的なミス」はミスという見立てでみると誤ってしまうのではないかという見立ても成り立つ。家で練習していないことはテストではできないというのが前提です。それはミスじゃない。

半径と聞かれて直径と答える場合、そうした類題をやっていれば、すっかり消え失せるってこともある。つまり、半経か直径か、どちらも聞かれる場合もあるって認識できていれば解消するけど、それはどうか。

想像すれば想像するだけ無限にイメージは広がってきます。終らない。そこに求めている答えがあるかも皆目見当がつかない。ゆえに「欲しい解答」も得られないかもしれない。

漠然と聞けば、漠然と答えることになる。トライ&エラーを書いて初めて相手に「相談はこれだな」とわかる。問題点が見える。

まあ、これが子供だけでなく、親自身も小4から小6になるにつれて成長していく過程ではあるんでしょうが、上記いくつか挙げた点を検討してみてください。

その中に求めていたものがあればいいけど。

「人生とは何ぞや?」って大きく聞かれたら、答えは幾通りもあるからいくつも答えがあるわけだけど、人はそういう質問は繰り返すとスルーするようになるってことは経験上わかるでしょう。

「算数がわからないんですけど・・・」と質問する生徒と「つるかめ算のこの問題なんですが、例題のやり方でやろうとしてもできないんですけど。ここまでは書いてみたんですが」では質問でも意味が違う。

「ボクは、顔はほどほどで、働いてもいますけど、結婚できるでしょうか」って聞かれても答えられない。それと一緒です。

学校や塾の先生に対しても相談するときは明確に問う。これは多くの方が気をつけなければならないことです。

答えの半分以上はあなたが持っているんです。そばで普段の勉強も見て、テストの答案を見ているあなたが子供の一番の理解者であり、手がかりを握っている。

ボクはここでアイデアを出すだけであり、解決するのはそばで見ているあなたです。

「トライ&エラー&検証」の過程を経れば、次の課題もすることはおのずと見えてくる。「トライ&エラー&検証」を見せれば、手掛かりは得やすくなる。

事件解決の手掛かりは現場にしかないのだから。

みんな子供を見るときは優秀なデカになろう!ですな。家庭内の犯人(=子供)は完全犯罪はできない。必ず痕跡を残しているからね。

「今、学校!これから授業」とか「全部わかった!」なんてハッタリにコロリと騙されないようにね。
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うれしい報告

高1 ネオパパさん

お世話になります。ネオパパです。長いことお世話になりまして、もう5年になります。

もう秋になってしまいましたが、お陰さまで中1からの第一志望●●高校に合格しました。ありがとうございました。高校入学後も頑張っています。

(省略)塾には行かず、進研ゼミとともに歩んだ中学3年間でした。最後の最後まで数学の模試や入試問題が解けずに苦しましたが、入試問題の間違っている個所を指摘されたことで目が覚めました。

マッハ50はコピーして3度やりました。最後3回目は1日に10枚ほど進めるほどになり、5日間で終了するなど息子なりに進歩が感じられました。

絶対落としてはならない問題を「ちゃんとやればできるはずの問題」として入試に突入していれば、やばかったです。

これからまた高校でもお世話になります。(省略)

過去問をやって点が取れていないのは、どこなのか?

入試問題は難しい。しかし、満点でなければならない入試はありません。

・絶対取らねばならない問題
・何とか取りたい問題
・できなくてもイイ問題

ちゃんと分けて考えないと、一生懸命「必要のない問題」をやっていたんじゃあ、いくら時間があっても足りません!

数学問題集「マッハ50」は今年から親カツ講座後期コースの中で提供していきます。

  • 親カツ講座(入
試実践コース)
  • 10の鉄則
  • ノリ勉
  • 中学受験コース
  • 復テ対策講座
  • 30点上げよう会
  • 公開テスト対策講座
  • 親カツ講座(夏まで
コース)