こんにちは、ストロング宮迫です。
高校入試、発表を待つばかりの地域がほとんどになりました。ストロングも2月の終わりから、あちこちに行く旅が今週でほぼ収束。これから少しずつ落ち着きを取り戻します。
1月の頭からの受験シーズンがまもなく終了・・・この時期は毎年ですが、虚脱感といいますか、少し腑抜けになります。
しかし、終わりは始まり。1つ1つ自分の中で整理して、消化して、再び立ち上がりたいと思います。
1つ高校入試の受験報告を紹介します。
中3 マンボウさん
息子の初めての試練:高校入試が終了しました。結果は…合格!ありがとうございます。
本当に『10の鉄則』のおかげと感謝しています。『10の鉄則』導入当時は、母が今日やるべき課題を提案して、それをやる、という形でした。
ノルマ達成できたら「漫画(図書館で母が借りてくる)を1冊読んでもいいよ」というアメ作戦でした。漫画読みたさに頑張っていくうち、成果が目に見える形で表れてきました。
定期テストで高得点、塾で上のクラスへ移動する、など。
夏休みの終わりには「今日はこれとこれとこれをやるから、終わらせたら、漫画読ませてね!」と自らノルマを設定するようになりました。
大体は過剰ノルマだったのですが、意気込みの表れだと思います。
冬に入ると、アメは全く不要になりました。気分転換に読むときはありましたが。親が勉強に直接関わることも必要なくなりました。
夢にまでみた「自ら勉強する子」がそこにいました。
勉強に疲れると、私と「過去問競争」をしました。同じ過去問をコピーして、同時に取り組み、点数を競うのです。国語と英語はまだ負けません。
私が実際に勝った上で、「この学校は後半の文法問題の方が点を拾いやすいから、先にやるべき」「この長文は無理してやる必要はない」などアドバイスすると、現実味が沸くようで、真剣に取り入れていました。
いろいろな過去問や模試のやり直しを繰り返すことで、テスト慣れしたのか、ずっと偏差値60の壁を越えられなかったのが、1月終わりになって急に越えました。
びっくりしました。志望している高校は、内申が足りない分、当日得点勝負だったのですが、無事合格しました。ありがとうございます。
入試の次の日には、「勉強しないと落ち着かない」と言って、Z会の教材を申し込んだ息子ですが、教材が来た頃には再開した部活動が楽しすぎて勉強しなくても落ち着くようになってしまいました…。
『10の鉄則』で学んだことを糧に、この子と現在小6の下の子を見守っていきたいと思っています。3年後はダブル受験です。これからもお世話になると思います。よろしくお願いします!
マンボウさんのお子さんは、5教科の平均偏差値が58から65へなったそうです。
マンボウさんの受験報告の中にこの「偏差値60の壁」を越えるヒントがありますよね。
偏差値58までは親が実力行使で引っ張ってやれる。誤解を恐れずにいえば、無理やりにでも偏差値55から58くらいまでにはしてやれる。
しかし、そこから上、つまり「偏差値60の壁」は、親には何もできないという意味ではなく、親の子供に対する役割が変わらなくては突破できないゾーンでしょう。
そして「偏差値60の壁」を突破するために変化する親の役割の芽が偏差値55から58までにいかにして引っ張りあげたかにかかっている。
偏差値55から58に親が持ち上げてやる過程にこそ「偏差値60の壁」をクリアする課題がひそんでいるといえましょうか。
ゆえに偏差値55から58の状態から、上に行きたいと思っても、横ばいの子供と突き抜ける子供の2つの道に分かれる。どうやって偏差値55から58になったかが次の壁である「偏差値60」を突破するカギをにぎっているんですよね。
そのことがマンボウさんの受験報告の中によく見えており、マンボウさんのお子さんの5教科の平均偏差値が58から65になったのは決して偶然ではなく、なるべくしてなったものと言えます。すばらしい。
そのすばらしさをマンボウさんが頭の中で整理して消化して進まれるならば、下のお子さんの3年後の受験のとき、その親技は、さらに効果的な影響力を発揮するできることでしょう。
マンボウさんと同じような話で、1つの高い壁を突破するときに起こらなければならない「反応」の話を先日も聞きました。
このとき会った一人は、名門野球部を途中でやめ、学校も退学して大相撲の世界に飛び込みました。
大相撲の世界は、ご存知のように幕内(定員42人)、十両(定員28人)の「関取」と幕下以下三段目、序二段、序ノ口までの「力士養成員」の2種類に大別され、その中で幕内、十両の72人が一人前の力士として扱われる。
関取は資格者ともいわれて一人前の力士として扱われ有給、部屋での生活でも付け人が付き、個室が与えられる。一方、力士養成員は修業中の身として原則は無給、大部屋での生活となる。
関取になるとは、すなわち有給ともなるそうですが、どれくらいの給料かというと、
ヤフー知恵袋によれば、
十両が1503.4万、前頭が1933.3万となり、これが年収の最低額となります。
1年間、十両、幕内に定着している力士の場合、優勝(十両200万、幕内1000万)してなくても給金も増えたり、懸賞金もありますので、年収は十両が1550万、前頭が2000万以上ってとこですか。
これを安いと見るか高いと思うかは置いておくとして、関取になれる可能性はどれくらいかというと、
ある統計によると、入門した新弟子が「関取」になる確率は8%といわれる。13人に1人という狭き門だ。
多くは中学校を卒業して大相撲の部屋に入門する子供。その子供たちはたいていは身体が大きいとか、武道で優れた成績を残していたとかでスカウトされた子供たち。
では、この子供たちが関取になれるかなれないかは、どこで分かれるのか? なにによって道は分かれるのか?
ボクが会った人は関取になり、活躍しましたので、そのことを聞いてみました。
たとえば、ぶつかり稽古というのがあります。こんなの・・・
まあ、動画を見るとわかると思いますが、これが苦しいらしいのですよ。「かわいがり」というのは大相撲の不祥事によって話題にされるので聞いたことがあるでしょう。
この「かわいがり」というのは、そもそも
古くから相撲部屋では兄弟子が弟弟子の心身鍛錬のために胸を貸し、通常より厳しいぶつかり稽古(荒稽古)を行い、強い力士を育成することを指す。
かわいがるとは、相撲界の隠語でしつけや心身鍛錬のために「厳しい稽古」でいためつける、鍛えることを意味する。かわいがりとも呼ばれる。
で、このぶつかり稽古、何本かやると、力が出なくなるんだそうです。
「もうダメだ。」ってなるそうです。そのとき、お尻を竹刀でビシッと叩かれる。そしたら、「もうちょっと頑張れる」んだとボクが会った元関取は言ってました。
不祥事があってからは、相撲部屋に竹刀を置くなどは禁止されているようですが、昔はその竹刀のビシッで、自分の限界を少し越えさせてくれたと述懐していました。
でも、竹刀でお尻を叩かれても、やっぱりすぐに「もうダメだ」というのがやってくるらしい。そこでまたピシャリ。
昔はそれが木刀になることもあったそうで、木刀でお尻をピシャリとやられると、「もうダメだ」が「もう少しはできる」に変身したとか。
「お尻とはいえ、木刀で殴っても大丈夫なんですか?」ってボクが聞いたら「頭はダメですけど、お尻なら全然大丈夫です!」なんて言っていました。
スポーツもそうでしょうけど、勉強でも、「もう限界!?」というところから、あと少しだけ頑張ることが次のステップに進むためには必要になります。
竹刀で殴れって言ってるんじゃないですよ!!!
そこで、皆さんへの投げかけです。
あなたのお子さんにこの「もう限界!?」というところから、誰が、どういうやり方で「超えさせてくれますか?」と。
厳しさですよね。
マンボウさんは竹刀ではなく、鉛筆を持って、
勉強に疲れると、私と「過去問競争」をしました。
同じ過去問をコピーして、同時に取り組み、点数を競うのです。
国語と英語はまだ負けません。
勝負することで、「もうダメだ」から1つ、もう1つとマンボウさんのやり方で「ぶつかり稽古」を課したんですよね。
で、マンボウさんは「ぶつかり稽古」に自ら付き合うことで、
私が実際に勝った上で、・・・・アドバイスすると、現実味が沸くようで、真剣に取り入れていました。
勉強の信頼関係は増し、さらに強固になっていったんじゃないでしょうか。これが次のステップに進む際にこの時点で必要だったもののような気がします。
では、次のステップに進むもう1つのもの。
たとえば、この自分の限界にチャレンジしていく「ぶつかり稽古」、「今日1日だけ」ならいいんですが、そうじゃないでしょう?
どれくらいの頻度でやるのかは聞き忘れましたが、何度も何度もやって強くなっていくんでしょう。そのときにね「このかわいがりはなんのためにやるのか?」という疑問が湧くそうなんです。
で、2つの道に分かれるそうです。
「もうかわいがりなんてイヤだ!」と「これはオレのためなんだ!」この2つ。
関取になれるかどうかの分かれ目は、このかわいがりや稽古を自分のためと思えるか、イヤで嫌で仕方なくとにかく逃げたいものと捉えるか。そのことを元関取は「素直さ」って表現していました。
「お前な、早く関取になろうなんて思わなくていいんだぞ。ゆっくりでいいんだ。自分のペースでいいんだよ。だからな、諦めずにコツコツコツコツ関取になれるまでやり続けたらいいんだよ」と親方は言ってくれたそうですが、そのことを「素直」に受け止めて、苦しくて逃げたいんだけど、「これはオレのためだから」と捉えられると、お尻をピシャリとやられたときに、「もう1本」と思えると。
そうじゃなかったら、ピシャリとやられるたびに「もうイヤだ」、「絶対イヤだ」で「イヤ」ばかりが募って、耐えられなくなると。
中学を卒業して右も左もわからない子供がすぐに「これはオレのため」と思えるんじゃないわけですよ。なんだかいじめられているんだか、かわいがられてるんだか、わからないまま厳しい稽古を課せられる。
そんな年月を過ごしながら、親方と話をし、先輩に気を遣いながら、後援会で応援してくれる人と接し、世間を知り、「オレもああなりたい」「こういう場所でご飯が食べられるようになりたい」そんなことを思い感じながら、20歳前後で「これはオレのため」と思えたとき、そう思えたものが関取になれる。
同じ稽古でも、やらされる稽古とやる稽古じゃ、意味が違う。
でも、それは最初からそうじゃなかったんです。
親方や先輩に引っ張りあげられて、平均点になり、その上になった。でも、そこからはさらに上に行くには周囲の援助や応援は必要不可欠とはいえ「これはオレのため」と思える自らの意志も必要になる。
関取にとって、そう思わせてくれたのは一緒に住み、食事をともにし、声をかけてくれる親方。
苦しいけど、逃げたいけど、「これはオレのため」、そう思って取り組めたとき、偏差値65の壁が突破できる。
いかがでしょう?
今回のマンボウさんの体験記があなたの我が子を考えるときのヒントになれば、うれしいです。
「ノリ勉算数」を終わっての感想
小学4年 こはくママさん
◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
子供に「勉強の仕方はこうなんだよ」と教えると共に「そうなんだー」と、良い刺激を与えられたと思います。
ノリ勉後、明らかに態度が違って見えました。
◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:
ひとりで通信教育をこなすのは酷だと、私自身が中学時代に経験済みでしたので、端から端まで私が読み上げ、子供が耳で聞いて、目で追っていき、答えを一人で解く。
…というスタイルを1年していました。
たまに「あっ」と声を上げてしまうこともありましたが…。
しかし、ノリ勉後、普段の家庭学習の時でも、始める前に約束事をさせることで、態度がこんなに変わるものかと思いました!
それまでも、がんばってくれていると思っていましたが、体から「見ててね。出来るんだよ」と言っているようですし、応用問題も、数段前向きに取り組んでくれています。
実は、「10の鉄則」よりも、こちらの方を先に買ってしまった為、しまった!と思いながら、進めて参りましたが、私自身も勉強になりました。
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:
7日間ぴっちりしたわけではなく、7回してみようということで、1~3日空く感じで次に進んでいたので、アンケートが遅れました…。
1回1回、回を追うごとに取り組み方が前向きになっていく姿を見るのは、楽しいですね。
子供も、いつもと違う雰囲気を感じ取っていたようですし、実際、応用問題を目前にした途端、やる気ゼロだったけれど、やってみたら、解けるのが面白いと言っていました。
仮に1年後の5年生の終わりにやっていたとしたら、全然違う感じになっていたことでしょう。
それくらい1年という月日は子供を変えてしまう。
子供を変えるのは家庭での親の接し方の蓄積の結果でもあります。
ぜひ毎日ノリ勉やってください。30分からのスタートでイイ。いずれ30分を2セット2時間、またそれ以上だって可能です。
ただし、30分で成果が出ない勉強を2時間やっても、やっぱり成果は出ないどころか、子供のやる気を失わせてしまうので、30分で成果を出すは基本ですよ!