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こんにちは、ストロング宮迫です。

受験の最終コーナーの公立高校入試も全国的には今週末が最終章、合格発表の一番遅いところが21日、あと1週間となりました。1月の頭から本格的に始まった受験シーズン3ヶ月も、いよいよフィナーレ。

今年もいろいろなことがありました。受験生の親の方は、さまざまな感慨にふけっているのではないでしょうか。

いろいろと思うのは受験生だけではありません。昨年受験を終えた方からメールが届いています。
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お久しぶりです。マンボウです。1年振りです。息子の県立高校合格のご報告メール以来です。

今は高1、下が中1になりました。でも、いつも新「勉強の常識」は楽しく、深く味わいつつ読ませていただいてます。

このままではいけないと「10の鉄則」を取り入れたのが昨日のことのようです。先日、「10の鉄則」を読み返しながら、あんなことやこんなことをやったな~と懐かしく思い出し、息子にその話をしたところ…なんと!

彼の記憶の中では、そのことはすべて「自分がやったこと」に変換されておりました。

例えば

私「英単語がなかなか覚えられなかったから、毎朝お母さんが作った単語テストやっていたよね」

息子「え? そうだっけ? 自分で英単語集見てやっていたよね」

私「国語の試験、時間配分とか苦手だったから、お母さんと一緒に過去問解いて練習したよね」

息子「え? 自分でやって、分かりにくいところは塾の先生に聞いたりした」

ことごとく、私が関与した記憶が消去されていて、自分で頑張ってやったことになっていました。

ちょっとショックでしたが、よく考えると、それでいいのかなとも思いました。

「お母さん主導で」勉強をやったよりも、

「自分で頑張って」勉強して第1希望に合格した!

僕って頑張ればやれる!

と思っている方が、いいですよね。

いいんでしょうけど、ちょっと誰かに聞いてほしくて、ストロング先生にメールしちゃいました。

先生はそういう経験はないですか?

子どもって、そうやって自分に都合のいいように記憶を変換しちゃうものなのでしょうか。もし機会があれば、その内、新「勉強の常識」ででも触れてもらえると嬉しいです。

受験が終わって1年、マンボウさん、寂しくなっているわけですな・・・

親は受験が終わって子供から「今までありがとう!」なんて言われたら、今までのすべてがOKになってしまうものです。

でしょ? あの子がこんなことを私に言ってくれた・・・ってね。

しかし、時間の経過とともに、我が子は・・・・

ただ、ボクが思うのは、マンボウさんは逆に喜ぶべきじゃないかと思いますけれどね。というのも、親技的にいえば、親が主導でやってきたことがいつのまにか子供自身の意志、自分のものになっていったわけですからね。

そうなったということでいえば、親の関わり方としては理想的とさえ思います。

ボク自身、そうありたいし、そうなってほしいとさえ思っています。ゆえに喜ぶべきであるとボクは感じるわけです。

これが「あの頃は親にやらされてイヤでイヤで仕方なかった」という親の関わり方の記憶しか残っていなければ、今現在、子供は勉強する方向には向きにくい。

このイヤな記憶が強烈であればあるほど、高校生になって勉強面が親の手から離れた瞬間、子供は糸の切れた凧になりがちです。

だって「自分でやって」という記憶がなく、「イヤでイヤで仕方がなかった」その重しがなくなったら、子供はやっぱり天高く舞いあがる(糸の切れた凧)からねえ。

これをボクは「逃散」と呼んでおります。

【逃散】とは? by コトバンク

荘園制下の農民が,その家屋敷・田畠をすて荘外に逃亡することで,領主に対する抵抗の一形態。


荘園制下の農民は,年貢課役の減免,非法代官の罷免などの要求を通すため,しばしば一揆を結成し,強訴(ごうそ)を行ったが,なお要求が認められない場合,最後の手段として全員が荘外に逃亡する逃散を行った。

「逃散」しない、「一揆」もしないというのは、自分が納得しているからなわけですから。まあ、中には親の強圧的な力で押さえている場合もあるのでしょうが、その場合もいずれ「逃散」か、「逃散」に準ずる形で事態は推移していきます。

だから、いいじゃないですか!いつの間にか自分の手柄になっていて。

「私が関与した記憶が消去」され、「記憶を変換」して「自分で頑張ってやった」と思わせているのは、言葉が正しいかは別にしてマンボウさんによる親技の勝利と言っていいのではないでしょうか。

まあ、マンボウさんも、それで「・・・いいですよね」とおっしゃっていますし。ただ、「いいんでしょうけど・・・」というちょっと割り切れぬ思いもある。あんなに苦労したのに・・・ってね。

もしそうなら、もう1つ先のことを心配したらどうでしょうか?

少し話を整理しておきます。

親技の行使は最終的にざっくり2つの道に行き着く。

1つめ、これは親技のある種の成功といってもいいですが、いつの間にか「自分でやったこと」になっている。マンボウさんですな。

で、もう1つは「イヤでイヤで仕方なく」って、受験までは我慢したけど、受験が終わって「逃散」。重しがとれて遠くへ飛んで行っちゃう。これ以後、コントロール不能。

この2つ。成功と失敗ですな。

ただこれで、めでたしめでたし!とはいかないとボクは考えています。

というのは、実は成功には、ここから先、さらに分岐点がある!とボクは思っていて、「自分でやって」となっていくのが親技の成功形ですが、最終的には、ここから親がしてくれたことに対する

感謝があるかないか

ここに分岐点があると思っています。

説明が難しいのですが、書き進めてみましょう。

先に書いた受験が終わっていう子供の「ありがとう」にウソはないのでしょうが、受験が終わった流れや勢い、高揚感、プラス先生に親に感謝の言葉を言いなさい!と言われて言う、ある意味で形式的なもの。

そこに本当の心は現れていないとボクは見ています。

現れるのは、もっとあとなんじゃないでしょうかね。

マンボウさんの事例でいうと、「自分でやった」まではOK。ある意味では子供らしい発言です。手柄を自分のものにしちゃってるところなんかはね。

でも、そこで「お母さんのお陰ですよ!」と思える、又は言える高校生もすでに存在しているのも事実なのです。親子では非常に出にくい、この「・・・のお陰です」ですが、先生と生徒では親子よりは出やすい

「お前、すごいやないか!」「ボクめっちゃ頑張ったんですよ!」

「お前、すごいやないか!」「先生のお陰です」

この違いです。これが分岐点とボクは見ています。

親もそうでしょうが、先生だって功績を認めてほしいなんてそれほど強く思わない(たぶん)。

でも、「先生のお陰です」という生徒は、

なぜ成績が上がったのか?

なぜうまくいっているのか?

なぜ右肩上がりなのか?

その原因がちゃんとわかって理解できている場合が多いのです。冷静というか、気が効いているというか。

もちろん本人もめっちゃ頑張ったんだと思うんですが、自分の力だけではなかったという謙遜、導かれたその道がイイ道であったことも認識できているということです。

謙虚な気持ちが間違いなくそこにある。

こういう子供は、環境が変わっても、先生が変わっても、まだまだどんどん伸びていく。

親が協力して導いた親技があって、本人の努力があって、うまくいった。だとすれば、そのうまくいった要因のうち「本人の努力」だけしか見えていなければ、次は努力はしても、進んでいるのが良い道とは限らない。

次はうまくいくとは限らない。うまくいかなかった時に、人は「自分の努力が足りない」とはあまり思えないものです。

常にできる限り良い道を行くには「・・・のお陰です」という明確な認識がなければならないのではないか。言い換えれば、謙虚な気持ちがなければ。そんなふうに思っています。

なので、マンボウさんのお子さんがこのあと本人が頑張るのはもちろんですが、どこかで「・・・のお陰です」となるかどうかが分岐点ではないかと。

心配するなら、そっちのほうでしょうね。実はすでに「お母さんのお陰です」と思っているかもしれませんよ。口に出さないだけでね。親子ではそれは往々にしてあることです。照れもあるだろうし、面と向かっては言いにくいしね。

「・・・のお陰です」というのは謙虚な心掛けというふうに捉えられがちなんですが、「なぜうまくいったのか」が、ちゃんと分析できているという意味なんです。

ちゃんと分析できていて把握ができているから、高校生になっても、自分の努力以外で必要なものは外部に求めることができる。そして、「・・・のお陰です」と気の効いたことを言って相手を喜ばすことができる。

喜んだ相手は、もっと協力してやりたいって思うんですよ。

賢いっていうのは、そういうことを言うんだと思いますけどね。

実に伝わりにくい話を何とか伝えようと延々と書いてきましたが、わかってもらえたでしょうかねえ・・・

マンボウさんのお子さん、春から高2ですよね。あと2年。もうお子さんはわかっているのかもしれませんが、それがわかった上で外に出したいですね。

お子さんがこの話を理解し、わかるためには、親以外、たとえば、マンボウさんのしてきたことをよく理解してくれている親族や友人、また家族ぐるみでお付き合いしている人たちの助けもあったほうがスムーズに伝わるでしょう。

2年なんてあっという間です。でも、この2年で、わからなくても子供に手がかりさえ与えていれば、外に出てからきっちりわかることもあるでしょう。

実に楽しみですなあ。その種まきの収穫の程は、20年後くらいですかねえ。

せっせと寒肥をまきなされ!
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うれしい報告
1年のうちでノリ勉に取り組む方が特に集中するのが今の時期なんですね。

受験シーズンが終わろうとするのにストロングはエライことになっていたりする。

でも、うれしいですなあ・・・日々成果を出して親子が喜んでいる報告を聞くのは。

あなたの家では今日成果はありましたか?

ノリ勉終わったよ!報告

中1 にゃんこままさま

明らかに今回の成果と思うことは何ですか?

どんなに部活で疲れようが、日曜だろうが、「必ず30分は一緒に勉強する」ことが当たり前になったこと。

30分って短いと思いっていましたが、思っていた以上にいろいろできることがわかりました。

日に日に、計算が速くなっているのが実感できました。

褒められると「もう、何回もやった問題だから・・・」と言いつつ嬉しそうな表情が見られたことも成果の1つです。

子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:

正直、小学校のうちにこうして勉強を見てあげていれば・・・と思いました。

勉強することができないのだから、できるようになるまでは親が見ればいいと思います(進研ゼミをとって、後はやりなさい!やらないのはこどものせい!と親の責任放棄をしていたことをとても反省しています)。

勉強をしない、勉強ができないのは、子供のせいでも、学校のせいでもなく、親の責任逃れだったと今はそう思います。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

楽しくもあり、イライラしたり、最後は集中している子供の姿をしっかりと見ることができて良かったと思いました。

一生懸命に頑張る姿に、何かしてあげたくなって、子供の好きなデザートを作ってあげることが多くなりました。

つい怒ってしまった日もありましたが、最後まで文句も一言も言わず、やり抜いた娘が本当に愛しく思いました。

すでに、第2クールに入っています。

採点中眠ったり、最後のテストの見直し中眠ったりと睡魔との戦いでした。

上記の時は、こちらがイラッとして、即中断。決していい状態、褒めて気分がいい状態、やる気満々の状態にばかりはさせられず、何度も仕切り直しの日が続きました。

タイムが上がる、全問正解にこだわることで、達成感や、やればできることを感じてくれたようでした。

本当にありがとうございました。


うれしい報告ですねえ。どうもありがとうございます。

「楽しくもあり、イライラしたり」それが本当の姿ですよね。

部活やらなんやらで疲れた身体を引きずって帰ってくる子供。

仕切り直しをしなければならない日もあるでしょう。

でも、やるなら成果を出す!成果を出したら大いに褒めてあげましょう。

やる気を出すために、機嫌を取るために褒めるんじゃない!

短い時間でも成果を出したから褒めるんです。頑張ったら褒める!

その積み重ねです。第2クール、第3クールと引き続き頑張って下さいね。

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