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こんにちは、ストロング宮迫です。

今入試演習をしている方からこんなメールが届いています。

お世話になります。ドラゴンスリーです。

(省略)入試演習をやっています。可能な限り家での入試演習は私もそばで一緒に解いています。同じ条件で一緒に解くと、同志の感覚が子どもに生まれるのか答え合わせもはずみます。

入試演習をやっていくうちに最近では「僅差で私が勝つ」「僅差で私が負ける」という結果になることが多くなりました。

しかし、不思議なもので、ある入試問題をやったときは、「大差で私が勝つ」ことがあるのです。

点数でいったら「92点と30点」みたいな差です。どうしてそんなことになってしまうのか? 力はそれほど変わらないはずなのに。

入試演習後に見直してみると、子どもからするとできてるはずに思う問題なのに、ギリギリ間違えている。どこか1つに躓いているわけです。

差のついた問題は、テスト後に間違え直しをしたらほぼできます。でも、テストするとできないのです。

僅差の勝負になるときもあれば、大差での決着になることもある。これを克服していくことがこれからの課題かなと感じています。あと一歩のところ。

この課題については、先日のご提案いただいた見直しとは別に確定作業をすることを始めました。やり始めると確定作業の精度が上がってきています。

あとはわが子にどこまでマスターさせることができるか。進展があればまた報告します!

この方に提案した「確定作業」とはタイガー山中が長い間探っている入試演習の「際(きわ)」といっている部分で、この方が言っている「子どもからするとできてるはずに思う問題なのに、ギリギリ間違えている。どこか1つに躓いている」部分のことです。

この「際(きわ)」にある問題は「テスト後に間違え直しをしたらほぼでき」る。でも、テストになるとできない。

この方のようにそばでお子さんと一緒に問題を解いているような親の方だと「確定作業」が効果的ではないかとタイガー山中が提案して、テスト中に「確定作業」もしていく試みをされています。

具体的には、テスト中に見直しではなく、確定作業をさせてみたりしています。入試実践テクニックを駆使して見直しもするんですが、それに加えて「確定作業」もする

見直しは親カツ講座の入試実践テクニックにならって、ひと通り全問に目を通してから戻ってやりますが、確定作業は問題をやり、答えが出た時点で検算なり、出た答えが妥当な数値かを確認して「絶対に正解」と自信持ってできるようにして進むやり方です。

入試演習を終えた後で「どの問題を確定としたか?」と確認し、たとえば、この入試演習は「50点分は確定して終わった」などと確認するんですね。その精度がどうなっていくか。確定分が積み上がっていくかを見ているわけです。

見直しもして、確定作業もするとなると時間が足りなくなるのではないかという心配も出てきます。

が、入試演習を進めていくと、問題を解くスピードは日に日に上がっているので、確定作業する時間も確保できていく。

確定作業といっても何分もかけるわけじゃない。数十秒のレベルでする。その数十秒の確定作業をすることで、その後の展開も自信持って進められるというわけです。

入試では、同じ実力モノ同士の場合、先にあった「僅差の勝負」になる場合もあるけれど、「大差で勝負がつく」場合もある。

ある問題を解くと、「68点と72点」だったのに、違う問題を解くと「92点と30点」とかで出たりする。

その入試問題の「際(きわ)」は受験校のレベルが上がれば上がるほど出てきやすい。難関校ほど出るものなんです。

ただそのことも知らなかったら、気づかなかったら、そもそも気にもならないし、悩むこともないけれど、それは「問題がない」ってことにならないし、ただ知らないだけってこともありうるからね。

あと一歩でできる、もう少しでできる、ギリギリ間違えている、どこか1つに躓いている、これをどう克服していくか。

ある種の俯瞰できる力も必要になってくる。

俯瞰する力と云うのは表現しにくいけれど、子供が「もう、この問題ってこれを聞きたいんでしょ? わかってますよ」とか「もうこれで引っかけようとしているんでしょ? わかってますよ」とか一歩引いて「上から」入試問題を見る力ともいいましょうか。

「この制限時間でこの問題に手をつけたらドツボですよねえ」なんて入試演習をする子供が能書きを垂れることを親技では推奨しているんだけれど、能書きを垂れるってことは俯瞰して見ることが求められるからです。

その俯瞰して見る、その見方があっているかどうかは別問題なんです。出題者の気持ちになって見る視点、「これを問いたいんでしょ?」と見られる視点があると闘いはより有利に進められる。

もっといえば「どうしてこういう問題が出ているのか」を見破れる視点というか。

さっきのメールのドラゴンスリーさんとお子さんは問題を解く力はほぼ一緒でも、俯瞰する力に差があるから、問題のレベルが上がれば上がるほど、俯瞰できる力を問われると大差になるのではないか。

それを「俯瞰する力」なんて曖昧な言葉ではなく、より明確に「これです」と説明すべく、タイガー山中が日々研究をしているところです。

ある人はゴリゴリと大量の入試問題を解くことで解決します。それでイイ。解決はするんだから。演習量を増やすことでいろいろな「対戦相手」の出方を学べる。あらゆるパターンに対応できるようにする方法ですね。

ただ親技ではそれはスゲェータイヘンなんで、なんとか少ない労力でそれができないかって考えてる。タイガー山中がね (^^)♪

その1つの試験中の「確定作業」は「この問題でこんな答えになるなんておかしいだろ!」っていう視点を習得しようとしているってことでもあります。

俯瞰する力があれば、答えが出ても「これはどう考えてもおかしい」って「勘」が働くようになるからね。その「勘」ってあてずっぽうじゃないんですよ。すごく正確な「勘」。もしくは「匂い」。

入試演習をしていくと「匂い」に敏感になる。それは「今日がカレーだな」っていう匂いではなくて、どちらかというとこっちの「臭い」のほうです。

「どうもくせぇーなあ。怪しすぎるわ」っていうほうの「ニオイ」。

真面目に頑張って行ける世界からもう一歩飛躍するために習得する技。これがどうして社会に出たときに活かせないことがあろうか。

私たちはその社会に出る準備体操を受験という種目でやっているだけです。大いにやる意味も考えてみる価値もあろうというもんじゃないでしょうかね。

全員の賛同を得られるとは思いませんがね…(;_;)

「週刊ファイト」の初代編集長でもう亡くなられて久しい井上義啓編集長がかつて「プロレスとは底が丸見えの底なし沼である」といった。

受験も入試も、もうあらかた「底が丸見え」なんだけど、入試問題の「際(きわ)」なんかを考え出すと「底なし沼」になってくる。とっても奥が深い世界です。

「受験とは底が丸見えの底なし沼である」受験生よ!ガンバレ!

そして、まだ来年と鼻歌を歌っている小5生と中2生の諸君、キミらの来年の受験生活の運命はこれから3ヶ月もすれば予言できてしまうことになる。けっこう当たる予言になるから心してかかられよ。周回遅れはやる気を失うからね。