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こんにちは、ストロング宮迫です。

親技もまもなく15年目に突入するんですが、「親が子供に・・・」なんていうのは流行りではありません。勉強も弁当も習い事も送り迎えも入試演習も多くの方が外部にアウトソーシングする時代です。

「じゃあ、なにを子供にしてるんですか?」

「体調管理です!」って・・・

「体調管理は最近じゃ、腕時計型の端末でしてくれるんですよ~」

「じゃあ、それも腕時計に任せちゃおうかな~」・・・なんてね。

それもいいでしょう。

ただ管理っていうのは「数字を記録」することでは終わりません。

記録した数字をどう生かすかってところにつながり、学びにして成長につないでいく。それができて初めて「管理する」が完結します。

親技では、入試演習で1番を何分何秒で通過したかを記入する。必須です。書かなきゃ、あとで検証ができないからね。でも、そこに書かれた数字自体に意味はないですよ。

でも、書かれた時間、数字を見て、この問題数とこの問題レベルで「5分20秒はかかり過ぎだ」ってその数字を「使おう」とすれば「どうしてそんなに時間がかかってしまったのか」につながり、「じゃあこうやって工夫して解こう」って策が出て「次へ」となる。

だから成長があるし、以前よりも良くなるんです。使うからだ、記録した数字を。使わなかったら、せっかく書いた通過時間なんて意味ないもん!

その材料になる入試演習でテスト用紙に大問を何分で通過したかを書けない子供が多くいる。

「書かないんですよ、ウチの子。何度も言っているんですけどねえ~」

「そうですか。とても残念です。検証ができませんからね。じゃあ頑張ってください。」

こんなクソみたいな会話で終わることになります。

誰が悪いのか? 

子供でしょうか?

子供が問題の通過時間を書かないのは「書いてもその数字を今の現状を見るために、次へ生かす」話に一度もなったことがないからだ。生かされたことを一度も子供が見たことがないからだ。

普段の勉強から問題を解くのにかかった時間をどう生かすかって話がなされていないから、どうせ生かされないなら、そんなテスト中に子供もわざわざ面倒な時計見て通過時間なんて書きたくないですよ。

だから「問題を通過した時間を書きなさい」って言うのは同じでも、書いてくる子供と書いてこない子供に分かれるわけです。

なんのために、それをするのか。それは自分にとってどれほど重要な指標なのか。それがわからなきゃ、通過時間は子供は書けない。


でも、制限時間のある闘いで時間を気にしない勝者は一人もいないのです。

勝者はみんな気にしてるんだから。

「時間は気にしたくないんですけど、勝ちたいんですよねえ~」

そんなあ・・・それってキックボクシングをしてるのに「ボクはキックは出さずにパンチだけで戦います」なんて言っているのと同じで蹴りまくられて終わるんです。ボコボコにされてね。

ルールがある闘いでそのルールをどう自分のために生かすかって思考がなくて、どうして勝負に挑もうと思うのか?

なに、それって玉砕志向なの!?

砕けても散っても、ぶつかることに意味があるんだって思ってるの?

ぶつかって砕けて散って、その後に立ち上がることを、立ち上がれることを期待しているの?

「立てー、立つんだー!ジョー」とか。

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ジョーが丹下段平に言われて、倒れても倒れてもそれでも不死鳥のように立ち上がってくるのは理由がある。みんなそうできるわけじゃないんです。だってジョーの同僚のマンモス西は立ち上がれなかったじゃないか。

なんでジョーは立ち上がれて、マンモス西は立ち上がれなかったのか?

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自分に対する最高の自己肯定があるからですよ。

負けるわきゃねえー!絶対に負けねー!そんなことを認めるわけにはいかねー!

そういうふうに自己に対して思える自信があるから立ち上がれるだ!

じゃあ、あなたの子供は矢吹丈みたいに自己に対する圧倒的な自信を持っているのか? 今まで持たせてきたのか?

それなくして、立ち上がるわけないんですよ。1発パンチが入ったら、心が折れて「もうダメだー」って泣きわめくに違いない。できなかったらいじけるに違いない。順位が下がれば才能のせいにするに違いない。

誰かの、何かのせいにするに違いない。

話を戻します。

親技で仮に管理って言葉を使うとすれば、それは「枠にはめる」ってこととは少し違います。

時間を計って数値を記録して、その数値から子供の頭の中で起こっていることを読み取って、話し合い、そばで勉強の様子を見て、次へ生かす、それが親技の「管理する」だ。

親が管理してちゃ、親が子供の勉強なんか見てたら、自主性が育たないって!? 

親が管理したら、真の意味で管理したら、子供はめちゃキツイんですよ。管理しているから、子供にとってのチョビ上のハードルを提示できる。子供は全力で、今よりももう少し力を込めて走って飛ばなきゃ、飛べないハードルがそこにある。

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チンタラ女装してたら、もとい、チンタラ助走してたら飛べない目標設定がされて、越えられれば次へ、越えられなければもう1回数値見て、練習し直すか、目標設定を微調整する。

そこで学ぶんですよ、子供は。目標を達成するってことがどういうものか。どうやればいいのかを。子供が知っているから自分でもできるようになる。

知らないことをどうしてできるんですか。子供だけじゃない、親だって大人だって知らないこと、やったことがないことはできないもん。

自分で管理できる、自主性をもってするには、どう管理するか、なにをもって自主性とするか。子供自身がわかっていなくちゃいけない。これ基本。

その際「とにかく頑張ろう」っていう作戦もなんにもない気合と根性だけの掛け声は途中で挫折する可能性が高い。

それはもうボクたちの先輩方が何百万人の「いのち」を使って壮大で無謀な試みをしてるじゃないか。

そんなこといったら「子供を見る」っていうのは一大事業になるじゃないかって!?

そう、一大事業なんですよ!

「投入する労力と費用と時間」は各家庭それぞれだけど、それらが大きかろうが小さかろうが、特に「投入する労力と費用と時間」が少ない家庭ほど効率的に行わなわれなければならない。

だってかける労力と費用と時間が少ない家庭だって求める成果は同じなんでしょ?

単純に考えれば勝負は決まってるって言える。

すなわち、

最大の労力と費用と時間をかける家庭 > 最小の労力と費用と時間しかかけられない家庭

やっぱり「労力と費用と時間」をかけたほうが闘いでは有利ってもんです。

しかーし、最大の労力と費用と時間をかける家庭が必ず勝つとは限らない。最大の労力と費用と時間をかける家庭が常に最大の成果を出せるとは限らない

もっといえば、最小の労力と費用と時間しかかけられない家庭が軽く勝ってしまう可能性もある。

なんなのか、それは?

時間を計って数値を記録して、その数値から子供の頭の中で起こっていることを読み取って、話し合い、そばで勉強の様子を見て、次へ生かす家庭は、最小の労力で最大の成果を出す。

それだけのことです。

最大の労力と費用と時間をかけているけれど、「考えない親」であれば、投入したモノに見合う成果は得られない。

なんでもやってることには意味があるんですよ、たいていのことには。

授業で例題を説明する。意味があるんだ、それは。例題を使って基本問題を解く。もちろん意味がある。その意味があることを、重要な意味があることをみんなスルーする。

カンタンだとかできるとかわかってるとか「のたまふ」。説明できるのか? 早く解けるのか? 工夫して解けるのか? そんなことは考えもしない。

たとえば日能研だったら「考えよう」をキッチリやるの。どうしてそんな曖昧な理解で、なんとなく解けたレベルで、「考えよう」がはやく解けないのに「深めよう」や「問題研究」にいこうとするのか。

それでも日能研なら類題がいっぱいあるから類題をすることで対応ができるけれど、「考えよう」をキッチリやらずに進むから類題を狂ったようにしなきゃならなくなる。

「考えよう」がちゃんとできるなら「深めよう」はできるし、できなくてもヒントがあればわかる。でも「深めよう」を延々とやっても、その前の「考えよう」の理解は深まらない。

どの塾でも、どの学校でも同じだ。授業では意味があることをやってんだから、その意味がちゃんと分かったかをまずは確認して進めなきゃ、波打ち際の砂遊びと同じだ。

話を戻します。

最小の労力と費用と時間しかかけられない家庭「ほど」考えて子供に接していかないといけないってことですな。

何かに気づける、気づかなかったら、なにも問題がないように思えたなら、それは問題がないんじゃなくて、自分は何かを見落としているんじゃないかって立ち止まってもう1回考えてみることです。

じゃあ、最大の労力と費用と時間をかけている親が「よく考えられる親」だったらどうなるかって!?

そりゃあ最強の親ですなあ。

でもね、そういう人も「最大の労力と費用と時間をかけている」っていう自負が無駄を省いたり、効率を上げたり、ラクをする発想を排除する罠にはまっていることも多々あるから。

今持っているものや条件で勝負したらいいんですよ。ちゃんと考えてね。

最初に言った「親が管理する」なんて勉強以外でも、もう流行らない。勉強も弁当も習い事も送り迎えも入試演習も多くの方が外部にアウトソーシングする時代です。それでかまわない。

でも、アウトソーシングっていうのは「丸投げ」っていうことじゃないですよ。

丸投げしてたら、どっかのマンションみたいに「支持層に十分到達していない」杭が見つかったり、「杭の深度や杭を固定するためのセメントの量」のデータを改ざんされたりって問題が出てくる、必ずね。

問題が発生して、よくよく調べてみたら、設計段階で「くいの長さ不足」だったことがわかったり。

アウトソーシングしても「管理する」ってところは主体者側に残るんです。いい加減な仕事をアウトソーサーがして非難を浴びても、最終的な責任は主体者側が問われる。

子供の責任は時代が変わっても親が取らなくちゃならない。

便利になってお金を出せば、だれかがなにかをやってくれたり、子供を見てくれるイイ時代になった。でも、アウトソーシングをしてもいいけれど、丸投げはするな!

信用して外部を利用してもいいけれど、信頼はするな!ですな。信じて用いてもいいけれど、頼るなってことです。

だって責任を問われるのは親なんですから。

まあ、そんな責任なんて知らねーよって言う主体者の親も最近は増えてはきてるんですが、親技ではそういう方はハナから対象外なのでスルーさせていただいております。

まもなく15年目を迎える親技メルマガですので、これまで通りご贔屓にと言いたいところですが、いつまでもあると思うな、「親」と「親技メルマガ」ですぞ!

生きていたらまら会いましょう!

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勉強の方は問題なく、夏休み中も朝は6時におき、夜は11時までには寝る。毎日10時間以上勉強する。100%近くスケジュールもこなしています。

多少いらいらしたり、他を思えないときもありましたが、そういう時は、原点に戻るように叱咤激励をして、見た目は問題ないように見えるんです。

しかし、ここぞの勝負に負ける…。

家に帰って冷静に解き直しをすると、なんでわからなかったのか…。と悔やんでいます。

本人が気持ち的に不安であることはとても感じています。

親技を使えば、何かができるのでしょうか…。 泣いても笑ってもあと半年。なにかいいアドバイスがありましたら教えてください。

うれしい報告

例年通り、今年の受験生への『10の鉄則』ほかは10月末、『親カツ講座「入試実践コース」】の販売は来春中学受験の方は10月末、来春高校受験の方は11月末をもって販売を終了いたします。

これは『親技』では成果が出るまで最長3ヶ月というスパンで考えているためで、受験が迫ってからご購入いただいても、『親技』ではお役に立てないことが多いためです。決して「諦めなさい」と言っているわけではないので、あしからずご了承下さい。

普段は全然思わないのに、危機や重大な事態に陥ったときに発した一言で、その人に対する見方が大きく変わる。

こういうことってありますよね。これから受験を迎えるご家庭での一言は、ぜひ気をつけていただきたいと思います。

親の一言が「子供との決別」とならないように・・・・

決別にならないためには、子供が果たすべきことがなんなのかを明確にしておいてやること。

「合格しろ!」これは子供が果たすべき使命ではありません。

子供の果たすべき使命とは・・・・・・

もうわかりますよね!これまで何度も何度も書いてきましたから。今まで積み上げてきたものも、たった一言ですべてが崩れます。
 
お互いの関係の本質は、追い詰められたときに出る!その準備をもう始めていないといけないんですよ!!!

親カツ講座8・9月号「学力はそのままで点数を上げる受験テクニック」
親カツ講座10月号「受験3ヶ月前に親がすべきこと」
親カツ講座11月号「受験1ヶ月前に親がすべきこと」
親カツ講座12月号「受験本番!後悔しないために親がすべきこと」

  • 親カツ講座(入
試実践コース)
  • 10の鉄則
  • ノリ勉
  • 中学受験コース
  • 復テ対策講座
  • 30点上げよう会
  • 公開テスト対策講座
  • 親カツ講座(夏まで
コース)