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こんにちは、ストロング宮迫です。

すでに学校が始まっているところも多数ですが、9月1日がやっぱり「始まり」って感じなんじゃないでしょうかね。

日曜日の夕方に「明日仕事行きたくねー」という憂鬱な気分になる人がいるように、子供たちの中には「始まりたくねー」って思う子もきっといるでしょう。鎌倉市図書館のツイートが話題になっているそうです。


このことについての親技の考えはすでに「今年は悲しいニュースを見たくない」で書きました。
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まあ、辛いことはどうしたって起きるからね。そしてその辛いことっていうのは人それぞれです。

ただ辛いことが起きないようにしようってのは現実的じゃないとボクは思います。試練は誰にでもあるからね。

問題はその試練や辛いことを「誰もわかってくれない」こと、「誰も気づいてくれない」こと、「誰も聞いてくれない」こと、それらが「いかなる辛い出来事」よりも、もっと辛いのではなかろうか。

「話す」は「離す」であり、「放す」だからね。話して放せ!です。

世界中の人に気を配れって言ってるんじゃない。あなたの周りのわずかな人々に対してでいいんですよ。

芸能人並みに忙しくても、それくらいはできるでしょ。それをして、初めて自らも「人」になるのですから。

さて、以前いただいた『10の鉄則』の感想にこういうのがありました。

小5 こうろぎさん

ハーとため息をつきました。すべては親にかかっているという事実を重く感じています。

急にあれこれやろうと気がせいていますが、落ち着いて言われたようにやることを紙に書いて1つずつやっていきます。

受験を予定していますが、勉強嫌いになりつつあります。

学校の勉強がよくできているから、さらに上をめざしてと思って始めた受験なのに、塾の勉強も学校の勉強も嫌になりつつあります。

私のせいです。ごめんねと謝ります。知らないことを学ぶのは楽しいことだとわかってほしい。それを感じてもらえるなら、受験の結果は問わないと決意しました。頑張ります。

ありがとうございました。

親の思いが届かずに子供はどんどん勉強キライになっていっている・・・というわけです。なので「ごめんね」と。

8月の半ばに「運がイイっていうのは」と題して、以下のように書きました。

・・・テストでは間違ってたら×になる。入試においては、間違っていたら不合格になる。人生では間違っていたら商売なら繁盛しないし、会社員なら出世しないか左遷かクビになる。

今なにがしかの成果が出てないってことは、なにかがどこかが間違っているってことです。

間違っているのにもっと頑張っても行き先は落とし穴です。成果が出ていないってことは、この先落とし穴があるっていう重大なサインです。

サインを見逃して突っ走れば落とし穴に早くハマるだけ。サインを見逃して、ゆっくり走れば落とし穴にゆっくりハマるだけ・・・

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人は他人のことなら見てるとよくわかるのに、自分のことになると途端にわからなくなるとも書きました。

結果が出ないとき、たとえば社会が悪いとか出題する問題が悪いとかいう命題の立て方をすると、ドツボにはまるのはみんなよく知っているはずです。

「相手が悪い」って思った時から正解への道が閉ざされるか狭まるかするわけです。

勉強でも同じで、結果が出ないときに「子供がやる気がないから」と結論付けたら、悪魔のサイクルをぐるぐる回ることになります。

だから親技では「親が変わろう」と言っているわけですが、厳密には「親の見方を変えよう」ということなんです。

ゆえに親技では常に、あなたには子供の「やる気がない」ように見えるかもしれませんが、それは普通ですよという。

子供が勉強に「やる気がない」のは「異常である」という今の見方は変えて「普通なんだ」という見方でまずは見てやってください。見える風景が変わりませんか?って提案しているわけです。

見方を変えるキッカケはやったのに結果が出なかったときこそです。

出た結果は自分たちがやっていることに対してどうであったかの判定です。その判定が受け入れられなかったら次はない、もしくはそこから抜け出せなくなる可能性は高まるわけです。

「間違っていますよ」の日々寄せられる声に耳を傾けられるか。ただその声は「間違っていますよ」と聞こえるだけでどこを間違っているのかは教えてくれません。

だから、自分たちは間違っていたんだと認め、そこからなにを間違っているかをどう解釈するかが始まる。その解釈はひとそれぞれでそれがその後の人生を彩っていくわけです。

子供の勉強を見るときに、成果が出ていないってことは、この先落とし穴があるっていう重大なサイン、それをスルーしてちゃダメですよ、これが1つ。

もう1つ、私たちが陥りやすいのが先に感想を紹介した方のような「自らの考え方や持論」を良かれと持って子供をはめていこうとして、ハマらずに苦しむ人がいることです。

「学校の勉強がよくできているから、さらに上を目指す」というのは間違っていない。どんどん上を目指すべきだとも思う。

ただ「さらに上を目指す」のがどうして「中学受験」になるのかなんです。もちろん、さらに上を目指す道として「中学受験」はあります。

でも、「知らないことを学ぶのは楽しいことだとわかってほしい」というのが趣旨なら、中学受験より別の道のほうがやりやすいんじゃないでしょうか。

中学受験は骨が折れる。いろんなことをたくさん詰め込んで習うし、学校じゃやらないことがガンガン出て、宿題がたくさんあって、毎週テストがあって、やれ順位だ偏差値だが出て判定が出る。

実にシビアな世界です。覚悟のいる世界なんです。

中学受験の親の悩みQ&A
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せっかく小学校で「勉強がよくできて」いて成績も良くて、先生からもよく褒められて、学校サイコー!ってなっているのに、中学受験を目指して塾に通うことで勉強キライになりつつある。

大問題でしょう。

これは親が持っている「自らの考え方や持論」のようなものをそのまま子供にはめようとした結果起こっているんじゃないでしょうかね。

「知らないことを学ぶのは楽しいことだとわかって」ほしい、これが最大の目的なら中学受験は向かないんじゃないでしょうか。

受験っていうのは、いついつまでの期限までにこれこれができるようになってくれという種目です。

期限までに広く浅くできるようにしてねってことです。難関校になれば広く深く聞かれちゃう。

実体験が伴わない、見たこともない、聞いたこともないことであっても、覚えたり、理解したりしなくちゃならないのが受験勉強です。

それでも公立中学の子供たちは、「みんなが高校入試」をするからある程度疑問なくそれもできるかもしれないけれど、あえてする中学受験では、無理してでも「広く浅く」の勉強を、興味があろうがなかろうがやらなくちゃらないのです。

ただ「さらに上をめざして」ほしいからと始めるには険しすぎる山ではないでしょうか。また「さらに上」の「上」にはいろんな「上」があって、中学受験だけが「上」にあるわけじゃない。

もし、「知らないことを学ぶのは楽しいことだとわかって」が最大の目的なら、それを望むなら、たとえば

◆自然科学観察コンクール 過去の入賞作品

こっちのような「狭く深く」の世界に進むほうが理にかなっているのではないかとも思います。

この自然科学観察コンクールの過去の入賞作品を見れば、応募者の多くが「知らないことを学ぶのは楽しいことだとわかって」いる子供たちばかりでしょう。

別に自由研究や理系に限らなくても、今や全国に文系も含む無数のコンクールが全員に開かれて開催されています。

◆全国学芸サイエンスコンクール

こうしたコンクールに応募できるまでになるには、時間がかかります。ある意味では受験勉強なんてしている暇はないかもしれない。でも、自由研究を通じて「知らないことを学ぶのは楽しいことだと」わかるでしょう。

言葉や頭でわかるんじゃなくて、身体で、その体験でわかるから、これほど強いものはないし、今後の人生を生きる上でも間違いなく武器となるでしょう。

「自分で考えられる」ようになるキッカケはまずは「疑問をもつ」からでしょう。だったら子供が疑問を持つような会話をしなけりゃならない。

子供が疑問をぶつけられるような、それを聞いてやる環境を作ってやらないといけない。疑問をもったら調べる。その手伝いをしてやる。それだって親技でしょう。

「さらに上をめざして」の「上」とは具体的になんなのか?

「知らないことを学ぶのは楽しいことだとわかって」もらうために中学受験を選んだのはなぜなのか?

どういう趣旨や筋道でそういう立論を行ったのか?

その出発点をちゃんとやらないとこの悪魔のサイクルからは抜け出せずに同じ泥沼をグルグル回ることになります。

つまり、親が「自らの考え方や持論」を良かれと持って子供をはめていこうとして、ハマらずに苦しむ人は、あなたが持っている「考え方や持論」がそもそも間違っている可能性があるってことです。

また仮に「その考え方や持論」が正解だったしても、その方法論が間違っていたら、「その考え方や持論」の実践にはなり得ない。

ここまで成果が出ていないってことは、今やっていることが間違っている重大なサインだからスルーしてそのまま行っちゃダメですよという点の確認ともう1つ、「自らの考え方や持論」を良かれと思って子供に実践しても、うまくいかないのはその前提が間違っているのかもと疑うべしこの2つを改めて親の皆さんに問いたかった

その上で、こうろぎさんの進もうという道はそれでよいのかです。

知らないことを学ぶのは楽しいことだとわかってほしい。
それを感じてもらえるなら、受験の結果は問わないと決意しました。

ここまで読んでくださった方にはもうご理解いただけると思いますが、両方とも得られない可能性が高いってことです。

つまり、受験の結果は出ない、その上、「知らないことを学ぶのは楽しい」なんて子供は思いもしない。受験後はもう勉強なんかしたくありませんとなる可能性もあるってことです。

いや、中学受験の壁は厚いけれど、頑張る気持ちを持ち続けてやってほしいだけなんだと、こうろぎさんは思っているのかもしれません。

中学受験でやった勉強は仮に公立中学に進んだとしても役に立つはずだと思っているのかもしれません。

たしかに中学受験で習うことは公立中学の子供たちが中学校でやることとほぼ一緒です。もちろん中学受験特有のものもあるし、方程式を使わないなど、もろもろあるけれど、ほぼ同じ内容です。

すでに中学受験で習っているわけだから、公立中学で「もう1回」やるなら有利だろうと思うかもしれません。

でもね、中学受験で一生懸命やった勉強を中学生になった子供が覚えているかって言ったら、ほとんど覚えていません。忘れてるんですよ、たいていは。

だから、1回早めに習って有利なんてことはありません。

加えて、そもそも中学受験で結果が出ない数年を続けて、子供に頑張る気持ちが残っているのかといえば疑問でしょう。

もし、中学受験で勉強した内容を中学生になってもよく覚えている子供がいるすれば、それは中学受験の時に結果が出ていた子供です。

よくできたから、数年経っても覚えているわけで、よくできなかった子供は1年後にはすべてをきれいさっぱり忘れている。これが現実です。

できた喜びもなくてやり続けたことは、やったはしから全部忘れていく。それが人間っていうものです。だってそこに分かる喜びも楽しさもなければ、身体の中に何にも残らないから。

問題は「受験の結果は問わない」ってことではなく、日々をどう過ごすかってことなんです。どう考えて過ごすかってことなんです。

「受験の結果は問わない」、過程が大事なんだと親技でも言っています。

でも、その過程にできる喜びもなく、ただひたすら懲役のような勉強が続けば、結果も出ないし、過程も報われないってことです。これぞまさにドツボです。

成果が出ていないってことは、今やっていることが間違っている重大なサインだからスルーしてそのまま行っちゃダメなんです。そのままいっても最終結果につながらないから。

加えてその過程においても、重大なサインを見落としながら言ったら、その過程だって滅茶苦茶になってしまう。つまり成果も感じられず、一瞬の喜びもない。

また、「自らの考え方や持論」を良かれと思って子供に実践しても、うまくいかないのはその前提が間違っているのかもと疑うべしについてもしっかり考えてもらいたい。

「さらに上をめざして」の「上」とはなんなのか? 「知らないことを学ぶのは楽しいことだとわかって」もらうために中学受験を選んだのはなぜなのか?も。

今やっている労苦は時間が経っても労苦のままで、その労苦は一刻も早く忘れたいものにしかならない。

仮にやっていることが労苦だったとしても、先につながる労苦は、今そこに喜びがある。ハイタッチがある。「できたー」とか「はやく解けたー」の喜びがある。

それなしに「ただ頑張る」なんて人はできない。子供はできないし、大人もできない。

このメルマガの最初に、成績がイイ子の親の定義は、

現在の偏差値や順位がどれだけ高いかではなく、親技を駆使しスタート時からどれくらい成績を上げたか

と書いています。

今、偏差値が70だろうが50だろうがそんなのは関係ない。

「スタート時からどれくらい成績を上げたか」なんです。

そして上げるためには、竹やりで戦闘機を気合で落とすなんていう「ただ頑張る」んじゃなくて、目の前に出ている重大なサインを見逃さずに改善して臨むこと。

そして、「自らの考え方や持論」があるのは問題ないけれど、なんの成果も出ていないのに「自らの考え方や持論」にこだわらないことです。

だって成果が出てこない、子供がまるで変化しないってことは、あなたが持っている「考え方や持論」が間違っているか、もし正しいとしてもあなたの子供には合っていないのだから。

答えは子供で出てる!あなたがやっていることは目の前の子供にすでに出ているんです。

それをナシにして、次へ進んでも次はない。

だから、親が変わろう、親の見方を変えようってことなんです。

審判に今の「セーフだろ!」っていくら言っても、「アウト」って言われたらアウトなんです。判定は覆らない。あなたの家庭の判定もすでに出ている。目の前にね。ただし、誰も「セーフ」とか「アウト」って家庭では言ってくれないだけで。

もし、目の前の判定を見て「セーフ」と判定するならそのまま行けばイイ。でも、どう考えても「アウトだな」って思ったら、親が変わろう、親の見方を変えましょうよ。

自己判定、これこそが究極の「自分で考える力」です。甘すぎず厳しすぎず判定してください。
うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

小6 ぷちとまとさん

子供の教育に熱心に取り組んできたと思っていましたが、まるで実行できていませんでした。情けなく、愕然としました。

なんとなくわかっていたが、実行していないことがほとんど。内容は具体的でとても参考になりましたので、実行するのは大変だとはおもいますが、頑張ろうと思います。

志望校に届いていないのは私のせいでした。残された時間はあまりありませんが、1つ1つ実行していきます。

たいていは残された時間が少ないので、あれもこれも手をつけて全部が中途半端になる。これが受験生にとって成果の出ない最悪のパターンです。

残された時間が少ないからこそ、手をつけて実行していくのは1つ1つなのです。1教科1教科、1単元1単元なのです。

今日積み上げるものがあれば、明日がある!ファイト!

中2 らっきょさん

1年と少し前、中1のときにノリノリ勉強法でお世話になりました。

ノリノリ勉強法の最後で中1の2学期を気をつけてくださいと言われてました。そのつもりでしたが、振り返ってみると、中1の2学期から成績が急降下。

3学期はめためたで、中2の1学期も浮上の見込みなしです。

夏休みはすこし頑張りましたので、2学期、勝負かけます。よろしくお願いします。

中1の2学期は英語がチョー山場、そして数学はカンタンと舐めていたら、2学期でつまづく芽が吹き、3学期で噴火する!

これ定番です。つまづく要素が確実にあるんですから。チェックポイントをはっきりさせ、この9月中間テストに向けての勉強を終えるつもりでやってください。もう待ったなしですから。

小2 はるのさくらさん

新勉強の常識の本をバイブルとして、日々取り組んできたので、10の鉄則は要点が項目ごとにわかりやすくなっていると思ったのが1回読んでの感想です。

2回、3回と繰り返し読んでいきながら思ったのは、どれも取り組んでいることなのに・・・と思ったのですが、やはり落とし穴が・・・、どれもそこそこ取り組んでいたのです。

パイブルは3年くらい前から読んでおり、楽しく学習を心がけ、私もあの手この手で教えるというより応援しながら小学校に入ってからも毎日勉強時間とその日にやるノルマをこなしてきました。

子供は私との勉強は楽しいと1ヶ月前くらいまで話しており、イイ感じ~と思っていたところ、ここに来てノリ勉から、激怒りの時間に・・・そのどこに問題があったのか・・・。

鉄則の10でした。私が一休みしてしまったのだと思います。

学年が上がるにつれて子供も手ごわくなって難しくなります。小手先では通用しなくなるんですな。

怒ること、叱ることを恐れる必要はありません。しかし、怒る理由についてはよく考えてみてください。

怒らせるような方向に親が持っていったその先で親が叱っていたのでは子供も立つ瀬がありませんから。

学年が上がっても可能な限り同じ接し方でいくという意識が大事ですよ!休むべからずです!

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