こんにちは、ストロング宮迫です。

この間自分たちのガキの頃のサンタのプレゼントの話で盛り上がりました。

盛り上がったといっても、、ボクたち世代が盛り上がるのはどんなに豪華なプレゼントだったかというよりはいかに悲惨だったかって話です。

その中で甲乙つけがたく、いたく同情しつつも第1位と第2位にランクインしたのは、サンタにプレゼントを入れてもらうべく用意した靴下に

翌朝、バナナが入っていた!

という事件ともいうべく事例。

バナナですよ。

サルじゃないんだからねえ・・・

ボクだったら一生涯の傷になって泣いちゃっただろうなあ・・・・

もう1つは、サンタに欲しいものをお願いしようかなとさり気なく親の前でつぶやいたら

「お前、ふざけるな!これで買ってこい、これで!」と言われて1000円札を1枚差し出された

という事例。

夢も希望もロマンチックな思いやワクワク感やドキドキ感も木っ端微塵に原子単位で吹っ飛ばす親の一言。

幸いそれぞれのエピソードを話した二人はそれほど横道に逸れることなく、無事成人して家庭を持ち、今に至るわけですが、二人に共通するのは非常にリアリステイックというか、超現実主義なところ。

幻想的でロマンチックな部分は欠片もなく、期待も希望もそれほどなく、目の前の現実だけが全てであるって感じで、もう白か黒か、どっちかの世界なんですよね。期待もしないぶん、落ち込んだりも少ないように思いますけどね。

ロマンチックなボクとは対極といいますか、白もあるし黒もあって、時には欲張って白黒両方を希望したり、おまけにグレーもあるんじゃないっていうボク的には少々キツイというか、厳しい感じがしました。

ガキの頃のエピソードはその人の人となりを決定づける大きな要因になると2人の話を聞いて確信した次第です。

超現実主義的な子供にしたいなら、子供の幻想的な夢を木っ端微塵に打ち砕くのもありでしょう。

サンタにお手紙書いても、ぜんぜん違うものがきたりとかね。

まあ、ボクは夢か現実か、サンタっているの? いやいないでしょ? どっちどっち?くらいの感じは持たせてやっているんですけどね。

サンタにプレゼントを頼むは何年生までか?

子供にどんなエピソードを与えるか、クリスマスは1年のうちでは実に大きなイベントですぞ。考えに考え抜いてプレゼントは考えてほしいですな。

ボクはここで長い間、クリスマスや新学年を迎えるにあたってぜひお子さんにこのDVDをプレゼントしてあげてくださいと紹介しているものがあります。

古い読者ならよくご存じでしょう、植松努の特別講演会DVD&ブック
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これはいつ、だれが見てもイイんじゃないかってボクは思っているので、昔から性懲りもなくおススメしています。参考までに植松さんの動画を紹介しておきます。


何度繰り返し読んでくれてもイイって思っているので、改めて紹介すると・・・

植松さんは言います。


楽をすると、どうなってしまうのでしょうか。

楽をすると、答えはただ1つしかありません。

楽をすると、無能になるのです。避けて通るから、やらないで済ませるから、能力が得られないのですよ。

能力がない状態のことを、日本語では「無能」と言うことを忘れてはいけません。
 
楽をした結果、無能になってしまうのです。楽をすると、無能になります。無能になると自信が持てなくなります。

なぜなら、能力のない人は誰からも必要とされないし、誰からもあてにされないからです。

人から必要とされたり、あてにされるためには、頼られるためには、特技が必要です。

特技というものは、みんなと違うことをしなければ得られません。

みんなと違うことをすること、みんなと違う経験をすること、それは「努力」と言います。

  
いかがでしょうか?

ここでは繰り返し、「子供はとにかく頑張らせないといけない」と書いてきました。

「小人閑居して不善をなす」で「人間が暇でいると、ろくなことをしない」ものです。

特に子供はね。

いわゆるグレている子供たちは、総じて「暇」です。

例えば、学校に行かなければ1日中やることもない・・・まさに「キング オブ 暇」!

ゆえに、不良は、みんな付き合いがイイ。夜遅くであろうが、夜中だろうが、呼ばれたらすぐに集まります。

暇だから!

付き合いがいいんですな。暇だから!

暇でいると、ロクなことはしない。

中学生や高校生が部活を引退した後に乱れるのなんかはその典型でしょう。

だから、勉強に限らず、遊びでもスポーツでもなんでもいい、子供たちには暇を与えず、頑張らせる

なるほど努力する意味や苦しい経験をさせる目的の1つとして、皆さんは「勉強を子供に頑張らせている」わけですね。

大変結構!

植松努さんは言います。

本当は、自分が大好きなことを、もっともっと深く掘り下げて学ぶのが、大学や専門学校というところです。

ところが、「好きなことは成績に関係ないからやめなさい」と言われて、奪い取られます。

大学や専門学校が必要とするのは、棘(とげ)の生えた人間です。その棘をもっともっと伸ばし、鋭くするのが大学や専門学校です。

しかし、その前段階で子どもたちは、棘のないツルツルの球にされてしまいます。

そうすると、もう伸ばすところがないのですね、だから伸びません。

耳痛くないですか? 大丈夫?

さらに植松さんは続けて言います。

「好き」というものがないから、教えてもらったことと習ったことしかできなくなってしまいます。

なぜこんな悲しいことが起きてしまうのでしょうか。

それは親が我が子の評価を他者に委ねるからです。

だから、子どもがゆがんでしまいます。

どこかの誰かが付けた点数で、自分の子どものことを親が評価すると、大変なことが起きます。そして、親が我が子の未来を他者に保証させようとするから、子どもがゆがんでいきます。

現在、定量評価できることで、未来を生きる子どもを評価できるわけがないのです。

現在数値化できることは、現在の価値なのです。10年後、その評価は意味をもっていないのですよ。

子どもたちが生きる世界は10年後です。

だから、現在数値化できることで、子どものことがすべてわかると思っては大間違いです。

我が子の評価くらいは、自分で評価しないといけないのです。

誰かに金を払ってやらそうとしてはいけません。自分でやるしかないんだということを忘れてはならないです。

子供へのプレゼントというより、親へサンタさんからプレゼントして欲しいくらいですな。

いくらこういう話を聞かされても、ピンとこない方はたくさんいます。それでいい。

ピンときた方だけが子供の夢中になれるものを見つける材料を与え続けていけばイイ。

というわけで、ボーナスが出たら、植松努の特別講演会のDVDを自分にプレゼントしたらいいですね。

生き方っていろいろとありますから。

ロマンチック派の方は植松さんの講演を見てほしいのですが、やっぱり中には超現実的な方もいらっしゃるわけで、そういう方には

理解のない人間に会うよりも、
山を見 樹を眺め 鳥を聞き 空を仰ぐ方が
どのくらいうれしいかは、
知る人は知っている

とまでいった種田山頭火の書いたものを少し長いですが紹介します。

ロマンチック派の方は読み飛ばしてもらってかまいませんよ。

種田山頭火『砕けた瓦』(或る男の手帳から)



家庭は牢獄だ、とは思わないが、家庭は沙漠である、と思わざるをえない。
 
親は子の心を理解しない、子は親の心を理解しない。夫は妻を、妻は夫を理解しない。兄は弟を、弟は兄を、そして、姉は妹を、妹は姉を理解しない。

理解していない親と子と夫と妻と兄弟と姉妹とが、同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下に睡っているのだ。
 
彼等は理解しようと努めずして、理解することを恐れている。理解は多くの場合に於て、融合を生まずして離反を生むからだ。反き離れんとする心を骨肉によって結んだ集団! そこには邪推と不安と寂寥とがあるばかりだ。

泣きたい時に笑い、笑いたい時に泣くのが私の生活だ。泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑うのが私の芸術である。

私は何故こんな下らない事ばかり書くのであろう。私が書く事はすべて、自分の耻晒しであり世上の物笑いである。それは私自身を傷づけるばかりではないか。

そう思わぬではない。こんなくだらない事はもう書くまいと思わぬではない。しかも私は書かずにはいられないのだ。書けば下らない事しか書けないのだ。あさましい心はあさましい事ばかり考える、荒んだ生活からは荒んだ思想しか生れないのだ。

……もっと適切にいえば、私には世間の風評や一身の利害を無視しても、表現せずにはいられない欠陥と悔恨と苦痛とがあるのだ。

若し私が私の欠陥から脱却し得たならば――私が私自身を超越し得たならば、私は最早何にも書かないであろう。何も書かないで、安んじて生きてゆくことが出来るであろう。何となれば沈黙の福音は全き人にのみ許されるからである。

Everyman sings his own song and follows lonely path.

お前はお前の歌をうとうてお前の道を歩め、
私は私の歌をうとうて私の道を歩むばかりだ。

驢馬は驢馬の足を曳きずって、驢馬の鳴声を鳴くより外はない。

お前と私とは長いこと手を握り合って、同じ歌をうたいながら同じ道を進んで来た。しかも今や、二人は別々の歌をうとうて別々の道を歩まなければならなくなった。

私達は別れなければならなくなったことを悲しむ前に、理解なくして結んでいるよりも、理解して離れることの幸福を考えなければならない。




溢れて成った物は尊い、
絞って作った物は愛せざるをえない、
偽って拵えた物は捨ててしまえ。

人生は奇蹟ではない、軌跡である。

「層雲」大正三年九月号

ボクはスボクの歌をうとうて自分の道を歩みます。あなたも、あなたはあなたの歌をうとうてあなたの道を歩んでください。

「人生は奇蹟」ではなく、「軌跡」なのだから。

ボクからのささやかな親の方へのクリスマスプレンゼントでした。

いらないっていわれても、届けちゃうからね。すいません。

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うれしい報告

ノリ勉「算数」を終わっての感想

小5 porteさん

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?
   
喧嘩することなく最後まで勉強ができたこと
  
◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?
  
今までそばで見てきましたが、いつも喧嘩になって中断して、怒って、泣いて、話して聞かせて、時間切れ。

ストロングさんはノリノリ勉強法は1日30分と言われていましたが、それでは塾の宿題が間に合わないので1時間半、ノリノリ勉強法で実施しました。

今までは宿題を「こなすこと」に執着していたことがよくわかりました。こなしても駄目ですよね、やっぱり。

途中ぐずることもありましたが、勉強をやり通せたのははじめての経験で持っていきかたなんだなと。

次のテストは年明けにあるので、それまでノリノリ勉強法を続けてテストに臨むつもりです。
  
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

はい。今回だけはとても楽しかったです!いつまで続くのかの心配はつきませんが。

はじめて本気で褒めてやれたこと、子どもの良い点がしっかり見てとれました。

年末年始で気が抜けないようにします。ストロング先生が言われたように親が正月気分にならないように。

どうも1週間ありがとうございました。 

終わっての感想を見てみると、なにもなくうまくいったようですが、途中4日目にはグダグダになりかけもしました(≧◇≦)

30分で塾の宿題が終わらないというのは当然なのですが、90分やるならノリ勉の30分を3セットやればいい。

30分毎に成果を出して、90分。そういう勉強をすることで今までの90分よりも大きな成果を得られる。

塾に合わせて精一杯ついて行くように頑張らないといけません。塾に合わせられれば問題はない。

でも、うまく塾の課題に対応できなくなったときに、やっぱり子供の目線で「できること」「できそうなこと」から手をつける。

家庭学習をやるからには成果を出す。やった分はね。

難しいけど、かわいい我が子のことですから、しっかり見張りつつ「今日も頑張ったな!」「成果あったな!」でその日の終われるようにしていきたいものです。

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