こんにちは、ストロング宮迫です。

巷では、サッカーのワールドカップの話題で持ち切りですが、何回か、ここでワールドカップを題材に書いたので、もういいでしょ。

※この毎日親技は2018年6月21日に配信したものです

ボクがワールドカップを通じて、親技の読者に伝えたいことは、もう何年か前に書いた「初戦黒星が迷走をもたらす」だけです。

サッカーの初戦の相手は「選べない」けれど、受験校は「あなたが選べる」のだから、きちんと戦略を練って入試期を迎えるべし!それだけです。

作戦はね、練りに練ってもその時その時で状況が変わるから、いくつかのプランを持ってなくちゃならない。もっと大事なのは希望的観測でプランを作らないってことですね。

★練習(家庭学習)で、できないことは、試合(テスト)でも、できない。
★練習(家庭学習)以上のパフォーマンスは、試合(テスト)では発揮できない。
★練習(家庭学習)で、できたことも、試合(テスト)では、できない事が多々ある。

「練習で10割・試合で8割」という計算がちょうどイイ実力ですから。家で入試演習をしたら80点だったけれど、試験会場では60点だった・・・これが普通です。

親技では必須といってもいい、家庭学習で「時間を計る」のは「練習と試合」を可能な限り近づけるため。緊張感もなく家庭学習をしてたら、試験会場では持っている力の8割は発揮できない。今次々と受けているテストは誤差をできるだけ少なくするためにあるわけですから。

その上で、前回ここで、受験生にとっての6月は「倦む月」と書きました。

これは段々と切羽詰まった状況を感じてくるから出てくるんですよね。つまりようやく意識が本当の意味で「受験生になった」ということ。遅ればせながらですが、近い将来に「白か黒か」が明確につくってことがヒシヒシと身に迫ってきたんですな。

たいていは子供よりも親のほうが先に感じ始めるはずです。これ自体は特別問題でもないし、悪いことでもない。ただ真剣に考え始めた結果、倦んだり、切羽詰まってきたときにどう動くかでその後に訪れる場面は変わってくるということです。

特に「やるべきことをやっていないのに結果を求めて」しまったり、「結果が出ていないのに先のこと(上の技術)に手を伸ばそう」としたりすれば、「倦み」はさらに拡大して膿んで、秋には腐る。

ここで展開した「応用力を身につけるコツシリーズ」も、「結果が出ていないのに先のこと(上の技術)に手を伸ばそう」とする前に、今の目の前の課題ですぐできることあるんじゃないですかっていう提案でもあります。

それらを踏まえて、親技では「この時期から子供を壊す親が出始める」と警告しています。

もう1回言いますよ、「倦む」ことが問題ではなく、「倦んだ」後にどういう選択をするかが分かれ目ですからね。

現状が消化不良なのにさらに大食いを重ねれば、具合はもっと悪くなる。

そこで親技では、勉強において「親が子供の味方になる」というテーマを掲げて進んでいきます。これは親が「私は味方よ」といい立てるってことじゃもちろんない。子供にどう受け取られているのか、ですから。

ただ子供っていうのは、たとえ受験生であっても意外と無責任なんだ(*_*) それが普通なんですけどね。

「やる」と言ってやらなかったり、「頑張る」と言ってたのに漫画読んだりする。だから子供なんですよね。その無責任さを教え諭すのは親の役目の1つだと思いますが、無責任なことを言う、あるいは、する子供に「あなたは大丈夫よ」と言えないし、言っちゃいけない。

そこで「やれ!」と有無を言わせず強制するのは1つの手段です。でも、強制は反発も生む。だから、やっぱりそこには「なんでやらなきゃいけないのか?」という意味や目的や責任を話し合う必要が出てくる。成果だって少しは感じられないと、続かない。

だから親技ではもう一歩踏み込んで、実際にやらせてみて達成感を味わうまでやろうと言っているわけです。その試行錯誤をいろいろ試しながらやってるんですな。

難しいけれど、その試行錯誤の試みを楽しんでもらいたい。あっちに頭をぶつけ、こっちに頭をぶつければ、痛いけれど、やっちゃいけないことがどんどん消去されていってる、自分たちの進む道がだんだんとわかってきた・・・と感じられればサイコーです。

でも、くたびれてくると、試行錯誤するのが面倒になっちゃって「一発逆転する薬」がほしくなって、なにかにすがっちゃう。つまり思考停止状態で神頼みになる。誰かに任せて放り出したくなる。この子には無理だったんだと自分で無理やり信じようする。

そこを子供とトコトン話し合って乗り越えないと、仮に乗り越えたとしても、受験が終わって最後に「ゴールインしたのはママだった(@_@)」なんて子供からしたら見えることもしばしばだ。

受験生の家庭では、いろんな意味で親子が試される月、それが6月です。

「倦んだ」時はね、気分転換することです。気分転換経って、1年間語学留学・・・とかじゃないよ(*_*) それは逃避だからさ。

映画見てもいいし、散歩してもいいし、本を読んでもイイ。

その際、できれば「〇〇したら成績が良くなる」とか「〇〇したら合格した」なんていうんじゃない、まるで関係のないものがいいですな。勉強や受験関係のもの以外で1時間か2時間、思い悩んだ状態で無関連のものを見たとき、そこに今「倦んでいる」ことに対するヒントがあるものです。

もっといえば、違うものを見て、今の悩みのヒントを得るっていうのが、それができるっていうのが成績がイイ子の親ってもんでしょ。

もうちょっと気楽に行こうって思えるのかもしれないし、なんで「こんなこと」にこだわっていたんだろうって思えるかもしれない。それはわからないけれど、ワールドカップ見たって、受験校の決定のヒントにはなるんだから。

そうやって勉強や受験関係以外のモノを見ても、子供の勉強のことや受験のことのヒントを得るから、成績がイイ子の親は強いんだ。すべてはつながってるし、意味がある。遠くに行く必要はない。身の周りのモノを見渡して感じればイイ。

ガーガーワーワーの声じゃなく、「静かなる細き声」を聞け!

今年になってから次々と繰り返し読み返し始めた山本七平先生の著作の中から、頭から離れないものを以下に紹介しましょう。あなたにとってヒントになるかどうかはわからないけれど・・・

安心感

山本七平著『静かなる細き声』より

私はプロ野球については何も知らないが、あるとき、これを本当に学問的に分析している人に出会い、話を聞く機会があった。そして強く印象に残ったのは次のような言葉だった。

監督と選手の関係には次の二種類がある。

徹底的に厳格に選手を管理し訓練する監督の下では、選手たちはあらゆる不平不満をのぺるけれども、「これだから優勝できるんだ」といった一種の安心感と満足感を、心底ではもっている。

一方、自由放任、門限なし、各人好きなようにやれ、といったタイプの監督の下では、選手たちは一見のびのびとして楽しそうだが、常に「こんなことで大丈夫だろうか」といった不安感と不満をその心底にもっている、と。

私はそのときふと考えた。

人間はどこの場でも結局同じことではないか。そして、どちらに置かれても、本当の安心も満足もないとすれば、人間とはずいぶんやっかいな存在だなあ、と。

では、一体クリスチャンの生活とはどちらの部類に入るのだろう。

私の髪の毛の一本一本まで数えられているのなら、神さまという大変な監督の下にいることになる。そして、信仰生活という音通の人にはない訓練がある。

決して自由放任ではなく、のびのびでもない。私は、なるほど、だから安心しているのだなと思った。

と同時にこれは他人からガミガミ言われるのではなく、普通の人からみれば、すき好んで自分でやっていることになるから、実にのびのびと喜んで拘束されているという、奇妙な状態に見えるはずである。

前話で記したような、自分が出版をはじめたころの話、こういった話を、他人にしたことはほとんどない。何も秘密にする必要はないから、だれに話してもよいのだが、それは結局「意志の問題」と言った瞬間、必ず誤解されるからである。

私は決して、いわゆる、「強力な意志をもって、歯をくいしぼって、石にかじりついても……」といったような形で出版をはじめたのではない。ところがここのところが、どうもうまく説明できないのである。

説明できないだけでなく、自分の気持ちとしては、何とはなしに出来てしまったような感じであり、そう言った方が私自身にはむしろすっきりした、偽りない実情を話しているような気待ちになる。そこでそう話す。

ところがさて具体的な実施方法となると、前に記したような方法だから、「歯をくいしぼり、石にかじりついていた」ように受けとられてしまう。

すると聞いた人は、私の言葉を矛盾と受け取るか、「何となしに出来た」を一種の謙遜かテレかくしのように受け取って無視するから、私から見れば、全く誤解した状態を頭に浮かべているのである。

「意志」といえば確かに意志なのだろうが、それは私自身が一心不乱に保持していたわけでなく、何かが支えていてくれて、私自身は、まことに気楽な気分、一種、安心した状態、いわば、緊張なき状態にいたのである。

そしてその状態を言おうとすれば、「何となしに出来てしまったような感じ」としか言いようがない。

そして私は、前記のプロ野球の話を聞いたとき、「あ、この安心感だったのだな」と思った。

ただ、私の場合は監督が目に見えぬ存在で、何もかも自主的にやっているように見えるから、他人が誤解するにすぎない。

そしてこれが自分でも意識できず、ひとに説明できなかったということに、私自身大きな驚きを感じた。

「幼き日に神の名を覚えよ」というのは、おそらく、普通に受け取られている以上に大変な言葉だと思う。

この言葉は幼児にとっては、「お前は自由な人間ではなく、何もかも知っている監督の下にいるのだ」という意味にとられるであろう。昔のことを思い出すと、私も大体こう受け取っていたように思う。

上に監督がいる子供と、自分を中心に世界が動いているように思っている子供とでは、精神の形成が全く違ってきて不思議ではない。

一方は自分より偉いものはないのであり、大人になれば、人間が一番偉いものと、何の疑いもなく信じこんでしまう。その人たちが求めるのは「自由」であろう。

ただその自由は、自由放任の監督の下にいる以上の自由だから、心底の不安が増大するだけであり、これから解放されようと思えば、自分を徹底的に拘束して“しごいて”くれる独裁的な人の下にでも行く以外に方法がない。

だがそれは決して、自らの意志を支えてくれる存在だけではないから、不平不満の下に生きねばならない。

野球のように一定目的で、一定時間、限定された範囲内なら別だが、これが全人格の上に生涯つづくとなれば、人はそれに耐えられない。だがそこから逃れて自由になれば、また心底の不安に耐えられなくなる。

となると、この矛盾から逃れるため、一方では拘束されつつ、もう一方では歓楽と陶酔の中で「忘却の中の自由」を求めてパランスをとることになるであろうが、それは結局、二つの不安を増幅させているにすぎない。

そういう不幸な人を見るたびに、私は大きな感謝で幼児時代を思い「幼き日に神の名を覚えよ」という言葉の絶対性を思うのである。

紹介ついでにもう1つ、いきますね。こっち↓↓↓はこの前、電車で読んでて、にもかかわらず号泣してしまった・・・ボクのどこかのセンサーに当たったんだと思います。

帰ってきて高校生の娘にもすぐ読ませたんだけれど、「ふーーん」って感じだったから、読む人の状況や経験や精神状態によって受け取れるものは変わるんでしょう。あなたに伝わるかどうかわからないけれど。

在りし日の七平先生の姿をじっくり見たら、どうぞ!

長崎先生

山本七平著『静かなる細き声』より

はじめてその人に会ったのがいつごろのことか、はっきりしない。記憶の混濁かも知れぬが、五年たっても十年たっても、その人は同じ風貌だったように思われる。

その人が来訪されると、家の中のどこにいてもすぐそれが分かった。その人は非常に耳が遠く、そのため両親が、その人の耳許で大声を出すからであった。了解するとその人はただ静かにうなずき、低い声で答えていた。

両親の高い大声の間のその人の低い声は、本当に「静かなる細き声」という感じがした。

その人は小柄で、その細い低い柔和な声の出てくる端正な口もとの短いロひげは、私の記憶に残っている限り、はじめから白かった。

その人がどういう人なのか、長い間、私は知らなかった。耳の遠いその人に、小学生の私が気軽に話しかけるわけにいかない。

もっとも、そういうことがなくても、当時は、子供の世界と大人の世界は画然と分かれていた。そのために長い間、私にとってのその人は、両親の大声の合間に、何とも言えぬ静かな心休まる声を出す人であり、ちらりと垣間見るその姿が、不思議に人をなごやかにする人であった。

そして、そういう不思議な印象に圧倒され、何となくその声に耳をすましたのは私だけでなかった。偶然遊びに来た悪童連も、不知不識のうちにその声に耳を傾けて、いつしか静まりかえっしまうのであった。

中学二、三年のころ、家で何かの会食があった。そのとき私は、その人の前にすわった。例によって父が、その人の耳許に口をつけて、大きな声で私を紹介する。私は黙って頭を下げ、顔を上げると、その人は静かにほほ笑んで私の方を見、ちょっと頭を下げてあいさつを返してくれた。静かな、澄んだ、しかし少しも刺のない柔和な目、ちょっとねむたげな感じさえする目が印象的だった。その日にはじめて、その人が長崎先生だと知った。

そのころの家庭の暖房はもっぱら炭火だった。どこの家でも炭屋が炭を配達して来て、台所や物置の近くで、長い炭を弓鋸で適当の長さに切って行くのが普通だった。だがどういうわけかわが家には炭屋が来ない。

秋になると長崎先生の奥さんが来て、一冬中の炭の注文を受けて行く。すると丸通がそれを運んでくる。その炭を弓鋸で切るのが私の役目だった。

軍手をはめ、汚れてもよい服に着替え、鼻の穴を真っ黒にしながら炭を挽くのが、秋の日課になっていた。

と言っても私は、長崎先生夫妻と炭とが関係あることを、長い間、知らなかった。小学生の私には、先生も奥さんも、どう考えても炭屋とは結びつかなかったからである。

炭切りは気持ちのよい労働ではなかった。切りにくいだけでなく、細かい炭の粉は体のすみずみまで入りこむ。なぜ、うちだけ炭屋が来ないのか。なぜ、うちだけ自分で炭を挽かねばならないのか。

母はこの問いに答えてくれず、ただ「あなたが、ちゃんと炭を挽けぽ神さまがお喜びになります」という妙な返事が返ってくるだけであった。

これは小学生の私にも少々納得しかねる答えだったが、そういう母親の口調がなぜか非常にまじめで到底冗談とは思えず、そこにちょっと、抵抗しがたい一種の重みがあった。

それらの日々から、二十年以上の歳月が流れた。日時は憶えていない。

いつになくさびしげな顔をした母が、長崎先生が亡くなられ、その詳細を聞いた父が思わず「神さま、あまりにひどすぎます」と言い、しばらく黙然としていたと言った。

母は短くその理由を語った。先生は耳が聞こえないため、踏み切りの警報に気がつかず、そのため電車にはねられて即死された、と。

そして先生の耳が聞こえなくなったのは、小樽教会の牧師をされていたとき、廃娼運動の成果として先生のところへ逃げてきた娼婦を頑としてかくまったため、暴漢に殴打されたのが原因であった、と。

幼時から先生に接しながら、その話を聞くのははじめてであった。先生は娼婦を助けた。だがそれによって聴覚を失い、職を失い、将来を失い、ついに命を失った。そして長崎夫人もそのため、あらゆる苦労をされた。炭もその一つだった。

私には母の言葉の謎がそのときとけたのだった。暗澹たる気持ちになった。母も私も黙念としていた。心の中ではただ「そんなことがあっていいのか、そんなことがあっていいのか」という言葉が、無意味なリフレインのように繰り返されていた。

それからさらに何年かたった。外出から帰ると玄関に長崎夫人がおり、見送りに出た家内とあいさつをかわしているところだった。「ちょうどいいところへ….」ということで、ほんのニ、三分、短いあいさつをかわし、二人で、髪の白くなった長崎夫人の後姿を見送った。

不意に、自分でも予期しない言葉が私の口から出た。「年をとったら、ああいう顔になりたい」と。

言ってしまってから、何やら変なことを言ったような気がして、私はあわててつけ加えた。

「本当に、わが生涯に悔いなしという顔だ。いや、そういうことさえ考えていない….」と言いながら、顔をとやかく言うのが失礼な気持ちがし、同時に、その時の気持ちは、言葉にして口に出してはならなかったのだという気がして黙ってしまった。

だが、同じ思いだったのであろう、家内は黙ってうなずいた。そのとき不意に私は、長崎先生も、いつも、同じような顔をしておられたことに気がついた。そしてそれが、私が長崎夫人に会った最後だった。

人の生涯はさまざまであろう。外面的には、幸運な人もいようし、不運な人もいるであろう。しかし晩年になってみれば、おそらくその人の外面的な運不運に関係ないものが、一言でいえば、ふり返って生涯に何の悔いもない「恵まれた生涯か否か」が、自ずとその人に表れてくるのであろう。そしてそれは、求めれば与えられるのであり、その人の幸不幸とは結局それだけであろうと思う。

ボクも「年をとったら、七平先生のような、ああいう顔になりたい」と思っています。その道のりは遠くて長くても、その道はまだ見えないけれど・・・
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うれしい報告

中1 泉さん 

近況をご報告したくメールを送信致します。

おかげさまで良き先生、友達にも恵まれ●●中学校に楽しく通学しております。

中間試験が5月に行われ、150名中19位、社会は2位をいただくことができました。

また、例の漢字検定の課題ですが、努力して提出したところ先生から絶賛され、クラスで紹介されたそうです。検定の受検も頑張ります。

こういったことなどが、自信につながったようで、少し積極性が出てきました。

秋に文化祭が行われるのですが、クラスの責任者に推薦され、今まででしたら断るような子でしたが、今回ははりきって受ける気でおります。

最近、主人や学校のクラスのお母さん方とも話すのですが、「●●中学校に進学して良かったね」ということです。

話を聞いてみるとどのご家庭も、●●中学校なんて…と正直なところ思っていたそうです。

でも、入ってみたら意外に良い学校だったと話されていました。(学校には申し訳ないですが…)

みなさん同じように悩まれていたんだなぁと、なんだかホッとしました。

そして、ストロング宮迫先生がおっしゃったように、もし●●学校に進学していたら部活も出来なかったと思います。

実際、遠くから来られているお子さんは部活を断念されました。

ちなみに将棋部に入部しました。親としては運動系に入って、体を鍛えてほしいところですが、向き不向きもあるので(しかもヘタレな息子ですので)しょうがないかなと思っております。

いよいよ7月の初めに期末試験があります。中間試験のようには、いかないと思いますが、トップを目指して親子で努力して参ります。

良い報告が出来ますよう頑張ります。色々と大変ありがとうございました。

タイガー山中先生にも、くれぐれもよろしくお伝え下さいませ。

中学受験後の進学先で迷われた泉さん。19位、立派です!

こうやって1つ1つの叩きだした実績が子供にとって自信になる。

どういう学校に行こうが、どこにいようが、その場で懸命にやって成果を出すというのは大変なことです。

この闘いはこれから続きますが、期末テスト、頑張って!!

中1の成績の本格的な勝負は2学期からですぞ!!

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