こんにちは、ストロング宮迫です。
6月は「水の月」と習いました。ボクがパトロールしている地域ではほぼ田んぼに水を引きました。まあ、だいたい同じ時期にやるわけですよね。
いや、オレは3月に水を引いたとか、少し疲れているから8月にすることにした、、、、なんてやってたら、稲は寒さに弱いから、実りが少ないか、ないかのどちらかになる。
しんどくても、きつくても、やるべきときにやるべきことをやらねばならないというわけです。
受験も同じで、やるべき時期にやるべきことをやったほうが良いというより、実りが多いからそうするだけで。稲作りも入試ももう何代もの先人たちが繰り返しやってきた経験と知恵があるから、それができる。
受験生にとっての6月は「倦む月」とボクは思っていて、まだ入試まで時間があるわとも思えるし、まだまだこれからとも思えるんだけれど、どうもやる気も調子も出ないとか、切羽詰まった感がないとか、この先半年以上も頑張れそうにないとも思ったりする時期です。
入試期において、もっとも「逃げ出したくなる月」または「後から振り返れば逃亡が始まった月」ともいえる。
あの天才だって「みごとな論理で、ある時は、華麗な情動で、現実逃避への欲求」が高まったんだから、凡人なら何をかいわんや、です。
なかにはもう入試問題に取り組む入試演習をやったりするフライング組もいて、まるでできなくて真っ青になったりする者も出てくる。
そう、時間があるようでないようで、途方もないことができそうな期待はあるが現実は1ミリも動いていない・・・なんだか中途半端な季節なんですな。
でも、この時期はきちんと水を張って「田植え」をしとかないと、1カ月遅れれば秋の実りは惨憺たるものとなる。それはもうわかってることだから。
ゆえに親技では7月を「最終決着の月」と定めて走ってきた。「1日30分」を新たに生み出し、その「1日30分×3日間」で「1単元」を復習する試みもしてきたし、「今日の成果はなにか?」を意識して記入し「今日はこれができるようになりました」っていう確かな成果を親子で確認したり、「最終志望校は7月で決まる!」と来月の模試に向けて臨戦態勢で今臨んでる。
ただ、その時期になったから「わかりました」って、田んぼに水を引く、田植えをするってわけにいかないんだ。
田植えをするなら、田植えをする前にやっておかねばならないことがある。土作りね。たい肥をまき、土をやわらかくする。そして田んぼを耕して水を張り、しろかきをする。土の表面を平らにして水の深さを揃え、肥料を全体に行き渡らせるためです。これは子供たちが小5で習うことです。
こうすることで水捌けも均一となり、稲がムラなく生長できる条件が整う。そういう準備をしてから、あとは田植えを待つばかりとなる。
焦る者はこれからどんどんフライングしていきます。問題は何の準備も心積りもなく、フライングするから、フライングした結果は確実に惨憺たる結果を招き、その結果を見て、さらに焦り、もっとフライングしようとして、ドツボにはまるっていうのがこの時期から夏休みまでに多数出てくる事例です。
ある種の応用問題が出てくる入試演習するためには、そのための準備と作戦がいる。
入試演習をこなせるようになるための最終準備が夏休み、および夏休みの過ごし方であって、受験生にとっての今はまだそのさらに前段階の「土づくり」であって、たい肥をまき、土をやわらかくして、水を張り、土の表面を平らにして水の深さを揃え、肥料を全体に行き渡らせる時期です。
ムラなく成長できる条件を整えるのが今やるべきことでしょう。それなしにいきなり田植えなんかしてたら、現時点でアウトが確定です。
じゃあ、それは受験生にとって何ですかって言われれば「難しい問題が解けるようになった」よりも、「できる問題」「解ける問題」をどんどん増やすってことですな。
たくさん受ける模試やテストの復習や見直しだって、全問すべてやろうとしないで、まずはカンタンなものから「できる」「解ける」「最速で解ける」状態に見直しで何問できるかです。最速で解けるようになって、子供の頭の中に収まっているなら、つまり「子供にとって上がり」になっていれば、1か月後にやってもタイムは少し落ちても、必ず解ける。そういう「解ける上に上がり問題」が何問見直しや復習で増やせるか、です。
ウンウン唸って解いてもできるようにはならないのは、今の時期も秋の時期も同じだけれど、今やる「土づくり」では、いかにできる問題を確実に増やし、知っていることを確実に増やせるかが勝負です。習ってきたけれど「点」だったものをいかにつなげて「面」にしていけるか。
今必要なのは全範囲が問われる入試に向けて、どれだけ「面の面積」を増やせるか。人間だから忘れることもあるよ。特に勉強ではね。でも、忘れてても、見たら「ああ、これか!」ってすぐ思い出せるならそれでイイ。
何回もやったのに思い出せなくて、また単元の最初に返らなくちゃならない・・・これが負けパターンですから。
基本的な問題が、できる問題を増やすのはカンタンに思えるかもしれないけれど、受験生が網羅すべき単元はいかほどあるか、考えてみてください。
中学入試なら「小5で習った単元数×科目数」分があるし、高校入試なら「1年分の教科書の単元数×科目数×3年」分になる。これは基礎的な単元の数です。受験生はこれに応用が入り、さらにもう一歩進んだ複合的な入試仕様の問題が加わる。入試ではこれにまだ制限時間の要素も加わってくる。
いずれの受験生も入試に向かうなら、求められるレベルは受験校で違うけれど、必ずそこは通らないといけない道です。その道を上っていくときに「小5で習った単元」や「教科書で習った単元」をすっかり忘れていたら、「山は登れない」んだ。
偏差値も順位も志望校の判定も気にはなるし、大事じゃないとは言わないけれど、今注目すべきはそこじゃなくて、毎日毎日「できる問題」や「解ける問題」が確実に増えて、習ったのに忘れていたものを思い出す数が確実に増えているかどうか。
子供にはそこが見えないから、親が見てやらないと。「倦んでいる」子供を見て、【親の私が今子供だったら勉強する】なんて小言を言っても問題は解決しない。
「倦む月」だからこそ、親は旗を立てて、小さな目標を示し、雄たけびを上げて成果を出させろ!点を面にしていけ!
浅田次郎さんは、新選組副長助勤三番隊長斎藤一にこう言わせます。
浅田次郎著「一刀斎夢録」
・・・おぬしも軍人ならばわかるであろう。
戦場において最も心細きは、本隊から孤立しておるときじゃ。真の敵は敵兵ではのうて、おのれの内なる恐怖心じゃと言うてもよい。
ゆえに軍隊はその司令部のありかに必ず軍旗を立てる。
あなたもボクも軍人じゃないのはわかってる。でも原理は同じ。孤立させるな!旗を立てよ!
6月もあと半月。最終決着まではあとわずか。
点を無暗に打ち続けるか、点だったものをつなげて面にするか。どうしたかは秋の収穫の実りの多寡で明らかになります。