こんにちは、ストロング宮迫です。

あなたの周りでもたぶん流行ってますよね?「お前の裏の顔を暴いてやる」っていうフレーズが・・・

ウチも奥さんが「あんたの裏の顔、本当の顔をメルマガでお話ししますって言いたいわ~」って言ってくるし(-“-)

ただ我が妻は、こうも言ってましたな「あなたには暴くほど裏と表の厚みはないのよね~」ってね。

褒めてんの? 貶してんの?

中年っていうのは「おばさん」も、また「おじさん」もホント面倒くさいわ。

同感ですか?

それはすぐさま自分自身に向けられてしまうところが、やっかいなんですがね。

まあ、ハッキリとわかることは「夜、考えることにロクなことはない!」ってことじゃなかろうか。「夜」というより「深夜」っていってもイイ。

深夜に「この野郎!」って考えだすと、次の日に影響するからね。

7月7から8日にかけ、YouTubeで新たな動画を連続投稿した「ぶっ飛び一代さん」は2016年11月14日夜の出来事として、「リビングに置いてあった(夫・ズラ越英一郎さんの)バッグの中から、バイアグラが飛び出しており、それが空だった」と説明。

その時の心境について、「妻としてとても複雑でした」と語った。

↓↓↓けっこう、おもしろいよ、この本

残念ながらウチでも似たような出来事があった・・・我が妻の告白をここに正直に記しておきます。

我が妻は2017年7月7日の七夕の夜の出来事として、「出張から帰ってリビングに置いてあった夫のリュックサックの中から、スニッカーズミニの袋が飛び出しており、袋には数個のスニッカーズミニが入ったままになっていた。

折からの暑さによりスニッカーズミニはすでにドロドロになっており、一部はリュックの中にこぼれ落ちて、ネクタイとワイシャツに付着していた」と証拠があることを強調。

「あれほどチョコの食いすぎは糖尿病になるからダメだと何度もお願いしたのに、主人は言うことを聞いてくれず、隠れて食べてたんです、スニッカーズミニを」

その時の心境について、「妻として、スニッカーズミニに罪はないことは承知しておりますが、とても複雑でした」と語った。


本に書くほどは、自身はうまく邪気は払えず、運は開けず、かつ運は呼び込めなかったらしい・・・

めっちゃ忙しいのに、こんな話題を延々と書き続けるのはやめよう!

池波正太郎著『鬼平犯科帳』から我ら中年から老年に当たる者どもへの痛烈な指摘を紹介して、この話は終わりにします。

年をとってから汚れてしまったやつほど、始末におえねえものはねえ

人生は、死の前に「終わりが来る」こともあるってことですな。

さて、本題に入りましょう。相談が届いておりますのでここに採りあげます。自分ならどうするか? 自分ならどう答えるか?って観点で読んでくださいね。

小4の母さんより

お世話になりありがとうございます。●▲塾に通わせている小4の母です。

前回、4年になった子供が第1回公開模試で最難関を目指していると言いながら、とても成績が悪くてご相談させていただきました。

親も大変動揺しストロングさんのアドバイスにたいへん励まされ、公開模試対策もしながら日々取り組んでみました。

その後、第2回、第3回と成績を上げ、持ち直してきた次第です。

第3回では算、理、社とも偏差値70を超える状態になってきました。

次回第4回は9月初旬ということで夏休みをはさみ時間があくので、算数に関しては、苦手単元の復習、特訓の内容の振り返りを予定し、志望校特訓に向けて頑張ろうと思うのですが、子供のやる気がイマイチであまり進んでいません。が、なんとか親技を駆使していきたいところです。

今回の相談は、模試の回数を重ねるたびに、国語の成績がどんどん悪くなっていることです。

第1回偏差値56、第2回53、第3回54.9と小3で60後半~70あったのが不思議なくらいです。

もちろん、塾の方にも相談しましたが対応が遅く、あげく「小4の男子で国語がやばくない子はいません。」とおっしゃられて、どう捉えて良いものやら。

では、なぜ対策をしないのか?問うに至ってはおりませんが、国語担当の先生が個別に読解の問題をくださり(週読解2問程度、B4 1枚に詰まった文章量)、それの添削やアドバイスをもらうといったことを先週から始めています。

語句や文法は落としませんが、読解は選択問題も記述問題、抜き出しなどまんべんなく半々といった感じで得点できません。

解説をみると「やっぱそうやと思った。」と。

じゃあ、なんではじめからそう書かないのか?と突っ込みたくなりますが、このままで大丈夫なわけ無いやろうと思い、ご相談させていただきました。

やり方としては音読して、1段落ずつでも内容を言ってもらって、設問に答えるよう一つ一つ時間をかけてやっています。

日々割り当てられる時間も限られているので取り組み方や、今後につながる読解の勉強の仕方をアドバイスいただけるとありがたいです。

さらに、習い事と夏休みの旅行などに関しても合わせてアドバイス頂きたいです。

習い事は週2~3回、1回1時間程度ですが、やめ時がわかりません。本人は遊びの時間といって通っています。

夏休みの家族旅行、小4で最難関を目指していて行く余裕はあるのか? 何で判断すれば良いですか?

2泊3日ほど、行ったとしたら課題は持っていって旅行先でも必ずやる。

しかし、普段よりは絶対量、難題に関しても下がるので、あえてその3日間は学校の宿題を一気に片付ける日にあててしまうか?など、なにせ、行った後子供は切り替えに時間がかかるのでそのあたりを懸念すると、気がすすまなかったりする(次回公開模試の2~3週間前)のですが、来年、再来年はとても行けないだろうと考えると行っておきたい気もする。

それぞれ、各家庭の考え方や目指すところの違いもあり、他の親御さんに相談しても解決しない。夏休みの旅行、どう考えれば良いですか。

今だに日々の学習をさっと終わらせられなくて(理、社で習ってくることが嬉しくて学習中よく喋ってくれる)、それでも復テ、実テ、公開で得点できているのはいけドンシートのおかげだと感謝いたしております。

せっかく、効率良く終わらせられるのだろうからもう少し集中してさっと終わらせて、自分の時間を持ってもらいたいと思うのですが、高望みでしょうか。

どうぞよろしくお願いいたします。

対策をして「第3回では算、理、社とも偏差値70を超える状態になって」きたっていうからまずはお見事ってことでいいですかね。

最難関校を目指しているようですから、まだまだ安心もできないところですが、偏差値70ってどういう感じかは、ひとまず体感したってわけです。

国語の勉強については、何度もここでで取りあげているように

やってほしい国語の勉強法 

やってほしい国語の勉強法 その2

を読んで、その趣旨を理解して取り組んでほしいところです。今もボクは自分でも子供たちにそうしているし、今のところ、これくらいしか言葉にしてうまく伝えられないので。

相談メールを読んでみると、

子供は解説をみると「やっぱそうやと思った。」

と言うらしい。どの子供も、みんな言うな。

で、大人は思うんだ「じゃあ、はじめっからそうやれよ!」ってね。

なんでもさ、説明を聞いたら「そうだよね」って思うものです。特に「なんかよくわからん」ってなっているものに対しては、説明したら「やっぱそうだ」って感じる。

もし、その「やっぱそうだったんだ」という感覚が本当にあるんだとしたら、「最初からやれよ」じゃなく、「どうやったらそれが最初から感じられるようになるか?」って親は考えるしかない。

大人でも「よくぞ、私の気持ちをうまくいってくれた」っていうことってあるでしょ?

それを自分自身で出せるようにする訓練がいる。それは本を読むとか、語彙力とかにつながる。

以前書いたように川柳だっておススメだ。国語のセンスはこういうところから

家庭の中に国語ができるようになる要素がたくさんある家庭だってある。国語ができるようになる家庭での会話

「自然とできるようになってる」には、すべてわけがある。

でもそれは「勉強!勉強!」の雰囲気の中には生まれない。勉強はともすると作業になっちゃうからね。

塾で覚えてきなさいってことわざや語句なんかあるでしょう。子供はテストがあるから必死で覚える。でも、作業で覚えたものはすぐ忘れる。光よりも速く忘れちゃう。だって覚えたって日常生活で使わないし、日常会話にそうして覚えた語句を使おうという努力もしないから。

でも、親は言う「この子には語彙力がない」ってさ。言えば言うほど親に刺さる。

それを考えに考え抜いてやり切った先輩がすでにいる。

でも、みんな「あの子は生まれたときから天才だった」っていう。ボクはそうは思わない。

たとえば、これなんか↓↓↓

理、社で習ってくることが嬉しくて学習中よく喋ってくれる

大いに喜ぶ現象だとボクは思うけれど、「日々の学習をさっと終わらせられなくて」とか「効率良く終わらせ」たい気持ちが先走って、長所が短所に見えちゃう。

子供がさ、授業で習ったことを喋るなら、そのまま復習になる。そのまま喋らせて復習にしちゃえばいいし、口頭で確認したり、「じゃあ、その勢いでこの問題も終えちゃおう!」なんて、できないのかなあ。

もったいないでしょ。

いかに勉強と感じさせないかが親の腕の見せ所なのだから。

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習って言いたいことをだらだらとしゃべり続けて、切れ目がない、けじめがないってのはよくわるけれど、子供が喋っている時間は「勉強時間じゃないけど、勉強になってる」んだからさ。そのベラベラ喋っている時間をどう復習として組み込めるかって視点で見るべきなんじゃないか。

メールを読む限り、総じて息苦しい感じをボクは受ける。小4でこれで、あと2年半、もっといえば最難関校に行けば、プラス6年、合計8年半もこのまま頑張り続けられるのだろうか?

とにかく遊びが感じられないという感想をボクは持ちました。

みんな「ぶっ飛び一代さん」の動画見たら「こわ~い」って思いますよね? ズラ越英一郎さん、お気の毒って思うでしょ?

でも、この相談者をはじめとした最難関校志望者には「ぶっ飛び一代さん」まではいかないにしても、同じように余裕がない、遊びがない、そんな感じで、ガンガン突っ走ってる方も珍しくない。

そりゃ、目指すのは最難関校だ!ガンガン走らなきゃならないのはわかる。でも、それでこれから8年半同じペースで走れるのかどうか。よく考えてみてください。

中学受験でいえば、小4は女装だ、じゃなかった序奏だ!やってることはジョギングですよ。ジョギングで余裕がなければ、小5の100mダッシュでは心臓がはち切れる。小6は100mダッシュのインターバル走(ダッシュ→ちょび休憩)が延々と1年続くんですよ。

岩にしがみついて3分なら我慢できるけれど、1時間はムリでしょ?

いや、岩にしがみつかなきゃ、最難関校は見えてこないって親は言う。

そうなんだろうか?

岩にしがみついても、時間が経てば落ちるだけだとボクは思う。

最難関校を目指すなら、岩にしがみついて爪から血を出してガリガリ進むより、平地でさ、ハードル走みたく、越えられそうなハードルを最小限度のジャンプで走って越えていくほうが最難関校への道は見えるんじゃないか。

もし、子供が爪から血を出してでも険しい岩をガリガリ進みたい!っていうなら、話は別だ。やりたいものはやらせたらイイけどね。

糸川英夫博士

自分は勉強をしているという意識などなくて、どちらかというと偏執狂で、興味にかられて文字通りしらみつぶしに問題を解いていただけなのだけれど、結果として大変な量の勉強をしていたようだ。

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これは理想としても、こうありたいくないですか?

これに少しでも近づくように手を打ちたいってボクは思う。

担げる荷物だけ背負って走ればイイ。「そんな軽量の荷物で最高峰の登山かよ?」っていう人には言わせておけばいい。ちょっとずつ負荷を高めて走る。走り続ければ頂上には絶対着くから。

みんなが着かないのは、走るのをやめるからだ。もうこんな荷物を背負って走るのはイヤって諦める。走り続ければ誰でも着く。中学で着かなくても、高校で着くから。走り続ければね。

でも、それまでにみんな勉強がイヤってなっちゃう。

頑張っているのをボクは止める権利はないけれど、なが~く走ってほしい、それだけです。

なが~く走るには、成果もいるし、努力もいるけれど、「ハハハ」っていう笑いや「そりゃおもしろいね」っていう驚きや「やったね」という誉め言葉や「もうイヤだ」って泣きもいる。

小4の今しか、その試みはできない。小5もこの時期になれば、そんな悠長なことは言ってられないって考える人が多くなる。勉強を勉強としてしか、捉えられなくなる時期がまもなく来る。それでも走らなきゃいけない、走らせなきゃいけないってことになる。

「心を亡くす」忙しいでは、長くは走れないから。ハハハや驚きや「やったね」を短い時間で生み出すために効率を求めているだけだから。生活に潤いがなくなり、効率だけを求めるようになれば、必ずチェーンは歯車とかみ合わなくなって、はずれるから。

そうした意味で「夏休みの家族旅行、小4で最難関を目指していて行く余裕はあるのか?」は、あなた次第ですな。

余裕があるかと言われれば、誰も「ない」って答えるでしょう。

じゃあ、みんな旅行に行かないのかって問われれば、「行きます!」が半数を越えるでしょう。だって行く価値があるから、行きたいから行くんであって、行くべきか行かないべきかなんて問う意味はないから。

もし最難関校に行きたいので旅行にはいきませんとするなら、これから10年はどこにも行けないってことになる。それでいいのか、耐えられるのか。「何で判断すれば良いですか?」と言われれば、あなたの価値判断です。

100人いれば100通りの道がある。あなたはあなたの道を行きなさい。比較しようにも、あなたの家庭環境も親の考え方も子供の学力も親の接し方もまるで同じ家庭なんてないのだから。

同じことをしても違う結果が出る。なぜなら親も子供も違うからだ。

無敵の中学生・藤井聡太四段が小さい頃、遊んだおもちゃだかなんだかがバカ売れしてるって、この前聞きました。

そのおもちゃだか何だか知らないけれど、買ったら「あなたン家の子も藤井クン」になるか?

ならない!

藤井さんン家で藤井クンの親が何らかの意図をもって与えて、接したから、そのおもちゃが後々考えれば・・・ってなっただけだから。ウハウハなのは、買った人ではなく、売った人ですから。

海外に行く連中だっていくらでもいます。海外に行く連中は海外でやってる。それだけです。

いや旅行に行ったら、やる量が減るんです。じゃあ家でやっている量を旅行先で母子でやればイイ。8時間も勉強はしてないだろうから、6時に起きて11時までやれば5時間できる。飯食って12時から遊びなさい。終わったら遊び!それを身も心も体感できる旅行にすればイイ。

あらゆる機会を捉えて、失敗も含めて、どう勉強と向き合い、こなし、処理して、乗り越えていくか。

いつもの倍のスピードでやれば、半分で済む。できるかできないか。でもゴールを決めてやる勉強の威力を知ってもらいたいですな、旅行先で。

ボクが今着ているTシャツはこれ↓↓↓だ。

受験生だけど、家族行事の旅行だから夏休みには必ず行くって家だっていくらだってある。

その余裕、遊びをどう自分たちで穴をこじ開けて作っていくかが問われる。みんな時間も余裕もないから。

でも、よく仕事する人ほどよく遊ぶっていうじゃないか。なにゆえそれが可能なのか? どうしてそれができるのか?

悲壮感を漂わせている人には悲壮感漂う事件や事態が起こる。楽しそうな人には楽しそうなことが。選ぶのはあなた。

どの道もあやまりなんてない。選択と決断があるのみ。「あっちの方角がイイよ」なんて託宣を真に受けてちゃ、いつまでたっても地に足はつかないから。

そうした観点、遊びがない感じがする中で、今やっている訓練「音読して、1段落ずつでも内容を言ってもらって、設問に答えるよう一つ一つ時間をかけてやっています」がつながるなら、それを続けたらイイ。

勉強でも仕事でもね、難しい時や難題は「小分けにして処理する」っていうのが鉄則だけど、ただ国語はどうなんだろう?

国語の文章題は小分けにすればするほど、子供にはわけのわからないモノにならないのだろうか。全体がわからないのに、小分けにしてよりわかるようになるのだろうか。

第一、「音読して、1段落ずつでも内容を言ってもらって、設問に答えるよう一つ一つ時間をかけて」やるのって、子供は楽しそうにしてるの?

しているのなら、そのままやればイイ。

でも、もし作業みたいに、ロボットみたいにやるのはね、身にならないこともしばしばだ。

さっき「よくぞ、私の気持ちをうまくいってくれた」って経験があるでしょ?って問うたけれど、国語も全部自分で絞り出して答えなきゃいけないってわけじゃない。

だって選択問題の中に、その文章の読解のカギを握る「正解」だってあるわけでしょ?

どれが正解かはわからないにしても、出題者が「どう読ませたいか?」っていう意図は選択肢の中にヒントとしてあるんだ。つまり、宝があることはわかってる。

その中からホンモノの宝を探す作業が国語です。

ゲームなんですよ、腹の探り合いの。「お前さ、実はこういうこと言わせたいんでしょ?」それを探るゲーム。

「あなたは何が言いたいのか?」じゃないよ。私にどういわせたいのかを考える。

やってほしい国語の勉強法 その2の中で「考え抜いて、解答に至る根拠が明確になるまで答えを決めない」という勉強をした方の事例を取りあげて、これが国語には最適の勉強であると書いたけれど、いくら説明を聞いたって、主体的に己が「解答は本文にある。その根拠はどこだ?」って気持ちで読んで取り組まない限り、「読解は選択問題も記述問題、抜き出しなどまんべんなく半々と言った感じ」の結果になる。

すでに、国語の抜き出し問題をボクは読解には含めないということもここで5月に書いた。

算数でも理科でも社会でも、全部問題文を読んで根拠をもって答えてるはずだ。国語も同じ。国語こそは論理的な科目だから。なんとなく答えはこれだな!なんてことにはならない。

ただ「考え抜いて、解答に至る根拠が明確になるまで答えを決めない」という勉強法は、テスト中にはまずできないし、日々の生活においても週間単位でテストがある中学入試の受験生にそんな時間はないと多くの人は言うか、思うだろう。

だからといって、ひたすら問題数をこなしても、読解はできるようにならないというのがボクの見立てなんです。

子供は「大人になって、こう答えてほしんでしょ」って答えを見つけなきゃいけない。だから、国語の読解は子供が背伸びしてやるゲームともいえる。

解答は本文にあるから、答えるときは根拠を本文に求めて答えようね!

この姿勢がない限り、この姿勢を身につけない限り、正解と不正解が半々になるのは必定だ。だってそれはクジを引くのと同じだもの。当たるも八卦、当たらぬも八卦の世界になっちゃう。

でも、少なくとも記述も選択肢選びも、出題者が「これを選んでほしい」という答えがあらかじめある。その根拠を探す宝探しの旅だから。

その宝探しの旅なんだよ!って姿勢を完ぺきでなくても、まずは養成するところから国語の勉強は始まる。だから、まずは文章題一題を時間をかけて取り組む。できれば親も一緒に解くと、意見を交換し合えるからなおよし。

「ここにこう書いてるじゃん!」「いや、でもここにはこう書いてあるよ!」その意見交換こそが「根拠をもって解くという姿勢」を身につけることにつながる。

読み手の意見なんか聞いちゃいないんだから。だから自分で答えを生み出す必要はない。

よくあるのは親は答えを見ながら、なんちゃって解説をするんだな。ダメなんですよ、解説しても。「やっぱそうだった」ってことしかそれじゃ引き出せないから。

小4でも十分に難しい文章を読まなきゃいけないけれど、小5や小6になったら、大人が読む文章と変わらない。その上長い。かつ制限時間だってあるんだ、テストは。

その制限時間があるテストで可能な限り根拠を求めて解くためには、その前段階の「答えは本文にあり、選択肢には答えが隠されている」って感覚を今のうちに覚えなきゃいけない。家庭学習でね。

塾で授業を受けるときには、自分が考えた根拠と先生が解説する根拠のどこが違うのかを答え合わせするだけだから。解説聞いて「わかった気になっても」その次は解けない。

1000問の文章題を解いたって、根拠を求めて解くという姿勢がない限り、成績は乱高下する。出題される文章題との相性で偏差値は大きく変わってくる。

逆に根拠を求めて解くっていう姿勢ができていれば、国語こそ安定して得点できる科目になりうる。それも他の教科に比べてそんなにたくさんの時間をかけなくてもね。

そうなるためには今、入りの部分で本文中や設問に解答のヒントがあるって視点で文章を読まなきゃいけない。誤解を恐れずに言えば、何を書いているのかよくわからないけれど、出題者の意図が設問を見てわかれば正解にだってたどり着けるのが国語だ。

ちょうど今手元に本郷中学校の平成28年度入学試験問題があって、公開もされているようなので、ボクもまだ本文を読んでいないので、実例として少し取り挙げてみましょう。

これはボクが子供たちにもよくやらせるんだけれど、問題文は読ませない。で、「設問だけ見て、答えよ!」ってやるの。

「できるわけないよ!」っていうのが子供の第一声ね。そして、これなら間違えても怒られやしないなって思えたら、子供はやる。

だって、おもしろいじゃない。入試問題を問題文を読まずに解け!なんてさ。なんかこの技を取得したら、国語の天才になっちゃう感じもするしさ。そう思えたら、第一歩はOK!

ボクだったらこういう「ええか!これは本郷中学の問題や。四谷大塚の偏差値でいったら59な。今のお前にはチト足りないがやっつけちゃえよ。舐めてかかって、問題文も読まずに答えを出せ!答えを出すときには、人として【真っ当である】と思えるものを真剣に考えて選べ」とかいうね。

「お前が大人だったら、こういうことがちゃんとわかっている人がイイなあって思える答えを選びなさい」と。

あなたもやってみてよ。間違ってもイイんだからさ。でも、国語で求められているものが何なのか?

実際にやってみましょう。あなたなりにじっくり考えて選んでください。

いくよ!

傍線2「はじめにそういう考えを抱く理由は人間にはありません」と筆者は述べていますが、なぜそのように言えるのですか。その理由として最も適当なものを次のア~エの中から一つ選び、記号で答えなさい。

ア、人それぞれ考え方は異なり、『幸福』と感じる内容も当然それぞれ違いがあるため、「お金持ちになること」だけが、誰もが考える幸せであるとは言えないものだから。

イ、人は幼少期から青年期を経て大人へ成長するものであり、まずは社会的な評価を得てから立派な、よい人間になりたいと思うのがほぼ自然だと言えるものだから。

ウ、人は誰しも立派な、よい人間になりたいと望むわけではなく、社会的に一定の評価を得た人間だけがそのようになりたいと考え、大人へと成長するものだから。

エ、人は成長段階で基本的に「自己認識」の絶頂期とも言える青年期を迎え、立派な、よい人間になりたいと望んだ後に様々な挫折等を経験し、成長するものだから。

問題文を読まずに解こうって言うんだ。設問をまずはしっかり読む!じっくり読む。

「はじめにそういう考えを抱く理由は人間にはありません」なぜそのように言えるのですか

ハイ、答えは?

ここに学校が公開している答えがあるけれど、すぐ見ないでさ、本当にその答えでいいか、もう1回よく考えてみてください。

この問題、本文を読んで真剣に解いた受験生の正答率は69%【正解275名/受験者398名】となってる。

この問題は本文を読まなくても正解できる問題だとボクは思っています。誤解しないくださいね、本文なんか読まなくてもイイなんて言ってるわけじゃないから。

中学入試及び高校入試の国語で求められている価値観といおうか、求められている【真っ当な意見】といおうか、基本的な人間理解の枠組みといおうか、そういう一定の枠組みの中で問題は問われているんですよってことを提示したいだけだから。

人は山あり谷ありで、さまざまな経験をしてより良くなっていく、池波正太郎著『鬼平犯科帳』にあったように「年をとってから汚れてしまったやつほど、始末におえねえものはねえ」っていう至極真っ当な論理を求めてるだけだから。

答え合わせは自分でしてくださいね。もし、これを間違うようだと、国語力がないというのではなく、入試国語で求められていることを勘違いしているのでは?と自身を疑ってみてもイイでしょう。もしくは設問をきちんと読み取れていない可能性もある。

「はじめにそういう考えを抱く理由は人間にはありません」ここに答えの大半が書いてあるようなもんです。

答えは「エ」だ。

問題選択の場合は、消去法で2つ消して、残り2つで考えるが、この問題は最初に消去法で3つが消えてしまうボーナス問題だ。

間違った人は、もう1回言うよ、設問を改めてもう1回読んで考えてみてほしい。まあ、でも国語は答えを聞いちゃうと、もう考えられなくなる。「やっぱエだよなあ」ってなっちゃうから。

だから、国語は答えを見たときはもう復習が終わりになると思ってなくちゃいけません。

ここでこれを書く前に、小学生にも中学生にもやらせたが、全員問題文を読まずに正解した。国語がよくできる子供は本文を読まずとも間違わない。読んだら確信をもって「え」と答える。

国語が苦手な子供は本文を読むと、たぶん迷う。「エ」だと思うけど・・・違うかなあとかね。

今度は小説だ。

傍線1『仲間に入れてもらおうか』とありますが、「健吾」がそのように思ったのはなぜですか。その説明として最も適当なものを次のア~エの中から一つ選び、記号で答えなさい。

ア、子供たちとサッカーを楽しむことにおいては、自分も若者には負けないと思ったから。

イ、サッカーコーチとしての仕事を充実させるために、若者の技術を学びたいと思ったから。

ウ、子供たちが無断で練習を休んだ理由を若者が知っているのではないかと思ったから。

エ、子供たちと若者がとても楽しそうにサッカーをしているのをうらやましいと思ったから。

ハイ、答えは?

もうこの設問読んだだけで、いろいろとわかることってありますよね?

「健吾」はたぶん「サッカーコーチ」でそこに通う生徒が「無断で練習を休んで」悩んでいるのかな? 情景も浮かんでくるくらい親切な設問だ。問題文を読んでいれば、さらによくわかるだろう。

この問題、本文を読んで解いた受験生の正答率は79%【正解315名/受験者398名】。これはもう即答レベルでしょ?

こんなふうに、すべての問題ってわけにはいかないが、求められていることって設問を読んだだけでも、わかることもある。こうした設問だけ読んでもわかる問題を落とすと国語の成績は乱高下するようになります。

答えは書かない。じっくり考えて、なぜそれを選んだのかを考えて答えるべし!答えはここにあるが、見るんじゃないよ!

最後の問題です。チョビ難しいよ。

傍線5『他者の視線は無を分泌する』とありますが、このサルトルの言葉を筆者はどのように解釈していますか。次のア~エの中から最も適当なものを一つ選び、記号で答えなさい

ア、他者の視線によって、私たちは動物は持たない人間的な感情を失うようになる。

イ、他者の視線によって、時に私たちは自己というものを認める感覚を持てなくなる。

ウ、他者の視線によって、私たちは緊張してしまい、普段通りに行動できなくなる。

エ、他者の視線によって、日々私たちは自尊心というものを大いにくすぐられる。

なんで難しいか?

そりゃあ「このサルトルの言葉を筆者はどのように解釈していますか」ってあるからね。本文読まないで筆者の主張はわからないですわ。

それでもあえて『他者の視線は無を分泌する』ってどういうことかを考えてみる。

ボクは消去法で、「ア」と「ウ」は消した。「イ」と「エ」で迷う。あなたはどうか?

まあ、解説してたら、国語は野暮になる。自分で考え抜くに限る。『無を分泌する』とかいかに? 子供には必要なら「分泌する」の意味を教えてやればイイ。

分泌(ぶんぴ又はぶんぴつ)とは一般に細胞が代謝産物を排出すること。

この程度でよろしい。

「排出する」つまり「他者の視線によって、無を排出する」ってわけだ。となると、答えは「エ」かなあ。でもエの「自尊心というものをくすぐられる」というのは「排出」すると同義か?

「無を排出する」つまり「ないものを出す」さてこれはいかに?

先に「音読して、1段落ずつでも内容を言ってもらって、設問に答えるよう一つ一つ時間をかけて」やることについて、疑念があると書きましたが、ボクは本文を何度も読んだり、小分けして解釈して読むっていうより、

設問をじっくり読む、小分けして読むことで解答に近づく

だから、小分けにするなら、本文じゃなくて、設問のほうなんじゃないかって思っています。

最後の問題もこうして問題文を読まずに設問を吟味した上で、本文を読むと、おそらくサクッて答えが選べると思います(自分はやっていないので想像です)。

中学入試の問題文はね、大人が読んでも難しいよ。子供より語彙力と経験がある大人なら対処できるけれど、子供が子供のままなら難しく感じて当然だ。

そのとき、本文を読みに読んで読み解いて正解に近づくか、ボクみたいに設問を小分けにして、それをヒントに正解に近づくか。

本文を3回読むくらいなら、設問を3回読んだほうが正解には近づくんじゃないか。それくらい設問には、どう読んでもらいたいかのヒントが満載だと思っています。

おそらくここまで読み切った人はそう多くないだろうから、ここまでたどり着いた人はダメもとで試してみてください。

国語はさ、宝探しの単なるゲームだから。
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うれしい報告

成績上がったよ(^_^)報告

小4 麦わらさん

5月の中頃に「公開・実力対策」DVDを購入しました。毎回メルマガ「新・勉強の常識」をかなり真剣にありがたく読ませていただいております。

小4の娘ですが、春休みから塾に通わせ始めました。約2ヶ月に1度の割合でいくつかの単元が習得できているかの確認テストが行われています。

その確認テストの結果、娘は2教科では塾内で1番でした!前回も10番以内ではありましたが、手応えが違いました。あのDVDを拝見し日々のメルマガの内容とでとにかく今回のテストに対しては私自身が変わったので何をすべきか、とてもクリアでした。

本当にありがとうございます。結果もさることながら、親がやってあげられることがこういった種類の「技」だったなんて。。。

数ヶ月前の私からは考えられません。本当に出会えて良かったです。

メルマガの内容を読み込んでいただいているのが、なによりうれしいですな。

「手ごたえ」そうなんですよねえ、上がるときというのは、手ごたえが、前兆が必ずある。

しけた感じでやっていたら、グンと上がった!なんてことはないんですねえ。

引き続き、2度連続で1位を取る!そこで本物になるし、お子さんもイイ意味でのプライドも出るでしょう。ファイト!

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