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こんにちは、ストロング宮迫です。

土曜日から家族が泊まりがけで出払って、家の中がガランと、ボクは一人。ガキがいると常に喧しい家の中も、いなくなると、寂しくなるもんですなあ、やっぱり。

レンジでチンしてご飯食べたあとに、なにげにテレビをつけたら

親は絶えず子供の犠牲になる。それは永遠に繰り返される・・・

なんていうフレーズがバーンと耳に入ってきて、気になってそのままテレビを見たのでした。

ドラマが終了したあとで調べてみましたら、テレビでやっていたのは、松本清張原作・向田邦子脚本のフジテレビの「駅路」でした。

ヤフーのサイトによれば、ドラマをこんな風に紹介しています。

親は絶えず子供の犠牲になる。それは永遠に繰り返される。

人生の終着駅が見え始めたとき、耐え忍んできた人生から解放されたい。家庭や子供を捨て、自分の為だけに自分の好きな人と好きな場所で余生を過ごしたい。

そんな一度は誰もが思い描く夢を実行した男の”悲劇”の真相を追いながら、刑事は自らも残された人生に問いかけていきます。

犠牲・・・「親は子供の犠牲になっている」という発想をしたことがなかったボクは家にだれもいなかったことも相まって、ながく長くこのフレーズについて考え込んでしまったのでありました。

ドラマの中では、ボクの記憶では、親が子供の犠牲になる繰り返しが続いたら

芸術やなにかを創造することをいったい誰がやるのか?

と画家のゴーギャンという人について書かれたものをベースに主人公に言わせる場面があったように思います。

ポール・ゴーギャン『海辺II』1887年

ゴーギャンという画家について、知識のないボクは、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で「ゴーギャン」を検索してみました。

ポール・ゴーギャン『自画像』1903年 バーゼル市立美術館

そこには「家庭からの解放」や「親は絶えず子供の犠牲になる」などの記述は特になかったのですが、そこには、

西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに渡ったのは1891年4月のことであった。

しかし、タヒチさえも彼が夢に見ていた楽園ではすでになかった。

タヒチで貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し1893年フランスに戻る。叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えるが、絵は売れなかった。

一度捨てた妻子にふたたび受け入れられるはずもなく、同棲していた女性にも逃げられ、パリに居場所を失ったゴーギャンは、1895年にはふたたびタヒチに渡航した。

タヒチに戻っては来たものの、相変わらずの貧困と病苦に加え、妻との文通も途絶えたゴーギャンは希望を失い、死を決意した。

こうして1897年、貧困と絶望のなかで、遺書代わりに畢生の大作『われわれはどこから来たのかわれわれは何者かわれわれはどこへ行くのか』を仕上げた。

しかし自殺は未遂に終わる。最晩年の1901年にはさらに辺鄙なマルキーズ諸島に渡り、地域の政治論争に関わったりもしていたが、1903年に死去した。



死後、西洋と西洋絵画に深い問いを投げかける彼の孤高の作品群は、次第に名声と尊敬を獲得するようになる。


ポール・ゴーギャン『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』1897-1898年 ボストン美術館

ゴーギャンは、「子供の犠牲」にならず、創造を行い、一流の仲間入りを死後に果たしたということなんでしょうか?

生き方の問題ですから、他人がとやかく言う資格はない。才能ある画家が全てを投げ打って、絵を描く。その絵が後世に残る。立派なことです。ある種の才能に恵まれた人は、そうする義務があるのかもしれません。

ただ凡人のボクにはわからないなあ・・・

ボクには、ゴーギャンの「すばらしい絵」よりも「一度捨てた妻子」の行方のほうが気になったりするんですなあ。

ポール・ゴーギャン『タヒチの女(浜辺にて)』1891年 オルセー美術館

死後、名声と尊敬を獲得した「父」を見て、子供はどう思ったんだろうか?

恨んだのか? それとも、誇りに思ったのか? 名声と尊敬を獲得した「父」を知らずに亡くなったのか? 孫はいたのか?

捨てられた妻は捨てられてもなお元の夫の才能を信じ、同じ夢を見たのか? それとも恨んだのか? 再婚したのか? その後、幸せに暮らしたのか?

ゴーギャンの伝記を読まなくちゃならなくなりそうですね。

今の時代の常識や尺度で当時の出来事を解釈しても、見当違いなことになるのは承知で、あえて書いてみると・・・

親は絶えず子供の犠牲になる。それは永遠に繰り返される。

そう考えるとするなら、毎日の日常生活は辛いだろうなあ・・・と。

「なにかを耐えに耐え、耐え忍んだ先に花が咲く」という考え方で生きていくと、たいていは不幸や辛い人生が待っているとしかボクには思えないんです。

今が楽しくなくて、楽しめていないのに、頑張った先で楽しめるとは思えないんです。

これまでたくさんの「人生をリセットしたい人」に出会ってきました。

ゴーギャンみたいに実際に「リセットに踏み切った人」も「踏み切れなかった人」もいたけど、いずれにしても幸せそうには見えなかった。まあ、幸せの定義にもよりますが。あくまでもボクの独断と偏見の見方からです。

話し合ってもみました。「人生リセット君」が不幸せそうなのはなぜか?

これはあくまでもボクの仮説ですが、「人生リセット君」達は常に今、目の前のリセットしたい事態や状況を「楽しむ努力」をしないからじゃないか

耐え忍ぶんじゃなくて、楽しむ、それが無理なら楽しもうとする。

そんなことはできないという事態や状況というものが世の中にはあるのかもしれません。そんな努力をくだらないと思えるありあまる才能というものがあるのかもしれません。

でも、大事なのは「この先」じゃなく、「今」なんじゃないかと。

ドラマを見て、いろいろと考えさせてもらいました。見たことがない方は、再放送なんかがあるのかどうかわかりませんが、機会があったら見てみてください。

ドラマでは、

親は絶えず子供の犠牲になる。それは永遠に繰り返される。

でしたが、ボクにとっては、

親は絶えず子供から学びを得る。それは永遠に繰り返される。

ちょっとかっこつけすぎかな!?
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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

小5ぷぅさん

購入するかどうか迷った1年でした。受験の年になり、もう迷ってる時間はないと思い、おもいきって購入しました。

毎回のメルマガを読んで、一応は理解はしていたつもりでしたが、まだまだ私自身ができていないことだらけだなと反省させられることが多かったです。

ついつい忘れがちな鉄則を手元に置いて、頑張っていこうと思います。

小5hanaさん

メルマガはもう3年以上読んでいて、頭ではわかっているつもりでしたが・・・

とにかくこれから実践あるのみ。自分が怠けそうになったら、この本を何度も読み返し、みなさんの報告をはげみにがんばり続けたいと思っています。

「理解したつもり・・・」は子供のテストと一緒で点数が取れなかったり、できるはずが取れなかったり、点数が乱高下したり・・・

どうすべきかの答えはもう決まっています。それを我が子にどうしていくか。

子供は勉強を頑張る!親は子供が勉強を頑張れる環境を整えることに頑張る!

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