こんにちは、ストロング宮迫です。
高校入試に子供たちがどんどん出撃して行ってます。出撃したらちゃんと帰ってくるんやぞ!
うまいこといくこともあるし、ちょびマズイことになる場合もある。いろいろあるけれど、帰ってきてまたいくつか反省して出直せばイイ。何回でもね。
戦争だったら、ちょびマズイことになったら帰ってこれないんだからね。入試は一発勝負で決まるけれど、人生は一発勝負で決まらないんだから。
繰り返し紹介しているけれど
柴田錬三郎が後藤又兵衛に言わせた
一勝一敗は、兵家のならい、なんのふしぎがおわそう。今日負けたら、明日勝てばよろしかろう。敗北を、おのがよきいましめとして、次のたたかいに、いかにして勝とうかと分別するが、肝要と申すもの。
たった一度、負けただけで、坊主になるなどとは、武将として、あまりにも、粗忽でござろう。負ける度に、頭を剃りこぼって居れば、死ぬまで、髪毛が長くなり申すまい。
柴田錬三郎著『真田幸村』
の言葉を心しておいてほしい。
「一勝一敗は受験生のならい」なんの不思議もない。
数日前に母子が心中したらしいというニュースを見ました。2月の中旬に高校入試があったけど、インフルエンザのためうまく力が発揮できずに母子で悩んでいたとか。すでに私立高校は合格しており、インフルエンザで力を発揮できなかった入試の合格発表はまだ出ていなかったそうだけど。
入試はダメだったら、そりゃあ悲しいの。
ボクなんて大学入試は現役から二浪まで3年間で20連敗も更新し続けて1つの勝ち星もなく、頭を剃るどころか、髪の毛が生えてもこない、毛なんて抜けてなくなってた。
厚かましい性格でも、やっぱりそれは堪える。勉強してないだろとか受験校の設定の仕方が間違ってるといわれても仕方がないけれど、当事者はそんなの気づいてないからね。出口のない迷路に入っているようなもんなんです。
親も勉強のやり方や出願する学校のことを気にすりゃいいんだけど、迷路に入っている親はそういうとき【何でも見えるらしい】霊媒師の人のところに連れて行ったりするんです(>_<)
そこじゃないだろ\(^o^)/っていうね
そしたら霊媒師もいい加減なのがいるから
「この子には光り輝く星が見える」
とか言うんですよ。
「イイ星に生まれてる。来年の入試は間違いなし!」とかさ。
どこの星だよ!その星は!(;`O´)o
でもね、出口のない迷路に入ってる親は「よっしゃー!」ってなるの。そうじゃないだろ!ってならないんです。
普通はもっと勉強させろよとかなるんだけど子供の現実は見ずに「来年は大丈夫」って言葉だけを信じてる。当然予言はハズれる。あれれ・・・って。
普通はそこで気づくんだけど、もう1回霊媒師のところに行ったりするんです。何回気づくチャンスを逃すんだー!
【有能な】霊媒師はね、言ってもらいたいことをいう能力が優れてるから、ボクを見ていうんです。
「ムムム、見えたー!こやつは大器晩成じゃ!」とかさ。
真顔で盛り上げてくれるんです。ワーイ、いいねえ、大器晩成か。ナットク!ボクはあとからガンガン盛り返していくタイプらしい、フフフ。
さすがに20連敗も更新し続けた頃には【よく当たる】霊媒師のところには連れていかれなくなっていたけれどね。親は、もうそんなとこ行ったのなんてもう覚えてもいない。
でも、ボクは英単語はまるで覚えられないけれど、霊媒師の顔はよく覚えているし、行った場所もよーく覚えているし、言われたことも脳のひだに刻み付けてる。
だから、数年して車の免許取った時に行ってみたんです、霊媒師のところにね。そしたら更地になってて、近所で聞いたら火事になって焼けちゃったって言ってました。
自分ん家の火事はどうも「見えなかった」らしいね。まあ、でも言われたことは覚えてますよ、「ボクは大器晩成型」。
もう50歳になるけど、晩成っていうのはもう少しあとになるのかな…(;_;)
ボクが出会った霊媒師は出口を教えてくれなかったけれど、でも出口は見つかる、もがいていればね。出口は最初からちゃんとあるんだから。自分で勝手に迷路で駄々こねていただけだからさ。
泣いても涙はいつか涸れるし、悲しくても腹は減るし、生きていれば気づくこともある。「オレは大器晩成型だから頑張ってみるか」なんて思うこともあるし。
そうやってまたしんどいけど出撃したら、だんだんとわかってくる。
子供たちはトーナメント方式で戦ってるから、その日の勝負がすべてになりやすいけれど、人生はリーグ戦ってことは大人は知ってるはずです。
それが親がいつの間にか子供のトーナメント思考になっちゃっうと、その日の勝負がすべて、これで決まる!なんて思いつめちゃう。亡くなった母子のお母さんは「教育に並々ならぬ熱意と愛情を注いでいた」とニュースで言っているのを聞いてせつなくなりました。
「インフルエンザだったんだから仕方ないよ」ってインフルエンザのせいにすればよかったのに・・・
どこかの霊媒師に頼ったら「ムムム、見えたー!こやつは大器晩成じゃ!」なんて言ってくれてひとまず安心できたかも・・・
どこの家でも心中した母子みたいなことは起こりうるんだけれど、ボクの家が母子心中に結果としてならなかったのはオフクロが困ったときに霊媒師に頼ったからじゃないかとも思えるんです。
だって頼るところ、間違ってますよね?
でも、間違ってたから、思いつめなくてもよかったとは言えないか?
「イイ星に生まれてる。来年の入試は間違いなし!」とか「ムムム、見えたー!こやつは大器晩成じゃ!」とか言われたから、20何連敗かしてもボクの首を絞めなかったんじゃないだろうか。
この子は、のちに後方からまくって差し切る!(はずだ)、霊媒師が言ってたしとかさ。
問題はそのまくり始める「後方」がいつなのかってことになるけれど、すぐまくってこなくても、もう少しあとだ、もう少しの辛抱だとか思ってたんじゃなかろうか。
で、待ってたら、そのうち自分も年をとって、子供のボクがいつまくり始めるのかについての興味を失ってしまった・・・のではなかろうか。
そのボクも、綾小路きみまろじゃないけれど「登り切ってもいないのに下り坂」の年になってしまった(>_<)
島津日新公の『いろは歌』47首の中に「楽も苦も時過ぎぬれば跡もなし」というのがあります。
「並々ならぬ熱意と愛情」を持っているがゆえにいっぱいいっぱいになっている親の方には昨年亡くなった漫画家の水木しげるさんの言葉を贈りたい。
敬愛する水木しげる先生がこの世を通過された pic.twitter.com/o2OtlDM6o4
— sonoco (@sonocco) 2015年11月30日
「思へばこの世は常の住み家にあらず。化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」です。
もうちょっとお気楽にやってもイイんですよ。死を考えるほど思いつめるこたーないよ、受験ごときで。
ぜひ頭に入れておいてほしいのは、受験や勉強は「死を考えるほど思いつめる」と、かえってうまくいかないんです。
たかが受験だけれど、されど受験なんで、真剣に考えて取り組まないともちろんダメなんだけれど、死を考えるほど思いつめたら袋小路に入っちゃう。
なんでかっていうと、思いつめたら「もっともっと!」になりやすいからです。もっと勉強するべきだとかもっと勉強をさせるべきだとかね。
「もっと」たくさん勉強をってなったら、勉強時間を長くする。勉強時間が長くなったら、どうしたって難しいことを無理してやるようになる。
基本的に子供が「したくないなあ」って思っていることを親が思いつめて、勉強時間を長くして難しいことを無理してやらせると親も子もストレスが溜まるんです。バトルになるでしょ。
親子バトルになると、思いつめて作った「やるべきだ」で途方もなく膨れ上がった親の「To do リスト」がより一層、未消化になる。
どんどん未消化になるようにしているのに、結果、当然未消化になるから俄然ストレスが溜まるんです。
人の身体は無限にストレスを貯蔵はできない。どっかで噴き出すことになる。我慢弱い人はすぐに身体のどこかから症状としてそれが出てくるけど、我慢強い人は極限まで耐えちゃう。
ストレスを貯蔵しまくっている人が子供を怒ると余計な、言わなくてもいいようなことを言いまくってしまうんです。出ちゃう。親子の溝はさらに深まる。溝が深まればいうことは聞かないよ。
聞かないけれど、「To do リスト」は作ってるから、やらさないといけない、けどやらないので暴発。
挙句はその余計なことを言いまくってしまったことを後悔して、今度は自分も責めてストレスが溜まる。自分も責めているから、返す刀で子供も責める。もう総攻撃だ。
それらで溜まったストレスをなんとかすでにストレス満タンの身体の貯蔵庫に入れようとするんだけど、収まりきらなくてまた腹が立つ。またその気持ちは誰も共有してくれないしね。無限ループよ。
そういう人は「この世は常の住み家にあらず」なんだから「この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要はないよ」なんです。
でも、これはみんなには言えないんです。「もっと真面目に気張れよ」って言わなければならない親もいるんです。
気張る必要がある親なのに、逆になーにも考えないで「テイク イット イーズィー」って言ってるならまだ許せるけれど、イイ発音で「テイキット イーズィー」なんて言われたら「お前、もっと気張れよ」ってなっちゃう。
自分たちはこうだったからってアドバイスしても、真逆の解釈が成り立つし、同じことを言ってもまるで違う把握をされる場合が多々あるのは皆さんもすでにご経験されているでしょう。
みんなに当てはまるのは、受験や勉強は「死を考えるほど思いつめる」と、かえってうまくいかないってこと。「テイキット イーズィー」が王道です。
「もっともっと!」で推し進めていくのは子供自身に自覚があり、目標が出てきたからでも遅くない。
最初の親の引っ張る力が強くないと走れないときは、「もっともっと」じゃなく、どれだけ勉強時間を少なくできるかに力点を置くことです。
「こんなに勉強して○だった!」より「これだけだったのに○だった!」が出発点。
いかに少なく、少しの努力で成果を出すか? これなしに最初から「もっともっと!」は息切れする。
少なくて、少しの努力で成果を出すには工夫がいる。宿題50問全部しなくても、そのうち10問やればあとの40問の問題ができるようにならないかって考えてみるんです。
「50問やれ!」より「10問だけしよ!」のほうが子供も頑張りやすくなる。子供に食いつかせなきゃ、始まらない。
親は宿題を「50問やれ!」っていうほうがラクなんです。子供はタイヘン。
でも、「10問だけしよ!」は子供はラクだけれど、親はタイヘンなんです。だって10問だけやってあとの40問をやらないでどうやって成果を出すかを考えないといけないから。
みんなが間違うのは「10問だけしよ!」って言って、テスト受けたら50問出て、やった10問しかできずに20点だった!でも、それでいいんでしょ?って思っていること。
10問勉強してテストにその10問が出て、それができたらOKなんですよ、子供にはグッジョブっていう。
でも、親はその10問だけしかできなかったことは受け止めて考えなくちゃならない。
数字がわかっているだけで同じ問題、聞かれ方が逆になっているだけの問題ができないのはなぜか?
子供に「どうしてできないの?」と言っても仕方がない。違う問題に見えてるんだから。だから親自身が「この子はどうして同じ問題と見えなかったんだろうか」と考える材料を与えられたと考える。そのことを親技って言ってるんです。
「10問だけしよ!」だから20点でイイ!なんて親技では思ってもいない。「10問だけしよ!」で、その10問でどれだけ膨らませて展開できるかを考えるのが親技です。
その考える時間、プラスアルファの時間は親の時間です。親のプラスアルファの時間があるから、子供の勉強時間が少なくできる。
子供の勉強時間を少なくできたら、子供はうれしいし、勉強以外にもできることが出てくるし、短い勉強時間だからこそ子供は頑張れる。それに成果が出れば、余計頑張れるようになる。
生活のすべての時間をつぎ込んで偏差値70出ました!それを望む人はそうすればいいけれど、親技では親のプラスアルファの時間を使って、今よりも少ない勉強時間で同じ偏差値70を出しませんかって提案してる。
死を考えるほど思いつめたら遊びがないから、工夫が生まれにくくなる。10問だけやって残りの40問はやらないで「できるようにする」には必ず工夫がいります。
【50問やる】=【10問だけやる+工夫】
これが成り立たないかなあって考えてみることです。
いきなりは無理だけど、
【40問やる】=【20問だけやる+工夫】
これならどうかとかさ。
【10問だけやる+工夫】だけだと、100点は無理だけど70点は獲れるでもイイ。言葉でいえばそれは優先順位だ。問題レベルの選択だし、問題量の把握だ。
ちょびの努力で最大の成果を得られないか。
そのために必要なものは何か。
やるべきものは何か。
繰り返すべきものは何か。
少しだけ考えれば、あなたの考えがあっているか間違っているかすぐ結果でわかります。
授業をちゃんと聞いてきて、お土産を持って帰れる子供はこれらがすぐできる可能性が高い。家で「1」からのスタートにならないから。
その授業でもお土産を持って帰るという行為も、出発点はいかに「ちょびの努力で最大の成果を得るか」につながる。
授業をいい加減に聞いて帰って、家できっちりやろうとすれば時間はいくらあっても足りない。受験生になればなおさらだ。だから授業は大事。
勉強の効率を上げる意味でも授業をガブ食いできると、家での勉強時間は少なくできる。その思考を展開するためにも広げるためにも「ちょびの努力で最大の成果を得るか」という考え方は親になくちゃならない。
いかにラクして成果を出すか、これはいい加減な要領のよいだけの考え方のようにみんな勘違いしているけれど、そうじゃないんですよ。
身体で汗をかくか、脳で汗をかくかの違いみたいなものです。
努力することはとってもイイことだけど、同じするなら質のイイ努力を目指す。
あなたが知っている「成績がイイ子の勉強時間」があなたの「お子さんよりも勉強時間が短い」のは工夫して勉強しているからであって頭がイイはそれほど関係ない。
やる問題も、やる量も考えてやる、やった問題がやらなかった問題へも展開できるようにやる、基本を知って応用を知る、基本がちゃんとわかってるから応用がすぐできるから頭がイイって見られているだけです。
大器晩成型のボクはようやく齢50歳を前にして「ちょびの努力でいかに最大の成果を得るか」について、理屈だけじゃなく、身をもってわかる感覚がようやく出てきた。
ちょび遅かったけれど、ようやくね。嘆いても仕方がないし、後戻りはできない。ここで「死ぬほど思いつめない」お気楽さが今日まで生きてこられた秘訣でもあるのでしょう。
「たかが受験、されど受験」「たかが勉強、されど勉強」だ。あなたもたぶん「イイ星に生まれてる」ハズだから、思いつめずに頑張ってください。
今は後方だけれど、これからまくっていきますよ (^^)♪
最後に島津日新公の『いろは歌』のことを書いたので2首だけ紹介しておきます。
ボクは子供たちが暗記している百人一首よりもこっちのほうが好きです。
日新公『いろは歌』の「よ」
善きあしき 人の上にて身を磨け 友はかがみと なるものぞかし
⇒人は自分の行いの善し悪しを知ることは難しいが、他人の行いの善悪は目に付く。日頃、友人を見て良いことはこれを見習い、悪いことは反省せよ。
日新公『いろは歌』の「さ」
酒も水ながれも酒となるぞかし ただ情あれ 君が言の葉
⇒酒を与えても水のように思う者や、少しの酒で奮い立つ例もある。要は与え方の問題である。人の上にたつ者は思いやり深く、情け深くあれ。
日々の勉強に追われて公開テストや実力テストの対策がなかなかできないという話をよく聞きます。
賢い人は テキストなどで「できた問題」「できなかった問題」などの印をつけておいて、公開テストや実力テスト前にそれを集中的にやっつける。
イイやり方ですよね、これは。しかし、範囲が広い、問題が多いと全部やりきれないという問題がでてきます。
メンバー専用【音声セミナー】
受験生の頭に叩き込んでおいてほしいのは、
受験「夏休み」前までに決まる!
ということ。
もっといえば、夏休み前までにどういう動き、勉強ができるかが重要ってことです。
信じなくてもイイですよ、夏休みになったらすぐわかるから (^^)♪
受験の勝負は夏休みとか、秋からラストスパートとかいってたら、ちょび遅い。そのころには決まってるから。
非常識と思われるかもしれないけど、受験を優位に戦うために、そして受験体制を盤石なものにするためにそのとき、そのときで押さえておくべきポイントがありますからね!
◆親カツ卒塾生の親カツ講座「夏までコース」の感想
小6昇龍さん
夏休みまで合格圏内はあと一歩及ばずでした。しかし、合格に必要な偏差値が目の前に見えてきたのは大収穫でした。
5年生の時は「○○中に行きたい」と唱えるだけで努力がついてきませんでしたが、合格の道筋を描いて今月の目標を親子でクリアすることだけに専念したことで地道な努力はできたのではと褒めてやりたいです。
受験はどうなるかはわかりません。しかし、地道な努力で成果が出たことは大きな財産となると信じています。
成績が上がっていないとがんばれないですものね。
中3キャッツさん
「夏までを制する者が受験を制する」を肝に銘じ、1学期の毎月の実力テストに力を入れたお陰で「第一志望合格圏内」と担任の先生から太鼓判をいただきました。
合格圏内が近付くにつれて娘もやる気が出てきたように思います。成果が子どもをやる気にさせるを実感しています。
力を落とすことがないようにガンバッテいきますので引き続きこれからもお願いします。
親カツ講座前期「夏までコース」の内容は・・・
初回号「受験1年前に確認すること」
3月号「志望校をいかに決めるべきか?」←今ここ★
4月号「夏休み前までに何をすべきか?」
5月号「公開・実力テストの結果を合格につなげるためには?」
6月号「夏休みの準備として親がすべきこと」
最終号「後悔しない夏休みにするために親がすべきこと」
子供が自覚するのを待つなんて、時間の無駄だと思います!