こんにちは、ストロング宮迫です。
ちょうど一ヶ月前ですかね、中学1年生の歴史の答案を見て攻めたてたボクが夏休み明けの歴史の実力テストを担当することになった顛末を書いたのは。
あれからその中学生には会っていないですが、先日、今回10月の中間テストの結果を聞きました。
あああーーーーー!
これまでの経緯を知らない方は順番にまずはこちら
「7月期末テスト歴史39点、ふざけんなよ!」
次にこちら「9月夏休み明けの実力テスト82点、私得意になったかも」を読んでみて下さいね。
さて、こうした経緯「7月期末39点⇒9月実力82点」を経て(大いに飛躍し)、「私、歴史得意になったかも」とまで言っちゃった中学生が今回の中間テストでは、
な、な、なんと47点。
逆戻りってわけです。
今回は歴史と地理の両方が範囲だったそうですが、あっという間に元通り。
先の実力テストでは短期間の勉強で
「A問題で落としているものはなし!」
「B問題を3問6点分だけしか落とさなかった」のに・・・
親技では子供をやる気にさせるのは、ステキな言葉掛けではなく、成果と申し上げてきました。
成果を出せば子供はやる気になると。
で、確かに成果が出てやる気にはなったけれど、今回の47点の結果を見れば、勉強の継続はできなかったのでしょう。
親技では子供に成果を出させてやる気にする、この続きがあります。
そう、成果出してやる気にさせて、継続して負荷をかけろって。
1回満足いく点数を取って、あとは自分でその気になってやってくれれば、手をかけるのが1回きりなら、これほどラクなことはありません。
それであとは自分でやっていく子供もいます。そういう子供は2割ね。
つまり残りの8割は確かに成果が出てやる気になって得意教科になったと思ったしても、その後が続かない。これが現実です。
ボクが塾で教えているときにまさにこのアリ地獄にはまっていたのでした。
塾に来させて勉強を教えて、覚えさせて繰り返させて定期テストで点数を取らせる。これはできる。
ただテストはそれっきりじゃないから次のテストがやってくる。放っておいたら元通り。なので再び塾に来させて勉強を教えて、覚えさせて繰り返させて定期テストで点数を取らせる。
このサイクルがなにゆえアリ地獄なのか?
終わりが来ないからですな。ずーーーとやんなくちゃならない。
塾の授業が終わっても深夜まで延々。挙句の果てには定期テストの朝は6時くらいから最終チェックをしたりしてね。家に帰れない。塾泊まりとなるわけです。朝起きられなかったら大変ですから。
テスト結果に責任を持つということになれば、そうならざるを得なかった。まさにボクは校舎に住んでいたと言っても過言ではなかった。
その塾に「住んでいた頃」の生徒がたとえばヒデ君で、ここに出てくるヒデ君は今年結婚したんですが、この子が勉強していた理由が本人曰く、
ですからねえ。
なので結婚式では「塾には絶対来てはいけない生徒を受け持ったのが運の尽きでした!」と言っときました。
まあ、それはさておき、問題はボク自身がとても充実感を覚えていたということですな。生徒もまたとても頑張っている感があった。親にも感謝されました。「三方よし」ってわけです。
そして、この問題が進行していくと、たとえ点数が少しくらい悪くても「あれだけ頑張ったんだから」と三方が自己満足してしまう病が発病します。
努力をするのはいいのだけれど、その努力の方向性ややり方に目が向けられず、ただ頑張った、長い時間頑張ったというようなそこに費やした時間だけが評価の対象になっていく。
こうなると、もっと時間を!もっともっと時間を!という方向に行かざるを得ない。いつまでも終わらない旅みたいなもんです。
生産性についての考え方がまったくないんですな・・・
ただその旅にも終わりがやってくる。どういう旅の終わりかっていうと、ボクが年をとって元気がなくなってくるんですな。
若ければ20時間だって働けたけれど、年々年をとるごとに同じ20時間働いても中身が薄くなっていくとか、20時間が18時間、16時間と体力面も含めて持続できなくなってくる。
かけていた時間の長さが評価の対象になっていたものにとって頑張れる時間の減少は必然的に自己評価を下げる結果になる。
頑張ってない感がハンパなく大きくなっていくんです。
「勉強を教えて理解させて、繰り返し解かせて、覚えさせて復習」これをやれば成績は上がるんですが、これを継続しなきゃいけないわけです。
塾に来る子供たちは毎年若返る!入れ替わるからね。しかし、教えるボクはそのまま。だんだんと対抗できなくなるのは必然でした。
カンのいい人はもう気づいたでしょうが、そこに親技の構想の発芽もあったというわけです。
塾自体が「一人」で大車輪となって回すのは短期間はできるけれど、長くは続かない。ゆえに「塾や学校」と「家庭」を両輪にそれぞれが役割分担してお互いに協力していこうってわけです。
塾や学校「だけ」が頑張っても、または家庭「だけ」頑張っても長続きはしない。
塾や学校で教えてもらう、理解するところまでやってもらって、家ではその定着に力を注ぐ。まさに親技ですよね。
点数が取れてやる気になっても子供は継続ができない。
その継続させる仕事は家庭で親がやる。そうしないと終わりのない旅になりますよってことです。
じゃあ、継続させるために親は家でず――と見なきゃいけないのか。
そうはならない。
一定期間そばで見て約束を作り守り、習慣をつけ、勉強のやり方を身につけてそれで成果が出るとわかれば、またそれで一定期間成果が出ていくと、子供は勝手にやるようになる。
時々親がチェックすればいいようになる。だんだんとテスト結果や成績だけを見る日が来る。
だけど、1回テストで点数を取ってやる気になったからと手を放すと47点に戻ってしまう。それは約束も習慣もやり方も身についていないからだし、プライドも育っていないから。
誰でも39点が82点にはなるけれど、もう少し頑張ってそれを継続しなければ、子供自身のものにならない。
親がその継続に力を注ぐことができないというならば、そこは誰かにやってもらわないといけない。
それが塾ならば、それを塾にやってもらうならば「勉強を教えて理解させて、繰り返し解かせて、覚えさせて復習」までの大仕事になる。それをいくら払ってやってもらうつもりなのかってことですね。
先の中学生も、引き続き勉強をやらせられれば「9月実力82点⇒10月中間47点」こうはならなかった。
自分ではまだできないけれど、やらせればできる子供です。
でも、誰もやらせなかった。やらせられなかった。ゆえに47点に逆戻りをしたわけですね。
この子も塾にだって行っています。教えてはくれるのでしょう。理解もさせてくれるのかもしれない。でも、そばについて復習して定着はさせてくれない。そこは誰かが担わなければならないのです。
この中学生が言っていたそうな・・・
「社会の先生の授業がよくわかんないんですよね。なに言っているのか。進むのが早いし」
そうなのかもしれない。ヘボな社会の先生なのかもしれない。でも点数が悪いのは先生のせいじゃない、とボクは思います。ただこの子を責められないんだなあ。
ちゃんとやらせればできるから。あとは誰がやらせるかですな。
誰も手を差し伸べなければこの子は志望校には届かない。
それは確かです。その結末について誰が責任を負うのか。
仕方ないよとする態度もあるでしょうが、もったいないとボクは思います。ボクが実力テスト対策でやったようなことは誰でもできるクソみたいなことです。誰でもできる。
あとは、誰がやるのよ?です。
あなたのお子さんの繰り返し定着、誰が責任もってやるんですか?
親技ではそれは親がやるとしています。それを親がやろうという集まりが親技です。そうじゃない人は校舎に泊まって我が子を見てくれるセンセーを探すんですな。