早速、読んでいただいて私のバズーカ砲を受け止めていただきましょうか。
最近の傾向で、局地的に一気に降る雨が多いようで、学校が休校になったけど、昼からは晴れている!なんてことがあるようです。
この前、ストロングも人生で初めてか?というくらいのドシャ降りに遭遇。目が回るくらいワイパーを動かしても前が見えやしない。
でも、当たり前ですが、トンネルに入れば、これが別世界。トンネルって掘るのに時間がかかるし、完成までは相当な多くの人間がかかわって、ようやく完成する。
そうして完成したものはドシャ降りだって関係なし。いつだってワイパーもなく、スイスイいける。これって成績がイイ子と成績が振るわない子の違いだなあとつくづく感じた次第です。
視界が違うんです。
それは本人と周りが「トンネルを掘る」作業をしてきたかどうか。
「トンネルを掘っていない」子供はいつだって目も開けられないくらいのドシャ降り状態で進んでいるんですよね。
特に危機的な状態になれば、すぐにツライとか、やってられねーとかになっちゃう。
でも、成績がイイ子は普段から基礎工事をして、あるときは固い岩盤を爆破して、完成はしていないけれど、トンネル工事を進めているんですよね。
全工程をトンネル工事しているわけじゃなく、最初に通る道は早いうちに掘っちゃってる。基礎部分ですよね。
これから受験生が入試問題に取り掛かっていくときに、その差が大きく出てくる。
ありえないドシャ降り、つまり、難しい問題が多く出始めたときに「トンネル」を持っているかどうか、これが勝負になります。
と、そんなことを考えながら、ドシャ降りの中、運転していました。
でも、たぶん、ストロングの言っている意味、あんまりわかんないですよね?
すいません・・・それは皆さんの責任ではなく、ボクの伝え方の問題です。
ただドシャ降りのとき、トンネルっていいなあって初めてトンネルのことを思ったんで、それってどういうこと?って考えた結論が上記のことであったので、ちょび書いてみたんですが・・・・
ダメだったかなあ・・・トホホ
雨といえば、先日、ゲリラ豪雨に学校から帰る途中にあってびしょ濡れになったタイゾウ君のことを話しましょうか。
タイゾウ君は小学校高学年からの付き合いで、性格なども細かい部分をストロングは把握しているつもりです。
基本的に真面目な性格、やや神経質なところもありますかね。また頑固で、人の好き嫌いも激しいタイプ。
宿題は必ずやらねばならないものと考えるタイプでもあります。
「熱が出てできませんでした」って言えば?とけしかけると、「と、と、とんでもないです」と首を大きく横に振るそんな中学2年生です。
今回はタイゾウ君の2つのエピソードをここで紹介してみます。親技のヒントになればと思います。
1つめ。タイゾウ君、学校だったか塾だったかの先生にオバマ大統領の演説はすごくいいから、聴いたらいいよって授業で聞いてきた。
そこでタイゾウ君、オバマ大統領の演説集を購入して家で熱心に聞いているらしい。
真面目というか、かわいいというか、先生からのアドバイスを100%受け入れて頑張っているニキビ面がいとおしい・・・
「それで聴いてわかるんか? おもしろいのか?」とストロング。
「び、ビミョウです。単語も難しくて知らないものばかりだから」
「だよなあ。まあ、わからないのはいいとして続けられそうか?」
「が、が、頑張ります!」
「頑張ります!」という前に「が、が、がんばり・・」と詰まってしまう場合、たいていは挫折します。
これはストロングのこれまでの経験からの判断です。
真面目なタイゾウ君なら、いつしか「わからないけど頑張って聴かなければ」という義務感になり、それでも聴けなくなったら、「どうして自分は続けることができないのか」と自分を責め立てることもあるかもしれない。
子供はそれぞれ違うからみんながタイゾウ君みたいな反応をするわけじゃない。
だから、親はそういう子供の性格というか、受け止め方をしっかり見といてやらなければならないと思うのです。
先生が「オバマの演説がいいよ」と言って、それを受け止めて演説集を買う子供がどれくらいいるのかわかりませんが、それはごくわずかでしょう。
ある意味、このメルマガの読者なら、そういう子供が羨ましいと思うかもしれない。
ただ、そういう好ましい反応を受けた後、それをどう処理するかって、たとえば、タイゾウ君が今後、英語に対してどういう思いを持つかに直結するとストロングは思うのです。
すごい好きだった英語への興味がテストではなく、オバマの演説集で断ち切られることだってある!
臆病なストロングはそんなことまで思います。学校なんかから「ラジオ基礎英語を聞け」と言われて、すぐに挫折して敗北感を味わっている子供も多いしね。
現にタイゾウ君のお母さんは、中2の息子がオバマの演説集を熱心に聴いていることに大いに満足をしていました。
オバマを聴いているその息子の姿が自慢でうれしかったんでしょう。
だから、ストロングはお母さんに言ったんです。
「オレのタイゾウになんてことしてくれるんだー!」ってね。
お母さんからしたら、口にはしないけれど、「なによ、あんた!」と思ったと思います。
ストロングは言いました。
「お母さん、あなたはオバマの演説集を一回でも聴いてみたことありますか?」と問うた。
「聴いていません。買ってほしいというから買ってきただけで・・・」
だったら、さっきも言いましたけど、やっぱり言わせてもらいますよ。
「オレのタイゾウになんてことしてくれるんだー!」ってね。
「いつも言っているでしょう。興味を持った。それはイイ。誰からの影響だっていいんです。テストに出るからやろうじゃない興味って大事ですから。」
「でも、その持った興味のいくつかというより、ほとんどは、なにかのちょっとしたキッカケで興味をすぐに失ってしまうんですよ。せっかくもった英語の世界への興味を絶好の機会として捉えないんなて親として信じられません」
とまあ、こんな趣旨のことをお母さんにぶちまけたわけです。
みんなに言うわけじゃないですよ。ただお母さんはオバマを聴く息子にうっとりしていたからね。ちょいと言ってみたんです。
お母さんからすれば、口にしないけれど、ふざけるな!と頭にきたことでしょう。だって、興味を持った演説集を買い与えただけだもの。
ストロングが何で噛み付いたか、もう親技の読者なら気づいていますよね?
そうです、買い与えた「だけ」だからです。
「塾に行かせています!」と同じです。
そう言われたらストロングはこう返す。
「だからなに? 今やサルでもお金出せば塾にいける時代に塾に行かせています!って自慢顔で言うなよ」って。
なぜなら、それは塾に行かせている「だけ」だから。そんなことは親戚のおじさんでもできるんですから。
ちょびキツイ言い方かなあ・・・
これはあくまでも親技にこだわる方という前提ですが、すごいチャンスもあっという間にしぼんでしまうということなのです。
子供がいいチャンスを持って帰ってきた。でかした!です。その「でかした」姿にうっとりしてちゃ、もったいない!という話なんです。
話を戻します。
お母さんが子供にオバマの演説集を買い与えたけど、お母さんは一回も聴いてはいなかったというお話でした。大統領の就任演説って読んだことありますか?と聞いたら、「ない」とお母さんは言う。まあ、それは普通ですよね。オバマになんて興味はないだろうから。
たとえば新聞。日本語の新聞ね。新聞って子供は読まないじゃないですか。というより、読めないんですよね? 読んでもテレビ欄とスポーツ欄くらい。
なんでそうなるのか?
そりゃあ、読んでもわからないからですよ。
大人だって、新聞を隅から隅まで読まない人がほとんどです。だって、読んでも、なんのことだか、わからないから。国会で議員がどんな質問して大臣がどう答えたかを新聞で読む人はそうはいません。
消費税のアップの賛成反対の意見はあっても、「社会保障・税一体改革関連法案」ってどういう法案かなんて知りはしない。原発の問題だって、反対か賛成かはみんな意見はあるけれど、技術的な問題の記事はスルーするでしょう。
ちょっと前にあることで調べた「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」、この会議、「あまり成果はなかった」と言われているそうなんですが、実際にどんな議題で、実際の成果はどういうものであったかなんてことは読まない。
連日新聞には出てて話題にはなっているのは知っていても、大人だってそうなのに、まして子供は・・・・なのです。
熱心なタイゾウ君の親はオバマの演説集は与えた。
でも・・・です。
それは種を植えた「だけ」とでも言えるでしょうか。
植えない人よりはマシかもしれないけれど、その種の芽が出てくるまでは気をつけてやったらどうかというのが親技の提案です。もう一歩だけ踏み込んで関わったらどうかと。
ここに親技がこだわる理由があるし、せっかくのチャンスを枯れさせない親の機会が到来するわけです。
いや、そこまで親がする必要もない。そこからは子供の世界の話だ。そういう考えは当然あるでしょう。それはそれでいい。あとは価値観の問題だから。
ただし、タイゾウ君のお母さんもそうですが、オバマの演説集から
「どんな芽が出るだろう?」
「どんな芽を出してくれるんだろう?」
と大いなる期待を持っている。
期待を持つなら、もう一押し芽が出るまでの環境に配慮してやったらどうですか?
いや、配慮しなければ、ほとんどの種は腐っちゃうんですよというのが現実。
実際、オバマ大統領の就任演説内容(全文)を見てみてください。日本語でもハードルは高いのではないでしょうか?
ましてや英語。結構なハードルです。自分たちのことで考えてもそうだったじゃないですか。
私たち親世代はケネディ大統領の有名な就任演説をよく話して聞かされました。皆さんもよく聴かれたのではないでしょうか。
しかし、演説で覚えているのは、
国があなたのために何をしてくれるかではなく、
あなたが国のために何ができるかを問おうではありませんか。
この一文くらいなのです・・・・トホホ
それくらいほとんどすべてを忘れてしまって残っていない。なぜそうなるのか、何のハードルが高いのかというと、オバマの就任演説の中で、たとえばこんなのが出てきます。
米国は幅広い暴力と憎しみのネットワークと戦争中だ。経済はひどく脆弱になった。
これなんかは過去10年のアメリカの政治経済の状況を俯瞰してまとめている部分ですよね。二文で言ってるわけです。「幅広い暴力と憎しみのネットワークと戦争中」はアメリカが行ってきた最近の戦争についての知識があって初めて腑に落ちるというか、意味がわかる。
いや、そこまで考えなくてもとりあえず演説を覚えるのがいい、聴くことがいい、そういう考えもあるでしょう。
しかし、それではこのハードルを越えられるのが100人で2人になる。そして、残った98人はボクと同じようにケネディの述べたたった一文だけしか残らないのではないか。
頭に残るのはもちろん「Yes, we can」だけね(≧◇≦)
でも、「幅広い暴力と憎しみのネットワークと戦争中」が、どういうものかがわかると100人が5人へ確率が上がる。まあ、それでも意欲を持って演説を聴く行為も95人は挫折するわけなんですが・・・
だから、ぜひ親技をと考える方には、種を植えて、芽が出る確率を上げるために種を植える段階で面倒くさいですがもう一歩考えてみませんか?と。
日がよくあたるように置く位置を考えるとか、水はやりすぎずに管理するとか、暑い日中に水はやらないとか、ちょっとだけど、気をつけるだけで腐らずに育つ芽もある。
もう一歩踏み込むだけで確率は上がるんです。親技を実践する人には、そこまでいってほしい。
タイゾウ君の場合、もっとカンタンなものを与えてあげたほうがいいとは思いましたが、好きな先生から勧められた「オバマの演説」がキーワードなので、オバマははずせなかった。
ならばと、ストロングがタイゾウ君にしてあげられるのは、こっちから始めたら?というもう少しハードルの低い「オバマ」もの。
で、 [対訳]オバマから子どもたちへを選びました。
この本は全米の児童に向けて行ったオバマ大統領式の「学問のすすめ」演説+ちびっ子記者の大統領インタビューで構成されています。
実際に聴いたタイゾウ君の感想は、「就任演説よりも話すスピードはこっちのが速いけど、単語はわかるのも結構あるし、こっちから聞いてみたいと思います」でした。
果たしてこの選択がよかったのか悪かったのか、それはわからないんです。答えはもっとずっと先に出る。
それよりはどう与え、何を与えるか。
与えた「だけ」になってしまうと、育たずに腐るリスクも大きいということ。
いかがでしょうか?
もう1つ、紹介したいタイゾウ君のエピソードがあります。
学校からの帰りに運悪くゲリラ豪雨にあったタイゾウ君。これまた運悪く持っていたカバンのチャックが開いていたらしく、その隙間から雨が結構な量入ってきたようなんです。カバンに水が溜まっていたと泣きそうな顔で言っていましたから、相当量カバンに雨が降りこんだんでしょうなあ。
もちろん教科書はズブ濡れで、しわくちゃマンキンタンでござる。困ったことにタイゾウ君、教科書でも本でも、とにかくきれいに使いたいタイプです。
ストロングが勉強の際に「これはね」と教科書に書き込もうとすると、「せ、せ、センセー、待ってください。か、か、書かないでください。こっちの紙に書いてください」なんて慌てて言うくらい、大事にきれいに使おうとする。
そういう意味で、最初に書いた生真面目でもあり、神経質でもあるというのは、このあたりの様子からの想像です。
ストロングみたいに教科書に落書きし放題で、教科書には弁当の汁のシミがつきまくって、時に肉じゃがのにおいがする教科書を持っているようなタイプの人間からしたら、タイゾウ君は真逆だ。
しかし、タイゾウ君のそういう性格について、ストロングは別段悪いとは思いません。タイゾウ君のお母さんは、少し気にしているようですが、それはその子の持っているものですからね。
性格なんて変えようと思えば、エライ苦痛ですし、いろいろやっても、なかなか変わらなくて成果もないし、第一、自分の持っているものを変えるというのは、ダメという烙印を一度は自らが押してから進まないといけないので、おもしろくもない。
だから、「お前はお前が持っているもので勝負しろ!」とストロングは思うし、性格を変えなくていいぞ!って逆に言うくらいです。
ただストロングがタイゾウ君に接する際に気をつけている点があるんです。
「教科書をきれいに使いたい」という気持ちを持つのはイイ。でも、そこに意地悪な奴がいて、「きれいに使いたい」という奴の教科書を「汚くしてやりたい」と思う人間は中学校にも世の中にもたくさんいます。
現にタイゾウ君に意地悪する同級生もいるからねえ。そういう意地悪な奴は、まあたいてい地獄に行くのでいいんですが、意地悪をされる側からすれば、対処をしていかないといけないわけです。
たとえば、意地悪をされたら、ぶっ飛ばしてやればイイ!
そう考えたあなた、それは無理ってもんですよ。
そうできる子供もいるけれど、できない子供だっているから。
「そうできない子供」にぶっ飛ばしてやれ!なんていうのは、言われる子供にしてみたらツライもんです。
そうすればいいけど、できない、できない、できない・・・って思いますからね、子供は。そういうことは、ストロングも子供を持って、育て、育てられて初めて実感として気づいたことです。
やれと言われても、できないこともある。
親のあなたができるからといって、子供も同じようにできるとは限らない。ましてや、こうして「成績がイイ子の親」という名のメルマガを読んでみようかな?と思う親の多くは、子供を大事に育て、他人が嫌がることをしちゃあいけないよとか先生の言うことはちゃんと聞こうねなんて言いながら、育てている。
うるさいくらいに言って育てているはずなんです。だから、成績の良し悪しはあるけれど、基本的に「イイ子」に育ちつつある。タイゾウ君だってそうなんです。
そうやって基本的にやさしい、常識的な子供たちが学校や世間に出たら意地悪な奴らからあれこれちょっかいを出される。そのとき、ぶっ飛ばすことができないのに「ぶっ飛ばしてやれ」といわれると困っちゃうんです。全然解決策にならないから。
また、「ぶっ飛ばす」という行為ができない自分を責める子供だって出てくるわけです。「オレはなんて勇気がないんだ」とかね。
でも、それは違うでしょ!?
だって、なんも悪いことをしていない子供のほうが気に病み、意地悪な子供のほうがノビノビと他人に意地悪するなんて、そもそもがおかしいわけですから。
ですよね?
それは親が子供の気持ちをきちんと理解しておいてやらないといけない部分なんだとストロングは思っています。
どうしてぶっ飛ばさないんだ!ではない、子供の立ち位置というか、気持ちの理解。親技を駆使する人はぜひ気をつけてほしい点です。
そこでこのタイゾウ君なんかの気持ちをどう処理し、どういう方向に向けていくかの絶好のチャンスがやってきたのです。
それが先に書いた雨がカバンの隙間から流れ込み、教科書がズブ濡れに・・・・事件。
まあ、人が相手ではなく、「天」が相手の事件ですがね。くだらないといえば、くだらない事件なんですが、きれいに教科書を使うを至上命題としていたタイゾウ君には大問題。
相当に落ち込んでいました。他人からみたら、くだらない事件でもタイゾウ君には大事件なのです。教科書に対してなんの感慨もないストロングですが、フニャフニャの教科書の前に座っているタイゾウ君を見ていると、なんだか切なくてねえ・・・
ドライヤーでかわかせば元通りになるよ!なんて気軽に言ってみたものの、「もうやりました!」っと言われちゃって、乾いても元通りにはならないわけで・・・・
お母さんはタイゾウ君のガックリうなだれた姿を見て、「先生、教科書はどこかで売っているんですかね?」と新たに教科書を購入しようと決意するくらい。
でも、見る人から見たら、やっぱりくだらない事件ですよね?
「命を取られたわけじゃない。教科書なんだから、気にしなくてもいいじゃない。来年には新しいのがもらえるし。」
ここまで大袈裟な言い方でなくても、たいていはこんなふうに言う人も多いのかもしれません。確かにそうなんです。ストロングもそう思うし、そう言うかもしれません。
でもね、それではタイゾウ君の場合は、気持ちの処理がうまくできないんですよ。
「うん、命を取られたわけじゃないんだし、仕方ないね」なんて思い方はできない、タイゾウ君は。
ここでストロングが問題にしたいのは、タイゾウ君だけの問題ではなく、子供の気持ちの処理についてなんです。
なにか起こった。そこで「命を取られたわけじゃない」で納得がいって、気持ちが処理できるのであれば、それでイイ。
でも、タイゾウ君はストロングが見ている限り、それではうまく処理できそうにない。皆さんの家庭でも起こっているんじゃないでしょうか?
親にとってはたいしたことない。しかし、子供にとっては重大事。この1つの「くだらない事件」の解釈の齟齬がのちに親子関係に大きく影響を及ぼすこともある。
そういう場合、たいてい数年経って、子供が「あのとき、親はこう言った。オレの気持ちなんかわかっちゃいない!」とわめくんですな。
ストロングは、この「くだらない事件」を見て聞いて、これはタイゾウ君には「命を取られたわけじゃない」以外の別の気持ちの処理する方向性を与えてあげたほうがいいんじゃないか。そんな風に思えました。
なにをゴチャゴチャ細かいことを言ってるんだ!とお思いの方が多いかと思いますが、実はこの何か問題が起こったときの気持ちの処理の仕方が不完全なゆえに子供は親が考える子供とは少しずつ違うほうへ違うほうへ行く。
親と子のボタンの掛け違いの始まりです。
気持ちって見えないからねえ。
心の奥底を全部言う子だったら、話は早いんですが、そうでない子供もいますから。
さて、そこで、タイゾウ君の「命を取られたわけじゃない」以外の別の気持ちの処理する方向性について。
ストロングはストロングと縁があった中高生数人に1週間か2週間に1回くらいのペースで思い出したときにメールを送っています。最近はLINEが多いけれど、送る内容はこのメルマガでも紹介したことがありますが、ストロングが読んだ引き寄せの法則 エイブラハムとの対話の抜粋です。
先日、送ったメールを紹介すると、
「今の状況」に失望していると、さらに多くの失望を引き寄せることになる。「失望」をあなたは臨んでいないはずだ。
失望している時の感情は前向きではないだろう。にもかかわらず「失望して」いれば、やっぱり失望を引き寄せる。
・
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テレビでは、テロだ、いじめだ、自殺だ、幼児虐待だ、殺人だ、戦争だ、経済が危ないだと報道されています。それを見続けていれば、どんなものであってもあなたが関心を向ければ、その関心がそれらのテロや殺人やいじめや自殺などの波動を勢いづかせ、勢いづいた波動によって、それらの事件はあなたに引き寄せられる。
それらの事件があなたに起こるのはあなたが関心を持ち、さらに感情を高ぶらせた結果、引き寄せたのだ。
・
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いじめを「恐れている」人は、いじめを強く意識し考えている。強く考えていれば、それを自分が望んでいなくても、実現する。だから、後ろ向きな、否定的な情報をいっさい自分の経験に持ち込みたくない人は、そもそもマスコミの報道など見ないだろう。
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あなたが具体的に何かを望んでいようと、望んでいまいと、引き寄せられてくるのは、あなたが関心を向けているものなのだ。だから本当に心から望むことは実現する。そして、本当に心からイヤだと思うことも実現する。
・
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新聞で誰かが泥棒に会ったという記事を読んだとしよう。事件について読んだり、聞いたりしただけなら、詳しい内容を読んで激しい感情を抱かない限り、引き寄せが働くほどの状態にはならない。
しかし、詳しい状況を読んだり聞いたり、誰かと話したりして知り、感情的な反応をあなたがすれば、あなたは自分に同じような経験を引き寄せる。
マザー・テレサは「反戦集会には行かないが、平和集会なら行く」と言ったそうだ。
反戦、すなわち戦争に反対するという行動は、戦争をキライ、激しい感情を呼び起こす。その行為は戦争を呼び寄せる。
こんな、なんの論評も付け加えない、本からの抜粋をただ送る。読んで心に引っかかれば考えればいいし、面倒くせーと思えば、読まずに捨ててもいい。賛成でも反対でもどっちでもいい、ただ感情のコントロールについて1つの示唆になるんじゃないかと思える部分を勝手に中高生に送っているわけです。
このメールをタイゾウ君に見せて少し話をしたんです。
「オレが言うんじゃないよ。マザー・テレサが言ってるんだ。お前、汚したくない、汚したくないって言っていただろう? マザー・テレサでいえば、それは反戦集会と同じだよ。戦争キライと感情を高ぶらせれば、キライな戦争を引き寄せる。それをウソつけーって思うのもお前だし、もしかしたら、そうかもなと思うのもお前。解釈権はお前にある。汚したくない、汚したくないと感情を高ぶらせた結果、お前は教科書が汚れる事件を引き寄せたんじゃないか、そんなふうにオレは思うんだけどなあ」
「じゃあ、どう考えていればよかったんですか? 汚したくないって気持ちはこれからもそうだと思いますから」
「もう1回、このメールを読んで見ろよ。答えがあるんじゃない?」
熟読するタイゾウ君。
「汚したくない、じゃなくて、きれいに使いたいって考えたら、いいってことですか?」
「タイゾウ、お前読解力あるじゃないか。国語の点数はヒドイけど、お前読解力あるよ!」
「それって褒めてるんですか? けなしているんですか?」
「もちろん、けなしてるんだよ!そう、【汚したくない】じゃなく、【きれいに使いたい】ここじゃないか、お前がこれから試してみる価値があるのは」
「う~ん、あまり違いはないような気もします・・・」
「お前、今、マザー・テレサをけなした?」
「と、と、とんでもないです。ボクはただ・・・」
まあ、こういう会話を実際にしたわけです。下らない会話でしょ?
でもね、こういう部分の子供の気持ちの処理に向き合うことが子供との信頼関係の土台になる。
実際に、この話をして、目の前でタイゾウ君を見ていて、明らかに「汚したくない、じゃなくて、きれいに使いたいって考える」、これを言ったときに顔色がパッと変わったんですよね。もうその前と後では顔色が違うんです。
問題が解決したわけじゃない。でも、ストロングはタイゾウ自身の気持ちの収まりどころは見つかったと判断しました。間違っているかもしれないですけどね。
これが本当の意味で彼の最終的な解決になったかどうかはわからないし今後、どういう事件に遭遇するかで、また解釈は変わってくるでしょう。でも、この場では、その場しのぎではない形、とストロングは思っていますが、タイゾウ君の「気持ち」が収まった、たぶん。
これがすごく大切というか、子供を見るときに大切にしていることです。
こういう「くだらない事件」が子供には始終起こり、その気持ちの処理の問題が日々渦巻いているのが子供の世界。親が子供の話を聞いてやる意味は、そこにある、とストロングは思っています。
「命を取られたわけじゃない」 これだって立派な気持ちの収め方です。
ただ、事件が「くだらない」だけに「命を取られたわけじゃない」という大きな収め方ではしっくりこない事件もあるんです。こういう「くだらない」事件を通じて子供は一皮向けていきます。
どうでもいい話をつらつらと書き連ねましたが、子供ってどんなこと考えてるのを細かく書けばこんなふうになってしまいました。これを書くのに時間かかりました・・・書きたかったけど、なかな書けなかった話。ストロングはスッキリしました。
皆さんの参考になれば幸いですが、最後まで読めなかった方がいたとしても、それはあなたの責任ではありません・・・ハイ。
最後に先に紹介したマザー・テレサが言ったという
「反戦集会には行かないが、平和集会なら行く」
について、ティモシー・フェリス著「週4時間」だけ働くの中にこんな記述がありますので紹介して締めにしたいと思います。
やり過ぎは反対の結果を生む
いいものを必要以上に手に入れることは可能である。
あまりに根を詰めて努力したり、所有欲を持ちすぎると、「いいもの」も全く反対の性質へと変わってしまう。
平和主義者は闘士になる。
自由擁護の闘争者は暴君になる。
祝福の言葉は呪いの言葉になる。
助けは邪魔になる。
「もっと多く」は「物足りない」になる。
あなたが「量」、「数」、「回数」を求めすぎると、それらはいずれも望んでいないものになってしまう。
翻訳ではなく、もともとの英語では
Pacifists become militants.
Freedom become tyrants.
Blessings become curses.
Help becomes hindrance.
More becomes less.これが原文だそうです。
これを知った上で、マザー・テレサの「反戦集会には行かないが、平和集会なら行く」を考えると味わい深いですね。
教育ママはいつのまにか鬼婆になる!これもまた真なりでしょう。
子供に「あなたのためよ」という親はいつのまにか「自分のためよ」になっているのかも・・・
怖いですなあ。
同じ親技やっても全く違う結果になるってことが十分ありうるということです。気をつけましょう!
成績上がったよ!報告
中3 YUMIさん
テスト名:2学期始めの学力調査
教科: 数学、理科点数報告:
数学36点→43点(偏差値51.9→63)
理科28点→44点(偏差値45.7→65.6)
全体で偏差値52.5→61.8
(いずれも1学期の期末試験より)以前に切羽つまってメールをしたものです。あれから、約3ヶ月が経ち、なかなかうまくいかない事もありますが、常に10の鉄則を念頭におき、(特に鉄則3、7、8、10)やってきました。
中3という事もあり、夏が勝負だというストロング先生の言葉を励みに、親カツ8、9号も参考にして夏休み過ごしました。
塾も行っているので、もちろん夏期講座などもありましたが、全部ではないので、家で夏期講座で使ったテキストのできなかったところをできるようになるまで、そして、できるようになれば、早くできるようになるように促してきました。
そのお陰か、今回上記のような結果(今までで最高)になりました。
ただ、今回、数学の他に理科もよかったのですが、以前より、理科は分野によって点数がかわっていたので、安心できませんし、今までもテストによって教科も偏差値も乱高下していたので、これからの目標として高得点の定着を目指して受験までがんばりたいと思います。
すごい上がり方ですね!!頭が下がります!高得点定着に向かって頑張って、ぜひ最高の形で受験を迎えていただきたいと思います。
心より拍手を送ります。パチパチパチ。