こんにちは、ストロング宮迫です。
もう何年も前になりますが、文部科学省調査で「小中学生と高校生の暴力行為が約6万1千件に上り、過去最高」になったと報じられました。
その当時の新聞記事には
小中学生の増加が顕著で、同省では「感情をコントロールできず、キレる子供が目立つ。暴力の低年齢化が進んでいる」と分析している。
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文科省によると「コミュニケーションが不足し、いきなり暴力に走ったり、明らかに規範意識が欠如したりしているケースが顕著」という。と出ていました。
それから数年、平成25年版子ども・若者白書によれば、
学校内における暴力行為の発生件数は,高校では横ばいである一方,小学校と中学校では増加しており,特に中学校での増加が顕著である。
平成23(2011)年度には,小学校で6,646件,中学校で35,411件,高校で8,312件となっている。
加害者を学年別にみると,中学校2年生が25.3%,中学校3年生が24.0%を占めている。
となり、文部科学省による平成26年度の問題行動調査では「小学生の暴力行為が2年連続で1万件を突破し、過去最多」となったそうで、
平成26年度の小中高校生による暴力行為の発生件数は前年度比5103件減の5万4242件。
内訳は、中学生が前年度比4563件減の3万5683件、高校生も前年度比1112件減の7091件だったが、小学生は前年度比572件増の1万1468件に上り、統計を取り始めた9年度以降で過去最多となった。
文科省の担当者は「感情のコントロールがうまくできない児童が増え、家庭での教育機能も低下しているのではないか」と指摘した。一方で、現場の教員がここ数年、いじめに発展しかねない児童間の暴力行為などの把握を積極化させている傾向も件数の増加につながったとみている。
こんなニュースを見ても、読者は「大変ねえ~」と思うばかりで、たぶん「自分には縁もゆかりもない話」だと思うことでしょう。
でも、本当に縁遠い、関係ない話なんだろうか?と、ボクは思います。いや、「ウチはたぶん大丈夫!」そう思える今だからこそ、考える価値があるのではなかろうかと思えるんです。
いつかここで紹介したことがある日垣隆著「少年リンチ事件 ─ムカついたから、やっただけ」なんて本は、本の題名見ただけで、先の子供の問題行動よりももっと「自分ん家にはまるで関係ない話」とあなたは感じるはずです。
それでも、最近の芸能人の子供の騒動を見ても、ボクは、今の時代、我が子がこうした事件の加害者、もしくは被害者に十分なりうるんじゃないかと常々感じています。
お気持ちはわかりますよ、「我が子が加害者になることは絶対にない。可能性があるなら被害者になるほうだ」と思うのは。
しかし、日垣隆著「少年リンチ事件」で描かれる1990年代に起きた2つの少年リンチ殺人事件では、
加害少年たちの多くは、飛びぬけて凶暴だったわけではありません。生まれてから一度も喧嘩をしたことのなかった少年も含まれています。
そんな子であっても、・・・・
「凶暴」でも「喧嘩をしたことがない子」でも、条件が揃えば起こりうる、それが「リンチ殺人」なんだと。
もっといえば、「凶暴でもない」し、「喧嘩をしたことがない子」が多くなっているからこそ、リンチ殺人も起こるんじゃないのか。
著者の日垣さんは言います。
しかし、このことは同時に、少年によるリンチ事件は、かなりの確率で防ぎうることを示唆しています。
役が揃わないようにすれば、少なくともわが子が関与する事態は避けられる。
では、いかなる「役が揃う」と恐るべきことが起こりうるのかは本書を読んでいただくとして、この本の最後の解説で飯田芳弘さんという方がこんなことを書かれています。
ある座談会では、日垣氏は次にように語ってもいる。
自分の子供が夜中に家を抜け出して、悪友に誘われて集団で万引きするという可能性は常に考えるべきです。万引きから傷害致死にまで行く可能性も、確率的にはかなり少ないけれどゼロではない。だから、私は、子供が悪いことをした時には、犯罪が次第にエスカレートしていくという全体構造をまず説明するんです。
とくに「ポイント・オブ・ノー・リターン」、ここならばまだ引き返せる、このポイントを越えるととんでもないことになるというポイントですね。
でも、これを普通に説明しただけだと、子供は同じようなことを繰り返しかねない。欲望や悪友からの誘惑に負けてしまう。
だから、「ポイント・オブ・ノー・リターン」の前で引き返させるためには、その欲望や誘惑よりも優先すべきものを子供の中につくるしかないんです。
著者の日垣隆さん自身は、
我が子を殺人者にしないために、私がしてきた努力は、強い組み合わせを早い段階で崩すための具体的なアドバイスを繰り返し与えることです。
と述べ、これらの具体的な取り組みとして、別の著書「偽善系」でこう書かれています。
私は取材先で見たこと聞いたこと考えたことを、夕食時によく話す。子どもたちには迷惑かもしれないが、ときどき質問したり、ああそういえば、などと反応していたりする。
いくつもの少年リンチ殺人事件の顛末も話しながら、まあそれは夕食時に話題にすべきテーマかどうかは多少疑問ありだが、とにかく息子や娘たちに、ただ友達と遊んでいるつもりでも、どこかで「決断」して抜け出さなければ自分が加害者または被害者の一人になってしまいうる、それはどのような場合かということも、たくさん話した。そして私の、親としての携帯電話に対する考え方も、思いつくかぎりのことを幾晩かに分けて伝えたことがある。
話し合った、のではない。伝えただけである。
なにせこちらは少年リンチ事件の取材を足かけ三年もやっている。携帯電話については八年、電話についてなら三十年もじっくりと考えてきた。そんな大人が一生懸命、俺はこう思う、と話しているわけだから、対等に応じられるわけがない。
大人と子どもの会話は、それでいいと思う。少なくとも、私には、そのようにしかできない。あくまでも対等に、と構え、納得できたことだけやりなさい、などと子どもにいっている家では、たいてい極端にわがままな子が育っている。
二倍以上も長く生きてきた親は、生きた知恵と体験の総合力で必ず子を凌駕しているのだから、何でもいいから子どもに語る習慣をもってほしい。
そんなことができるのも十歳から十八歳くらいまでだけのことなのだ。
ここでも縷々述べてきたことですが、「親のなすべきこと」について非常によくわかる話ではないでしょうか。
ここ親技では「親子で向き合ってよく話し合え」と書きますが、日高さんは「話し合った、のではない。伝えただけ」、しかし「それこそが親が子供にしてやれること」と提案されています。
なにを選択するかはあなた次第です。どうするかもあなた次第。
とにかく責任がとれるなら何をしてもいいが、責任をとるというのがかにしんどいものかを学習させるのが、親の唯一最大の仕事だといっていいと思う。
このしんどさを教えられないと、そんなものか、という人生観を与えることになる。
責任を果たさなくても、約束を守らなくても、リスクを賭けて裏目に出たときも、なんだそんなものか、と子を甘えさせる大人たちの続出が、結局のところ日本を病ませている、との認識が私には強くある。
最後に日垣隆さんが「子育てが順調にゆく、とはどういうことか」で書いておられる要点だけを紹介しておきます。
何でもかんでも命じたら言うことを聞くように、などという莫迦げたことを言っているのではありません。
気づいたら食事中のテレビも消させることができない関係になっていた、という事態は避けるべきだ、と言っているだけです。
それには、乳幼児のときから始めるのが、もっとも簡単でしょう。習慣づけてしまえばいいのです。 親が本気で言ったことは、とりあえず子は真に受ける。
そういう関係づくりこそ育児の基本であり、それがなければ、脅したりすかしたりして「代償を求める親子関係」に陥ってしまいます。
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躾には、理由だけでは説明のつかない伝統や習慣やルールの強制が多く含まれています。目上の人には先にあいさつをするとか、玄関では靴を反対側に向けて揃えるとか、それなりの屁理屈を持ち出せばすぐ「理由」が崩壊してしまうものはたくさんあります。食事中にテレビをつけない、という根拠は、前述したとおり明白にあるのですが、それを中学生や高校生に向かって「いきなり」説明しようとしても、受け入れられないでしょう。「今まで良かったじゃないか」と言われたら終わりだからです。
子育ては、「なぜ」に答えきれるものではありません。そこを勘違いしてタイトーでミンシュテキに育てようとすると、ただの放任になり、家庭内暴力や無気力の可能性を日々高めてしまうだけです。
ひるがえって、子育てが順調にゆく、とはどういうことでしょうか。もちろん結果は、その子が親になるまで、あるいは死ぬまでわからないかもしれません。
しかし、現役過程で唯一その順調さを担保しうるのは、「親が本気で言ったことは、とりあえず聞き入れさせる」ことができるかどうかです。成人すれば、親の間違いも含めて、子は勝手に修正していきます。
親は本気で言っているが、全然聞いてくれません・・・そういう家庭が確実に増えてきていることは間違いありません。
日垣さんの著書で描かれたリンチ殺人事件を起こした子供の親は「とにかく勉強してさえいれば」と甘やかし放任タイプであることが共通しているそうです。
[算・数] 7日間を終えての感想
小4 よっぴーさん
◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
字を丁寧に書く、途中の式を省略しないという約束を守ろうと子どもが努力しました。特に字は丁寧に書こうと気をつけるようになり、実際にとても丁寧に書くようになりました。
苦手でやりたくない、解けないと思っていた問題も出来るようになる、と子どもが感じることができたことは大きかったと思います。
親の自覚。子どもの勉強を見るということはどういうことなのか、今まで分かっていませんでした。
◆親にとって学ぶべき点はありましたか?:
子どもの反応はとても素直でした。嫌なことはやりたくないけれど、出来る様になれば楽しいというところまで変わる。進め方ひとつでこんなに差があるということに驚きました。
子どもの様子をよく観察することがとても大事だということも学びました。今までを振り返ると、見ているようで見ていませんでした。
疲れている時や、やる気が出ないときにやっても成果が出ないどころか、マイナスだということも学びました。子どものコンディションを見極めるのは思った以上に大切なことだと実感しました。
「なんとなく全体的に勉強しておく」ではなく、きちんと成果の出る勉強の仕方があるということ。
「頭では理解している」=「出来る」ではないことが良くわかりました。実際にやってみると思いもしない(思い至らなかった為の)反応やエラーがでたりして、何事も実践しないと分からないことが多々ありました。
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:
楽しかったです。でも、大変でした。大変なのは準備ではなく、たった30分、真剣に子どもに向き合うという行為にです。
今までも一緒に勉強はしていましたが、「はい次これやって」「うん、合ってるね。良し。こっちは間違ってるね、もう一回やろう」など結果と言うか目に見えやすい表面でしか子どもの状態を見ていませんでした。
ノリ勉で子どもの褒めるところを一生懸命探すということ、本当に新鮮でした。今までダメなところばかり探して指摘して、親が満足して、きっとこれで良くなるんだと思い込んでいました。
アメとムチではなくムチ、ムチ、ムチ…でした。
10の鉄則、ずいぶん前に購入してなんとなく読んでいました。今回、10回までの音声をもう一度全部真剣に聞いて、自分なりにまとめました。
こんなに大事なことを言っていたんだ!
今までなんて宝の持ち腐れ…とちょっとへこみましたが、反省し、心機一転頑張りたいと思います。
同じ時間を勉強してもそこから出てくる成果はまるで違ってきます。30分で成果が出せない勉強は3時間やっても成果は出ない。
勉強時間、机に座っている時間は同じなのにどうしてそんなに差が出るのか。それはやっぱりやり方です。
短時間で成果の出るやり方、学年が上がっても通用するやり方を知りそれを実践する。難しいことじゃない。勉強ってどういうことなのかがわかればいい。
「できる」って「正解する」ってことじゃない。たったそれだけを知るだけでも勉強のやり方は変わってきます。