こんにちは、ストロング宮迫です。

この前の日曜日、ボクは夜の8時半過ぎに家に帰ったんですが、家では娘がNHK大河ドラマ『西郷どん』を見ていました。

この回は「傷だらけの維新」と題して内戦が続く・・・という内容だったようで、最後には隆盛の次男・吉二郎の悲運が描かれていました。

ボクがテレビを見始めたときは、まさに吉二郎の悲運の場面だった。見ていた人は全国どこでも同じだったと思うけど、そのクライマックスでおなじみの音とともに、ニュース速報のテロップが画面に表示された。

最近は日本全国で災害続きだし、速報大いに結構。で、なに?って見たら・・・



NHKって、アホなの?

西郷どんが泣いてたのは「NHKのその無神経さ」のためだったんじゃないかと。


思うことはみんな一緒だ。食らいやがれ!

ただね、問題はNHKじゃないんだ!

あなたに問いたい。

家であなたは受験生に対して「このようなテロップ」を無造作に出したり言ったりして、「通年通して来て作り上げたシーンを自らの手でズタズタに」していないかってことなんです。

何か月か、何年かかけて築き上げてきたことも「たった一言」でぶち壊しになる。ゼロになるんじゃない!マイナスになるんです。

わかりますよね?

NHKが「壊れて」も問題はない。知ったことじゃないからね。でも、NHKを批判しながら、自分が家で似たようなことを子供にやってちゃ、救われない

壊してしまったら、また積み上げていけばイイっていうのはその通りだけれど、それにも限度ってもんがある。さっきも言ったように、一度壊したら、ゼロに巻き戻るんじゃない。マイナスまで戻る。マイナスからの再出発はホント苦しいよ。言うほどカンタンじゃない。

みんなしんどいことが起きると、すぐリセットしたがる傾向が強いけど、リセットした時は、もう1回言うけど(3回目です!)「ゼロからのスタート」じゃない。マイナスからのスタート。マイナスからゼロに戻す作業が最もつらく、しんどい。子供も一番嫌がる。だから、それは何回もできないんです。子供にはやる気の賞味期限もあるしね。

だから、カンタンに、安易に、うっかり、ぶち壊さないようにしないと。カンタンに、安易に、うっかり、繰り返しぶち壊してしまう人っていうのは、そもそもマイナスからゼロにする作業がうまくできない人だから。

特に、親技っていうのは「さあ、やろうか!」でスタートできません

なぜなら、親技を駆使するためには、これまでの接し方、かかわり方、子供との距離感・信頼関係、子供の今の学習状況と習熟度、勉強の習慣、勉強のやり方、授業の受け方などさまざまな要素が前提となって、初めて親技を駆使できるのだから。

例年、親技では、一部の高校入試組を除き、今月いっぱいで受験生への親技教材の販売は終了するため、以下のような↓↓↓案内をメルマガに載っける。

例年通り、今年の受験生への『10の鉄則』は10月末、親カツ後期講座「入試実践コース」の販売は来春中学受験の方は10月末、来春高校受験の方は11月末をもって販売を終了いたします。これは、親技では成果が出るまで実践しはじめてから最長3ヶ月という考えを持っていますので、来春一番早い1月受験の方に合わせた処置です。あしからずご了承ください。

世の中には「人生に遅すぎるなんてことはありません。 思い立った時がスタートです」という言葉があるけれど、これは人生について言えることであって、来春の受験でいえば「思い立った時が遅すぎます。今からスタート、それもマイナスからのスタートでは間に合いません」ってことは大いにありうる。

そこんとこ、4649です(#^^#)

さて、この時期は毎年ノーベル賞の話題が出るんですが、今年も日本人がノーベル医学生理学賞を受賞した。すばらしい!

で、ノーベル賞を受賞した日本人のインタビューやらを見ていて思うのはみんなおじいさんですよね?

日本人のノーベル賞の受賞時の平均年齢は68歳なんだとか。こういうのを見ると「人生に遅すぎるなんてことはありません。 思い立った時がスタートです」という言葉が思い出されるけど、でもよくよく見てみると、大きな成果を残す日本の研究者は、教授になる前の40歳ごろにノーベル賞受賞の基礎となる研究成果をすでに出しているようです。

68歳になって「おい、ついにやったよ!」ってわけじゃないってことです。つまり、ボクはもう手遅れ・・・ってわけです(特に研究はしてないんですが(*_*))。

ノーベル賞受賞者の高齢化について、BBCの記者の記事があったので紹介しましょう。

ノーベル賞受賞者の高齢化はなぜ?
BBCニュース ウィル・ダールグリーン記者

物理学、生理学・医学賞、化学の各分野で2016年の受賞者がすでに発表されたが、全員が男性だ。最も若い人は65歳で、大多数は72歳を超えている。

しかし20世紀前半にさかのぼると、受賞者の平均年齢は「わずか」56歳だった。物理学受賞者の平均に至っては47歳。対して最近の物理学賞はもっぱら、60代後半の複数の男性が共同受賞している。

実際のところ、1950年代ごろから現在にかけて、すべての伝統的な科学分野でノーベル賞受賞時の年齢が上昇する傾向がはっきり出ている。


物理学、生理学・医学、化学の各分野では受賞者の高齢化の傾向がはっきり出ている。だが、平和賞については平均年齢は低下傾向にある


ノーベル博物館のグスタフ・シェルストランド上級学芸員によると、100年前には物理学者は世界にわずか1000人ほどしかいなかった。現在は推定100万人もいる。

シェルストランド氏は、「これはひとつの重要な要素です。ノーベル賞をもらうのを待つ時間は長くなってきていて、大発見の直後に賞はもらえないのです」と話す。

今でも科学者は人生の早い段階で発見に成功しているが、ほかにも多くの科学者が同じように発見しているのだ。それに加えて、ノーベル委員会(物理学、化学、経済学の各賞の選考はスウェーデン王立科学アカデミーが担当)は非常に高い水準で審査しているため、受賞までに多くの年月を要するという。


突き詰めれば、量子力学の新分野が20世紀初頭に科学的革命をもたらしたのが理由かもしれない。

シェルストランド氏は、「20世紀前半に物理学は急成長した。物理学者の多くは若く、矢継ぎ早に発見をしていた」と語る。

ノーベル委員会もそれを承知していた。「委員会は分かっていました。委員たちは物理学の新発見に関心があり、研究成果をすぐに認めていたのです」とシェルストランド氏。


ノーベル平和賞がほかの賞の傾向に逆行していて若年化している理由については、賞の性質が大きく変化したからだとシェルストランド氏は指摘する。

「平和賞の委員会は、前より時代に即した選考を心がけています。和平が完全に成功するかどうかを待とうとしない。あるいはインドネシアで民主化が続くかどうかも待たない

「時代に即していて結果を待たない」平和賞は受賞者が若年化し、「大発見の直後」でも「非常に高い水準で審査」すると「受賞までに多くの年月を要する」と当然ながら受賞は高齢化するというわけです。

ボクら親がかかわる子供に対する教育は、どちらかというと「受賞までに多くの年月を要する」ほうの賞に該当するのではないかとボクは考えています。

注目度が高く、周りの関心が大きいのは「中学や高校や大学で難関校に合格した!」かもしれないけれど、それだけじゃ受賞はできないんです。「人生の早い段階で発見に成功」しているとしても「ほかにも多くの科学者が同じように発見している」からです。

「大発見の直後」に該当する「難関校に合格した」はその一歩にはなるけれど、「大発見の直後に賞はもらえない」んです。昔だったらね、「研究成果をすぐに認めていた」んですが、「難関校に合格した」あとにも、「非常に高い水準で審査」があり、「受賞までに多くの年月を要する」ようになってきている、と子育てや教育に関しても言えるんじゃないか。

だからいつも言うように、子供たちが20歳を過ぎたら、親は自分たちがやってきたことの「答え合わせ」が始まる。必死にやったとか、頑張ったとかは関係ない。実際はどうだったかの「答え合わせ」が子供が二十歳を過ぎたら始まる。そしてそれもすぐに答えは出ない。子供たちが40歳くらいになるくらいまで。そこでようやく親がやってきたことがどうであったか、受賞に値するかがわかる。

親が子供にやってきたこととノーベル賞が違うのは、審査を誰がやるかだけです。ノーベル賞はノーベル委員会がやるけれど、子供たちが出す答え合わせの得点は「自己採点」です。甘めにつけようが辛めに付けようが自由自在で、あなた次第です。

子供たちを20年かけて教育し、20年かけて答え合わせをするという壮大な「事業」が子育てというわけです。

それでもやっぱり誰かに評価してもらいたいって!?

ああ、それならまさに当事者である子供たちがあなたを評価してくれますよ。

あなたが子供たちにあーだ!こーだ!と言ったように、子供たちが40歳になったら、あなたにあーだった!こーだった!というでしょう。その時「ホントたった一言であの時台無しにしてくれたよね」って言われないようにしたいもんです。いや、文句を言ってくれるならまだマシかもしれません。

もしかしたら、あまりにもイヤだったがゆえに子供に評価さえしてもらえない親もたくさん出てくるでしょう。

長い長い道のりです。40歳になった子供があなたを「委員会」で採りあげ、どうであったかをあれこれ検討するその場面をしっかりイメージしてみて下さい。

今のあなたはなんらかの賞を受賞する可能性はあるでしょうか?

入試という壁は、あなたの子育ての1つの分岐点になることは間違いありません。入試を経て、子供を通して、あなた自身のあり方を考えるのです。そういう意味では、子供が受験生というのは、千載一遇の機会といえるかもしれません。

大きな壁にぶつかった時にどう対処するか、どう考えるか、あなた自身の人生がそこに投影される。まさに千載一遇です。この機会を逃してなるものか!そんな気概で入試に、子供に臨みたいものです。

「千載一遇」について、この言葉を聞くといつも思い出す話がありますので、それを紹介して締めとします。どうぞ!

マイクル・コナリー著『エンジェルズ・フライト〈上〉』より

ボッシュはブラッドベリ・ビルデイングで真相究明委員会の事情聴取に相対した。・・・二人の警部がこちらの運命を定める協議を密かにおこなっているあいだ、アトリウムの巨大なガラスの明かり採りの下にあるフロアをいきつもどりつした。

ボッシュは有罪を宣されることなく二度の事情聴取を切り抜け、その過程で、メキシコ・タイル張りのフロア、錬鉄製の装飾模様、吊り式メールシュートのそなわったブラツドベリ・ビルディングを好きになった。

一度、暇を見つけて、ロサンジェルス景観保護局で建物の歴史を調べたところ、ここがロサンジェルスのなかなか興味をそそる謎のひとつであることに気づいた。

ブラツドベリ・ビルディングは、永らくつづく栄光にもかかわらず、週給五ドルの製図工によって設計されたものだった。

ジョージ・ワイマンは建築に関するなんの資格も持たず、1892年にこの建物の設計プランを描いたとき、設計者としてなんの信用も過去に築いていなかったのだが、それでもワイマンの設計プランは、一世紀以上も存続し,何世代にもわたって建築家たちを驚嘆させることになる建物に結実したのだった。

その謎に加えて、ワイマンはロサンジェルスやほかのどこでも、重要な建物を設計することは二度となかった。

それはボッシュが好むたぐいの謎だった。千載一遇の好機を活かしておのれの証を刻んだ男という考えは胸に強く訴えてくるものがある。一世紀の時を隔てていても、ボッシュはジョージ・ワイマンと一体感を覚えていた。

ボッシュは千載一遇の機会というものを信じていた。自分にすでにその機会があったかどうかは、さだかではない。老人になって来し方を振り返るまで知ることも理解することもないというたぐいのものだ。だが、まだどこかで自分を待っている気がしていた。千載一遇の機会をつかまえるのはこれからだ。

マイクル・コナリーの「ハリー・ボッシュをもっと知りたい!」場合はこちら

マイクル・コナリーの描く主人公「ハリー・ボッシュ」の名前に由来する『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』についてはこちら↓↓↓を参照ください。


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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

小6 修行中の黒子さん

メルマガだけでも非常に参考になっておりましたので、購入をずっと迷っていましたが、手元にもっておくとを選択してよかったと思います。

『10の鉄則』は、塾の先生として、また親として、どちらも本気でぶつかった経験のある人、ストロング様であるからこそお書きになれたものであろう…まさに集大成を感じました。

周囲には親がそばにつき勉強を管理することを、過保護だとお考えになる方も存在し、これまで何度か自分は子どもを甘やかし、ダメにしているのではないかと悩んだこともありました。

しかし、メルマガやこの『10の鉄則』はその迷いを払拭し、親がそばにつくことは、子どもの真の自立を促す為の過程であると強く背中を押してくださりました。

これからも度々読み返し、まず親自身が強くあらねばと決心いたしました。ありがとうございました。

メルマガを参考に、実行できていたこともありましたが、鉄則5と6に関する点が、曖昧で徹底できていませんでした。

時期によって徹底できていたときはやはり調子も良かったように思います。しかし、本当に「続かない絶好調」です(涙)、鉄則10がまた難しく、非常に親の力量を要するところだとあらためて実感いたしました。

まず決めたことを落とし込んで考え抜き、それを実行する為の業を親が身につける必要を感じました。

幸い、実践会のメンバー様方の中には参考になるご意見が、山のように山積されていて、感激いたしました。

しかし受験生と幼児を二人抱えている私には全てに目を通す時間が今はないのが、とても歯がゆいです。

これからまだまだ私自身が身につけなければならない業がたくさんあると感じます。

メルマガで塾なしで頑張っている方がたくさんいることを知り、また実践会の方々奮闘ぶりを拝読し、頭の下がる思いでいっぱいです。私自信の力不足、努力不足を実感します。

私も一歩でも近づけるよう頑張りたいと思います。ありがとうございました。

ホント親は仕事に家事に子育てにとたくさんの仕事を抱えています。

勉強ぐらい自分でしてよ!というのが本音でしょう。勉強じゃなくてもイイと思うんです。なにかを通じて親の思いを伝える。

努力すること、逃げないこと、続けること、負けても何度でも立ちあがること。

「続かない絶好調」も多々あります。それでも、今日も明日も生きていかなければなりません。親がいなくなっても、子供が1人で生きていけるように。

あなたは何を通じてお子さんに伝えたい思いを伝えますか?

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