こんにちは、ストロング宮迫です。
首都圏の怒涛の連戦中学入試が一山越えましたが、まだまだ続く入試戦線。
さて、受験の期間は学校がお休みになる中高一貫生と話す機会がありました。中2の子です。
中高一貫校とはいえ、騒がしい授業もあるそうで、先生によってそれは大きく変わるそうです。
「中2ともなれば、人を見て騒いだり大人しくしたりするんだろうなあ。この先生なら大丈夫やろとかね」
「それがイヤなんですよね。人によって態度を変えるなよって」
「怒ってるの?」
「いや、怒ってはないんですが、腹が立つんです」
「怒ってるじゃないか?」
「そういうやつに限って、授業がわかる、わからないって言うんですよ」
「それは授業がわかりやすい、わかりにくいってことか」
「そうです。あの先生の授業はよくわからないとか言うんですよ」
「まあ、授業が下手というか、うまくない先生もいるんだろうな」
「そうかもしれないですけど、わかろうという気になって聞いたらわかりますよ。わからないっていう気で聞くからわからないだけだと思います」
「なかなか厳しいなあ」
「だってわかりますもん、その先生の授業。ちゃんと聞いてれば」
「つまり、問題なのは聞く側ってことか」
「そうだと思います」
とまあ 、こうキッパリと言ってました。立派ですなあ。
中学生ともなれば、今では小学生だって先生への判断を実に簡単に下します。あの先生の授業はわからないって。
しかし、この中2の成績上位の子供によれば、それは聞く側の問題だっていう。
さあ、皆さんはどう考えますか?
実際、成績がイイ子っていうのは、このような考え方をしている子が多いですな。
家に帰ってきた子供が「あの先生の授業、全然わからん」と言ったとする。たいていの親は学校に文句を言ったり、問い合わせたり、周りのお友達と情報交換したりする。それがたいていの流れですよね。
「ウチの子も言ってるわ」とかね。
そこに「ウチの子の聞く態度に問題はないのか?」という視点は皆無です。
お友達のお母さんと情報交換すれば「やっぱりあの先生は頼りない」なんて結論にすぐなるしね。
「もっといい先生に変えてもらえないかしら」なんて。
イイ先生に習いたい、指導してほしいというのは親の願い。みんなそうです。
でも、そこに子供がどう聞いているか、どういう態度で接しているかについての視点が欠けると、今度はたとえイイ先生に習ったとしても、子供にとってイイことなんて起こらないといえるのではないでしょうかね。
モンスターペアレントっていう人種は、自分の子供のことはそっちのけで先生や学校の文句ばっかり言う人なのかもしれません。
先の中高一貫生との会話を思い出してほしいのですが、
「わかろうという気になって聞いたらわかりますよ。わからないっていう気で聞くからわからないだけだと思います」
「だってわかりますもん、その先生の授業だって」
「つまり、問題なのは聞く側ってことか」「そうだと思います」
成績がイイからどんな先生の授業でもわかるのか?
それともどんな先生の授業でもわかろうという気で聞くから成績がイイのか?
どっちだと思います?
20数年のボクの経験からの今現在の結論は、
どんな先生の授業でもわかろうという気で聞くから成績がイイ
です。
本当の意味で成績がイイ子はどんな環境でも成績がイイ!
そりゃあ。先生だっていろいろいます。ヘンな人も教え方が下手な人も。どうしようもないのだっています、確かにね。
それでも「わかろうという気になって」真剣に聞く。その姿勢なんですよね。
その姿勢があるから結局、成績がイイになっていく。いかざるを得ない。
特に教えてもらう立場の学校や塾では学ぶ姿勢が何よりも大事ってことです。
それなくして家で猛勉強しても、授業を「わかる気になって」聞いているやつにはかなわない。だって効率が違いますもん。
先の中高一貫生が言っていたことですが「わかるかわからないか」と言われれば「みんなどの先生もわかる」、ただ「おもしろいかおもしろくないか」と言われればその違いはあると言うんですな。
つまり、おもしろくない授業は確かだけど、わかるかわからないかと言われればわかると言うんですな。
多くの子供、先生の授業を聞かない子供たちは、そこがごっちゃになっているのではないでしょうかね。そしてその学ぶ姿勢には家庭での親との会話が大きな影響を及ぼします。
たとえば「あの先生、頼りなさそう」と初めて見て思った時、あなたはすぐの子供に直接ストレートにそのことを言っていないでしょうか?
基本的な学ぶ姿勢がすでにできている子供になら親の評価を直接子供にぶつけてもいいでしょうが、それができていない場合、子供は親の価値判断に準じて先生を色眼鏡で見てしまう。
そういう先生の評価をすぐに子供に口にする親は一人の先生だけを言うわけじゃない。何人の先生も評価する。それが数年・・・
子供の学ぶ姿勢はできあがります。
すなわち「先生を見て騒いだり大人しくしたりする」「授業がわかる、わからないって言う」になる。
中高一貫生が言ってました。
「わからないっていうなら、じゃあお前が授業をしてみろよ」って。
世の中はインターネットの出現でみんながいっぱしの評論家になりました。アマゾンのレビューを見たらそれを強く感じます。
書いた作者が読んだら卒倒しそうなコメントがガンガン書き込まれています。本を出版するということはそういう書評を受け入れるということなんでしょうが、それにしても・・・というコメントが多すぎる。
中高一貫生の言葉を借りるなら、「じゃあ、お前が本を出版してそれを越えるものを書いてみろよ」と。
評論することで書き手もその批評を真摯に受け止めてさらに発展していくという形が理想としてはあるのでしょうが、一億総評論家の時代にそれは望めないのでしょう。
でも、その風潮そのままに親の皆さんが学校の先生、塾の先生を子供の聞く態度がいかにとは関係なく、評論してそのコメントを子供たちに言うとしたら、子供たちの健全な「わかる気になって聞く」という態度は永遠にもたらされないといえます。
「わかる気になって聞く」気のない子供たちがこれから社会に出て、社会人になって社長を評論化気取りで批評していく。そこにすばらしい成果が生み出されるならそれでイイ。
しかし、学校や塾を見る限り、ふざけた態度の子供がやれ先生が、やれ学校がと文句をたれている。わが身を振り返ることなく、外へ外へとその攻撃性が向かっていくことで得られるものはほとんど何もありません。
ホントはね、勉強のやり方を学ぶ前にそのことをきっちりやっておかないと成績がイイ子になれる可能性が極端に低くなる。いくら勉強しても埋まらない差があるとしたら、そこなんですよね。
この前、小学校の高学年の子供が小学校で先生に「お前、殴れるのか? 殴れないだろ!殴ったら馘だからな」と言っているという話を聞きました。こういう子供が数人いれば当然ながら学級崩壊しているでしょう。
こんなガキは問題外ですが、そこまでいかなくても、それに近い態度で授業を受けているとすれば、いくらお金をかけようが、いくらイイ先生をつけようが勉強面に関しては成果は出ない。
だから、もう1回親の言動も含めて、子供の態度について考えてみるべきではないでしょうかね。これは人生の問題ですからね。
多くの子供は 本来なら先生から受け取れる知識や知恵を自身の態度によって受け取らず、もらってない!もらってない!と叫んでいるとしたら、それはもう病気ですから。
まあ、そんな子供に誰がした!?ってことですな。
親カツ講座2月号感想
サトママさんわくわく・どきどきで聞かせてもらいました。第一子の為すべてが初体験(受験・反抗期・等々)ですのでここはひとつプロの意見をと思い主人の許可をもらい親カツ講座に申しこみました。
2月号は、しっかりと受け止め私にはかなりぐっときました。そして、主人で練習して私が言おうと思いましたが、どんどん興奮して感情的になるため主人にまかせました。
当の本人は、ぬかにくぎ、のれんに腕押しといつたとこでしようか手ごわいですね~笑。次号楽しみにしています。
来年のこの頃、どんなことになっているかなんて子供は想像だにしていませんからね。だからこそ、親だけでも準備して、覚悟して、手を打っていかないといけません。
今年の夏までの6ヶ月を制したものが、その先の夏休みも、秋もそして入試さえも制するのです。
のんびりムードに流されず、お子さんにサトママさんのメッセージを伝え続けていってください。