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こんにちは、ストロング宮迫です。

起訴された清原番長の判決公判が5月31日に東京地裁で行われるらしい。

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※この毎日親技は2016年5月26日に配信したものです

先に行われた初公判の抽選は20席の傍聴席に対して3,769人が傍聴を希望して抽選倍率は188倍だそうですから、東大に入学するより難しいですなあ((+_+))

番長は48歳だそうですから、どういう判決が出るにしろ、このあとがとっても厳しい茨の道が待っていることになるでしょう。

変わらないよ、48歳は・・・

ボクは49歳だけど、変えられないもの”(-“”-)”

今、目の前のことを変えようとすると、過去10年で溜まった習慣や蓄積や負の遺産も全部ひっくり返していかないといけないんだから。

スターだった番長は、スターじゃないボクよりも、100倍はタイヘンなはずです。

清原番長の10年前といえば、西武ライオンズからジャイアンツに移籍して通算で20年やったのち、新天地のオリックスにやってきた2006年だ。

広岡達朗著「野球再生」
※この本は2007年1月に発売されたものです

2006年春。

テレビでキャンプリポートを見ていたら、ある評論家が「清原のこんなに楽しそうな顔は見たことがない。充実したキャンプを送っているようです。」とはしゃいだ声で伝えていた。

もうあきれてしまって、言葉をなくした。笑顔で取り組めるキャンプなんてあり得ない。

ということは、清原はトレーニングではなく遊んでいるのだ。体をいじめるのではなく、ただ時間に合わせて流しているにすぎない。

これを「充実したキャンプ」と平気でコメントする評論家は、すぐにやめてもらいたい。この評論家だって、いかにプロ野球の春季キャンプが厳しく、精神的にもつらいものかは分かっているはず。

まして、ベテランとはいえ、レギュラーの保証のない選手はふつう目の色を変えて汗を流す。

清原が安堵しているのは、野球をなめているのか「フロントはオレをレギュラーから外すはずがない」というおごりがあるからだ。

視聴者、読者に本当の選手の姿を伝えるのが解説者、評論家の仕事である。

この場合だったら「清原は、本当にオリックスという新天地で野球を続ける気があるのか。このトレーニングでは、1年間戦う体はつくれない。開幕を迎えたとしても、いつかリタイアするとこは間違いない。」と伝えてほしい。

まあ、これは解説者や、評論家だけの責任ではない。テレビにしてみれば、ヒーローである清原を厳しく責めるようなコメントはまったく必要としていない。新聞も同様。

清原の映像、見出しがあれば、視聴率が稼げ、部数が増えると思っている。そんな人たちの下で働いているわけだから、「本当は違うのだが」と思っていても、はっきりと言えないときもあるのは事実だろう。

これでは優秀な評論家は育たないし、将来指導者になったときに役立つような財産は得られない。かわいそうである。

現役を引退してからの生活は不安だし、評論家だけではあまり金にならないから、芸能事務所に入ってお笑い番組に出るような評論家もいる。

結局、彼らは、「これをやりたい」という目標がないのかもしれない。現役で燃え尽きてしまったとは思えないが、何が何でもプロ野球の世界で生きていきたい、という意欲も感じられない。

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もう1つ紹介すると・・・

以前、巨人のOB会で話したことがある。

「ユニホームのだらしのない着こなし、清原のピアス。どうにかならないのか。戦う者の姿ではない」。

これらに対して江川が「それは分かりますが、今の選手に指摘したところで、受け入れてくれるかどうか」。

驚いた。何で、今の選手に受け入れてもらう必要があるのか。指導する者がはっきりと「駄目」と言えば済む。

番長は先の初公判で「いずれどこかのチームのコーチや監督になりたいと思っていましたが、依頼してくるチームはありませんでした」と語ったそうですが、もうこの2006年時点では、どこからもコーチや監督に依頼するチームがないことは決まっていたってことではないでしょうかね。

人は「なぜなんだ?」と疑問は抱くけれど、「どうしてそうなったか?」については目が向かないものです。

番長だけでなく、ボクもそうだからね(*’ω’*)

でも、10年後の未来は、もう「この時の考えと行動と習慣」で決まってたんだよな。

自分がそうしてきて、来るべき時が来て、当然のごとくそうなっただけなんだけど、人はその時に初めて「なぜなんだ?」って思う。

してきたようになっただけなんだけどね。

広岡達朗さんには一度も会ったことはないけれど、高校生の頃から、常にボクのそばにいる師匠です。

広岡達朗さんはすでに読んでいただいたように昔からキレッキレのところがあって

「人間というものは、自分のできないことを要求されると反発し、理にかなったことには抵抗感を覚えるという悪しき特性がある」

とさりげなく著書で書いたりする。

広岡達朗著「成功への羅針盤」

私はしっかりした生活感覚を持っていることが、一流選手になる条件だと思っている。

生活が乱れたり、精神的に不安定になっているような選手は、プレーにおいても実力が発揮しにくくなっている。

特に家庭にゴタゴタがあると、たちどころに普段では考えられないミスをおかしたり、スランプにおちいったりする。

これは精神面で攻撃性が後退しているからで、こういう状態になると、当然プレーにも身が入らず、その選手の悪い面ばかりが表面に出てくるものだ。

人間の心というものは、断片の寄せ集めではない。すべてがつながっていて、一つの外的刺激は全体に作用する。

だから家庭は家庭、仕事は仕事と簡単に割り切れるものではない。つまり心が体を動かしているのが人間なのである。

おキライですか、このキレっぷりは?

勉強の話をするときに生活習慣や素直さや真面目さについて言わなければならないのは、このためです。

清原番長は引退することになる2008年の7月末に532日ぶりに1軍に合流しましたが、8月2日に同年限りでの現役引退を表明をする。

Wikipediaによれば、

この日に清原関連の球団グッズは5000万円を売り上げた。これはオリックス全選手1年分の売り上げに相当するという

そりゃあこれだけ反響があれば、ちょっと勘違いしてしまいますよね?

「オリックス全選手1年分」のグッズの売り上げを「たった1日」で売り上げてしまうんだからさ。

評論家もテレビ局の意向を察知して「清原のこんなに楽しそうな顔は見たことがない。充実したキャンプを送っているようです」とつい言ってしまうのはこのためでしょう。

でも、それじゃ人は「育たない」し、「将来指導者になったときに役立つような財産は得られない」んですよね。

ボクたちにはすでに生きたイイお手本があって、2012年に引退した松井秀喜は「勘違い」のそぶりを微塵も見せない。

なにが違うのか? どう違うのか?

まあ、どっちがイイと思うかは好みの問題だからいいとして、ボクたちが取り扱う「勉強」においても、ここを考えずに子供に接することはできない。

同じ積み重ね、積み上げでも、10年後にはまるで違うものになってしまうから。

あなたの今の子供への指導がまだ来ぬ10年後の子供の姿を、今もうすでに映し出しはじめているってことです。兆しはもう出てる。

してないものにはならず、したようになる。

ボクたちはテレビに出ているスターを見て、そのことを学ぶだけです。

番長が公判で泣いていたという報道を見て「バカだなあ」って笑えない。

ボクたちやボクたちの子供が似たようなことをして10年後を迎えないとは限らないし、そっちの方向に今向かっているのに気づいていないだけかもしれないからね。

ボクもどっちかというと番長系だから、師匠の広岡さんの言うことを何度も噛みしめてきた。

広岡師匠のこの指摘なんか、親であるボクらは噛みしめないといけないんじゃないか。
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広岡達朗著「成功への羅針盤」

ちょっとした選手との会話の中に、本人も気づかない重要なヒントが隠されていることもある。

指導者がふんぞり返ってファームや練習場に足を運ばなければ、選手とのコミュニケーションもままならず、選手が持っている可能性も死んでしまうだろう。

ただ練習を眺めているだけではなく、指導者と選手は言葉を交わして情報を交換するべきなのだ。

理屈抜きに毎日、同じことを疑問を抱かず、迷わず飽きず一心不乱に繰り返して初めてその「習慣」が「天性」に変わり、自分のものになるというわけである。

しかしこれはある意味では大変な努力と忍耐、そして強い信念が必要なことだ。

これまで自分の体に浸みこんだ動きというものは、一朝一夕で払拭できるようなものではない。しかもプロ野球選手という、この世界では頂点にたどり着いたような選手たちである。プライドもあるし多少の知識も持っている。

「このやり方で本当にいいんだろうか」という疑問、迷いが、こうした反復練習の間、常に頭を支配し続ける。

さらに悪いクセを矯正する段階で、一度は必ず極端な技術的な後退とその恐怖の洗礼を浴びることになる。自分はむしろ悪くなっているのではないか、という恐怖が選手にとり憑く。

しかもその迷いを救済すべき立場にいる指導者もまた迷い、優柔不断だった場合、さらにまた元に戻すという、最悪の判断をしてしまうことも多いのである。

この指摘は勉強法について、そっくりそのまま当てはまる。

多くの親が「基本からやりなさい」「基本だけでもしっかりできるようにしなさい」という指摘を知ってはいても、聞けないでいる。

「とりあえずやる、満遍なくやる、一通りやる」ことは「こなす」だけであり、力にならないと言っても、わかっちゃいるけど、やめられない。

それはイイんですよ、あなたの選択であり、決断なんだから。

でも子供の「練習を眺めているだけではなく」、親と子供は「言葉を交わして情報を交換するべき」なのは選択の余地はないんです。

結果だけでを見て、やいのやいの言うのは親が「ふんぞり返っている」のと同義だからね。子供とのコミュニケーションがままならなければ、結局子供が「持っている可能性も死んでしまう」んだから。

広岡達朗さんはもう何十冊も本を出している稀有な野球人だけれど、どの本にでも必ず書いているのが「人は育つ」という信念です。

2016/4/14 名将・広岡達朗氏(84)が緊急寄稿

指導者というのは、根気よく選手を教える義務がある。育てるのは時間がかかるもの。簡単なことではありません。

私がロッテGMをしていたとき、伸びきれない選手について、あるコーチが言いました。「下手に教えたらバラバラになってしまう。今でもなんとかいけるんで、今のままでいいと思います」。

私の考え方はまったく逆です。その選手のためにバラバラにしたらいい。そこからいいものを作り上げたらいい。5の選手が1になってしまうかもしれない。

しかしその責任を背負い、10を目指して根気よく教えるのが指導者でしょう。

その信念は一人の選手によって広岡達朗自身が教えられたと、どの本を見ても書いてある話があります。

1970年から2年間、コーチとして過ごした広島カープで、当時の根本陸夫監督から外野手の苑田聡彦を一人前の内野手に育ててくれと頼まれた。

広岡達朗38歳。

前年の1969年に東京六大学のスターで、のちにカープの看板打者になる山本浩二が入団し、外野手の苑田聡彦は外野から押し出される形で内野手への転向と相成った。

広岡達朗著「成功への羅針盤」

・・・外野から転向してきた苑田である。

そもそも私が最初に彼を見たとき、内野手向きの体型もセンスもまったく備わっていないと感じた。ゴロを捕る形も悪いが、いくら教えても打球の正面に入ってこれないのが致命的だった。

その当時の私の考えは、この選手はとてもじゃないがモノにならない、最悪の状態だという結論だった。

もちろん選手本人がどれほど悩んでいたのかということも、わからない。

またあとから考えれば、私も最初から高いものを求めずに、基本からていねいに教えていればという反省もある。

しかし、苑田は、何度失敗しても怒鳴られても、一生懸命必死に球に食らいついてきていた。

あとでほかの選手から聞いたのだが、あの時の苑田はあまりにも守備について悩みすぎ、深刻な神経性の脱毛症にかかっていたくらいだという。

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だが、そんな彼の努力にかかわらず、非情にも相変わらず成果は全く見えなかった。

半年を過ぎ、一年になろうとしてもどうにもならない。その結果から判断した私は、たまらなくなって根本監督に申し出た。

「みんなまずまずのレベルにきました。しかし苑田だけはどうにもなりません。外野に戻しましょう」

すると根本監督は言った。

「戻すのは簡単だよ。しかしせっかくコンバートしたんだ。もう少し様子を見ようや。あわてることはない。お前は二年契約なんだから気長に辛抱してみてくれんか。もし2年間やってダメというなら、オレも本人も諦める。答えが出なければオレの責任だから心配するな。お前はただ誠意を込めて、苑田を見てくれればいい」

しかし、やはり内心では苑田が上達するとはどうしても想像できなかった。

ところが人間に備わっている可能性というものはわからない。

ほとんどサジを投げていた苑田が、一年半たった夏ごろには驚くほどうまくなった。

毎日の守備練習は、まずはやさしい打球のノックから始まり、次第に難しい実践的な打球、意地悪な打球にしていく。こうしたノックと守備のうんざりするような反復が続く。

こうした練習中、最初のうちは全く打球の正面に入れなかった苑田がスッと正面に入り、まるでボールを吸い込むようにグラブをさばくようになっているではないか。

意外な結果に嬉しくなった私は、本人をほめたい気持ちを必死で抑えて、周囲のチームメートに聞いてみた。やはり苑田はうまくなっていると異口同音に答える。

こうしたとき簡単にほめたりお世辞を言ったりしては元の木阿弥になる可能性がある。また選手も、その一過性の結果に溺れ、天狗になるようでは本物ではない。

次に苑田本人に、「どうだ。最近、自分の守備は」と質問すると「教わったとおり、一生懸命やっています」と繰り返すばかり。

自分はうまくなっただろう、というような慢心のかけらもない。その時、これは本物だと私は確信した。

「まわりがサジを投げたような男でも、本人のやる気さえあれば必ずモノになるのだ。すべての選手に平等に可能性が埋もれている。指導者は信念をもって諦めず、それを生かしてやらねばならないのだ」

苑田の体験から私は、初めて選手から逆に教わったのである。

広岡さんが「初めて選手から逆に教わった」と言わしめた苑田聡彦氏はカープ一筋50年(選手として1964年~1977年)で、現在71歳ですが、今もスカウト統括部長と重職をこなされています。

通算安打数は403安打。選手人生はわずか14年ですよ。

そのあとの40年、選手時代の3倍の年月をスカウトとして今なおまっとうし、数々の名選手を獲得すのに手腕を発揮してきた。

ここにね、清原番長の判決を前にしたときにボクらが学べる人生のあやというようなものがあるんじゃないでしょうか。

ボクはこの広岡さんの話が大好きです。本や書く場所によって、少しずつ言い回しが違うんだけど、38歳だった広岡さんにとってその後の人生を決定づける出来事だったんだろうと想像します。

「人は育つ」「確かに育つ」って確信ある信念を持ってやってたら、二人目からはもっと早く育ったはずだ。「ほらみろ」って思うくらいに。

親はね、根本監督でなければならないし、広岡コーチでなくてはならない。兼務なんです。

その上ね、親は子供に接するとき、何人か誰かよその子で練習してから臨めるわけじゃないんです。

いきなり本番なんです。

もういきなり目の前に「苑田聡彦」が出現するんです(;^ω^)

そして「二年契約なんだから気長に辛抱してみてくれ」と励ましてくれる人はあまりいないし、「答えが出なければオレの責任だ」と責任を肩代わりしてくれる人もいない。

監督もコーチもこなして、全責任も背負って、練習も一緒にして、結果も出さなければならない(/・ω・)/

だからねタイヘンなんですよ。子供を真に育てようとするならね。

もう、そんなバナナ・・・なんて言ってる場合じゃなくなるからね。

外部もうまく利用しながらやらないと身が持たない。しんどいから、それがいつのまにか外部に任せっぱなしになるのもよくわかる。

ただね、子供に対して真剣に取り組むと「教えている」と思っている対象から学ぶことが絶対に出てくる。

「教えている」のに「ありがとう」って言いたくなる事象がいっぱい出てくるんです。

広岡さんの「苑田の体験から私は、初めて選手から逆に教わった」現象が親が子供から学ぶってことがいくつも出てくるんです。

だからね、「ああ、やっててよかった」って思える。これは自分の人間としての成長を感じられるから、すっごい喜びになる。

子供を土台にして自分が成長するんだ。そういう意味では「子育ての素人」の私たち親はとっても「罪な人」ともいえる。

ただそのぶつかり合いを通じて、人として、その後の人生を自信をもって歩める信念に出会う。

まあ、これはわかる人にはわかるし、わからない人にはうまく伝えられないことでもあるんですけどね。

親技は、その「相当しんどい」けど「爆発的な喜び」があるところへ行きましょうよ!って誘ってるんですよね。

親技がマニアックなところは「相当しんどい」のは保証されているんだけど、「爆発的な喜び」のほうは保証されていないってことなんです(;^ω^)

親技実践者は毎夜悩み続けているんですよ。

「このやり方で本当にいいんだろうか」という疑問、迷いが、こうした反復練習の間、常に頭を支配し続ける。

さらに悪いクセを矯正する段階で、一度は必ず極端な技術的な後退とその恐怖の洗礼を浴びることになる。自分はむしろ悪くなっているのではないか、という恐怖が選手にとり憑く。

しかもその迷いを救済すべき立場にいる指導者もまた迷い、優柔不断だった場合、さらにまた元に戻すという、最悪の判断をしてしまうことも多いのである。

だから、あまり誘っても付いてくる人はいないけれど、まあ少しでもいればね、それでいいんですよ。

さて、もうそろそろ終わりかなって思っているんだろうけど、そうはイカのキン●マなんです

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最後に清原裁判を前にして、ボクたちが子供に対してやらねばならないことはハッキリしていることを記しているとボクが感じる箇所を示して終わりにします。

野球の話ですが、うまく自分の土俵に引き寄せて、乗せて、あなたの生活に当てはまて読んでくださいね。

広岡達朗著「成功への羅針盤」

私はアメリカに行くと時間が許す限り、私のアメリカの友人ジェフ・トーボーグから話を聞くことにしている。

ある時、こんな話を聞いたことがある。

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「私はホワイトソックスの監督として就任した1年目に、164試合で92敗しました。しかしあることを徹底したことによって、翌年は94勝になった。

チームというのは、やり方によって大きく変わるものです。いったい私が何をしたのか。具体的にはこの年、私は選手に三つのことを強要したんです。

一つは時間厳守、バスに乗るにしても練習時間にしても、とにかく時間厳守。

二つ目は、グラウンドに出たら一分一秒たりともハッスルを怠らないということ。

三つめは、選手が公の場で監督やコーチのメンツをつぶすような行動、発言を慎むこと。

もし何か感情的なもつれで問題が起きたならば、監督室なり個室に行って戸を閉め、そこでコミュニケーションを交わすということです。

同時に監督も選手の恥になるような、選手のプライドを傷つけるようなことはしないという相互信頼も大事です。

練習においても、監督である自分が希望している練習法や時間内に自分が要求することを彼らがやっていないときは、そのことに対する自分の気持ちを相手に厳しく、率直に伝えます。

多くの監督が過ちを犯す原因には、選手と話すときに選手に好かれるようなことを話しがちになることだと思いますよ。私はそうではない。

選手がイヤがっても、聞きたくなくても、耳に痛いことでも、自分が思ったことは直接、話します。そして常に選手とはコミュニケーションを密にします。

一般的には、監督と会話できる選手は、調子がいい選手か、いつも試合に出ていて役に立つような選手が多いみたいですが、不平分子、あるいはベンチ・ウォーマー、そういう選手こそ、会話を交すことによって勇気づけることができる。

しかし、これだけやっても自分の思いどおりにやってくれない選手に対しては、当然私も頭にくる。胃も痛くなる。

そのときにはフェース・トゥ・フェース、顔と顔をくっつけて選手にやってもらいたいこと、求めていることを率直に話すわけです。

それでも理解できない場合は残念だが、自分の野球に沿わないから、誰か君の代わりを連れてくるよと言うけれどもね。

その選手と話すときには、誰の援助も保護もいらない。自分で最終決断を出すわけですから、こういうことを言ったら選手が怒るかな、気分を悪くするんじゃないか、そんな機嫌をとるようなことを考えて話をするというのが、一番いけないことです」

「広岡達朗祭り」は、これにて完!

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うれしい報告

中3 nanakoママさん

中2の年末の塾の懇談会で受験生になれば、お子さんはやる気になりますよと話を聞いて、ふと違うのではないかと感じました。

ストロングさんは受験直前までやる気になりませんと言われていたし。

そのときはなぜか感じて、それで中2の学年末テストからはぶーぶー言われながらですが、2週間つきっきりでテスト勉強に励みました。

机に座っているから、塾に行かせているから、大丈夫ではなかったです。

英単語などの暗記物の覚え方や数学などの繰り返し問題を解かなければならない教科、なにもしていない、机に座っていただけの勉強になっていたんですね。(省略)

幸い親子関係は良好で大きな声を怒ることもなかったので、いきなり横に座っても文句は言われましたが大きな問題にはなりませんでした。

横に座ってじっと息子の勉強をみて、どう勉強したらいいのかわからないままほおっておいたと思うと、いけないとは思いましたが息子の前で泣いてしまいました。

さすがに学年末テストは範囲も広く、1学期2学期の内容も出ていたので大幅アップとはいきませんでしたが、今回の中間テストでは平均点5教科で80点以上になりました。

ありがとうございました。まだそんなに良くはないですが、これまで60点平均程度のわが子からすれば飛躍です。

結果的に子供の前で泣いてしまったことが気持ちを伝えるのにはストレートで良かったみたい。

次は9教科。その前に実力テストがあります。あと1年、といっても1年もないですが、結果を恐れずに頑張ります。(省略)

子供に対して怒って泣いたのではなく、「放っておいてゴメンね」と泣いたと。

自然と出てきた気持ちや感情だからこそ、お子さんには届いたのでしょう。

平均80点以上、といっても数学と英語は少しヘコんでいるようですから頑張らねばなりません。

でも、この1年間がなにものにも代えがたい1年となることでしょう。

壁も出てくるでしょう。6月の中旬の実力テストは苦しむことでしょう。

でも、それがステップ。頑張っていきましょう!!

イイ話を聞かせてもらいました。ファイト!!

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