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こんにちは、ストロング宮迫です。

先日、産経新聞にこんな記事が出ていました。

子供のネット接続時間を管理 家庭用ルーター発売

NECとNECアクセステクニカは、子供のネット利用時間を制限できる家庭用Wi-Fi(ワイファイ)ホームルーターを発売すると発表した。

保護者がスマートフォン(高機能携帯電話)を通じてネット閲覧など子供の接続時間を管理する。想定価格は単体で5000円前後。年間10万台の販売を目指す。

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※この毎日親技は2014年5月22日に配信したものです

この新たに開発した装置では、保護者が専用ソフトを使い、子供が使う端末の接続を設定するんだとか。

考えるねえ、企業も。5000円出してくれれば、子供のスマホでのネット閲覧など接続時間を管理できますよ!ってわけです。

しかし、この機械便利でイイねと思って購入しようとする家庭では、想定した「接続時間を管理」が思うようにいかないであろうとボクは見ています。

ちょっと極端な言い方をすると、子供に「てめぇ、スマホがつながらねーじゃねーか。なにヘンなもんやってんだよ。解除しろよ」って言われたら、親が解除しちゃうからね。

装置があっても意味なし!

ハードのスグレものをいくら入れても、親と子のソフトの関係ができていなければ、全部パーですから。

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しかし、親と子のソフトの関係ができている家庭でこの装置を導入すると、約束を守るとか節度を持ってスマホを扱うとか抽象的なものになりがちなものに実質的な意味を加えることになるでしょう。

買わないだろうけどね。

つまり、この装置が実質的に機能する家庭では購入されず、機能しない家庭でこの装置が購入されるという、なんとも妙なことになるんじゃなかろうかと思っているんですが、皆さんはどう思います?

それでも親は子供に何かをしているという証がほしくてハードをどんどん買う。塾に行かせる。習い事に通わせる。子供にお金をジャンジャン使う。

子供という相手がいるのに自己完結して自己満足するんですな。

スマホや携帯についての私の考えはバックナンバーを参照ください。

スマホを制する者が勉強を制す

「オイ、コラ!」って言えばいいのに・・・

ハードも大事だけど、それ以上にソフトが重要です。ハードを使いこなすためには使う側がしっかりしてなくちゃいけない。

特に相手がいる関係においては、自分に足りないものをハードは補ってくれません。

装置がなくても、子供のスマホを制限できる人が新しい装置を使いこなせる。

これによって何が起こるかというと、便利なものや装置ができればできるほど、良くなる人はますます良くなり、悪くなる人はますます悪くなる良循環と悪循環の格差ですよね。

もっとよくなる、もっと悪くなるが加速度的に進行する。

便利なものを使いこなせる人とそうでない人の差が恐ろしいくらい開くのは自明の理です。

それは「知恵ある者と愚かなる者」と表現してもいいのかもしれない。

私たち親は自分自身が「知恵ある者」であろうとするとともに、子供たちにもそうなるようにしようとしているわけですね。

では、いったいこの「知恵」とは、どんな概念なのか?

山本七平先生の本から少し長いですが引用します。興味のない人は読み飛ばしてもらって結構ですよ。

山本七平著『人間集団における人望の研究』

・・・では、いったいこの「知恵」とは、どんな概念なのであろう。

元来は「わきまえ」「たしなみ」「つつしみ」といった意味であることは前に述べたが、それを一言で言えば「自己抑制・自己統御」である。

そして、人間が何らかの意味で「賢者」になるには、自己抑制に基づく修練を要請されることは自明であろう。

前に鍛冶工、織工、操舵手といった人も「賢者」と呼ばれていると記したが、いわば職人がその技術を獲得するためには、まず自己抑制に基づく長い修練が必要であり、それによってある種の能力を獲得しているのだから、これも「賢者」と呼ばれて不思議ではない。

そして社会人となり、社会的な「知恵」のある「賢者」になるにも、いわば「王師」になるにも、同じようにある種の能力を獲得するために自己抑制が必要なわけである。

この考え方は「職人は官営工場の職場で自分の仕事を完成し、君子は学の場に入ってその道を完成する」といった『論語』の言葉と、ある種の共通性を持っている。

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人間は生まれながらにして「自己抑制」の力を持っているわけでなく、倫理的なわけでもなく、したいことをしたいのが赤ん坊である。そして、その欲望が満たされれば喜びを感ずる。

これはあくまでも事実であり、この傾向は大人になっても残るから『箴言』が記しているように「盗んだ水は甘く、ひそかに食べるパンはうまい」し、他人の迷惑を考えずに「七情」を野放しに発散すれば気分はさっぱりする。

そして、この状態から脱して「自ら治める」すなわち「自己抑制」が可能になるのは、一に教育・訓練、または修養という自己訓練によるのであって、それによって、その資質がはじめて獲得できる。

『論語』は、「教えありて類なし」で、人間に生まれながらの類別があるのでなく、教育によって人はどうにでもなると考えたように、『ベン・シラ』も同じように考えている。

この点、中国人とユダヤ人は徹底した教育民族であったと言ってよい。

これは両者ともに平等主義が前提であり、たとえば「君子と小人」、「知恵ある者と愚かなる者」、「覚者」と「愚者」といった一種の”階級”は、血筋や出生、また貧富によって定まるのでなく、一に、教育と自己修練によって定まるものであると考えている。

『近思録』に記されているように、聖人になることは万人に可能なのであり、それは自らを教育する意志があるか否かの問題なのである。

そこで幼児からの教育を両者ともに、その人を形成する決定的な要因であると考えていた。

『ベン・シラ』には、次のように記されている。

「子を甘やかす人は、その子の傷に手当てしなければならなくなり、その子が叫ぶごとに父の心は引き裂かれる。

よく馴れていない馬はすぐ拗ね、したい放題をしている子は頑固者になる。したければ、子をちやほやするがよい、そうするとあなたは子を恐れるようになるだろう。

子とたわむれるがよい、そうするとあなたは子に泣かれるようになるだろう。

子とともに笑うな、あなたが子ととも泣きたくないなら。結局あなたは、歯ぎしりすることになろう。

子が若いときには自由を与えず、その愚かな行為を見すごすな。

子が若いときには背をかがませ、また子どもの頃から、脇腹を叩け。そうしないと彼はあなたに背き、言うことを聞かず、あなたを悲しませるだろう。

子を育て、つくり上げよ、そうしないと彼の無礼をしのばねばならなくなる」

『箴言』も厳格な教育をすすめており、その中には、いまの甘い親が読んだら驚くようなものが少なくない。

「鞭を加えない者は、その子を憎むのである。子を愛する者は、努めてこれを懲らしめる」

「子を懲らしめることを差し控えてはならない、鞭で彼を打っても死ぬことはない」

「鞭と戒めとは知恵を与える、わがままにさせた子は、その母に恥をもたらす」等々に驚く人もいるかもしれない。

だが、「鞭を加えない者は、その子を憎む」に注意していただきたい。

常識(中庸)を否定し、子どもが暴れたいだけ暴れ、それが可能なように学校をつくりかえろといった主張は、一見、子どもを愛しているようだが、現場のまじめな教師は「なんて愛情のない、冷たい言葉か・・・」と腹の底から怒りがこみあげてきたのである。

いわば真に現場で教育を行なっている者には、その主張がその子を憎む言葉だったからである。

これは、たとえ鞭で打っても、子どもに「自己抑制」「自らを治めること」を叩き込めということである。

それによって人は初めて知恵を覚え、これによる自己抑制があってさまざまな能力を獲得し、「賢者」になれる。

いわば平等主義は、教育主義・能力主義にならざるをえない。ということは、人間が社会的動物であり、分業が存在するかぎり、これを統御し調整する者が必要になるからであ。

簡単に言えば、いかなる平等社会でも、組織には必ず「上中下」があるということである。

この「上中下」が、血筋・身分・階級などで生まれながらに決定していれば別だが、そうでなければ「教養」という「束縛」で自己制御して、自らを教育することができる能力のある者によって上中下が定められねばならない。

そしてこの能力には、当然、「徳」「知恵」といった能力も含まれる。

また、これとも別の技術的能力も社会は要請するが、それを獲得するにも自己抑制が必要なことは言うまでもない。

だが、その獲得した能力の質、種類、方向などによって、社会が上下の分業という形になることも、また事実であり、これは平等社会でも変わりない。

前に記した『孟子』は、「君子と野人」は、社会秩序樹立のためどうしても必要で、野人が君子に食糧を提供することは、鉄工や陶工に食料をわたして、その製品と交換するのと同じことだと述べている。

「自己抑制」や「自らを治めること」が勉強にも大いに関係があり、それは成績を左右するとボクは思います。

「わがままにさせた子は、その母に恥をもたらす」であります。

山本七平先生については以下の毎日親技も参照ください。

寛大だが、しまりがない

母の日に母親を考えてみる

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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・・

中2 まさちんさん

今までの塾の先生学校の先生には言われたことのないことが容赦なくはっきり書いてあり自信が持てました。と言うと、すべてバッチリできてますとなれば良いのですが。

いままで色んな教育本などを読んではきました。しかしいつも一般論ばかりで、読んでいても、では家の子にはどうすればいいのって感じでした。

鉄則を読んで具体的にどうすれば良いかは、わかりました。後は実行ですね。

「どうもガッツがない!」と感じられるとのこと。でも、部活をし、8時9時に帰っても、朝は6時半には出て行く。

ガッツ、あるじゃないですか!!

どうしたらいいの?と思ったら、まず30分、30分だけお子さんのそばについて勉強を見守ってみることです。

アドバイスできること、ありませんか?

今までできていなかったことを毎日30分やれば、必ず成果は出ます。まずはそこからやったらいいですね。実践報告を待っています!!

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