こんにちは、ストロング宮迫です。
北海道を除けば、梅雨ですからジメジメしたりするのは仕方ないんですが、ボクの周りでは天候が悪いと体調がすぐれないと訴える人が実に多くなっています。
トシなんですかねえ・・・
さて、先日、ツイッターを見てたら、こんなのが目に入ってきた。
小学校の算数では計算の反復練習による精度向上が重視されているが、それは論理的思考能力とは全く違うもの。算数・数学の学習内容を全面見直しした方がいい。 / 「生活の科学」としての数学教育で、論理的思考力と…
http://t.co/ZehRbtOKXn #NewsPicks
— 夏野 剛 Takeshi Natsuno (@tnatsu) 2014, 6月 10
まあ、よく見かける論調ですよね。同じような内容を言ってくる親の方にもこれまでたくさん出会ってきたし、それに多くの方が同調されるのも見てきた。
でも、ストロングは「それは違うんじゃない」と思うのでそうお答えしてきました。
夏野剛さんのつぶやきは以下の記事を見てのコメントだったみたいですね。
「生活の科学」としての数学教育で、論理的思考力とコミュニケーション力を育成
和洋国府台女子中学校・高等学校 数学科 室岡正義
ちなみに夏野剛さんという方は皆さんよくご存じだと思います。経歴も輝くばかりで、いろんな意味で影響力のある方でしょう。
でもね、違うんだよ、たけし!
夏野さんは言います。
小学校の算数では計算の反復練習による精度向上が重視されているが、
それは論理的思考能力とは全く違うもの。
本当にそうでしょうか。
「計算こそがいちばん論理的思考を求められる問題じゃないのか?」とボクは思います。
どうです、皆さんのお考えは?
確かに論理的思考を身につける別の方法はあるでしょう。
でもね、日々子供たちは計算練習をやっている、やらされているわけです。
それをナシにして「違うことやろうよ!」ってやるよりも、今やっていることで成果を上げていく方がいいと思いません?
すごいのをどっかから持ってこなくてもいいから、目の前にあるものを大いに利用するってわけです。
そもそも「計算は論理的思考でやるものじゃない!」っていうのが前提になっているじゃなかろうか?
まあ評論家も先生たちも自由に好きに意見を言ってくれていいですけど、子供たちのそばにいるお母さん(お父さん)にはどうしても知っておいてほしい、
論理的な思考が求められる一番初歩の問題が計算問題だということをね。
ちょっとした親技を使えば、計算問題をやっていきながら、論理的な思考を身につけることができるから。
論理的に、筋道立ててちゃんと考えればたった1つの答えに行き着くのが計算問題。誰がやっても、どんなに時間がかかっても答えは1つ。
それを10秒でやる子供もいれば、10分でやる子供もいる。
「できた!」は一緒でも同じ問題を「10秒」と「10分」でするのは違いますよね。
なにが違うのか?
論理的思考です!!論理的に考えられるかどうか。
ちなみに「論理的に考える」を私たちは「できるだけ楽ができるように工夫してやれ」と言っているんです。
論理的思考ができれば、簡単に、速く、ミスなく処理できる、ボクはそう思っているんですがね。
塾なんかでは1日10問とか、計算帳を渡されて家でやって塾でテストとかやっているところもありますよね。
もちろん一定量の反復練習は必要だから、やり方を知り、練習する必要はある。その上で、計算問題は一定量の反復練習を終えれば、毎日しなくてもよいと親技では提案しています。
「もうできる」ってなったら、毎日練習するのではなくて、日々の算数や数学で出てくる問題の中で必然的に出てくる計算をどうやったら楽ができるか、工夫できるかを考えてやればいい。反復しなくてよいと言っているわけです。
タイガー山中なんか受験生が何の考えもなく計算問題をやっていたら
「お前、暇なのか?」
って言いますからね。
受験生でも計算問題の反復をしないといけない連中はたしかにいます。でもそれは一定量の反復ができていなくて、かつ論理的な思考ができない連中です。
世の中に出たら学校の勉強なんて意味がないと人は言う。世の中に出れば答えがない問題を解かないといけないんだと世間は言う。
じゃあ、小学3年生に答えのない「集団的自衛権」や「売上・収益を最高にするための方策」を考えさせる練習を早いうちからしたらいいのか?
答えはノーです!
人は何でも簡単なものから取り組まないとイヤになるんです。
できるもの、やりやすいものからやるんです。
だから、答えのない問題に取り組む準備として、今、たった1つしかない答えを素早く出せる練習をしている。論理を磨くために。その論理を磨くための一番最初の初歩的な練習が計算問題でしょう。
公文って世界中で広まってるんでしょう?
もう「公文」じゃなく「KUMON」だからね。世界中で同じ問題のプリントを使っているとこの前聞きました。すごい!
「KUMON」やっていたのに文章題になるとできないとあちこちでいわれています。
じゃあ、みんな「KUMON」やっていた子供たちは文章題ができないのか?
答えはノーです!
あなたの子供だけ、計算ができて、文章題ができないんです。
なんでか?
それは計算が論理的思考だという考えがないからです。
論理的に解かないと計算なんて意味がないんです。
論理的に考えるから工夫の余地があるし、できるだけ簡単にもできる。
じゃあ、この子は論理的に考えているかどうかをどう判断するのか?
そばで見ていればそれはすぐわかる。途中の式を見ればね。
じゃあ、そばで見ていない子供が論理的思考で計算をやっているかどうかをなにで判断するかって言ったら、それは「かかった時間」です。
問題を見て、子供がそれを解くのに「かかった時間」を見れば、論理的にやったかどうかがわかる。
そりゃあ、わかりますよ、「10秒」でできるものを「10分」かかってたら「お前、論理的に考えろよ」ってなるもの。
誰でもが取り組めて、そして誰もが初歩の論理的思考を身につければ、みんな「10秒」になる。「KUMON」はそれをやっているわけだから。
いやいや、「KUMON」で子供の学年よりも4年先前進んで小学生なのに中学生の段階まで進んでいたのに文章題ができないんですって!?
なにやってんのよ。
そういう子は「計算のやり方」だけを学んだ子供なんですよね。「やり方」がわかれば誰でもできるのが計算。だって初歩だから。
車やバイクの運転だって今の中学生くらいならみんなできるでしょ!小学生でもできるかも・・・
やり方さえ知っていたら、それに身体的なものが整っていれば誰でもできる。
でも、計算はやり方を知っていたって、自分の学年よりもずいぶん先のやり方なんて知っていても、全然自慢にならないんですよ。
なぜか?
計算は論理的思考を養うものだから。
3+7=10
これらが一定量反復して速くできるようになったら、今度は
「じゃあ、3+7=10の式を使って問題を考えてみようか?」って、やらなきゃいけない。
当然でしょう。論理的思考を養うためにやってんだから。
X+2y=1
X=y+4「ボク、この連立方程式できるよ!」って子供が言ったら、
「じゃあ、この式が成り立つような問題を作ってみようか?」って言わなきゃいけない。
あったりまえだ!論理的思考を養うためにやってんだから。
四則演算だって連立方程式だって、誰でもできますよ、やり方知って練習すれば。
それで「すごい!」って思っちゃったの?
教科書には計算したら今度はそれを使った文章題がそのあと必ず出てきます。必ずです。
計算はできるけど、文章題になるとできないって!?
それは「計算のやり方」だけ知って、計算を論理的思考で解かないからですよ。計算ができたら、今度はその式を見て問題を考える。
中学生に
3+7=10
「この式を使った問題文を作れ」といえばすぐ作れちゃいますよね?
じゃあ、これで↓↓↓作れよ!
5x+10y=1500
x=y+30
できないって!?
じゃあ、少し戻ろう。これならできるかな?
X+3=10
できるよね。
じゃあ、これは?
2x= x +12
できる? できない?
できなかったら、1つ前の単元にに戻ればいいだけ。戻ってやってみたら、できるできないの判断できる。
問題がどうしても思い浮かばないのであれば、実際の問題を教科書で見てみればイイ。
◆りんご5個とみかん10個買った。代金の合計は1500円だった。りんご1個の値段はみかん1個より30円高い。みかんは1個いくらか。
◆弟が家を出て毎分40mで歩く。その5分後に兄が毎分60mで追いかける。兄が弟に追いつくのは家から何mの地点か。
◆3%の食塩水と12%の食塩水を混ぜて10%の食塩水を900g作りたい。それぞれ何gずつ混ぜればよいか。
バリエーションはいくらでもできる。腐るほどできる。おつりが出るほど出てる。
これらの問題を解くために、その前段階で必ずこれらの計算問題をやる。計算ができる、論理的に考えてできるということはその式を見たら文章題が出てくるようになるということ。
ここまでをやればいいのです。
文章題は思い浮かばないけれど、計算だけは猛スピードで正解します!は「計算の課題」の半分しかこなしていないということになります。
もったいない勉強のやり方です。
計算はできるけど、文章題になるとできない・・・という状況であれば、「子供に損をさせているなあ」と気づくべきですし、簡単なことからでいいので計算を論理的思考でやるようにしていけばいいのです。
その初歩の初歩の論理的思考である計算がちゃんとできないのに、応用がとか論理的思考がなんて言っているから、いつまで経っても・・・なんです。
もう1回紹介しときますよ。
小学校の算数では計算の反復練習による精度向上が重視されているが、それは論理的思考能力とは全く違うもの。算数・数学の学習内容を全面見直しした方がいい。 / 「生活の科学」としての数学教育で、論理的思考力と…
http://t.co/ZehRbtOKXn #NewsPicks
— 夏野 剛 Takeshi Natsuno (@tnatsu) 2014, 6月 10
こういうことを言うのは子供たちに教えたことがない人の言葉だと思いますね。
たかが計算、されど計算です。
計算練習して、そのあと文章題ができる子供とできない子供に分かれる。
「KUMON」やって、すごい子供になる子供いれば、ならない子供もいる。
それは計算の問題でも「KUMON」の問題でもなく、計算問題をどうやらせたかという、やらせた側の問題なのです。
みんな、親技ではそういうふうにやらせていますよ。
やってなかったって!?
やってない人は言うでしょう。「計算なんかやってても・・・」って。
でも、それは子供の勉強を真剣に見て考えたことがない人が言うことだとボクは思います。
タケシ先生に習った子供は残念ながら文章題ができない子供になるでしょう。
だって筋道立てて計算ができない、論理的でない子供に思考力を試す問題ばっかりやらせるから。
やらせてもできないから大汗かきながら説明ばっかり自分でしちゃって時間を使うのに、子供は家に帰ってもできないし、テストでもできない。そして自分だけが詳しくなってできるようになるっていうパターンですな。
決まり文句は「お前、もっとしっかり考えろよ!」
キター!これ、相手を黙らせる殺し文句ね!
こういう先生に子供が当たったら悔やんでも悔やみきれないから、ぜがひでも親が救出に向かわなければなりません。シュワッチ!
ただねえ、世の中は、こういう人の意見が採用されて学習内容はまた全面的に改定されていくものです。それが歴史から学べることだから。
しかーし、問題はありません!
文部科学省やタケシ先生がどんなに変えようがボクたちが子供たちにやることは一緒だからね。シュワッチって飛んでいかなくても目の前にいるからね、子供が。
そして、計算問題を論理的思考を使ってやるのです。カイケェーツ!
ヌァッハッハッハッ!
今日もジャイアンツが絶対必ず負けますように!
「スーパースター長嶋茂雄も人間だった!?」もこれを機会に是非読んでください。
※あなたの家でもこうしたことが起こってほしいと願っています
ノリ勉[算・数] 5日目の報告
小3 ひまわりさん
◆「できない問題」へ取り組む様子はどうでしたか?:
結果的に、昨日選んだ「できない問題」4題をやさしい順にすべて説明してくれました。(分配算の標準問題2題、ハイレベル問題1題、最高レベル問題1題)まずは昨日のストロング先生の助言をもとに、小分けにして、やさしい2題を説明してもらうことにしました。
1題目は、はじめは説明がたどたどしく、考え考え一生懸命に言葉にしていました。質問をしたり、褒めつつ再度説明を求めたりしているうちに、だんだん流暢になり、ノリノリになってきました。
2題目(1題目の応用)は、線分図の意味、式の意味もちゃんと説明し、
「この問題のキーワードはここだ!」とか「塊を考える問題にでてくる差の数字は、塊よりも小さい数字だ!ひらめいた!」とか、言い出しました。
ここで、「この2題で説明は終わりにしよう」と言いましたが、「後の2題も絶対やる!」とノリノリで言われ、説明してもらうことにしました。
3題目(ハイレベル問題)の説明はこれまでよりもさらに上手になり、頭の中が整理されてきたのがわかりました。
無謀かもと思っていた4題目(最高レベル問題)も、ノリノリですんなり説明してくれたのには、正直驚きました。私も、またまた褒めちぎりました。
説明を終えて、子どもがひとしきり(5分ほど)興奮ノリノリで語ってくれました。
「教えてポン!の意味がわかった。知恵がポン!と出てきて楽しくなるという意味だ」
「説明してると、どんどん頭にうかんでくる」
「ノリ勉で算数をしたら、国語の能力も算数の能力も身にく、一石二鳥だ」
「もうこの問題は間違えなくなる気がする」
「夢に向かって一歩近づいて、山を登った気がする!レッツゴーだ」
これまでにない、あまりの語り様にあっ気にとられました。
◆親の気づき・反省・問題点:
今までにない頭の回転と興奮と、勉強の楽しさを経験できたのだと思います。自信もついたようです。
子どもにとっては、エポックとなるできごとだったと感じています。
最初は、数字をひとつ換えただけの基本問題を間違えていたのに、短期間で、発展問題が説明できるようになったことに驚きました。
そのうえ、「できない問題」をさせておきながら、子どもに「楽しい!」と言わしめる「ノリ勉」には脱帽です。ありがとうございます。
この方法が、継続的にできたらどんなに素晴らしいでしょう。「ノリ勉」をしていると、親も楽しくなります。
これからも山あり谷あり油断大敵と、気持ちを引き締めて、子どものノリを削がないように気をつけたいと思います。
正直に言うと、ノリ勉がすごいんじゃなくて、やっぱり親の持っていき方なんですよね。
こんな感じのことは残念ながら毎日は起こらないけれど、子供が一皮むけて次の段階に3段飛ばしくらいで行くときがあるのがまさにこんな感じです。そばで見ているものが打ち震える瞬間ですよね。
親にとって最高最上のご褒美です。
それでもこれから次の段階に進んで再び「七転八起」「山あり谷あり」ですが「七転八倒」ではなく「谷あり谷あり」でないところがミソです。
「七転八倒」や「谷あり谷あり」ではあまりにも辛いですからね。