こんにちは、ストロング宮迫です。
巷では「核実験場爆破公開からの米朝首脳会談中止」で賑わっていますが、アメフト悪質タックルの話題も、後から後から続報が流れているようです。20歳の気の毒な青年が逃げずに小さいけど大きい穴を開けた結果、「巨大なダム」が決壊しかけてるって感じでしょうか。
日大選手 陳述書全文 https://t.co/SVr8G5A8MV pic.twitter.com/58J47wvUZJ
— 神戸新聞 (@kobeshinbun) 2018年5月22日
この溢れ方は比較するのもアレですが、どこかの国の独裁者がその椅子から滑り落ちていくときに見かける現象のようにも思えます。
「米朝首脳会談」の米朝のやり取りでも、盛んに出てきた「リビアの轍を踏むことになる」ってのは、リビアの最高指導者だったカダフィ大佐による「大量破壊兵器開発計画の即時かつ無条件放棄」表明後、アメリカが制裁解除、約半年後に国交回復して見返りを与えたが、その後リビア内戦を経てカダフィ独裁政権の崩壊、そして殺害されるまでを指しているのでしょう。
40年近くの独裁で「リビアを作ったのは私だ、そしてリビアを破壊するのも私だ」と豪語した最高指導者も最後は反体制派によって無残に惨殺され、その
遺体はショッピングセンターの大型の冷蔵室に保管・公開され、市民が一目見ようと行列を作り、記念撮影していると当時報じられました。
作ったものが砂城なら、崩壊までは一直線。そして、その崩壊の端緒はキミのような若い青年の一撃から始まる。
この悪質タックル問題については、すでに各方面からコメントが出ているようですが、ボクが一番しっくりきたコメントはズーニーさんのこれ↓↓↓でしたね。
「被害選手に謝罪したい。」会見にはゴールがあった。そこに向け本人と親が一つになった。謝罪に必要不可欠だから実名と顔を出した。事実を明らかにするのが謝罪の第一歩だから正直に話した。ゴールとズレる釈明・糾弾は控えた。ゴールを決めたことも、ゴール自体も、素晴らしい。#日大選手 #会見の志
— 山田ズーニー (@zoonieyamada) 2018年5月22日
謝罪会見であったのに、多くの人が逆に好感を感じたのはおそらく青年の「ゴールとズレる釈明・糾弾は控えた」点にあったんじゃないか、ボクにはそう見えました。
20歳であれだけできたら大丈夫。ほとんど誰も同世代の子はできないから。同い年のウチの息子に会見の動画を見るように言って、「お前、あれできる? 同級生だよ」って言ったら即座に「ムリです」って言ってました。それくらいしっかりしてた。
あとはね、怪我させた選手と話し合ってちゃんと和解してね、またやり直したらイイです。辛すぎるならアメフトをやめてもいいけれど、キミみたいな人がアメフトの指導者になったらさ、次代の子供たちにイイ精神を残せるんじゃないか。
若いのに辛すぎる経験だったとは思うけれど、安藤昇さんの言葉には「経験に是非はなし」というのもある。
イイも悪いもないんだ。ただ経験を糧にしてさ、歯を食いしばり、きちんと消化した上で昇華して指導者になって、キミにしか伝えられないことを伝えなさい。
その消化して昇華する際、起こった出来事、経験を消しちゃダメだぞ。
我らが山本七平先生は「消すから呪縛になる、呪縛になるから、理由もわからず、解明できず、従って抵抗できないという恐ろしい状態になる」と多くの著作で繰り返し書いておられます。
ついこの間の終戦戦後、もう少し前は幕末明治維新、もっと遡れば戦乱からの徳川幕府成立などの激動混乱和平の過程でそれまでの「自らの歴史を抹殺し、それを恥ずべきものと見ることが、進歩への道と考え」るのは間違ってるというか、「この抹殺は無知を生ずる。そして無知は呪縛を決定的にする。【何より自分はそういう発想をするのか】という自覚がないことが、私のいう呪縛である」と七平先生はおっしゃる。
キミのある種の「呪縛」にかかってたんだよね。そして「理由もわからず、解明できず、従って抵抗できないという恐ろしい状態」になって突っ込んじゃった。
キミは陳述書に
たとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身が「やらない」という判断をできずに、指示に従って反則行為をしてしまった
と書いてた。
キミは記者会見して「消す」選択肢を排除した。その上で、もうさんざん考えているだろうけれど「なぜその判断ができなかったのか?」【何より自分はそういう発想をするのか】を長い年月をかけて考えたらイイ。
そこを考えないと、再び繰り返されるからさ。
キミだけじゃなく、ボクも、また日本中の部活や会社でも同じような「そりゃダメでしょ」っていう理不尽な命令が日々部下や選手に今も下されています。
そして、「理不尽だなぁ~やれんわ(; ・`д・´)」って言いつつ、「売上死守の命令」がきついので月末に架空の売上を伝票を操作して計上しておきましたとか、資格ある検査員が検査すべきだが資格を持つ社員が足りないので書類を偽造しておきましたとか・・・やらかしてしまってる。
なぜボクたち、いや日本人はそうした理不尽な要求に苦しみながらも結果的には屈してしまうのか?
七平先生はそれを「自己の伝統とそれに基づく自己の思想形成への無知」からきているという。
七平先生の「自分の感情を充足するための行為と、相手に同情するっていうことを区別する」ってことについてはここで書いた。
日本人の多くが宗教を問われ、「自分は無宗教です」と答える点についてはここで触れた。
・・・あるキリスト教系の大学で、毎年、新入生から「宗教」に関するアンケートをとってきた。そのアンケートの中で、つねに最大の比率を占めるのが「自分は宗教を必要としない。そういうものがなくても生きて行ける。しかし、だからと言って、否定しようとは思わない。弱いものや、不幸なもの、また老人や女性には必要なものだろうと思う。だから、その点では理解もし、そういう人たちが何らかの宗教を信じることに反対しようとは毛頭思わない。それはそれでよいと思う。しかし自分は必要としない」という考え方だといわれます。
こういう考え方は、非常に普遍的で、ほぼ普通の考え方と思いますが、しかし、そう考える人に「自分がなぜそう考えるのか」という意識が皆無なことも、また普遍的なようです。
「なぜって、別に理由はないですよ。そう考えるから、そう言っただけです」がほぼ共通の言い方でしょう。
そこで、そういう考え方は、吉田松陰の考え方とほぼ同じですが、あなたは自分の考え方が、伝統的な日本的な考え方だと思ったことがありますかと質問しますと、その人たちは一様に、非常に驚いたような顔をします。時には夢からさめたような顔をするひともいます・・・
七平先生の多くの著作テーマは常に「自分がなぜそう考えるのか」を問い、それはその「考え方が、伝統的な日本的な考え方」なんですよと教えてくれます。
その著書の1つに『現人神の創作者たち』というものがあります。題名の通り中身は「尊皇思想はどのように形成され、われわれにどのような影を落としているのか」って本なんですが、なにせ難しいの。この20年で繰り返し読んで、この前も読んでみたんだけれど、消化どころか、ずっと胃に蓄積されてボクの胃液では全然消化できず原形のままで気が狂いそうになる・・・って本です。まあ、これはボクの知力の問題です(*_*)
ただ『松岡正剛の千夜千冊』でも採りあげられていますが
山本の著書のなかでは最も難解で、論旨も不均衡な一書でもある
ってあるから、ボクがあと50回くらい読んだらチョビくらいはわかるかもしれない。わからずに死ぬことになりそうな予感もあるけどね。
本書の解説は「千夜千冊」に任せるとして、今回のテーマでもある「呪縛」についてわかりやすい事例があるのでその部分を紹介します。
山本七平著『現人神の創作者たち』より
・・・ここで少々横道にそれ、補助線として、岸田秀氏との対談、『日本人と「日本病」について』 (文春学藝ライブラリー)の岸田秀氏の「プロローグ」を取りあげてみたい。この中で岸田氏は、日本軍の行動と神経症にかかったネズミとを対比して、「わたしには、このネズミと日本軍がダブって見える」と結論されている。一体なぜ、そう見えるのであろう。以下に少し、要約して、岸田氏の「プロローグ」を引用させていただこう。
「ネズミをT字路のスタートラインに置き、突きあたって一方に曲がれば餌があり、他方に曲がれば電気ショックを受けるようにしておく。
この場合、右側へ曲がれば必ず餌があり、左側へ曲がれば必ず電気ショックがあるようにしておけば、ときには右側が明るく左側が暗く、ときには左側が明るく右側が暗いという不規則性を加えても、そのうちネズミは、とにかく右側へ曲がればいいということを学ぴ、必ず右側に曲がるようになる。
これは明るい側(または暗い側)に必ず餌があり、暗い側(または明るい側)に必ず電気ショックがあるようにしておいても同じで、そのうちネズミは、それが右側であるか左側であるかにかかわらず、とにかく明るい側(または暗い側)へ行くようになる。
このようにして形成されたネズミの条件反応には臨機応変性、柔軟性があって、必ず右側(または明るい側)へ曲がるように条件づけられたネズミを、今度は、左側(または暗い側)に餌があるT字路においてやれば、そのうち左側(または暗い側)へ曲がるようになる。
反応形式は状況に応じて変更できるわけである。
ところが、餌と電気ショックが、ときには右側、ときには明るい側、ときには暗い側という具合に、いっさいの規則性を欠いたT字路にネズミをおくと、そのうちネズミは、状況を無視した固定的、強迫的反応を示しはじめる。
たとえば、餌があろうがなかろうが、右側なら右側へ曲がる反応が固定する。
いったん、たとえば右側へ曲がる反応が固定すると、今度そのネズミを、右側へ曲がれば必ず電気ショックがあるT字路においても、依然としてネズミは、何度電気ショックを受けて痛い目に会っても、右側へ曲がりつづけるのである(消去抵抗)。
このネズミの行動を擬人的に解釈すれば、ネズミは、何ら規則性が発見できない状況に放り込まれてどうしていいかわからず不安になり、しかし、腹が減ってくるから何らかの行動を起こさざるを得ないので、不安から逃れるため、とにかく根拠はないが、右側なら右側に曲がるという方針を決定し、いったん決定すると、何度失敗しても断乎として方針を変えないわけである。わたしには、このネズミと日本軍がダブってみえる」
大分長く引用させていただいたが、確かに日本軍はそうであった。
「情況は全くわからなくなった。わからないならわからないで致し方がない。断乎、自分の行き方を貫くまでだ。それで全滅するなら、全滅して本望だ」とばかりに、何度失敗しても、同じことを全滅するまでやるのである。その点では確かにネズミ的である。
だが日本軍とは日本人であり、日本人とはその歴史の産物である。そこでこれをさらに大きく歴史的に見ていったらどうであろうか。
ある情況に於て右に曲がったら非常に痛い目にあった。そこで左に曲がったらうまくいった。そのため以後は専ら左に曲がりつづける。
情況が変化しないなら、これはうまくいくであろう。だがひとたび情況が変化すれば、左に曲がることによって右に曲がったと同じ結果を生ずる。だが同じ結果を生じても左に曲がれば大丈夫と信じ、痛い目に会いつづけても左に曲がっていれば、ネズミは餓死するに至るであろう。
もしそういう行動をとったら、それはネズミ以下ということになる。というのは、岸田氏の記されたネズミはもうちょっと柔軟性があるからである。
一体、近代史を通じてみればこの間の日本人の行き方はどうなっているのであろう。そう考えてみて以上のことを幕末・戦前・戦後の日本にあてはめてみると面白い。
戦前の日本人は、ある行為をすれば亡国になり、その逆をすれば必ず勝者となって安全であると信じ込んでいた。
もちろん、何によってそう信じ込まされたかは忘れたか、消したかしてしまった。従ってそれは一種の呪縛のようになり、だれもこの行き方をどうすることもできない。
これは全日本人的態度で、軍隊はただそれが鮮明に出ているにすぎないのである。
では何が日本人をそうしたのか・・・
七平先生も本書で言ってるけど、結局ここ「何が日本人をそうしたのか」に戻る。
受験でも玉砕ってことは起こりうる。「自分の方はもうそれに対応する能力はなくなった」、すなわち「すべての問題が同じ重要度で全部が優先順位1位となったとき」です。
すべてが同じ重要度ですべてが優先順位1位となったとき、すべての問題は必然的に放置せざるを得ない。優先順位をつけずに「すべての問題は今日解決しなければならない問題」としたとき、人は「すべての問題について、何もしないという選択・決断をした」とみなされます。
または、『こういうときには「これで行くしかない」という「固定的・強迫約反応」が起る】んですな。
だから、起きた事象を勝手に記憶から抹殺しちゃいけない。消化して昇華するまでは。なぜなら【抹殺は無知を生ずる。そして無知は呪縛を決定的にする】から。呪縛にかかると【理由もわからず、解明できず、従って抵抗できないという恐ろしい状態】になる。
その呪縛を解くためには【何より自分はそういう発想をするのかという自覚】をすること。考えることなんじゃないか。
20歳の過ちを犯した彼に祝福あれ!心からそう願っています。
あっ、そうそう、池谷裕二教授からの朗報です。
長い時間をかけて考えた末に間違えたラットの方が、すぐに判断したラットより成績が良かったとする研究結果を、東京大などのグループが、米科学誌プロスワンに発表した。
東大薬学系研究科の池谷裕二教授(神経科学)らは、壁に二つの穴がある小部屋にラットを入れ、どちらかの穴をライトで緑色に点灯させ、無点灯の穴に鼻先を入れると、後で餌が得られる(正解)実験をし、8割以上の確率で正解を選ぶまでの回数を調べた。
穴の選択にかかった時間と正解率の関係を調べたところ、4秒以上かけてじっくり考えたラットは、平均400回以下で8割以上に達したが、3秒以内に選んだラットは600回以上かかった。
池谷さんは「間違えたという結果ではなく、それまでのプロセスが重要なことがわかった。今後脳内の神経回路の動きを明らかにしていきたい」と話す。
もう1つはズーニーさんからの朗報ですよ。
「きみはこの道に向いてない」と言われたとき、自分を信じるか、信じないか?「信じる」ほうが苦しい。信じれば、想う道でまた真っ向勝負を挑まなければならない、もっと傷つくかもしれないからだ。でも人は伸びる! 信じて伸ばすのは自分だ。https://t.co/R9rPqkEJjo おとなの小論文教室。本日更新!
— 山田ズーニー (@zoonieyamada) 2018年5月23日
小6 ちょこたんさん
5月に親カツ生に入会したちょこたんです。
最初は遅れての入会で躊躇があったのですが、入会してみてパニックが増殖中です。
できないよ!無理!の泣き言を押し殺してストロング先生の話を聞いています。
夏休みまであと2ヶ月弱ですが、合格圏内に向けて、泣きながら?頑張ります。
あと総合の偏差値で4点足りませんがテスト分析をした結果、算数に力を入れて夏休みまで突っ走り、現状より偏差値で4点アップさせれば、その後の頑張りでなんとかなりそうというプランを描いています。
偏差値を上げられるかどうかはわかりませんが、道筋が見えたことで少し気持ちも落ち着いてきました。
娘も一生懸命やっていますし、努力したものは形にしてやりたい、やるのがが親の務めと思ってやっていこうと思っています。
娘よりも先に弱音は吐きません!今後ともご指導よろしくお願いします。
やること満載でアップアップ!
受験生の家庭や親は、特に志望校に向けて真剣に取り組んでいる家庭や親は今が一番苦しい時期だと思います。
まだ本気になっていない家庭では夏休み以降に本当の苦しみがやってくる。
だから、今パニックになるのは望むところです。
一番いけないのは、パニックになって、なにも手につかない、何も進んでいないということ。
今月偏差値が1上がれば、志望校に1歩近付く。2上がれば、2近づく。合格への道筋を見極めたら、1つ、また1つと成績を積み上げるのみ。
偏差値1上げるのに、お子さんは何点必要なのか?
そこだけ見つめて、今日を積み上げていきましょう!