こんにちは、ストロング宮迫です。
引き続き今朝も中学入試の受験生が出撃、そして、今週末17日の土曜日からは関西では前菜、スープの前哨戦を経て、怒涛のメインディッシュに突入します。
受験生は今週末からの午前午後を含む4連戦をそれぞれの戦略に基づいて戦うことになります。
よって、今週末は、受験シーズンにおいて、ストロングの胃液が最高潮にあふれ出る第1期ということになります(||゚Д゚)ガクブル
年をとると季節によっていつも決まって思い出す話がいくつも出てきます。以下に紹介する話もすでに7年前の話なんですが、去年もこの時期にここで紹介しました。
このことについては先日も1日中考えたりしたのでやっぱり今年も紹介します。親と受験生の子供の微妙な気持ちの温度差を考える際のヒントになれば幸いです。
元々、受験希望でなかった息子を誘導して受験に向かわせたのは私です。
今では子供は自分の意思で受験をしたと公言していますから私の誘導は成功したのでしょう。
受験へ誘導したのは私でしたが、受験勉強に入る前、第一志望の学校に合格した場合は行かせてやるが、第二・第三志望の学校に受かったときは行かせないという約束をしていました。
第二志望の学校は家からかなり遠い、第三志望の学校はレベルからいうと公立中学とさほど変わりはないというのが私の見立てでした。
結果は第三志望の学校にのみ合格。
私自身は長男も約束通り地元の公立中学に進むものと考えていました。息子も納得しており、公立中学で頑張るよと言っていました。
最終結果が出た晩、妻が「第三志望の学校はどうなの?」と突然言いまして。1日時間を置いて息子にも考える時間を与え、翌日息子に考えを聞きました。
「できれば行かせてほしい」
びっくりしました。
結果的に息子には申し訳ないことをしたと思うのですが、私は第三志望の学校をこれまであまり良い言いかたをしてこなかった。
それでも「できれば行かせてほしい」と息子は言いました。唇を震わせて。最初の約束が頭にあったはずです。
ストロングさんにもどうすべきかの相談をもちかけました。考えてみれば、塾には行きませんでしたが、平日は毎日5時間、土日は10時間から12時間は一緒に机に座って2年やってきました。
同級生で受験する子はあまりいなくて、この2年、息子は友達ともほとんど遊んでいません。
最初に約束していたから、公立中学へというのは、なんでも頭で組み立てて論理で考える大人のやることで、努力をしてきた息子からすれば、やってきたことの実りはなにかほしい。
息子はそう考えたのではないかとストロングさんは言われました。
まったくそういう考えは頭になかったです。いけないですね、親だけがすっきり割り切って考えるのは。
息子はその後も「できれば行かせてほしい」としか言いませんでしたが、やはりやってきたことの実りがほしいというのが本心ではないかと今は思っています。
もしかしたら大きく道をはずれてしまう選択をするところでした。息子には第三志望の学校に行ってもらいます。これからどういう結果であろうともストロングさんに責任をおっかぶせるようなことは致しませんからご安心ください。
今は私自身も納得した上で、第三志望での学校生活を応援した気持ちに傾いていますから。
何回聞いてもボクは泣きそうになる話なんですが、皆さんはいかがでしょうか?
親は先を見通して偏差値や大学の合格実績や校風なんかを考えて自身の考えを固めて、それを子供に話します。それはたいてい間違っていないものなんだと思います。
「第三志望の学校はレベルからいうと公立中学とさほど変わりはない」という見立ても間違ってはいないのでしょう。
それでも、理屈はそうでも、全てを投げうって受験に打ち込んだ小学生は「頑張った証がほしい」と思った。それもすごくわかる話ですよね。
親の論理と子供の論理。当初の約束と実際の子供の気持ち。奥さんの一言で出てきた思ってもいなかった結論。
ここではいつも、受験生の親は、受験が終わったら、結果以外のものをもう一度考えてみる必要があるといっています。
そこを考えて、やってきたことに意味を持たせ、これからやることにさらに意味を持たせてやっていかないといけないから。
決してカンタンではなかったここまでの道のりです。これからの入試、そしてその入試の結果を受けての進路選択。まだ思いもしなかったことがあるかもしれません。
親だけが頭で考えても出てくる知恵は限られる。だから子供と話をするんですよね。子供だってイイ知恵を本能的に出します。
あとはそれを聞く耳を親のほうが持っているかどうか。頑張った受験生が「この数年間の証がほしい」と言ったとしても、それは甘えではありませんからね。
さあ、その前に入試ですぞ!!今までの全てをぶち込め!なるようになるさ!
さて、親が見ているものと感じているものが子供と温度差があるのは、どこの家庭でもそうなんですが、子供たちが爆発的な勢いで手にしているスマホにも同じことは言えそうです。
「つながりっぱなしの日常を生きる」の著者ダナ・ボイドさんのインタビューが日経新聞に出ていましたので該当部分を紹介しましょう。
――大人と若者ではソーシャルメディアに対する見方がどう違いますか。
「親はソーシャルメディアを恐れ、子供がそこで何を失うかを懸念している。子供はそこに可能性と機会を見ており、親の懸念が理解できない」
「米社会はこの30年で大きく変わった。まだまだ安全な日本とは違い、米国では8歳の子供を1人で公園で遊ばせるのは違法だし、16歳でも1人で学校に通う子はまれだ。家から出してもらえない子供たちは、友達と会う方法をネットに見つけた」
「親はネットで起こりうる恐ろしいことばかりを想像するが、子供の目的の中心はそこで友達とつるむこと。社会的なつながりと人間関係構築の場だ。ティーンにとってテクノロジーは『安全弁』であり、我々大人が取り上げてきた『はけ口』なのだ」
――日本ではソーシャルメディアを通じた援助交際やネットいじめを心配する親もいます。
「子供は成長するにつれて、親に全てを話したがらなくなる。例えばフェイスブックで親とは『友達』になりたがらないだろう。そこで重要になるのが、例えば『いけてる』叔母さんや叔父さん、祖父母、部活のコーチなど、親以外で頼れる大人のネットワークだ。こうした大人たちがネット上で子供たちを見守る必要がある」
「子供のネット上の行動を全て監視しようとすれば、信頼を失うことになりかねない。代わりに非常事態に備えて、親も含めた家族全員が自分のパスワードを紙に書き、割らなくては取り出せない貯金箱に入れておく方法を提案したい」
――親はどうすべきでしょうか。
「子供たちは次々と新しいツールを見つける。我々はようやくフェイスブックへの不安を克服したが、ティーンがいま夢中なのはインスタグラムなどの写真ソーシャルメディアだ。子供たちは親が使うソーシャルメディアはダサいと思っている。我々は追いつけないだろうが、それでいいのだ。答えは子供が使うテクノロジーを追いかけることではなく、家庭での会話にある」
「子供のネット上の発言や行動を見ても、理解できるとは限らない。子供独自の『文脈』があるからだ。ネットで監視するよりも、実際の会話の方がずっと子供の内面を洞察できる」
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「問題をテクノロジーやメディアなどのせいにせず、子供に注意を向け、共に時間を過ごしてほしい。子供にスマホばかり見るなといいながら、自分は始終スマホの画面を見ているような偽善者になってはいけない。心配ばかりするのではなく、関与してほしい」(聞き手はワシントン支局=芦塚智子)
「実際の会話の方がずっと子供の内面を洞察できる」のは間違いのないところです。
親は子供に対して多くの間違いを犯します。ボク自身だって間違いを犯してきた。その間違いを指摘してくれるのは、他ならぬ子供たちです。
ここで「声なき声」を拾おうと繰り返し述べているのはそのためです。ボクだって子供にそんな指摘されたらカチンときます、「なにをー!」ってね。
でも、冷静に考えてみれば、先のなんでも頭で組み立てて論理で考える大人の結論はそうでも、努力をしてきた子供からすれば、理屈はそうでも、全てを投げうって受験に打ち込んだ小学生の「頑張った証がほしい」という結論もまた正しいと言えるんじゃないでしょうかね。
どっちが正しいかっていう話ではなくて、「実際の会話の方がずっと子供の内面を洞察できる」ということであり、実際の会話で話されることに耳を傾けてみるってことでしょう。
それらを無視なり、スルーするなりして、親の考える「正しい道」に子供を進ませたとしても、子供の「声なき声」は見えないところに蓄積されていくから、蓄積が大きくなればなるほどある地点で爆発する可能性は高まる。
その時点になれば、お互いがもう「わかりあえない」という結論に至っていることが多々あります。
ボクらはこの「わかりあえない」という結論に至る前にいろいろと話し合ってみましょうと言っているわけです。
その第一歩は「実際の会話」であり、「子供に注意を向け、共に時間を過ごして」子供の言うことに耳を傾けることです。答えは子供が持っているから。
心配ばかりするのではなく、関与してほしい
★「7日間(5日目)算・数」の報告
小5 カービーさん
◆「できない問題」へ取り組む様子はどうでしたか?:
お互いの都合で開始の時間が夜10時近くになってしまい、イヤじゃないかなと心配しておりましたが、嫌がらず進めることができました。できない問題という意識は今日の様子では全くなく、楽しいことをやっているような雰囲気でした。◆親の気づき・反省・問題点:
いつも高い立場からコレはこうだからこうなると説明するより、もしかしてこういう風だからこんなことするのかな? この考えでいいですか?なんて下から誘導したほうが子供の気持ちが下がることなく勉強ができ明らかに効率がいいと感じました。
勉強開始がおそかっただけに5分の休憩にはチョッと横になると疲れを見せたものの、嫌がる様子もなく素直に問題にチャレンジしていてくれました。
本当に子供のエネルギーの不思議さを感じますが、明らかにこの勉強は子供の負担にあまりなっていないことに驚くばかりです。
今までも家庭学習には大体そばで見ていることが多かったんですが、どうしても簡単な問題や何回か解いた問題につまずくと「前にやったじゃん」とか「こんなのもできないと受かんないぞ」とかなんという暴言を吐いていたんでしょうね。
子供に気持ちよく勉強してもらう、その努力はおしんではいけないんだと痛感しました。
今はストロング先生に報告しなくちゃという思いから気持ちをコントロールできますが、イライラ感を抑え、常に子供におおらかに接するのは難しいことです。
まだまだこちらの課題を常に100%正解でいられる程余裕がありません。
毎日、子供のそばにつけば、何らかの課題が見つかる。課題が次々生まれることはやっていることに意味があるからなんですが、それを苦痛に思う方もいる。
もったいない!とストロングは思います。
子供をノリノリにさせるとは、子供の機嫌を取ることではありません。そんなことをすれば、永遠に期限を取り続けなければなりません。ありえない・・・
「子供に気持ちよく勉強してもらう、その努力はおしんではいけないんだと痛感しました」そう思っていただけたことはなによりもうれしいことです。
子供ではなく、ぜひ「親の努力」を!