前回に引き続き、年の終わりに「親技ってなんや?」復習篇をお届けしています。

あなたの子供をご希望なら「天才クン」にもできちゃいますよ!親であるあなた次第ですっていうお話です。

やるかやらないか、できるかできないかは、あなた次第です。

「わかっている」と「できる」は違う、「知っている」と「できている」も違うってことをくれぐれもご理解ください。

それではいきますよ!

まず「親技」の基本となる前提を確認しましょう。

あなたの「お子さん」についての大前提です。

1、子供は勉強に対してやる気がない!
2、子供は自分から勉強しない!

親技において、これは前提です

もし仮にあなたのお子さんが「勉強のやる気が満々」で「自らガンガン勉強する」とすれば3億円の宝くじに当ったも同然。大いに喜びましょう。

おめでとう!そして以下は読む必要なし!

まあ「やる気があって自分から勉強する」のは決して宝くじみたいな「たまたま」ではないんですが、ここではその話はしません。

惜しくも3億円の宝くじに当選されなかった、残念な方、そう、あなたですが、そういう方へこれからお話しをします。

私たちが提唱する「親技」とは、主に小中学生の親の方に子供たちをノリノリで勉強させ、成果をあげる!

しかし、子供の勉強の面倒をみるのは大変なんだな、これが。

だって「やる気はない」し、「自分からは勉強しない」し、すぐに「わからない」とほざくし、勉強を見ようとすると「ウザイ」と言う。

どうすればええねん!?と嘆きたくなる親の気持ちもわかる。

ただね、「成績がイイ子」にするにはそもそも大変なのだと認識していない親が多くないか?

ポケットに手を突っ込んで口笛でも吹いていれば「成績がイイ子」になるなんて思っているんじゃないかという節もある。

そんなことないって!?

ならいいんですが「成績がイイ子の親」になるためには実に多大な労力と長い時間、巧みな工夫と鋭い観察眼、それに根気がいるわけです。

山本五十六は言います。

やってみせ
言って聞かせて
させてみて
褒めてやらねば
人は動かじ

大変なんですね、「人を動かす」のは・・・・でも、これで終わりじゃない!?

山本五十六の言葉には続きがあります。

話し合い
耳を傾け承認し
任せてやらねば
人は育たず

これでもまだ終わりはこない・・・まだまだありますぞ!

やっている姿を感謝で見守って
信頼せねば人は実らず

って、どんだけやねん!?という話ですな。かように「人を動かす」「人を育てる」のは大変なのであります。

子供も一緒。「成績がイイ子」にするのもね。でも、今の親がやっているのは、山本五十六の言っているうちのどれくらいまでか?

ちょっと番号を振ってみましょうか。

1やってみせ
2言って聞かせて
3させてみて
4褒める

5話し合い
6耳を傾け
7承認する
8任せてやる

9姿を感謝で見守って
10信頼する

ハイ、では質問です。

10コありますが、あなたはいったいいくつやってますか?

1番からダメって!?

そうなんですな。だいたい1番からダメなんです。10コのうち1個もできていない方も多い。で、1コもやっていない親が「ウチの子なんとかなりませんか?」とか「なんとかしてよ!」と言ってくる。

誰が「あなた」の子の面倒を見てくれるもんですか!

えっ、「褒めてます」って!?

「褒められる」ことをやってもいないのに褒めていないでしょうね?

とりあえず「勉強してもらう」ためにテキトーに褒めてませんか?

子供たちは「褒められる」要素がないのに大人から褒められたら「なんにも見てないクソ親だなあ」とすぐに感知します。それが積み重なれば、そういう大人の言うことは聞かなくなります。

大丈夫ですか?

子供の感知センサーは相当にすごい能力がありますから。

えっ、ウチは「任せて」やらせてるですって!?

いきなり8番ですか? もしかして1番から7番まで飛ばしてませんか?

「任せた」ハズが結局、

あなた、頑張るって言ったのに全然やっていないじゃないの!?

なんて結末になっていませんか? それって「任せた」とは違うでしょう。「任せられる」ようにしてやって「任せる」わけですから。

種蒔いて、水やって、日を当てて、風通しを良くして、葉っぱの手入れをして・・・それを休まずにやる。種蒔いただけじゃダメで、水をやらなきゃ、枯れる。水もやり過ぎたら根が腐る。日当たりが悪いと元気がなくなる。

実にバランスが難しい。親も仕事もありゃ、家事もあり、地域の行事の世話もあり、ときには一人でパァーとやりたい。でも、目を離せば、枝がひん曲がったり、いじけたり、雑草が生える。

ゆえに親技は「親の修行である」と言っています。親の全行動が問われるわけです。

結局、

「子供にやる気がない」→「親のせいでしょ!」

「子供が勉強しない」→「親がやらせればイイ!」…etc

親の言うすべての「子供が・・・・」は親に全部跳ね返ってくると親技では考えているわけです。親がしたように子はなるというわけです。

でも、たとえば「成績がイイ子の親」はそれほど苦労しているように見えないという人もいる。

楽に「成績がイイ子」が育ってる!?

いくつかの要因があると思いますが、その1つはここで繰り返し述べているように習慣ですね。

授業も家庭学習もストロングは「ワンパターンが良い」と考えています。この「ワンパターン」こそ「習慣」です。

たとえば夜9時になったら部屋に上がる。こういうのも1つの習慣ですよね。とにかく9時になったら家のテレビが消えて、自分の部屋に行かなければならない。

こういう1つ1つの習慣やルールが確立されて、自動的に物事が進んでいるように見えるのが「成績がイイ子の親」が楽に見える原因の1つです。

そういう習慣やルールを小さい頃から確立してきた、また子供たちもそれをきっちり守ってきた、守らされてきた結果の「楽」でもあります。

約束のない、ルールのない世界というのは喜びがないんですね。もっというと喜びが見つけづらくなるんですね。

たとえば、ゲームはいつやってもいいです。何時間やってもイイです。となれば「今日はゲームができる!」という喜びはないでしょう。だっていつでも好き放題できるんですから。

そこに「ゲームは毎日30分」というルールがあるとする。このルールは親と子供が話し合って決めたものです。厳格に守られている。

そこに特別な日として

今日は特別に1時間ゲームをやってもイイです

となれば、子供も「ヨッシャー!」となるでしょう。

何の制約もない「遊び」というのは、すごく羨ましいように見えますが、実に味気のない、どんどん喜びのない世界につながります。

ゲームをやり放題となれば、どんどんゲーム自体もクリアもできるでしょう。クリアすれば次のゲームが欲しくなる。どんどんどんどん「もっともっと」となりがちです。

一方、毎日30分しかゲームができないという制約がある子供はなかなかゲームのステージがクリアできない。次の違うゲームどころか、延々と同じゲームの同じ画面で奮闘するなんてこともあるでしょう。

結局おもしろくなくなって「ゲームなんかしない!」なんてことも起こりえます。

まあ、これはたとえばという話ですが、習慣、ルールというのは家庭において実に大きな、いやすべてに影響するものといえるでしょう。

※このことについては以前書いた週刊親技「きっと夜に見る夢はフリーな時間」もあわせて参照下さい。

もう1つ「目安になる時間」というお話もよくします。

子供が「イチロー選手みたいになりたい!」といえば、多くの方が「それは無理よ。だって彼は天才なんだから」と言ったりします。

でも、ストロングは

イチロー選手みたいになれるよ

と言います。

「どうやったらなれるの?」

「うん、それはね・・・」と以下のような話を子供にします。

中国新聞 ウオッチ 永山貞義

過日、テレビで将棋のNHK杯を見ていると、解説の青野照市九段が強さについて、独自の見解を述べていた。

それを要約すると、卓球の福原愛は、既に1万6000時間以上の練習を積んでいる。将棋の場合は、まず基礎固めに1万時間の勉強が必要。羽生善治王位や森内俊之名人らは、早くからそのぐらいの勉強時間をクリアしてきたため強いのだ。

青野九段が言っているのは、このように幼児期からの英才教育が「天才」を生み出しているということである。

この発言内容からなぞって、真っ先に思い浮かべるのはイチローだろう。3歳から野球を始め、小学3年生からは1年365日のうち、360日を父親とマンツーマンで練習。(省略)

こんな天才を生み出すためには、単に幼児期から訓練を重ねればいいわけではない。素質を見抜く目を持った指導者が必要なのに加え、本人も目標に対して、やり抜く強い意志が必須条件である。(省略)

基礎固めに1万時間!!卍固めじゃないですよ!

計算してみると、だいたいこうなります。

1日3時間で1年で1095時間
10年で10950時間

1日2時間で1年で730時間
10年で7300時間

1日30分で1年で182時間
10年で1820時間

10年休まずに毎日3時間やって、やっと1万時間です。目もくらむ途方もない数字です。上記の人たちは10年なんてかけずに1日に6時間とかやって5年とかでやっているのでしょう。

だけど、小さい頃からやり抜く意志を持っている子供がいるんだろうか?

まあ、なかにはいるでしょうが、やっぱり親なり、指導者なりの意志のほうが強かったんではないでしょうかね。

この人たちには、夏目漱石の「人は才能の前には頭を下げないが、根気の前には頭を下げる」という言葉がピッタリです。

頭が下がりすぎて、地面に埋まってしまいます。イタッ!(>_<)

で、さっきの「イチロー選手みたいになりたい!」子供たちへの話になります。「お前もイチロー選手みたいになれるよ。イチロー選手みたいになるためにはね、小学3年生からは1年365日のうち360日をマンツーマンで練習するんだよ。」

「イチロー選手は小学校から4時ころに帰ってきたらお父さんが家で待ってるんだ。4時から練習だよ。7時ころまでやって一旦家に帰ってご飯を食べて宿題をする。」

「8時くらいからバッティングセンターへ行って10時くらいまで打つ。打って打って打ちまくる。これでだいたい1日5時間だよね。1年のうち360日やるから1年で1800時間。」

「これを中3までやれば10800時間になるから基礎固めは終了だよ。」

「高校は野球の強い高校に行って・・・・」

「センセー、もういいです。ボク、イチロー選手になれなくても・・・」

「遠慮するなよ。キミだってなれるんだよ、頑張れば。」

「センセーーー、本当にもう結構ですから。」

「いやいや、そんな遠慮しないでいいよ。まだ続きがあるんだ、高校に行ったらね、、、、」

「イヤだー!!」まあ、だいたいこうなってしまうんですな。

そういう意味で、ストロングはイチロー選手や福原選手を「天才」ではないと考えております。それだけの時間を費やしている。

誰でも、なんにでもなれる!!まあ、それに付き合う「変態の大人」もいるという点では奇跡ですがね。「天才」ってそういうものだとストロングは思っています。

「天才」の話はさておき、では皆さんはいったいどれくらいの時間を子供たちにかけているのか?見ているのか?ということに話は戻ってきます。

もう一度見てみましょう。

1日3時間で1年で1095時間
10年で10950時間

1日2時間で1年で730時間
10年で7300時間

1日30分で1年で182時間
10年で1820時間

1万時間の根気はなくても、「天才クン」の5分の1の時間にはなりますが、1日30分でも勉強を見てやれば、成績は上がるでしょう。今いるレベルにもよりますが、成績は確実に上がります!

学校のテストなんかであれば、1日30分あれば「今より少し、もうちょっと」であればあっさりいけますよ。

さて、あとはそれをやる気があるのかないのか?

皆さんもぜひこれを契機に計算してみてください。勉強でもスポーツでもいいです。私はこれまでに何時間子供にかかわってきただろうかと。子供の基礎固めに何時間使っているのかを。

その時間を計算した上で「ウチの子はどうもセンスがない」とか「素質がない」とか、ほざいてほしのです(^^)

まあ、だいたい時間を計算したら

あなたに、そんなことをほざく資格はないですなあ

という結論になりがちなんですがね。

さて、今までのお話しで

「わかったよ、一定の時間をちゃんとかけりゃいいんだろ。」

「やるよ、やりますよ。山本五十六も努力しましょう」

とまあ、こう親が決意したとしましょう。

しかし、その大いなる決断を親がしたとしても、今度はその相手がいるという話になってきます。そう、その相手とは、おたくの「息子・娘」ですよ。

「基礎固め1万時間やるぞー!」といくら親が気合いを入れても、子供が学校から帰る4時には家で待っていたとしても、子供たちが家で待っている親を「ウザい」と感じて、寄り道して家に帰ってくるのが7時だった!なんてことだってしょっちゅう起きる。

こうなれば、どうしようもないわけです。ここで今までの親子関係の経緯というものが出てくるわけです。

「1日5時間勉強するぞー!」って親が言ったって、子供が

「ウルセー!」とか言って、部屋のカギ閉められちゃ、1日30分も夢となるわけです。

だから親が決意するのはいいとして、まずは1日30分からやってみたらどうですか?というのが私たち親技での提案なんです。

最初からあまり張り切らなくていいから、

それくらいならやってみてもいいかな!?

というところを入り口にやってみられたらいかがでしょう?と。

もちろん今まで2時間やっていた人は、30分に減らす必要はない。そのままいけばイイ。その上で、30分でも2時間の勉強でも、キッチリ成果を出していけばイイ。

でも、よく「30分の勉強で成果なんか出せないよ!ふざけるな!」と怒る人がいる。怒るのは自由なんですが、そういう考えの人に成績がイイ子の親はいないのも事実なんです。

30分でも、たとえ15分でも机に座って勉強したら成果を出す。これが基本です。

では、成果ってなんですか?とこうなります。

「理解できた!」これって成果か?

「問題が解けた」これって成果か?

とこうなるわけなんですが、私達は親技で、勉強のやり方には3つのステップがあると言っています。

すなわち、

「理解する」→「解ける」→「はやく解ける」

それぞれの段階「理解する」「解ける」は、1つ1つもちろん成果なんですが、本当の成果は「はやく解ける」までいって初めて「真の成果」と考えています。30分の勉強の中で「理解する」までいけば、まあ成果があったといえますが、まだ生焼けなんです。食べたらオエーってなる感じ。

えっ、お肉はレアがいいって!?

なるほどそうきますか・・・

じゃあ、勉強もずっとレア、すなわち「理解する」の段階止まりでずっといって下さい。勉強ではいずれ腹を壊しますから。勉強で「腹をこわす」とは「頑張った割には点数が・・・」という現象のことです。

えっ、刺身も好きだし、やっぱり生がイイって!?

付き合い切れんな・・・・

冗談はさておき、勉強では、表面のみを焼いたレア、「鰹のタタキ」状態の「理解する」や肉汁を閉じ込める焼き加減状態のミディアムの「解ける」ではテストで力を発揮できないというのが親技の考え方です。

焼くならきっちり中心部まで火が通っているウェルダン状態まで持っていってはじめてテストで力が発揮できる、つまり「真の意味で成果がある」もしくは「テストで成果を出せる」状態になる。

親技では30分という短時間の勉強においても、必ず「はやく解ける」まで持っていく作業を必ず入れます。それは同じ問題を2度解く、もしくは3度解くことを意味します。

一言でいえば「反復」ですね。一番わかりやすいのは小学校2年生でやる「九九」ですね。

皆んなできますよね?

あれって反復のお陰ですよね。いきなり「3×7」と言われてもすぐ答えられる。

しかし、「3×7」と言われて「ええっと、サンイチが3、サンニが6・・・・サンシチ21」とか言ってたら「ブー」でしょ?

ミサイルキックですよね。問題を見て、頭に入れたら即座に処理して答えを出す!

習ったものはまずそうやって出せるように訓練する。それが「はやく解ける」状態です。

習った問題がこの「はやく解ける」状態にまでなっていれば、テストでそれほどひどい点数にはならないわけですね。これを私達は「処理力」と呼んでいます。「処理力」は勉強の基本です。

家庭学習においても、この「処理する力」をつけるように、繰り返し解く、「はやく解ける」ようになるまでやりましょうと言っているわけです。

「はやく解く」の基準は目安としては1回目の約半分の時間となります。その際、途中の式や考え方、筆算などは省略してはなりません。1回目と同じようにやって1回目よりも半分の時間で解く。

これが私たちが言っている「はやく解く」です。

仮に90問やらなくちゃいけない問題があったとします。

A君は90問を1回やった

B君は90問の中の30問だけを3回やった

やる量はA君ともB君とも同じ90問と仮定します。

では、同じテストを受けたら、どっちがイイ点数を取るでしょう?

今まで見てきた経験からいえば、それは間違いなくB君です。ここに全部を一通りしかやらない勉強じゃなく「絞って繰り返せ」という提案が出てくる根拠があります。

一通りしかやらなければ、子供の頭にうまく収まらないというのが理由の1つでもあります。1回しかやっていない問題というのは、テストで出たら家ではできていたのにテストで間違うなどの現象で出てきます。

塾なんかから膨大な量の宿題が出てくるでしょ?

子供たちはその習う量と宿題とプリントの海の中でアップアップで溺れているわけです。ならば絞って、絞った問題をきっちり「はやく解ける」まで落とし込めと。それができれば、じゃあ30問と言わず50問を3回やろう!とすればイイ。もちろん出た90問を全部3回やれれば万全といえるでしょう。

まあ、単純に90問を3回繰り返すやり方は非常に時間がかかりますので、勉強の工夫という面では実際はおススメしませんけどね。

このやり方だと300問やらなくちゃいけなくなったときには溺れ死にますから。さらに量が出るなど、すぐに限界がくるやり方というのは親技ではおススメしていません。

まあ、その点については、上級者向けの話になるのでここでは触れないでおきましょう。

まずは「はやく解ける」まで落とし込んでテストに臨んで、それがテストでできるかどうか。一通り宿題をやってテストを受けても、たいていはうまくいきませんよというお話でした。

と、ここまで話をしてくると、「処理力」をつけないといけないのはわかったと。

でも、最近は「自分で考える問題」が出るとか「知識は問わない問題」なんかも多くなってきているという話が出てきます。

「パターン認識」や「やり方を熟知して問題を解く」そうしたやり方では太刀打ちできなくなっているのではないか、こういう疑問ですね。

処理力をつけるやり方では「応用が効かない」という言われ方をされたりします。応用っていうのは基礎がベースになって応用です。

「自分で考える問題」というのも、本人が持っている今まで蓄積した知識や勉強内容があって初めて「自分で考える」ことができるのではないでしょうかというのが私たちの答えでもあります。

何もベースがないところで、「自分で考える」ことはできないと私達は考えています。「処理力」の部分のところで止まる必要はなくて、処理力をつけたらさらに応用や発展に進めばイイ。

基礎や処理力のないところに応用も発展も「自分で考える」の花も咲かない。

「応用が効かないんですよ」という親の子供を見たらほぼ100%が「基礎ができていないじゃないか!」って話になるのはそういうことだと思います。応用だって、基本のいくつかの組み合わせだったりするわけです。

処理が速ければ、頭に基本がきれいに収まっていれば、基本と基本を結びつけることだってできる。

テストには「ハイ、この問題はつるかめ算ですよ」とか「相当算ですよ」とか「関係代名詞ですよ」とか書いていないわけです。

だけど習う時は「つるかめ算ですよ」とか「相当算ですよ」とか「関係代名詞ですよ」と習うでしょう。それは順番があるからです。

この単元は「こういうものですよ」と概念から導入して、式なんかを習う前に表や図にして考えさせて、これを簡単にするには「こんな公式ややり方がありますよ」と習って、今度はその公式や便利なやり方を使って問題演習をする。

これが授業です。

家に帰ったら、その習ったことを使って主に問題演習を行って定着する。もし「応用が効かない」と嘆く方は、習ってきた部分の公式以降しか考えてやっていないんじゃないかとぜひ考えてほしいのです。

しかし、そもそも大事なのは、公式を習う前の概念だったりするわけです。

同じ処理力を上げる練習を家庭でする場合でも、概念を取っ払って公式だけを念頭にやる家庭あくまでも単元の概念を念頭に便利なやり方としての公式という考えをベースにやる家庭の場合では、同じ繰り返し、反復をしても意味が違ってきます。

3ヶ月もすると、まるで違う人間になっちゃう。実力・公開テストなんかでは大きく差が出ちゃう。

概念を取っ払って公式だけを念頭にやる家庭は、やり方を忘れたからできない・・・につながっていきます。

あくまでも単元の概念を念頭に、便利なやり方としての公式という考えをベースにやる家庭は、公式を忘れても、やり方を忘れても、問題はできる。問題は考えられる。時間はかかるけれど。

ここが同じ処理力アップを目指してやっている家庭の中でも違いが出てくる、応用が効かない、類題しかできないという悩みを持つ方のポイントです。

やり方を忘れたら、テストでは完全に時間切れになるわけです。1からやっていたら到底テストは終わりはしない。

結果は「できなかった」だけれど、時間があってもできないのか、時間があればできるのかは同じ「×」でも意味が違います。

処理力アップの過程でその過ちを犯さないために私達は

これってどうしてそうしたの?

なぜそうなるの?

などの質問や投げかけを子供たちにすることをおススメしています。

ただやり方がそうだからではなく、

なぜそうしたほうが楽なのか?

ある意味では単元の概念を問う投げかけを子供にする。子供は「ええっと、ええっと・・・」となる場合も多々あります。そこに習った単元を奥深く子供たちに染み込ませる起源がある。それを見逃さない。

「本当にわかった」と「わかった気になる」の違いを見つけるわけですね。子供のそばにつくモノだけが獲得できる瞬間でもあります。子供のそばについて勉強を見ている、すなわち過程を共有しているものだけが気づけるご褒美ですな。

世の中にはそんな「ご褒美はほしくない」という方もいるようですから強制はしませんが、私たちは親技でその瞬間を見逃さずに大事にして下さいと申し上げています。

※応用力については過去に書いた記事も参照ください

◆応用力を身につけるコツ[まとめ]
◆応用力を身につけるコツ 実践編[まとめ]
◆偏差値55の壁

さて、ここまでグダグダと書いてきましたが、ここまで約9000字弱、しゃべれば20分前後でしょうか。

ただメルマガとしてそこそこの長さになってきましたので、最後に1つだけ申し添えて30分の話を締めたいと思います。

最後に申し上げるのは「受験があってもなくても、ずっと厳しい道を行く」ってことです。

たとえば中学受験で中高一貫校を目指す方に「高校受験がないほうが6年間を自由に使えて充実した学生生活を送れる」と考えて中学受験を選択される方がいます。そのお気持ち、よくわかります。

また「6年間と言わず大学までエスカレーター式に上がれる学校にして自由に思う存分、学生生活を謳歌してほしい」と言われる方もいます。

そのお気持ちも、よくわかります。誰しもが一度は考えることですから。

いずれも受験に左右されないように「受験する」というちょっと矛盾した話になっているんですが、ここではそれにはこだわらないことにします。

それは置いておくとしても「受験がなくて伸び伸びやらせたい」というお考えは常にその裏に「受験がないからダラダラ過ごしゲームばっかりやっている」という裏の側面もあるという点だけはきちんと押さえておいてほしいと思います。

物事には常に裏表があり、表裏は一体なのです。

実際中高一貫校に進めば、「ダラダラ」していれば、勉強が遅れます。中高一貫校では、中1の段階で20%前後は「落ちこぼれ」もしくは「落ちこぼれ予備軍」のグループに入っているとお考えください。

これから5年以上も過ごす、希望を胸に入った学校ですでに・・・の状態なのです。どんなにおもしろくない学校生活になるのでしょう。

中高一貫校に進めば、普通であれば中3で高1の内容にも入るでしょう。つまり、公立中学に進んで高校受験をするよりは速い進度で進むわけですね。速く進むということは勉強量も増えてくるということです。

中3の同時期で比べれば、かえって受験したほうが勉強が少なくて済むという話にだってなりかねません。それくらい高校のカリキュラムは厳しくなります。

単純に中学の1.5倍から2倍というのが普通の感覚です。高校受験をして高校に進む人は高校に入ってからですが、中高一貫校生の場合は中3の2学期くらいからそれが始まる。

高校の勉強は普通でいえば最低毎日3時間の勉強が必要になります。毎日です。予習、復習で3時間くらい勉強しないとおっつかないはずです。

中学受験ではだいたい3時間以上は毎日勉強するでしょう。高校に入れば、また「あの日」が始まるのです。

勉強に関していえば、大学入試で一定以上の大学に行こうとすれば、どこに行っても、どこにいようがその勉強からは逃れられません。

つまり、決して「短距離」の勉強ではない。単なる長距離の勉強でもありません。長距離走りながら、各場面各学年で全力疾走が求められるのです。

決して「ラクな戦い」ではないということです。でも、そうやって鍛えられながら子供たちは大きくなる。その場から逃れさせることが親の役目では決してないということです。

いくつかの制約もある。勉強だけじゃイヤだ!部活も頑張る子供だっている。圧倒的にない時間をいかに工夫して、いかに効率よく、頑張り抜くか。

でもね、そうした制約の大きい生活があるから、その中で「どうするべきか」を考えることができたりもするのです。

それこそ皆さんの大好きな「自分で考える力」の養成につながるじゃありませんか。

ノホホンと伸び伸びもいいけれど、なにも求められず、何の制約もない生活に喜びは見つけにくとは先にお話ししました。

それちょっと欲張りすぎじゃないという学校生活の中で「すきまの時間」をみつけて工夫して頑張っていく知恵を子供たちは学んでいくのです。

「小5の壁」「中2の中だるみ」「高1の壁」それぞれいつもよりはちょいと高い難関の壁が子供たちの前に現れます。

その際、子供一人でそれを「勝手」に「自分だけ」で見つけて乗り越えていくのは極めて困難だと思います。

放任するのはかまいませんが、それらの壁に出会って子供たちが立ちすくんでいる時にはサッと手を差し伸べてあげてやってほしいと思います。

現代は、

いつまでも手を差し伸べない親

手を差し伸べるが見当違いもはなはだしい「手助け」をする親

が多くいますから。

親は子供の人生を代わって生きていくことはできません。それはわかっている。しかし、イチロー選手がそうだったように「普通の子供たち」も勉強に部活に恋愛に趣味に読書にそれぞれ懸命にいそしむことを考えれば、みんな「イチロー選手」並みの生活にはなるのです。

ただ「普通の子供たち」はイチロー選手みたいに1本の道を進んでいくわけじゃないだけのこと。いくつかの柱を立てて、それぞれ分散はするけれど、イチロー選手並みの生活を送っているんです。

多くの子供たちが、誰の手助けも受けられずに、勉強で挫折し、部活で挫折し、結局「趣味」という名の楽な遊びに、制約もなく、我慢もなく、頑張る必要のない世界に逃げこむ。

そこは生きる喜びさえ見つけがたい大きな落とし穴でもあります。その落とし穴にハマらぬようにしっかり見守ってやってほしい。

「頑張らない」だけですごく幸せに生きているなら文句はありません。成績なんてクソくらえー!それでイイ。

しかし、なにも頑張らないで、なにも頑張らせないで過ごす彼ら彼女らがこれからの長い人生で何に喜びを見出して生きていくのかを考えたときストロングは暗澹たる気持ちになります。

キツキツの生活の中で工夫して、親の手助けを受けながら、勉強を頑張り、部活を頑張る。

「受験が終わったら楽になるよ」とかウソはいわないことです。「受験が終わって楽になる」のが本当だったら、それは進学先で地獄を見ているということですから。

そして「厳しいのはなあ・・・」と思っているあなた。

「ずっと厳しい道」にいたら、それが普通になって「皆んなと一緒」「大変だけど厳しいとは思わない」という感覚を頑張っている子供たちがいることをお忘れなく!

グッドラック!

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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

小6 みにらさん

これまで漠然と考えていたことがすっきりと整理されたように感じました。しかし、実践となるとこれが親としても大変だと痛感しています。

過去の良かった本人(の状態)を子供自身、すっかり忘れてしまっているため、全く比較が出来ないように見えます。

でも、一番困っているのは、家内と私とのコミュニケーションが不十分で、両親で方向性がズレているのではないかと感じるところです。

家内は全く鉄則に目を向けず、旧態依然のように感じます。しかし、私は夜遅くの帰宅が続き、週末しか子供の勉強を見てやれていません。これが一番の悩みかもしれません。

残された時間が少ないため、何とか家内を説得し、鉄則を実践できるように努力したいと思います。

「合格を目指す!」皆そうだと思います。

それが最大で最高の目標。これまでやってきた子供の努力に報いてやれるのは「合格」そう思えることでしょう。

でも合否はあくまでも結果です。

成績がイイ子の親が大事にするのは過程。結果は気にしないのではなく、結果から逃げるのでもなく、過程に力を注ぎ、過程を評価するから、結果的に良い結果が出やすくなる。こういうことだと思います。

仕事も大事です。週末の見てやれるときだけでもしっかり見てやる。また、夫婦で話し合う。徹底的に話し合う。話し合いを突き詰めていくと、受験の話も結局は我が子のこれから先の人生の歩みについての話になります。
 
子供が受験を通じて夫婦で話し合う機会を作ってくれた、そう考えるのが妥当な考え方です。子供に逃げずに頑張れ!というよに妻から逃げずに話しあえ!です。

変わるのは妻ではなく、あなたです!

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