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こんにちは、ストロング宮迫です。

ボクより少し年上で50歳くらいかなあ、バリバリ仕事をしている知人がつい最近生死の淵をさまよって生還してきたので、少しだけ話をしました。

あの世に片足を突っ込んだようで「なんとか生き延びたわ」と言い「これからは楽しく生きるよ」と宣言したあとで「人生観が変わった」とも言っていました。

「どう変わったの?」ってボクが興味津々で聞いたら、

「とりえず不倫はやめる」って・・・

「そっちかい!?」ってズッコケた。
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※この毎日親技は2013年10月16日に配信したものです

生死をさまよってそれなの・・・

それに「とりあえずってどういう意味よ?」などとくだらないことを話したりしました。

◆女房と畳は新しいほうが良い
◆女房と味噌は古いほうが良い

どっちが正しいんでしょうかねえ・・・

彼のように外に向かっていく情熱というのは、現状にプラスして「もっとなにかほしい」という情熱なのか?

たとえば

妻がすばらしく、二人の結婚生活が幸せであるにもかかわらず、主人は、自分の人生経験を広げる方法があるかもしれない、と感じて・・・

ロバート・B・パーカー著【背信】より

それとも「今あるものでは足りない」っていう欠乏感を埋めるために外に求めていくものなのか?
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または

真の愛は強制することはできず、自由に許されなければならない。

だから、真の愛は結婚の責務の範囲外でしか得られない。

ロバート・B・パーカー著【背信】より

というようなある考え方に基づいて行動しているのか。

ちなみにロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズは、40歳代あたりの世代が今こそ読むべき小説ではないでしょうかね。若い頃に読んだ時より今のほうがおもしろく感じますな。

話を戻します。

外に情熱が向かっていくタイプの彼を見ていると、行く場所も付き合いも目にするものも、年齢とともにどんどん広がっている感じです。

一方、ボクなんかは対極で、限られた決まった場所にいつもいて、付き合いはどんどん狭くなり、休日に友人と遊びに行くことも、夜飲みに出歩くこともめったになくなりました。

どこで道が分かれたんでしょうかね。
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ボクの生活は、見る人から見れば、退屈でつまらないものに見えるようなんですが、日々の生活で特に閉塞感はなく、感覚的にはもっと手を広げて求めていくより、今あるものをより知り、より深く掘り下げて付き合っていくほうがより確信的なものを手に入れられるんじゃないかと思うくらいで、そうした考え方はボクの生活圏をますます狭くしていく循環をもたらします。

40を過ぎて、今さら新しいものを得ても、残りの人生では自分のものにできないと思っているのかも・・・

まあ、それは人それぞれですが、つらつら考えても、自分自身は結局ここに行き当たってしまう。

すべてはあなたにちょうどいい

今のあなたに今の夫がちょうどいい
今のあなたに今の妻がちょうどいい
今のあなたに今の子供がちょうどいい
今のあなたに今の仕事がちょうどいい
死ぬ日もあなたにちょうどいい

すべてはあなたにちょうどいい

自分にちょうどいいものが手に入る。
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では、仮にそうなら、働いている人は、今自分がもらっている、またはもらう給料って、自分がやっている仕事に「ちょうどいい」のかどうか。あなたはどうです?

とても人気のあるブログ、Chikirinの日記で、生産性の話が出ていたので紹介します。

よーく目を凝らして読んでほしいのですが、ボクがこれを紹介するのは皆さん自身の「仕事の生産性」のことだけでなく、子供の勉強を見る時の考え方を考えてほしいからです。

さて、生産性の話でした。最初と結論のところだけ抜粋します。

Chikirinの日記 2013-10-15
「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻


たとえば、朝からずっと一生懸命、仕事をしてる(つもり)で、夕方5時になる。

もちろんその段階では、「いまいちなものしか、できあがっていない」

なので、5時から、当然のように「頑張る」

夜の9時になる

でも、もうちょっと「頑張ったら」、もうちょっとよくなるんじゃないかと思える。

なので、夜の9時から、当然のように「頑張る」

ふと時計を見ると、夜中の12時を過ぎている。

「はっ!」と思って、頑張るのをやめて、終わりにする

こういう仕事の仕方をしてる人が多過ぎです。

しかも、その翌日とかに、「昨日、夜中までかかって仕上げた仕事を、残業せずに夕方5時までに終わらせようと思ったら、どういう方法がありえたんだろう?」とかいう、振り返りを全くやらないんだよね。

だから、いつまでも(何十年も!)改善しない。ってか、「生産性ってそうやって上げていくものなんだ」ってこと自体を知らないんじゃないかと思える。

もっといえば、長いこと働いたことによって、”よく頑張ったなオレ”的な達成感まで得てるんじゃないかと思えて、あまりの常識の違いに愕然とする。



40歳くらいになって、まだ一度も、「この前と同じレベルの成果を出すのに、次は前回より3割、かかる時間を減らすには、どんな方法があるんだろう?」と考えたことのないような人は、まじで「それはとてもヤバい状態なのだ」と理解したほうがいいですよ。

結論を書いておきましょう。

生産性を上げる以外に、給与を上げる方法はありません。

もちろん、

生産性を上げる以外に、国が、企業が、家計が、より豊かになる方法もありません。

生産性を上げずにポケットの中のお金を増やす方法は、「より長い時間働く」ことだけなんです。それでは「豊か」になれないでしょ。それじゃあ単なる「ブラック環境への道」以外のなんでもないじゃん。

わかってる?

そんじゃーね

仕事をしている方が自分のやっている仕事の生産性を考えるのはご自身でやっていただくとして、この考え方は間違いなく勉強でも採用されなければなりません。

塾の自習室で長時間勉強したり、家で長い間机に座っている子供がいます。成果が出ているなら文句なし。

問題はそんなに長い間取り組んでいるのに成績がビクともしない子供たちです。

子供は思ってる「よく頑張ったな、オレ」って。

評価の物差しは「勉強に関わった時間」になっているわけですな。何をどんだけ頑張ったのかが検証されない。

だから、親技では子供一人が好きなように長時間勉強するとしても、その合間の短時間、親が子供のそばに座って、子供が何をしているのか、何を長時間机に座ってやっているのかを見てあげませんかと提案しています。

特に延々と机に座って勉強してテストで成果なし!ってなっているなら、まずは短時間で絞って勉強してみましょうよってわけです。

そこでたいていは子供一人で3時間かかっているものが、親が手伝ってやると、1時間で終わるものが出てきたり、内容的に無理なものが3割あるから、それはやらないでおこうというものがわかったりする。

そばについて見て観察すれば、たいていはわかる。それは最低レベルの生産性の向上といえるのではないでしょうかね。

そして、それは子供の味方になるってことでもあります。親が手伝って今までよりも短い時間で勉強を終わらせようって話ですから。

子供にとっても決して悪い話じゃない。実はこれは今成績が振るわない子供だけでなく、成績がイイ子だって適用できる。

中学、高校と学年が上がってくると、レベルも量も倍々ゲームになっていくんですよね。

小学生の時はできていたのに中学生になったらできなくなった
中学生の時はできていたのに高校生になったらできなくなった

こうしたことが当たり前に起こるのは、勉強しなくなったという理由を除けば、ほとんどが勉強の生産性が上がっていかなかったことが原因です。

今までテスト前に3時間でやっていたことが、単純に量が倍になれば6時間必要になります。

これが1教科でなく、5教科ってなると15時間でよかったものが30時間必要になるってことです。

これに部活や習い事や遊びが今までどおりあったとしたら、生活は、生活のうち勉強の部の時間が足りなくなっていきます。

当然ですよね。

じゃあ、この学年を経るごとに倍々ゲームになっていく勉強の質量に対抗していくのはなにかといえば、それは勉強の生産性。

この前と同じレベルの成果を出すのに、次は前回より3割、かかる時間を減らすには、どんな方法があるんだろう?

中学受験において、小5の勉強が小5の段階でギリギリという生活になっていれば、小6になれば確実に破綻します。

中高一貫校で中3から高校の内容が入ってきた時、それまでがギリギリの勉強であれば、高校の内容をやり始めたら確実に破綻する。

だから、勉強はいつだって、もっとラクして、もっと短時間で今と同じ成果が出ないかなあと知恵を絞って進めていく競技なんですよね。

つまり、生産性の向上を常に頭に入れて戦うことで、次のステージの戦いが有利に進められるわけです。もっというと、そういうことを頭に入れて戦っていかなければ、どこかで必ず頭打ちになる

それを、勉強面において無意識にできている子供もいますが、大半はできていない。だから悲劇が起こる。当たり前に起こるわけです。

だから、今の成績に満足している人はもっと勉強時間を短くできないかとか、3回やらなくても1回でできるようにならないかと知恵を絞る。

成績が振るわなくて今が不満足な人は、子供にまかせっきりになっている今の勉強をどう処理するかを親が一緒になって考えてやらないといけない(と思います)。

どうしてもやれというわけではないけれど、そこから子供を脱出させるためには手を差し伸べてやらないといけない。

さらに悲劇なのは、親に手伝う気が満々にあっても、Chikirinさんのいう「生産性の概念」が親に欠如していれば、とにかくガンガンやらせればイイとなって成果の出ない勉強を子供に延々と強いているという事例も多々ある。

私たちは成果の出ない勉強を長時間やらせることを拷問といっています。

Chikirinさんは「生産性の概念の欠如」の話でこう書いておられます。

たとえば(日本で唯一、生産性という概念が根付いてる)製造部門だと、「コストを3%下げる」っていう目標と、「コストを3割下げる」っていう目標を定常的に組み合わせて生産性を上げていく。

3%の方はこまごました改善の積み重ねで達成し、3割下げるほうは、設計思想とか組み立て工程を抜本的に見直したり、調達先を国内から海外に移す、もしくは、系列以外からも調達するとか、どーんと発想を変えることで実現する。

そういうことを、ずううううううっと繰り返して、生産性を上げる工夫を続けてる。

勉強する教材がすぐそこにあるとか
鉛筆は削っておいてあるとか
消しゴムは2つ用意してあるとか
そうした「こまごまとした改善の積み重ね」で日々の勉強の効率を3%上げる。

一方で「設計思想とか組み立て工程を抜本的に見直し」は勉強の生産性を30%上げるために、

そもそも宿題を全部やる必要があるのかとか
問題別に繰り返す回数を変えるとか
授業のお土産を増やすために予習をするとか
家庭に白板を買って子供の説明用に設置するとか

今までよりも短時間で同じ習熟度を達成する、もしくは同じ勉強時間で今までより30%勉強できるものを増やすとかの考え方につながるでしょう。

子供たちはほとんどの場合、めいいっぱいの生活をしている。

となれば、

生産性を上げる以外に、給与を上げる方法はありません。

すなわち、生産性を上げる以外に、成績を上げる方法はありませんということになる。

生産性という考え方、その手法はなかなか子供では思いつかない。じゃあ、それを担うのは誰ですか?ってことです。

親がそばについて勉強を見るっていうことは、首根っこを捕まえて死ぬほど勉強をさせてやろう!ってことじゃない。

もっとラクして成果を出す方法を見つけちゃおうよー!ってこと。

製造部門は

そういうことを、ずううううううっと繰り返して、生産性を上げる工夫を続けてる。

とするなら、子供の勉強はもう少しラクです。

だって、子供たちはあるラインに乗れば、今度はそれを自分で勝手にやっていくようになる。もっといえば勝手にやっていくように最初は少し親が手伝って加速を付けてやるってことです。

たとえば、ノートの取り方を工夫したり、授業を聞いて処理してくる問題数が増えたり、この前聞いたのは100点を狙わないことで勉強量を減らしているって子供がいました。

これは100点取るのに10時間必要なら、勉強は5時間にして90点以上を狙うというような意味でしたが、そうなると家での勉強の重点の置き方も変わり、テストの受け方も変わってくる。

今まで100点を狙ってて科目によっては80点台になってりもしていた科目が100点を捨てたと事で90点前後で安定してきたというようなことを言っていました。

そして、勉強で浮いた時間は部活と好きなテレビドラマに振り分けるとも。

すばらしいですなあ・・・・子供が勝手にずううううううっと繰り返して、生産性を上げる工夫を続けてる。

しかし、もし工夫することは特に見当たりませんというなら、

生産性を上げずにポケットの中のお金を増やす方法は、「より長い時間働く」ことだけなんです。

って結論になる。

つらいですなあ・・・どうするのかを決めるのはあなた!


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うれしい報告

親子ノリノリ勉強を終わっての感想

グローブエンドさん

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
  
親の私のいけなかったところがわかりました。
 
先日のメルマガにあった 『「厳しさ」と「楽しさ」のバランス』 が悪かった。
 
もっと子供にノリノリ感を味合わせてあげるよう、お膳立てすべきだった。

毎回の成果が「子供に」見えるようにしていなかった。
  
もっと真剣に褒めなくては!とわかったが、褒めることは難しい。

◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:

今までもずっとそばで勉強をみてきたので、全く非常識とは思いません。ただ、今まではそれでうまく行かない時(親子バトル)がしばしばあったので、それをなくしたいと思ってノリ勉に参加しました。
  
ノリ勉を始めて、最初のうちは「今までやっていたこととそんなに変わらない」のに、なぜ子供がヤル気になっているのか分かりませんでした。
  
でも、最後までやってみて、今までのやり方との違いが見えた気がします。「成果」を子供に実感させてあげることがとても大切なのだと思いました。『10の鉄則』の鉄則9が具体的にはっきりと見えた気がします。
 
また、今までの私は「ただ横にいた」状態だったのかもしれません。もっと子供の心に寄り添わなければいけないんだなということが分かりました。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:
  
今までも一緒にやってきていたので、正直なところ、改めて「楽しい!」とは感じませんでした。
  
でも、子ども自身の口から「ヤル気になってきた」という言葉を聞けたこと、また子どもが今までにない集中力を見せたことは、ホントにうれしかったです。
  
これからも、我が子のこのような反応を引き出すように仕向けることが大切なんだということに気付きました。そして、「楽しくない勉強で成果は出ない!」とわかりました。

子供が変わる前にまずは親の意識改革。

「褒める」といっても、どう褒める? なにを褒める? なにをやらせて褒める?といろいろある。

「褒める」という現象にこだわっていると、褒めちゃいけない場面で思いっきり褒めたりすることになる。褒めちゃいけないのに褒めたら子供はどうなるか?

もちろん以後まともな反応をしなくなる。褒めたのに総崩れ。褒めたのに子供が暴れる。

結果「うちの子に褒めるところなんてありません!」と子供が悪いという結論になる。

子供が変わる前にまずは親が変わらなくっちゃ!

  • ノリ勉
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