こんにちは、ストロング宮迫です。
前回ここで松居和さんの動画を紹介しました。
見ていただけましたか? 皆さんの考えるヒントになったでしょうか。
今回は松居和さんの本「21世紀の子育て」―日本の親たちへのメッセージ―から一部を引用し、皆さんに考える材料を提供したいと思います。
松居さんは他の著書でもそうですが、一貫して
「幼児たちを眺めること」に人類が進化する「鍵」があると言い、親が子供を関心を持って見守る必要性を語り、それにより「親が育つ」と言います。
幼児たちを眺めることによって大人たちが何かを悟ります。幼児たちを眺めることによって、野心から自由になることを学びます。幸福のものさしを受け取ります。
無心に砂場で遊ぶ幼児たちのほうが、欲望に縛られている自分たちよりも自由で幸福そうだと感じる目を人間は持っているからです。
地位や権威が人間の目を曇らせることにふと気づくのです。子どもたちの存在こそが私たちの未来への啓示です。
しかし、現在では
心理学や教育学といった答えのない学問が大学と共に普及し、やがて社会からありもしない答えを要求され、人間関係や子育てに正解があるかのように振る舞う人たちが出てきています。
「子どもの心をつかむ」などと誰にもできないことを平気で言う学者たちが出現します。
「個性ゆたかに」などと突拍子もない空論を言う教師たちも現れます。
「子どもの可能性をのばす」と嘘を言って儲けようとする評論家や企業が親たちを誘惑します。親たちが、「現実から離れ」こういう間の抜けた空論に巻き込まれ、子育てに答えを求め始めると、幸福が逃げてゆきます。
誰からも尊敬される宣教師の息子が放蕩息子だったり、高僧の息子が詐欺を働いたり、教育学者の子どもが犯罪を犯したり、そんなことはいくらでもあるでしょう。
反対に、どうしようもない親の子が、尊敬される人物になったり、孤児が立派な父親になることだってあるのです。同じ境遇で育ったはずの兄弟が、まったく違う人生を歩む。専門家と言われる人たちが何を言おうとも、子育ては絶対に思い通りにはいかない。
それを忘れないことです。
子育てに関しては専門家などはありえない、あなたの子どもにとって専門家はあなた自身しかいない。まわりの人たちと相談しながらこの世にたった一人しかいない「専門家」「親」に「なろうとすること」が大切なのです。
普通に心配し、オロオロし、いい親でいたい、と願いながら、「自分で考え」、その時いいと思ったこと、できることを一生懸命やればいいのです。少なくとも自分で考えることによって、親が育ちます。
しかし、やっぱり「正解を求めてしまう」のは親の性で、
以前、講演会のあとで、あるお母さんが真剣にこんなことを私に言ったのです。
「『叱らない子育て』という本を読んで、とてもいい本だと思って、書いてある通りにやろうとしたんです。そしたらノイローゼになってしまったんです」
少し気の弱そうな、繊細で、真面目で、優しそうなお母さんでした。いい人そうでしたし。「いい親」そうでした。せっかくいい人そうなのに、子育てに正解を求めて、子育て論に巻き込まれて心のバランスを失い、大変な寄り道をしてしまったわけです。
子育ての鍵を握るのは、「叱って育てるか、叱らないで育てるか」ではなく、母親が「ノイローゼか、ノイローゼでないか」です。やり方ではなく、心の状態が大切です。・・・共通して大切なのは母親の精神的健康です。
ノイローゼになりがちな3つの条件があるそうです。
母親が育児ノイローゼになりがちな3つの条件(ある園長先生の証言)
1、四年制の大学を出ていること
(役に立たないことを長く学んで、一人前だと思っている。保育者や友人に相談するより本を読もうとする)2、新興住宅街に住んでいる
(近所つき合いが少なく、親が離れて住んでいることが多い)3、御主人が一流企業に勤めている(プライドが高い)
この3つの条件が揃う、まわりに相談相手がいなくなるそうです。園長先生が言うには、子育てに大切なのは、まわりに相談相手がいるかいないか。話し相手がいるかいないか、だそうです。
相談相手から良い答えが返ってくるかどうか、はどうでもいい。子育てに正解はないのですから。重要なのは相談相手が「いるか、いないか」だそうです。
とにかく「子育ては理屈で考えてやるものではない」から、「いい親になろう」とそう思う心持ちがあれば十分と。
こうまで強く警鐘を鳴らすのは、アメリカに住み、そこで目の当たりにした危機感があるからだと思いますが、現実は日本もアメリカに近づきつつあるようで、その中で日本のあり方についても言及しています。
ちょっと皮肉っぽい感じはしますが・・・
それから25年、私は先進国社会の家庭崩壊に関する危惧や数字や現象に裏付けされ、はっきりとした危機感となって私に考えさせ、書かせ、喋らせます。私の中では「親が親らしくなくなってゆく」という問題は、経済の問題や教育の問題をはるかに越えた、人類最大の危機とさえ結びつく問題なのです。
私は、日本の家庭崩壊や教育、犯罪に関係する情況が、数字を見ると欧米にくらべて奇跡的に良いことに気づきました。そして、そのあまりの違いに、欧米になくて日本にあるものは「家庭、家族にとって良い物に違いない」と、まず考えるようになりました。
「受験戦争」これは良いものだ、と直感的に思いました。「受験戦争」は親子でする苦労です。親子で苦労することは親子関係にとても良いのです。
子どもを苦しめてはいけない。苦しめては子どもの性格が歪む、というのはどう考えても嘘です。苦しめるにも程度がありますが、適当な苦労、とくに親子で体験する苦労は家族の絆をつくる絶対条件といっても良いでしょう。
いい親子関係を持ちたかったら、受験戦争くらいはしっかり参加しなければなりません。苦労ではありますが、その苦労から学ぶことは決して少なくありません。なによりも具体的な目標を持つことが肝心です。
・・・受験戦争の苦労は親子を成長させます。何しろ「世の中に出てほとんど役に立たないこと」を子どもにさせようとするには説得力や強制力が必要です。
人間関係が良くて、信頼がなければ良い結果は期待できません。親子の絆が試されるという意味では大切な登竜門です。この程度のことを子どもに押しつけられなければ、親子とは言えないかもしれません。
親が参加しなければ受験戦争は起こりません。これは親主導の、一家で通り抜ける試験です。欧米なみに日本の親が子どもに関心を失った時に、受験戦争は自然に消滅するでしょう。
裏を返せば、受験戦争をなくせば、親の関心も自然消滅してゆきます。家族の絆を守ろうと思ったら受験戦争をなくしてはいけません。受験戦争では一家で、ある時はお爺ちゃんお婆ちゃん、兄弟姉妹も巻き込んで乗り越えてゆく、日本の社会にとって大切な儀式です。
こうした親子の儀式、家族の儀式をやる上で、親子の関係は大前提となります。
先進国社会で親が子どもに具体的に何かを教える機会がどんどん消えてゆきます。「教えること」を学校や幼稚園が親たちから奪うことによって、まるでオゾン層に穴があくように、地球を取り囲む忍耐力が消えてゆくのが私には見えます。
今、日本に、冷静に、信頼を得ながら、自分の子どもに「割り算」を教えられる父親がどのくらいいるでしょう。
小学校で教師をしている父親でも、幼稚園で先生をやっている母親でも、家で自分の子どもに教えようとすると忍耐力が続かない。これがとても重要な親子関係の原理なのです。
自分の子どもに教えようとするから忍耐力が続かない。続かないことを自覚してこそ、忍耐力が育つ。
自分の子どもに教えようとするから自分の本性が表れやすい。本性をわからずして人間性は磨けません。
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本当に親子の絆を作りたかったら、自転車に乗ることくらいは父親が教える。水泳くらいは母親が自分で教えるのです。蝶々結びでもお箸の持ち方でもいい。歯の磨き方、ボタンのかけ方でもいい。簡単なことから順番に、子どもができるようになることを目標にするのではなく、子どもにいつでも何かを教えられる親になることを目標に、親たちが少しずつやっていけば、親が育ち、忍耐力が育つ。
教え教えられる態勢ができれば親子関係はまず大丈夫です。
そして、いろいろな場面で松居さんが述べられているのがこのことでしょう。
「自由にのびのびと」という言葉は感覚的にわかります。そうあってほしいという親心も理解できます。
しかし子育ては親の選択する子どもの現実であって、理想論だけでは済まない。子どもを意識的に自由にのびのび育てようとすれば、将来、離婚する確率が高くなるでしょう。
結婚は明らかに「不自由」になることだからです。「不自由」であることと「不幸」を同一視するような子どもを育ててはいけません。そんなことをすれば、将来、幼児虐待や子育て放棄をする確率も高くなります。
「子育て」は結婚よりももっと「不自由」になることだからです。その不自由さ、束縛の中に人類の存続にもっとも必要な幸福感があるのです。
「自由にのびのびと」という言葉が一般社会に普及すると、社会全体に忍耐力がなくなり、幸福の基盤になってきた結婚と子育てがイライラの源に変わり、幼児虐待と女性虐待が急に増えるのです。
結婚するのはある種「不自由」になること。これに子育てが加わるとということはさらに「不自由」になるということ。しかし、結婚と子育ての「不自由さ」の2乗にもかかわらず、その「不自由さ」はイコール「不幸」を意味しない。
これを読者のみなさんがどう捉えるかはわかりません。
が、ボク自身は、我が子にかかわってきて、我が子とかかわる以上の「娯楽」にも「喜び」にも出会っていないというのが正直なところです。
思い通りにならないことは多いけど、これほどおもしろいことはない!
まさに
その不自由さ、束縛の中に・・・もっとも必要な幸福感がある
のが実感です。
だから、あなたもそうでしょ!というつもりはありません。ボクはボク、あなたはあなた。それぞれが「自らで考えながら答えを出す」。それも1つの愉しみですから。
※この毎日親技は2011年8月31日に配信したものです
松居和さんのその他の著書
ノリ勉英語を終わっての感想
中1 KEI母さん
◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
「英語が得意です」という大~きな勘違いを植え付けられたこと。特に単語はメチャ得意と思っているはず。
◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:
そばにいない=勉強しなくてよい、と思われてしまっているところが心配ですが、時間をさいてそばにいてくれる時は勉強しなければならないと植え付けられたと思います。(そばで勉強は小1から続けています。非常識ではないかと思い始めた小4の頃、ストロングさんに出会い、安心して続けていました・・・。)ストロングさんのおっしゃる通り、リズムが大事だと思いました。リズムよく進ませるために、事前準備がすごく必要だと思いました。
あたふた動いて口だけ偉そうにしても聞いてもらえない。こちらもきちんと準備しなければ、口だけで言ってもダメではないかと思いました。
親が努力して初めて伝わる(反発せずに素直に動く)気がしました。
自分が一生懸命作った問題、その問題の作り方を子どもにさせるのも重要だと思いました。
子供に教えようと頑張っていると自分がよく覚えていっていることに気づかされます。ストロングさんもそのようなことも言っていたのですね・・・!?
ゲームや飲食は、決して先にさせない。
「喉がかわいた」
「ちょっとだけおやつを」
「ゲームを30分だけ」。これらは決して先にさせない。
例外で、あまりにも眠い時は1時間眠らせ、1時間後に起こしてそれからスタートでもいい。(寝る前に約束させる)
本当に眠い時は、驚いたのですが、すぐ眠ってしまいます。眠れなければスグやるのみ。この7日間で経験して感じたことです。
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:やり始める時は、本当~に嫌そうに八つ当たりされるので最高に不快ですが、問題ができるようになってくるとうれしそうにする様子が何度となく見られたので、終わった後は、いつも楽しく、うれしい気分でした。
◆先輩たちの記録は読みましたか?それは参考になりました?
何度も読みました。何度読んでも違うところが耳に残ったりもしました。読んで、トライ&エラーして、また自分なりの方法を模索しました。ストロングさんの説明にしても、一度ではすぐ理解できなかったので、何度も何度も読みました。
また再読し、7日間の旅を、続けていこうと思います。
これからもできるだけ長く続けて頑張って下さい。それだけを希望します!!