こんにちは、ストロング宮迫です。
ここから3月中旬まで高校入試が本格化ですね。
中3の紅葉さんからメールをいただきました。
いつも有り難くメールを拝見させていただいています。
勝手なもので、恋人からのメールを待つようにストロングさんのメールを待つ日もあれば、忙しさにかまけて流し読みする日もあったりして、無料なんて本当に申し訳なく、ただただ有り難く、毎週二回の着信を続けさせていただいています。
ところで、まだ子供の高校受験は終わっていません。あさってからがいよいよ本番です。
実は1月に推薦に落ちています。私は奈落の底に落とされたのですが、子供は落ちる私の手を振りはらって、見上げれば全く変わらない場所に落ち着いていました。
発表の一時間後には違う学校の過去問、数学を何もなかったように解いていたのです。私はといえば、2、3日立ち直れずに泣きそうになっていたというのに。
聞けば、うかる感じがしなかったとかで、私の早合点だったようです。偏差値は届いていますので、てっきり受かるものだとばかり思っていました。推薦は面接がかなり重要なのだと初めて痛感しました。
ただ、一度不合格になった経験は、必ず生かされるものだと思っています。一度でパスしてしまうよりもいい経験になったかと。あくまで私の”母親としての経験”ですが(笑)。
子供は長引いたことがいやでならないようです。仕方がないですね。
今週いっぱいで、本当に決着がつきます。ストロングさんのお言葉から始まった受験生活でした!ストロングさんのためにも、絶対に、今度こそ、合格をつかみたいです!!また、ご連絡させてください。
すでに推薦入試がなくなった地域もあります。受験機会が一発勝負に変更になっている地域もあります。学校、地域でそれぞれだけど推薦入試をやっているところもある。
「推薦入試で早く決まってほしい!」と願うのは誰もが思うことですが、ボクは推薦入試は「宝くじと一緒」と子供たちには言っています。「買っても当らないからね、そのつもりでいるんだよ」って。
気分は推薦入試で「受かる」つもりだから、そのあとの学力試験の準備を子供は怠る。ただ宝くじはたいていはずれる。一番伸びる入試1ヶ月前をこうして棒に振る子供たちが依然後を絶たない。もったいない・・・
気持ちはわかるけど、なぜ「自分は受かるかも」と思えるんだろうか? たぶん「早く受験を終えたい」から頭のスイッチが「きっと受かるはず」に勝手に変換するんだな。
推薦入試がダメでも落ち込む必要はまるでない。宝くじにはずれて悔しがる人はあまりいないもの。
だいたいハズレなんだから。
この前、「宝くじ」に当たった、それも1等が当たった子供に会いました。いるんですよね、1等で当たる子も、まれにね。
その子には言いました。息をひそめて下向いて学校に行くんだよ。晴れ晴れとした顔して「受かった」なんて言ってたら同級生に生涯恨まれることになるからね。
受験が終わるまでは、同級生が闘っている間は、ひっそりと過ごして、ニヤけたければ家に帰って風呂の中でニヤけるんだよって。
良い時も悪い時も常に人は天から試される。テストですよね。でも急に態度や考え方は創られない。そのときの感情がプイと出る。そのテストをすでに数多く受けてきた結果がボクら親っていうわけです。
紅葉さんのお子さんは「発表の一時間後には違う学校の過去問、数学を何もなかったように解いていた」と。よくわかってる!すばらしい (^^)♪
天から試されたテストにお子さんは合格したんだな。長引くのは誰でもイヤだけど、最後まで頑張るんだよ。紅葉さんが受験前にお子さんに「ここまでよく頑張ったね」の「親からの合格証」をきちんと出せて入試に臨んだことを祈るばかりです。
高校入試受験生は今からまだ伸びる!ようやっと受験生の顔になったもの。とっても遅いけれど、ここから「倍返しだー!」です。
これから高校入試の受験生は「高利貸し」になる。トイチだ。そう、「十日で一割の金利」を回収する。貪欲な受験生は「十日で二割の金利」を回収するツワモノも。
今までマイナス金利だったんだ。バズーカ砲を打て!受験生の金利は強欲に回収しても文句は言われないのだから。
さて、時節柄、決意と覚悟を示すメールやら、嘆きのメールやらがたくさん届きます。
小2 えりもくさん
小学校低学年のうちは、計算と漢字を毎日やることだけを目標にしていますが、それすら、毎日できません。週に3日程度でしょうか。。
宿題は言わなくてもできるのですが、仕事→お迎えから帰ると、下の子と遊ぶか、TVを見るか・・。たまに勉強をしても、下の子が邪魔をします。
中学受験を考えているので、試しに模試を受けましたが、やはり計算で間違えてしまいます。偏差値は50を少し超えた程度です。
駅までの道すがら、「20-5」など、すごく簡単なレベルの暗算をしながら歩いているのですが、「また?」「うるさい!」と、だんだん嫌がられてしまいました。
塾では計算は教えてもらえないので、家でやらなければ、と思いつつ、気ばかり焦ってしまいます。
これは1月のメールです。
それから1ヶ月後、[鉄則] 読んでの感想
メルマガは2年で卒業、という話をうかがい、そこから目が覚めました!ボーっと読んでいてもしょうがない。自分に置き換えて読んでみる。世界が開けてきました。
とはいえ、まだまだ始まったばかりです。子供の勉強を見ても、ちょっと難しいと泣いてしまい、それは自分の出す問題が難しいのかな、とわかりつつも、せっかく買ったのだから・・と後に引けない自分。
でも、ここは親ワザではどうか?とネットを開くと、出ました「子供をやる気にさせる4つのポイント」。○○式が好きか嫌いか、でなく、真実を言い当てている。それをどう生かすかは自分次第。
そして、ゴールを設定するのも大事だけど、やはり、それは現状を知らないと夢は夢であって、今すべきことは夢に合わせるのではなく、現状に合わせる、ということですね。
自分が幼少の時にこれだけやってきたんだから、子供にもできるはず!と思っていたけど。
でも、自分が恥ずかしながら答えを写したり、人のを見たりしたことがあって、それって追い込まれてたんだなぁ、、テストの前に高熱を出したことも何度もあったけど、それは自信がなかったんだとわかりました。
子供にはそうなってほしくない!入学する学校がどうではなく、自信を持って人生を歩んでほしいし、幸せな中学受験をしてほしい。
中学受験が人生の頂点にはしたくない。まだまだその先も人生が続くのだから。
ということで、子供が泣きながらでも形式的にやる、というのではなく、自分から進んでノリノリでやれるよう、私の関わりが大事ですね。まずは、本人と相談しながら、課題を考えていきます。
意識は少し変わったといえますね。変えようと決意したところでしょうかね。
でもたぶんまだ頭で考えていることと、やっていることには差があるはずです。だからあえて少し厳しい目でえりもくさんのメールを見てみましょうか。
小学校低学年の方の話だから関係ない!なんて思わないように。中2でも同じような方たくさんいますからね。いきますよ!
勉強は「泣きながらでも形式的に」やっても上がらない。これはもう厳然たる事実です。
今週の確認テストや週間テストは「形式的にでも」やれば少しは上がるかもしれない。でも1ヶ月後はもうダメだ。続かない。それに1ヶ月前にやったことなんかまるで覚えちゃいないってことに気づく。
先日のニュースでこんなのがありました。
記憶固定にストレス悪影響
時事通信 2月8日記憶の固定や維持にストレスが悪影響を及ぼすことを生体の外で初めて再現したと、大阪大の小倉明彦教授らの研究グループが8日発表した。
細胞を使った実験で再現できたことで、ストレスの影響を細胞レベルで直接検討できるようになり、記憶障害などの予防法や治療法の開発につながると期待される。論文は英科学誌サイエンティフィック・リポーツに掲載された。
これまでも人や動物を使った実験でストレスにより記憶の固定が阻害されることは報告されていた。だが、ストレスが直接影響しているのか、ストレスを回避するための生体の防御反応なのかは明らかになっていなかった。
研究グループは、マウスの大脳皮質の一部で記憶に関係する「海馬」の切片を培養し、ストレスホルモン「グルココルチコイド」を投与。
観察した結果、脳神経細胞間で情報を伝達するシナプスの形成が阻害され、記憶の固定や維持ができない状態が確認できた。ストレスホルモンが直接影響したと考えられるという。
「ストレスにより記憶の固定が阻害される」そうですよ。
もしかしてあなた自身が、親が子供にストレスになっていないでしょうね?
だとしたら子供は「シナプスの形成が阻害され、記憶の固定や維持ができない」ですよ。
ボクの手帳にはこう記してある。どこの本から引っ張ってきたのかは書いていないので出典がわからないけれど、
「ストレスとは、心がノーと言っているのに、口が勝手に開いてイエスと言っているときのことです」
Stress is when your mind says no, but your mouth opens up and says yes.
みんな大人は経験してきたことです。ストレスがかかった状態では頭のスイッチが入らない。だから15分でできることが2時間かかって、その日の成果は「ほぼ0」になる。記憶にも残らない。
残るのは親が「勉強させた」という記憶だけ。子供は「勉強させられた」という記憶だけが残る。成果がないお互いに不愉快なその記憶は成果を生まず、親子に溝を作る。
親子のその溝は蓄積でだんだん埋めがたいほど大きくなり、親が「あなたのためにやっているのに」といい、子供が「頼んでないのにしてくれるな」という結論に達してジ・エンドとなる。
誤解が解けて、お互いが未熟だったからと認めて和解するとしても数十年後になる。
頭でわかるだけじゃなく、言葉で、行動で、今すぐ子供に示さなくちゃならない。目に見える形で、感じられるやり方で示さなくちゃならない。親の「わかったつもり」はただちに子供に害を及ぼすから。
ツイッターを見てると、それらに関するヒントがたくさん転がってます。先日はこんなのもありました。
つまり「人間は強制収容所には耐えられないが、エベレストには登れる」のである。”きつさ”は確かに後者が上だが、希望や志はそれを超越する。そう考えれば、今の日本のブラック企業は”単なる会社勤め”を「圧倒的成長」などという言葉でエベレスト登山にまでしてしまってる意味で大変罪深い。>RT
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) 2016, 2月 9
親との思い出が、子供の頭の中が「また?うるさい!」って思うばかりの「駅までの道すがら、暗算をしながら歩いている」だけで占領されたら、あなたの言うことはなにも頭に入らなくなる。頭に入れまいと決意して聞くから余計に入らない。
人はね、聞かないぞ!って決意して聞いたら、ぜ~んぜん頭に入らないものなんです。知ってますよね?
でも「道すがらの暗算」のイヤな思い出だけは蓄積されて、勉強だけじゃなく、親の言うことは一切受け付けないという土壌ができあがる。それも強固に!
そして、さあ受験だと高学年になったときは、まるで親の言うことなんか聞けない子供になっている。でも「勝手になった」んじゃなく、親がそうしたんですよね。だから今の延長線上には「幸せな中学受験」はない。
わかってますよ!だから親が変わろうとしてるんですよね。本当に親が変わらなくちゃいけない。そう思うだけじゃなく、考え方と言葉と行動を変えなくちゃならない。今すぐだ!
自信はあとからつけるんじゃなく、今つける。難しいことをできるから自信ができるんじゃない。小学校のことがちゃんとできても自信は得られる。カンタンなことでも約束したことを守ることで自信は得られる。
カンタンな足し算や引き算なんて遊びの中に紛れ込ませて勉強なんて感じさせないでできるはずです。「駅までの道すがら」子供は周りを見渡しながら歩いているのではないか。看板には漢字もあるだろう。ローマ字だって。
いきなり勉強と結び付けて「読ませよう」と思う、その直線的な投げかけを子供は拒否してる。遊びがない。おもしろくない。それはもう話したくないにつながるでしょう。
「幸せな中学受験」を目指す前に「どうやったらおもしろくなるか」を考える必要がある。その先に中学受験を考えているなら、いったん中学受験をするから離れてみることです。
もうちょっとしばらく前ですが、幼稚園の年長さんくらいの子が「ボク、英語なんてキライ」って言ってたの聞きました。
小学校に入る前から「ボク、英語なんてキライ」なんて普通、子供は言わない。幼稚園児を、まだ幼稚園児なのに「英語なんてキライ」にした犯人が、そこに追いやった人がいる!その子の近くに!!!
誰だ(;`O´)o
「英語に親しませたい」の善意の気持ちだと思うけれど、本格的に英語を習う前に子供に「英語なんてクソだね」って強固に植えつけてる。
それなのに「英語が・・・」と親は言い、「英単語が覚えられません」とか嘆いてる。だ~れだ?
「厚切りジェイソン」じゃなくても「ホワイ、ジャパニーズ・ピープル?!!!おかしいダロウ!」とハイテンションでのツッコミたくなる。
下の子と遊ぶ、いいじゃないですか。遊んだら、どこかで遊ぶのをやめるというケジメを学ぶ機会を得る。ケジメをつけるためには、下の子にケジメはないから、下の子に「ここまでだよ」って言わなきゃいけなくなる。
下の子は幼稚園児だからわからない「もっと遊んで」というでしょう。ケジメがつけられない。自分ではつけようと思うけれど、相手が許してくれないから。そのとき上の子は下の子になんていうんだろうか。
言ってもわからない年齢の子供を相手にするから意味がある。それら1つ1つで子供は学び、創られる。こうしろ!なんてない。自由です。
下の子につられて、ケジメもなくそのまま遊んでしまったのも大事な体験の1つになる。それでケジメがつけられたら、下の子は自然とケジメが付けられるようにもなる。一発解答なんてない。試行錯誤と工夫。
生活体験の中に学びがあり、善悪を学び、良悪を考える。その中に勉強もあるんです。生活体験と勉強が厚い壁で区切られていたら、これから変化していく入試内容からもますます離れていくことになる。
入試内容は可能な限り、生活体験に基づくものになっていこうとしているのだから。子供は見た情報、感じた情報からまず学ぶ。具体的なモノから学ぶんです。勉強は抽象的だ。「20-5=」って聞かれるんだから。
だからこそ、抽象的な式をやる前に具体例で生活の中での事例で体験するんだ。何度も書いたけどまた書く。
20個のチロルチョコをお父さんが冷蔵庫から勝手に取り出して食ってしまいました。
いけない、お父さんだ。残ったチロルをお母さんとあなたと下の子供の3人で分けることになります。
あなたは何個食べられるでしょうか?
小2でも、できる!
バレンタインデイにチロルチョコを20個買ってきてテーブルの上で1つずつ分けていけばできる。
それを式にすれば「(20-5)÷3=」だ。
「(20-5)÷3=」の計算はやり方を知れば誰でもできる。でもこの抽象的な計算のやり方を知ったときに「チロルだな!」って生活体験の中で具体的な事例が結びつく子供は3回も繰り返しやらなくてもすぐできるし、1回目から速い。
式も「20-5=15 15÷3=5」なんて2つに分けて書いたりしない。1つの式で書く。でもそれを「(20-5)=」を先にやるんだよっていうやり方だけを教えられて具体的なことに結びつかない子供は時々間違う。あれれ!?ってね。
中学受験でも高校受験でもやる内容は生活体験では経験しないような知識として知るものもたくさん出る。でも生活体験で実感を伴ってできるものもある。それが武器になる。
全ての内容が生活体験に基づいていないとダメなんて言ってるんじゃない。武器になるものがあるから人よりも短い時間で勝率が上がるだけです。
武器になっている子供は、抽象的な式「(20-5)÷3=」を見たら、問題「チロル20個があったけれど・・・」を自分でも作ることができる。
「具体的事例⇒抽象的な式⇒具体的事例」これで完結だ。これが本当の意味で「わかった!」だ。
「具体的事例⇒できる」これで終わると、抽象化する入試には対応できない。
「抽象的な式⇒できる」これで終わると、のちにできなくなったり、忘れてしまうことがある。
学校でも塾でも「具体的事例⇒抽象的な式」これはたいていやってくれるはずです。最初の「具体的事例」をすっ飛ばすこともあるけれど、教科書やテキストの単元の最初には必ず書いてある。みんな読まないけれど。
「(20-5)÷3=」の計算はやり方は知っているけれど、問題は作ることはできません!なんて、それは勉強じゃなく、「なんちゃって勉強」、「勉強みたいなもの」に装っているものだとボクは思います。
中学受験の準備のつもりがいつの間にか子供を勉強キライに押しやっていかないように親は心してかからねばなりません。
あるスポーツクラブのCMが嫌いなのは、長年自分を雑に扱ってきた体型を、たった二か月で別人になったと宣伝するからである。長年の習慣が二か月で戻るのは、体型だけで、精神は二か月では戻らない。そのまま維持するのは無理だと思う。一発逆転ではなく、丁寧に時間をかけて自分を丁寧に戻すのだ。
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2016, 2月 8
「やっているつもり」は地獄への1丁目。
やっているつもりという雑な考え方、雑な子供への投げかけの言葉、子供に対する雑な行動対応はのちに親の借金となる。借金の金額は親が「どれだけ雑だったか?」で決まる。
自分がこれまで「雑だったかどうか」の答えは、今目の前にいる子供がどう言っているか、どう行動しているかでわかる。それが答えだから。子供を見たら親が見える。鏡だもの。
幼稚園の年長さんなのに「ボク、英語なんてキライ」って言っている子供の親が家でどう子供に接しているかはわかるのと同じ。
「一発逆転ではなく、丁寧に時間をかけて」やっていきましょうよ。丁寧って言っても、3年後に結果が出るまで待つんじゃないですよ。すぐ出てくるものだから、親が変わればね。
でも長い年月をかけて雑にしていたのであれば、同じ時間だけ戻すのにはかかる。どの地点で引き返せるか。する決意とする覚悟は今までしてきたことによって変わってくる。
新学期を迎える春にはちょうどいい頃だと思います。
仕事も家事も待ったなしだけど、子供もまた待ったなしだ。その中で雑になった部分がのちのボロが出る要因になるだけですから。
上原ひろみ「機材が揃ってなかったり、悔しい思いをすることなんていくらでもある。でもそれは人のせいじゃない。すべてのスタッフを本気にさせられなかった自分の責任。そんなときは全員と握手しハグし、思いを伝える。そしたら次に来たときにみんなが本気になってくれる」(トークライブより、趣旨)
— Arai Kaoru (@araikaoru) 2016, 2月 8
ボク達の受験に関する考え方は「石橋を叩いても渡らない」です。
受験に向けて、志望校の合格に向けて、1つ1つしらみつぶしにやっていき、受験する際にはすべての面でクリアした上で受験する。すべてをクリアするために道筋があり、逆算してやっていく。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
小5 かずぱぱさん
ひとつひとつの鉄則に「なるほどなぁ」と思いました。
どの鉄則も、今までのやり方に照らし合わせてみると、中途半端だったと思いました。
塾の先生に相談することもせず、決まりを作っていましたが出来たかどうかを確認もせず、ちょっと頑張っている様子をみると休憩させるなど、改めて鉄則に照らし合わせてみると中途半端なやり方ばかりでした。
小5 雪割草さん
『10の鉄則』を読んで、この1年間家族で『受験勉強ごっこ』をしていたことがわかりました。
購入して感想を1ヶ月以上書けなかったのはそれを認めるのがいやだったからだと思います。娘の成績が上がらないのは自分のせいではない。私は一生懸命やっていると信じていたから・・・。
ウソをついたり、逆ギレされるのは結局母親の私に責任があったのです。寂しい中、一人でがんばらせるのは無理。まずは私が少しでも早く帰宅し娘が家に一人でいる時間をなるべく少なくするところから始めたい。
『受験勉強ごっこ』ですか・・・
言われてみれば、「ごっこ」をしている家庭が多いのかもしれませんね。少なくとも難関校を受験するとなれば、家族の総力戦とならざるをえません。
総力戦においては、子供や親や塾などの役割がそれぞれあり、どこかに穴があれば、水が漏れる。頑張っています、やっていますと水漏れ状態で気合い十分というのは成果がいっさい出ずに本当に苦しい。
すべての水漏れを防ぐことは無理でしょう。であるならば、どこそこは「水が漏れている」という認識は持つ必要がある。認識を持つということは優先順位が確定され、やると捨てが明確であること。
「これは捨てだよ!」そう子供たちにハッキリ言ってやることで気持ちも楽にしてやり、その分力を傾注したところは、突破する。『受験勉強ごっこ』はそこが徹底的に甘いということですね。