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こんにちは、ストロング宮迫です。

10月1日は「コーヒーの日」だそうですが、知ってました?

もちろんボクは知りませんでしたけれど(ToT)、さっき知り合いから電話があって「今日はコーヒーの日で特売だから、なんか買っていこうか」って連絡があって知りました。

全日本コーヒー協会によれば、日本では30年以上前の1983年に10月1日が「コーヒーの日」と定められたそうなんですが、国際的には今年2015年の10月1日から「International Coffee Day」がスタートすることになったそうです。コーヒーの新年度が始まるのは10月からなんですって。

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知り合いが買ってきてくれたのは「タンザニア産」でした。やっぱり特売でも100グラム500円はするんですなあ。

個人的にはコスタリカのこいつがお気に入りなんですが、
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やっぱり100グラム500円ちょっとですからねえ。

2011年に書いたメルマガを見ると、あの頃はちょうど90日で2キロ、測ったようにコーヒー豆を注文し飲んでいたようですが、今調べてみると、現在はだいたい40日で2キロのコーヒーを飲んでいる計算になります。

今は1日50グラムのコーヒーを飲むのでこの5年で2倍飲むようになったというわけです。そして、お気に入りのコスタリカのコーヒーは5年前の2010年なら2キロで5950円(税別)ですが、今は7,420円(税別)で25%アップに加えて消費税8%。

UCC上島珈琲株式会社による2014年9月のプレスリリースによると、

・・・「コーヒー生豆相場高」と「円安」の二重苦という深刻な状況に直面し、今年のコーヒー生豆の調達価格(円換算)は、昨年11月に比べ2倍以上に上昇しています

とありますから、それでも販売店さんが泣いて頑張ってくれているんでしょうが。

「生活必需品」の使用量が2倍に増えて、価格が30%以上アップ・・・できるのは使用量の削減だけですなあ。

まあ、今日は「コーヒーの日」ですから、ガブ飲みしちゃいましょうよ、知人が持ってきたコーヒー豆をね。コーヒーなしでは生きられないのだから。

さて、秋の夜長にコーヒー飲みながら親の方が読む本はなにがいいのか?

前回ここで「みんな子供を大きくはしているが、育ててはいない」と書きましたので、それに関連する本をコーヒーの伴にされてはいかがでしょうかね。1節、ご紹介しましょう。

灰谷健次郎著「子どもに教わったこと」
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子どもはいつか、誰でも大人になります。自明のことですね。そして子どもは学校へいって学ぶ。誰もそうなのですが、じゃ、そのお返しで、みんな一度は教える側、つまり教師になるかというと、そんなことはない。

子どもは必ず大人になるのですが、同じように学んだ者は、必ず教師になるわけじゃない。そこがちょっと困ったところです。

教師になることがわかっていれば、人を育てることに誰もが関心を持つのですが、大人になって、いつしか、育つ、とか、育てる、ということは自分に関係がないと思いはじめてきます。

親は別です。親になると、そうはいかない。大人と子どもの断絶は、あなたは学ぶ側、わたしは、もうそれを済ませた側なんだという意識から生じる場合が多いと思います。

そこで少し立ち止まって考えてみてください。そうなんでしょうか。

人は生きている限り、学ぶはずなんです。学ぶということは死ぬまでつづく。たいていの人は、それを忘れるようです。

子どもが学ぶのは当然だけれど、大人は一応、卒業したと。そんなことはないです。人は死ぬまで学んで変わりつづけなくてはならない。

学ぶということは一つの経験ですから、必ず何らかの相手があって、はじめて成立することです。学んで変わるということは、一人ではできない。仲間がいります。

仲間というのは先生だったり、親だったり、友だちだったり、あるいは自然であったりします。書物というものもありますが、これは人が著したものだから、人間の変形と考えることにしましょう。

相手はさまざまですが、学んで変わるためには、必ずもう一方の支えが必要です。ということは一方的に、ものを教えるという関係は成立しないということになります。

あるのは学び合うという関係です。教師も子どももそうです。わたしが、子どもに学ぶ、といっているのは、そういう意味です。

このごろ、「子どもに学ぶ」ということばは手垢がつきすぎました。そんなふうにいっておれば、良心的な教師のように思われる。そんなばかなことはありませんね。

教えることは学ぶことである、という意味のことを、アラゴンという人がいっていますが、人にものを教える者は学ばなくてはならない。するとお互いに学び合うというつながりしかないということになります。

親と子の関係もそうです。親は子どもを育てているつもりなのに、ふと気がつくと、その営みの中で、自分もまた育っていた、というのが正常な親子の関係だと思います。

つまり学校は、ただたんに、ものを教える場所じゃないんです。教師も子どもから学んでいる。そういう場所なのです。

たいていの教師は、それを忘れますね。子どもを命令や強制で変えようとするのがよくないのは、そうする教師は永遠に自ら変わることがないからです・・・

ここで「教師」はすべて「親」に置き換えて読んでいただきたいですな。

灰谷健次郎さんは、子どもは必ず大人になるのですが、同じように学んだ者は、必ず教師になるわけじゃない。と書かれていますが、ボクは大人はみんな「教師」になるんだって思っています。

家庭に子供がいなければ、働いている場所で人は「教師」もしくは「教師のような立場」になる。「上司と部下」でも「教師と生徒」でも「親と子供」でもぜ~んぶ一緒なんじゃないか。

「上司」でも「教師」でも「親」でも、上の立場と思われている位置にいても「必ず何らかの相手があって、はじめて成立する」のが人間関係です。「ただたんに、ものを教える」わけじゃないんです。

日々、お互いに学び合うというつながりしかないんです。

躾をしました、勉強しないと将来困ると言いました、人としてやるべきことを伝えました。言った、伝えた、叱りました、私はちゃんと「しました」は一方的な関係です。

「人間関係」にならないと言ったこと、伝えたことは成立しない。子供の頃に学んだことがなければ、大人になって学び方がわからない。

じゃあ、「学ぶ」ってなんなのか。幾通りも答えがあるでしょう。親技では一方的な関係でなく、人間関係を構築しましょうと言っています。

だから「親のあなたが謝りなさい。今まで悪かったねと心から謝りなさい」っていうのも出てくる。だって親が悪ければ謝らないとね。

みんな悪いことをしたら素直に謝りなさいっていうじゃないですか。でも、親は謝らない。「私が何か悪いことでもしましたか?」って顔を平気でしてるもの。

でもそれじゃあ、人間関係は構築できない。人間関係が構築できないと相手からは学べません。

灰谷さんは、「子どもに学ぶ」ということばは手垢がつきすぎました。そんなふうにいっておれば、良心的な教師のように思われる。と手厳しく書いておられますが、ただのポーズなのか、それとも本当に「子供に学んだ」のかは、その人が言っていることを聞いていればわかる。

例外なくいかなる親も「子どもを育てているつもりなのに、ふと気がつくと、その営みの中で、自分もまた育っていた」と感じる場面があったかどうかです。それがあったかどうかで判断できる。

あなたが子供と関わり合う中で「自分もまた育っていた」という点をいくつ挙げられるかで自己判断もできる。

もし、「ない」とすれば、残念ながら子どもを命令や強制で変えようとするのがよくないのは、そうする教師は永遠に自ら変わることがないからですが当てはまるでしょう。

親技では、命令や強制もやむなし!としているところも多々あります。ただそうするために何かを譲ることは欠かしません。

たとえば「勉強をさせる⇒ならば少量から」なんていうのはイイ例で、そうやって命令や強制が一方的にならないように常に「譲って」やるようにしています。

それをしないと「やらない子供が悪い」って結論にならざるを得ないから。結論は「言ったのに子供がやらない」になってしまうから。

でも「子供がやらない」のはなんでなのかを考えないと、常にその関係は一歩通行になる。一方通行になれば「学び」はない。「学び」がなければ人間関係は構築されないから

大人と子どもの断絶は、あなたは学ぶ側、わたしは、もうそれを済ませた側なんだという意識から生じる場合が多いと思います。

親子の関係は断絶するのではないでしょうかね。共に暮らしていても断絶している親子はたくさんいるし、離れて暮らしていても断絶していない親子もいる。

その関係は時間的なモノや物理的なモノに大きな影響を受けるけれど、決定打ではないと思います。決定打になるのは「お互いに学び合うというつながりしかない」。

ちょうどスポーツ新聞にこんなニュースが出ていました。

元チェッカーズ武内享 息子2人が大麻で逮捕「責任感じています」

・・・「ご報告」のエントリーで「オレの長男と次男が大麻取締法の容疑で逮捕されました」と報告。

「こんな事になってしまい、正直、今現在もまだ気持ちの整理がつきません。今はただ、父親としての責任を強く強く感じています」と揺れる胸中をつづっている。

子供たちには「いい事も悪い事も全て自分に帰ってくる」「自己保身のウソはつくな」「自分自身が変わらないと何も変わらない」と言い続けてきたという武内。

関係者や仲間、ファンに迷惑をかけることになるため「全て辞めてしまおうかとも頭をよぎった」というが、「本気で二人を更生させていくためにはオレが潰れる訳にはいきません。二人と向かい合って再スタートをするために、オレはこのまま頑張って行こうと思ってます」と決意。

「息子達には、どれだけ回りに迷惑をかけたのかを理解して、そして反省して、キッチリと罪を償い再出発してほしい」と更生を願った・・・

この芸能人をボクはよく知りませんが、今回の件を考える材料としてはいいんじゃないでしょうかね。

子供たちには

「いい事も悪い事も全て自分に帰ってくる」
「自己保身のウソはつくな」
「自分自身が変わらないと何も変わらない」

と言い続けてきたというこの方、間違ってないですよね。

あなたも同じようなことを子供に言っていることでしょう。しかし、事件は起こったのです。言ってきたのに、伝えてきたのに、伝わっていなかったのか、どうだったのかはわかりません。でも、言っていても、伝えていても、伝わっていなければ、事件は起こるんです。

この人の子供にもウチの子供にも、あなたの子供にも起こり得ることではないでしょうか。

ただ親は子供に「自分自身が変わらないと何も変わらない」ことをきちんと伝えるために「親が変わったところ」を見せておかねばならない。

実際に「私はあなたからも学びました」という事実を子供にみせてやらないと。それが一番わかりやすいからね。そして、子供が「親も学んでいるんだ」とうっすらでも感じたら、子供の親に対する態度も変わってきます。

「先生の授業をちゃんと聞くんだよ」ってことをちゃんと伝えるためには、親であるあなたが子供の「言っていること」をちゃんと聞いて一方通行でない関係を構築するその事実を子供に見せておかないと子供には伝わらないでしょう。

「親」でも「教師」でも「上司」でも、上の立場と思われている者は「私達の関係は一方通行ではないんだよ」と相手にわかるようにしてやらなくちゃいけない。

授業をちゃんと聞けない子供の親は「人の話を聞かない」人が多いけれど、それはあったりまえだ!親がしたようにしているだけなんです、子供は。

コーヒー飲みながらでいいんで、子供の話にじっくり耳を傾けてみましょうよ。今まで聞かなかった、聞けなかったことに耳を澄ましてみましょうよ。

そういうことを教えてくれるのが灰谷さんの「子どもに教わったこと」という本です。

灰谷健次郎著「子どもに教わったこと」
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「子どもに教わったこと」がない人は親技を駆使しているとは言えない。答えはあなたでもなく、ボクでもなく、子供自身が持っているし、そのことを子供は日々の生活で示しているのだから。

親カツ後期生の方に業務連絡です

高校入試の数学の入試演習の準備段階でやってほしい数学問題集「マッハ50」は今年から親カツ講座後期コースの中で提供していきます。

本日10月1日から親カツ後期生の方には自由にダウンロードしてご活用いただけます。メンバーログイン後、以下のサイトから希望する方はお申し込みください。

公立高校入試対策数学の問題集「マッハ50」のお申込み

ご連絡をいただいた方から順に高校入試数学問題集「マッハ50」の専用ページをご案内いたします。

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うれしい報告

テスト結果報告

中1 けんちゃんママさん

1学期の期末試験のご報告をと思いながら、9月も下旬となってしまいました。申し訳ございません。

結果ですが、総合成績学年6位、クラス2位(5クラス中)を頂くことが出来ました。中でも、数学は学年1位を取ることが出来ました。

このことは、親子で驚きました。大きな自信になりました。過去問を数学の先生に張り付いて頑張ったからだねと喜び合いました。

そして、夏休み明けの実力試験がこのほど返ってきました。業者主催の試験でした。

数学・学年2位、国語14位、英語13位、理科18位、社会101位
※手を抜いたのがばっちり出ています。

3科~4位、5科~11位、3科+理科~3位を頂きました。

ですが、数学と国語は約4000人中、数学100位、国語400位英語は6126人中、1200位とあまり喜んではいけないと思いました。

今後どうしていったら良いか、アドバイスを頂戴出来ますと、非常にありがたいです。

今、中間テストの試験週間、もしくは試験の真っ最中の中学校も多いと思います。中学生は各時期の定期テストが終われば、たいてい一服します。

やれやれ、試験が終わったと。でも、考えてみてほしいのですが、中学受験で一服する時間はあるか?

なかったと思うのです。試験に追われ、試験の復習と次の週の単元の勉強に追われていたはずです。中学校も同じではないでしょうか?

試験が終われば、次の試験にすぐに取り掛かる。もちろん息抜きはします。が、一服はしません。次のテストが模試ならば、すぐに模試の対策を行います。

こうして1年中なにかのテストに照準を合わせてずーーと対策を行っていきます、というか親技ではそうしています。

今週の金曜日に試験が終わり、土曜日までは息抜きでフリーになる。でも、日曜日からはまたスタートします。

だって11月には実力テストがありますから!実力テストは対策をすれば必ずいい結果が出ます。だって、みんなあまり勉強していないですから。

それを多くの親の方は辛いと思うのでしょう。でも、当たり前にやっている家庭もたくさんあるのです。

習慣になれば、それほど特別なこととは思わなくなります。時間に追われると息抜きも遊びも少ない時間でうまくできるようになる。

やるしかありませんぞ!

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