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こんにちは、ストロング宮迫です。

新聞のテレビ欄を見ると、芸能界では若くして亡くなった方や乳がんで手術された方の話がテレビのあちこちで放送されているようです。

それは皆さんよくご存じだと思うので、あまり知らない方の話を少し書いておきます。

1972年生まれ、垣原賢人さんという元プロレスラーがいます。昨年2014年12月、垣原さんは悪性リンパ腫に侵されていることを公表し闘病生活に入りました。今年8月には、カッキーこと垣原賢人さんを応援する大会が後楽園ホールで開催されました。その大会では、師匠や先輩、同僚など多くの格闘技界の著名人が集結し、垣原さんを励ました。そのことを垣原さんがフェイスブックで書いています。

垣原賢人さんFacebook

昨日の大会について書きたいのですが、なかなか進みません。最上級の感謝の気持ちをどう表現していいか考えあぐねているからです。

僕が習ってきた言葉だけでは、全く役に立たなくて困ります。そこで別の角度からお話を書かせていただきます。

僕の出身は愛媛県新居浜市ですが、実家はもうありません。僕は垣原の姓を名乗っておりますが、母方に育ててもらいました。離婚した父は、再婚し別の家庭があります。自分も家族を持ったことで、再会しました。ですが、僕の心の奥にある深い闇は晴れることはありませんでした。

昨年末、この病気の告知を受けた時、何故か一番に連絡したのが父だったのです。ですが、僕が期待した対応ではありませんでした。仕方のないことです。

そんな僕に昨日、「がんぐらいでオタオタするな」と叱咤激励してくださった方がいました。U.W.F.の先輩である前田日明さんです。

前田さんは、僕の目を直視しながら、濁りのない言葉をいくつも投げかけて下さいました。僕が長年求めていたものは、これだったのかもしれません。

ふと前田さんに父親像を重ね合わせていた僕は、涙を堪えることは出来ませんでした。U.W.F.の一員で本当に良かったです。

親技として読者の皆さんに今回考えていただきたいのは垣原さんが語っている父親に対する実に複雑な感情についてなんです。

それを考える手がかりとして、昨年の5月の毎日新聞に掲載された記事から見ていきましょうか。

<人工授精>精子提供、子どもの幸せは 当事者ら苦しみ語る
毎日新聞 2014年5月29日

夫婦以外の第三者の精子・卵子を使った不妊治療や代理出産を一部認める法案の検討が進む中、精子提供による人工授精(AID)で生まれた人たちが、悩みや苦しみを語り始めている。

60年以上も前から「秘密」を前提に実施されてきた治療に、どんな問題があるのだろうか。

「精子提供が実施されているから、卵子提供も認めて良いという流れがあるが、当事者は生まれる子ども。子どもに起きていることを振り返り、この技術の是非を考えてほしい」

25日、AIDで生まれた人の自助グループ「DOG」が東京都内で開いたシンポジウムで、会社員、石塚幸子さん(34)は訴えた。石塚さんは父親の遺伝病をきっかけに、23歳のとき母親からAIDで生まれた事実を聞いた。

親のうその上で成り立った人生で、何が本当か分からなくなった」。親が隠したいと思う技術で生まれたことがつらく、「精子というモノではなく、人が実在していたことを確認したい。一度でいいから提供者に会いたい」と訴えた。

「DOG」は今月、石塚さんら6人が家族との葛藤や苦悩をつづった本「AIDで生まれるということ」(萬書房)を出版した。子を授かりたい親の願いをかなえる治療が、子どもの幸せを置き去りにしていないか問いかける。

AIDは男性不妊の治療として広まったが、精子提供者は匿名が前提。AIDで生まれたことを子どもに告知する親は少ない。

問題点として、

▽大人になって突然事実を聞かされ親子関係が崩れる

▽事実を知った人が「自分の半分はどこから来たのか」という不安感を抱く

▽生まれた子や親らの相談場所がない

▽子どもが精子提供者や遺伝情報を知りたいと思っても手段がない

などが挙げられる。

日本産科婦人科学会が精子提供の条件などについて指針を定めるが、子どもへの告知や出自を知る権利の保障について公的ルールはない。自民党のプロジェクトチームは先月、精子提供など第三者がかかわる不妊治療を一定条件で認める法案をまとめたが、出自を知る権利については検討課題にとどめた。

シンポジウムでは、慶応大病院でAIDにかかわった久慈直昭・東京医科大教授(産科婦人科学)が、親の意識の変化を紹介した。

同病院の調査(2010~11年)では、AIDを希望する夫婦112組のうち、

生まれた子どもに積極的に告知を考える夫婦は17組(15%)
告知を悩む夫婦は32組(29%)

「告知しないつもり」と答えた夫婦が58組と約半数を占めた。久慈教授は「約10年前の調査に比べ、告知を考える夫婦の割合は増えている。告知を進めるのなら、カウンセリングなどの支援態勢が必要だ」と指摘した。

また、国内外のAIDの実態調査に取り組む長沖暁子・慶応大准教授(科学社会学)は「AIDの問題を解決するシステムがないまま、卵子提供への拡大はありえない」と主張する。【下桐実雅子】

さまざまなやむを得ない事情で人工授精(AID)をして子供を授かる。それほど熱望した子供です。大事に愛情を持って育てたはずでしょう。

でも、当事者の方は

「親のうその上で成り立った人生で、何が本当か分からなくなった」

「精子というモノではなく、人が実在していたことを確認したい。一度でいいから提供者に会いたい」

と訴える。なんとも複雑な気持ちになる話ですよね。何と言ったら良いのか迷わずにはいられません。でも、ここに実に複雑で厄介で見えにくい子供の気持ちがうかがえるとえいないでしょうか。

親の方はそんなつもりは全然なかったはずなのに「親のうその上で成り立った人生」なんて言われると親の方も堪らないけれど、それでも人工授精で生まれた人が声を挙げだしたことを考えると、1回は真剣に考えてみる必要があるんじゃないか。それは人工授精だけの問題ではなく、これを手掛かりにひとり親家庭、夫婦揃っている家庭だって見えにくい複雑で厄介な「子供の気持ち」を考えてみるべきじゃないかと思うんです。

人生は川に例えると「上流」で生まれて、それぞれの道を山を下って「下流」へ向かう。ただ命に係わる問題に直面したり、ひどく悩んだり、なにか大きなキッカケがあると、「自分はなにものなのか」「自分はどこから来たのか」とふと下ってきた「上流」を見上げ、遡りたいと思うことがある。

「自分がどこから来たのか」なんていうことは皆「当たり前」にただ思っているからあえて知ろうとはしないけれど、何かをキッカケに、それは特に悩んだり苦しんだりする体験を契機に「上流」に向かうことが多い。

朝日新聞には非配偶者間の人工授精で生まれた加藤英明医師がインタビューの答えています。

遺伝上の父を知りたい 生殖医療で生まれた医師
朝日新聞 2015年5月16日


――いつ知ったのですか?

「医学部の5年生、29歳のときでした。父母と僕の血液で白血球の型を調べる実習で、父と血がつながっていないことに気づきました。母に尋ねると、一応答えてくれましたが、いろいろ質問すると機嫌が悪くなり、『勝手に調べるあんたがいけない』と、何も話さなくなりました。

遺伝上の父がだれだかわからないのです。受け止められませんでした。身の置きどころがないような浮遊感に襲われました。『だまされてきた』と思ったし、気づかなかった自分もバカだと思いました」



――親はなぜ隠すのでしょう。

「日本のある調査では、AIDを利用したカップルの9割近くは子どもに事実を知らせない、と答えています。子どもが不幸になるから知らせてはいけないと勝手に思い込んでいると思います」

「精子でも卵子でも、第三者からの提供を受けての不妊治療なら、子どもに知らせる覚悟をもってやってほしい。能動的に選択したのだから、子どもの思いにまで責任を持つべきです。隠すことはその責任を放棄することです」

「僕自身、事実を知った直後はだまされていたという思いが強く、父を『お父さん』と呼びにくくなりました。でも8カ月ぐらいして、思い切って父に聞きました。『血がつながっていないこと知っていた?』と。

父は『あー、知ってたよ』と答えました。僕はこれで気が楽になった。血のつながりがないと知っていながら育ててくれたんだとわかり、『これでいいか』と思えました。

わざわざ『感謝している』とは言いませんが。ふつうの親子でもそんなこと言わないですからね」

「父と息子のつながりというものは、遺伝以外には、旅行や遊びなどの体験をどれだけ共有できるかが大きく影響すると僕は思います。

僕が29歳で血がつながっていないと知ったとき、父は既に70代。それから積み重ねられる共有体験はあまりなかった。もっと小さいころに知っていたら、より意識して父子関係を深めることができたかもしれません」

何十年という誰にも侵すことができない親子の生活が目の前にありながら、それでもやっぱり事実を知った直後はだまされていたという思いが強く、父を『お父さん』と呼びにくくなりましたと当事者は言う。

しかし一方で血のつながりがないと知っていながら育ててくれたんだとわかり、『これでいいか』と思えました

とても複雑で厄介な気持ちですよね。それでもこうして声を挙げられて目にすると考えざるを得ないじゃないですか。これと同じような趣旨の発言は、再婚家庭での子供が、もう少し大きくなって落ち着いて第三者のボクに言った子供が何人もいます。

ある意味では、こうして「自分の落としどころが決まった」人はいいんですが、自分が納得できる落としどころが決まらないと、うまくいえませんが腰が定まらないというか、フワフワしているというか、なんとなく不安定な感じになる。当然ながらそれはこのメルマガの第一のテーマである「勉強」に大きな影響を与えます。

学校や塾での勉強っていうのは、極論で言えば、まあしなくても生きられるってもんでしょう。ただより良く生きたいという願望を出発点に勉強をしたりするわけですから。

しかし、自分の存在の意味や「自分はなにものなのか」「自分はどこから来たのか」に疑惑が出て疑問を持ち、不安定になると「より良く生きる」ための勉強どころじゃなくなるっていうのも本当のところです。

「この人なんなの?」って思っている状態で褒められても、怒られてもピンとこないっていうとわかってもらえるか。とても複雑で糸が絡み合ったような感じです。

誰につながっていようが、どこから来ようが、今この瞬間を生きていることを感謝しようっていえるのは、そういう意味では自分の存在に何の疑問ももったことがない幸せな人のセリフなのかもしれません。

もう1つ手がかりとなる記事を紹介しましょう。

<私しかいない>ひとり親家庭の今(3) 親の再婚「居場所は…」
静岡新聞 2014年12月30日

静岡県中部のある中学校の調査によると、生徒の13%がひとり親家庭の子どもだった。1クラスに4人程度いる計算だ。「ひとり親だからといって、特別な配慮を求められるような時代ではなくなった」と言う関係者もいる。

ただ、そうした子どもたちは周囲と違う家庭環境に悩み、多感な時期に親の再婚に直面して戸惑うケースも多い。教育現場は受け皿として手探りで向き合い、支援を続ける。

「『あの人』がうるさくて嫌」。中学校の保健室にやってきた女子生徒が、ぽつりぽつりと語り出した。あの人って誰のことかしら―学校支援員の女性はけげんそうに耳を傾けた。個人情報の壁があるから、突然やってくる生徒の家庭環境は分からない。丁寧に言葉を選び、状況を尋ねていった。

女子生徒は、母親の再婚相手からの小言に悩んでいた。「家族でないのになぜ」という煩わしさが膨らんで、限界に達しているようだった。口汚くののしる姿に寂しさが見え隠れした。

親の再婚は、家族を取り戻すための通過点なのかもしれない。でも「10代の子にとっては酷」とも、女性は考えた。ひとり親家庭の子は「お母さん忙しいし」「みてくれないもん」とよく口にする。女性は「何でも言ってごらんよ」と水を向けてみる。生徒が再婚を受け入れ、なじんでいくケースはもちろんある。

でも文句一つ言わない”いい子”を含め、どんな子も居場所を失うことを恐れ孤独を募らせている。親として忘れないでほしい」と子どもの思いを代弁する。

「家族を上手に再構築できるかは、親子がそれぞれストレスを共有できる支援者がいるかどうかが鍵。お母さんだって、一人ではそんなに強く生きられない」。

家族の再生を支援してきた静岡市教委のスクールソーシャルワーカー川口正義さんは、子どもの悩みの解決に「親へのアプローチも欠かせない」と話す。社会福祉士の経験も基に子どもを取り巻く「家庭」の全てと向き合いたいと、2012年に静岡市内に親子の生活支援の場「ホッとホーム てのひら」を構えた。通ってくる親も「普通の家庭」をつくれなかった自分を責め、自虐の中で孤独を紛らわせていた。

川口さんは、再婚も含めて親の選択を肯定する。認めることで親自身が問題点に気づき、子どもとの関係修復につながる場面を何度も見てきた。「安心できる誰かと話したいのは、親も子も一緒なんだ」

「あの人が・・・」

もうみんな「あの人」っていうんです。こういう状況の子供は。

「あの人」っていうのはたぶん自分から一定の距離を置いた状態で見えていることを示すから「あの人」って表現するんだと思います。

さっきの医師の方のように29歳で初めて血がつながっていないって気づいたら、モヤモヤしながらも、共に生活してきて「育ててくれたんだとわかり、『これでいいか』と思え」るかもしれない。

けれど、ある日、やってきて「今度お父さんになる」「お母さんになる」って言われたときの違和感はあって普通だし、血がつながっていない関係ない人って見方からそれは必然的に「あの人」となる。もちろんそうした当初あった違和感を「遺伝以外には、旅行や遊びなどの体験」を共有することで解消している事例もたくさんあるし、血がつながっていないけれど「本当の親子」になっている例も知っている。

なにがイイとか悪いとか言いたいんじゃないんです。ただ子供は(いや大人もそうでしょうが)とても複雑で厄介な部分を持っている、それは何かによって出る可能性もあるってことをちゃんとはわかっておいてもらいたいのです。

また大人だって先にあった「お母さんだって、一人ではそんなに強く生きられない」というのは事実だろうし、それは「お父さん」にだっていえるから。

ただそこに新しい何かを加えたら、そばにいる子供にも化学変化が起こりうるということ。

多くの方はその化学変化も十分予想した上でさまざまな決断をしているように見えますが、人口受精で生まれてきた方の声を聴くと、今の予想で果たして十分でしょうかと改めて問いかけたくなる気分です。

離婚された方の中には、親も「普通の家庭」をつくれなかった自分を責め、自虐の中で孤独を紛らわせて今もなお自虐と悔恨の人生を送っている人もいるし、何人かは知っています。そんなに思いつめなくてもと思うけれど、大人も子供と同じように複雑で厄介な部分を持っているからでしょう。

ボクとしては、あなたがなにを決断してもかまわないし、それについてとやかく言う資格もないと思っているので思うようにしたらイイってこと。ただし、子供の気持ちは複雑で厄介だということだけを忘れないでほしいと重ねて言っておきたいと思います。

そう易々と事実を前にした子供の気持ちはほぐれないし、落としどころに持っていくのには時間がかかる。そのこともあわせて大人は知っておくべきだし、考えるならそこも決断に際しては考慮に入れるべきでしょう。

ここまで読んで、ウチは人工授精じゃないし、ひとり親家庭でもないから関係ないって思って読んだ人も多いでしょう。実はここまでに書いたような複雑で厄介な子供の気分というものが、人工授精でもなく、ひとり親家庭でもない、両親が揃っている家庭の子供たちに多くみられるようになっていると個人的に思います。

特殊ではないありふれた家庭で、複雑で厄介な子供の気持ちがまるで共有されていない事例が多数散見される。一言で言えば、子供のことが全然見えていない親が多くなっているということです。

この前の日曜日、塾の補習を待っている先生と話していたら中学生の生徒から「遅れそう」というラインが入った。苦笑いする先生からスマホを見せてもらったら「ごめん(ToT) 遅れぎみ」とだけ書いてあった。

「誰? これ生徒?」と聞いたら「そう、今日補習に来る生徒」と先生。「舐めてるなあ。自分に送られてきたんじゃないのになんか腹立ってきたわ」「今はだいたいこんなものよ」と先生はあっさり。まあそうなんでしょう。

「成績はどうなの? この子」とボクが問うと「まあ、悪くないね。トップとはいえないけれど、上位クラスよ」と先生。

「へえ~。そこそこできるんだ。でも、この子、不平不満よく言わない?」とボク。「えっ、よくわかるね。タラタラよ、いつも不平不満」と先生。

「いかなることにも?」と問うと「そう、いかなることにも」と。こういう子は間違いなく気持ちの部分で複雑で厄介なものにまですでに入り汲んでいるものと推測します。

どういう問題があるのかは話を聞いてみないとわからないけれど、親からかまってもらえていない、親とあまり話をしないなど寂しいってとこが出発点になっているはずです。

特に成績がそこそこイイとなると、親からも先生からも特に問題は感じないし、「順調です」という空気が周辺には蔓延しているけれど、実はもっと関心を持って見てほしいという願望があると推測します。

いかなることにも不平不満を言うのはその表れで、でも実際の生活ではそれほど困ってもいないし、不平でもないし、不満もないんだけれど、不平不満という形で自らの欲求を発散しているという感じでしょうか。

ボクはそれをなかなかの危険地帯にいると想像しますが、皆さんはどうでしょうか。たいしたことがなければそれで構わないし、取り越し苦労ならそれでいい。

ただ保健室の先生のように「丁寧に言葉を選び、状況を尋ねて」いくと、あれこれ出てくることもしばしばです。あれこれとは親に対するあれこれですよ。

さあ、そこで先の記事にもあった「安心できる誰かと話したいのは、親も子も一緒なんだ」この「安心できる」の意味をよく考えてみませんか。

それは決して「血がつながっている」ことを意味しないとボクは思います。血がつながっていなくても「遺伝以外には、旅行や遊びなどの体験をどれだけ共有できるかが大きく影響する」んですから。

でも、人はそんなにいっぱい共有してても、ある時あるキッカケで「自分がどこから来たのか」に疑問を持ち、知りたいとか会いたいという気持ちにはなることだってあるんです。それは裏切りではなく、純粋に「自分はなにものなのか」という素朴な疑問の問いかけなだけだから。

カッキーこと垣原賢人さんは「この病気の告知を受けた時、何故か一番に連絡したのが父だったのです」と書いておられました。実家はすでになく、「母方に育てて」もらって、「父は、再婚し別の家庭が」あるけれど、真っ先に連絡したのは父だった。

このあたりはホント複雑で厄介な気持ちだけれど、身近で同じ境遇の人がいれば、そういう行動を取ることが多いことにも気づくでしょう。

なんなんでしょうかね。

しかし、実際は

僕の心の奥にある深い闇は晴れることはありませんでした

加えて、病気の告知を受けて一番最初に連絡した父の対応は「僕が期待した対応ではありませんでした」と。

ボクの親父なんかもほぼ同じこんな行動をとっていましたから、なんとなく想像できるんですが、なぜそうするのかはボクにはわからない。

そして、このあとがカッキ―の落としどころで、仕方のないことですそうやって、やってみて折り合いをつけていくんですよね。いったんは希望を持ってぶつかるんですが、その希望がかなえられればそれでいいけれど、そうはならなかった場合は希望を持った分、落ち込む気分も大きくなるはずです。

ただカッキーには、実の父の対応は「期待したもの」ではなかったけれど、前田日明という「父」がいた。

そんな僕に昨日、「がんぐらいでオタオタするな」と叱咤激励してくださった方がいました。U.W.F.の先輩である前田日明さんです。

前田さんは、僕の目を直視しながら、濁りのない言葉をいくつも投げかけて下さいました。僕が長年求めていたものは、これだったのかもしれません。

ふと前田さんに父親像を重ね合わせていた僕は、涙を堪えることは出来ませんでした。U.W.F.の一員で本当に良かったです。

とても不安なとき、「父」もしくは「父的な人」が来て、「がんぐらいでオタオタするな」と言われたらやっぱりうれしいし、頑張ろうと思う。こういう「安心できる誰かと」話せることがどうしたって子供には必要です。それが今一緒に暮らしていても「いなくなっているのでは?」というのがボクの仮説で、間違っているならこれに越したことはない。

人工授精で生まれた医師の落としどころは

血のつながりがないと知っていながら育ててくれたんだとわかり、『これでいいか』と思えました。

育ててくれた、時間を共有してくれた実績が「これでいいか」と思えた要因でしょう。実は、だいたい人間の最終的な結論や落としどころは「これでいいか」か「仕方のないことです」なんじゃないかとも思います。

「これでいいか」もしくは「仕方ないか」で自分を納得させて、そばにいる「父」「父的な人」や「母」「母的な人」や「家族」に励まされて前を向いて生きていく。血がつながっていなくても「父」や「母」にはなりうる。

前田日明さん 1959年生まれ 56歳
垣原賢人さん 1972年生まれ 43歳

でもそこには共有するものが必要です。子供はメシを食わせればいくらでも大きくなるけれど、メシだけじゃぁ育たない。共に笑い、共に悲しみ、共に喜び、共に苦しみ、共に悩み、共に話し合う。落としどころは散々話し合って考えた上なのに「これでいいか」か「仕方ないか」までくらい。

それでも共にした時間の数だけがお互いを支え、信頼できる証になる。ありふれた家庭で、複雑で厄介な子供の気持ちがまるで共有されていない事例が多数散見されるのは、共に過ごす時間が少なくなっているからだと思います。

親は親の人生があるし、子供は子供の人生があるし、事情もそれぞれあるだろうけれど、同じ空間に暮らした時間ではなく、共有した時間で人は家族になると思うし、そこでこそ「人」は育つ。

みんな子供を大きくはしているが、育ててはいない。そんなふうにも思える子供が結構います。トコトン時間を費やしてたどり着いた「これでいいか」か「仕方ないか」に価値がある。

あなたは子供と暮らしているが、時間は共有していないのではないか。戸籍上は親子だが、子供のことをなにも知らないのではないか。あなたのお子さんはあなたを「あの人」と呼んでいないか。

畏れなさい。

知ろうとしても相手を全部知ることはできない。でも、トコトン時間を費やして「これでいいか」までいけば上等。スッキリ解決なんてことにはならない。モヤモヤした解決が親子ではより正しいのではないか。そう難しいことではない。同じモノを顔を突き合わせて食って、時間を使って話したら、いいだけだから。必要なのは共に過ごす時間だけです。

時間がない人は、時間がない中で許される範囲での「共に過ごす時間」です。勉強をそばで見るっていうのは、そういう意味でも共有できるとても有意義な時間なのです。怒ってばかりじゃなく大事にね。

・・・タイガー山中がここまで読んで「で、ストロングは何が言いたいの?」って聞かれました。なにが言いたいのかよくわからなかったらしい。タイガーがそうなら、あなたもきっとそうでしょう。

是非書いておきたいと思うことを書いておきたかっただけですから、もし意味プーだとしても、あなたの責任ではありません。ボクの責任ですから。気にしないでくださいね。
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うれしい報告

小6 房総半島さん

(省略)進度が遅い塾に通っていますので、ようやく9月から単元の勉強を終えて、入試演習に入りました。

おっしゃるように入試問題は1つも2つもレベルが上の問題のようで子どもはできたとしても相当時間がかかったりします。

これでは志望校の過去問も時間内に全然終えられません(>_<) 入試演習をこれからしっかりやるとともに、問題の見極めと時間配分を見張っておかないと「泣き組」になってしまいますから。 入試実践テクニックも1つできたら、1つ抜けるのですよね。(>_<) これからどうなるのでしょうか。 嘆いても始まりませんよね。紹介いただいた入試演習問題集の優先順位の高い、我が家でいえば算数の「場合の数」を集中して絶対取れる問題にして9月の終わりには報告できるように致します。 まだまだいろいろとご相談して迷惑をお掛けしますが、引き続きよろしくお願い申し上げます。

一ひねり、二ひねりしないと解けない入試問題ですから、その一歩上のレベルに上げる過程は苦しいことでしょう。

それに音を上げて、諦めて、どんどんどんどん脱落していく受験生がこれからますます増えてきます。

もはや我慢大会の様相を呈する秋。

入試実践テクニックを日々の勉強の中で磨きながら、根気よく入試演習に取り組みましょう。

1問に10分もかけられる学校なんてどこにもないのですから!

見極めよ!やる問題とやらない問題を!

  • 親カツ講座(入
試実践コース)
  • 10の鉄則
  • ノリ勉
  • 中学受験コース
  • 復テ対策講座
  • 30点上げよう会
  • 公開テスト対策講座
  • 親カツ講座(夏まで
コース)