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こんにちは、ストロング宮迫です。

大阪市教育委員会が市立小中高校の運動会で実施されている組み体操「ピラミッド」「タワー」の段数を制限することを決めたというニュースを見ました。全国で組み体操中の骨折事故などが報告されていることを受けて、規制に踏み切ったそうで、組み体操の段数制限は全国でも珍しいとか。

2週間前の記事では「学校のトラブル「先生のせい」? 増える共済・保険加入」なんていうのもあって、学校のトラブルで訴えられたり、賠償金を請求されたりする事態に備え、教職員向けの共済・保険加入者が増えているそうです。

教職員賠償共済・保険では「生徒間のケンカの対応が不適切だと保護者から損害賠償を求められた」など、教職員が業務中のトラブルで訴えられた際の弁護士費用や賠償金を補償。

「プールの栓を閉め忘れ、自治体から水道料金の一部支払いを求められた」「校外学習のため給食を止めるべきだったのに失念した」など、訴訟に至らないケースの補償もカバーする。

まあ、とにかく「なんにもできない」世の中になっていきつつありますなあ。

夏目漱石の「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。」が身にしみるご時世です。

共働き家庭の要望の強まりなどから導入の動きが広がる中学校給食では生徒から「まずい」という容赦ない批判も出ているとか。やれば「危ない」とか「まずい」とけなされて、やらなきゃあ「ちゃんとやれ」とか「何もしてない」と批判されると、どうせ言われるなら、結局、人は、なんにもしないって選択になるんじゃないでしょうかね。

3月でしたか、東京都議会では「子供の声」を騒音条例の数値規制の対象から外すなんていうニュースもありました。待機児童の解消と子供が発する元気のいい声と近隣住民の騒音クレームの折り合いはつくんでしょうかねえ。

多くの人は、やっぱり結局なんにも関わり合いにならないのが一番という選択をごく自然にしていくようになるんじゃないか。
朝日新聞によれば、学校の通知表では、2000年代後半から、学校に理不尽な文句を言う「モンスターペアレント」が問題となり、通知表に否定的なことを書かない先生もいるようになったとあります。

そこで先生が書く通知表の言葉では「学業が振るわない子どもに対する評価の文例が豊富」なんていうネタ本がたくさん出版されていて

理科で座学が嫌いな子→「実験は好き」

難しくなった勉強についていけない子→「本来持っている力が出せていない」

本来の問題点をうまいこと隠して書くらしい。そこまで気を遣って書かないといけないので通知表を書くのは大変な作業になって負担感は増えるけれど、子供の問題点は先生から親にはうまく伝えられない。

親はそれを見て「実験は好きなんだから頑張れば大丈夫よ」って会話がなされるんだろうか?

「あなたは本来力を持っているんだから頑張れば大丈夫よ」ってなるのか。

こわ~い・・・
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伝わらなければ改善の余地はないから子供の問題点はそのまんまで、学年が上がるともっとひどくなって、ひどいからどうしても指摘しないと考えて思い切って言うと指導する側が悪いって言われて、結局口をつぐむ。

本気で関わってくれる人が子供の周りで少なくなり、問題点や改善点はうまいことその本質を隠して「やさしく」言ってもらうのは、その場しのぎにはなるけれど、いずれお里が知れてしまう。

ホント誰が得するサイクルなんだ、これは。

ただ子供は「危ない」組み体操は学校では禁止されてしない(またはできない)けれど、学校外では「危ない」ことを平気でやってるんですな、これが。

組み体操では事故が起こらなくなったとしても、学校外では「事故」だらけ・・・「危ないこと」は「危ない」んだから考えてやらないといけないわけでしょう。よくよく考えてやらなきゃ、危険なんだ、危ないことは。

夜に出歩くことなんかが危険だというのはわかりやすいけれど、深夜2時までスマホいじっているのも、組み体操以上に危険なことです。深夜2時までスマホいじって朝が起きられないとか、成績が悪いっていうのはもっと危険なことのように思いますけどね。

そう、最初の「それほど危なくないこと」がどんどん「危ないこと」を招きよせていく、エスカレートしていくのが危険なんだ。

前回書いた「言葉遣いとか礼儀とかが身を助けてくれる」って話も、危ないことをしてしまう手前の話です。
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言葉遣いが乱れたり、礼儀がなっていないこと、それだけ見れば大したことがないのかもしれない。でも、言葉の乱れや無礼さは、そこから「危ないこと」を招きよせていくエサになる。それが危険なんだ。そうなれば、現象としての表れ方は違うけれど、行く道は決まってる。

歯止めがなければ、川が上流から下流に流れるようにどんどんスムーズに流れていく。下流に下りてきて河口まで下ってしまえば、その流れてきた「舟」に関わっている人じゃ、上流には戻せない。だって、下流や河口にまで下りるのを止められなかったんだから。

上流、つまり年齢がまだ低いときに指摘したり、指摘してもらわないと、河口まで一直線だ。

先日、[算・数] 7日間を終えての感想でこういうのをいただきました。

お子さんの学年:小5

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

子供が勉強に自信を持ち、前向きに取り組む姿勢が出てきた事です。

◆親にとって学ぶべき点はありましたか?:

今まで、子供に無理させ過ぎていた事がよくわかりました。子供が無理しなくても、私が褒めて ささやくだけで成果が出るなんて、本当に驚きました。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

うまく褒める自信が無かったので、正直、楽しかったというよりは必死でした。必死で褒められる事を探して褒めて、褒めるタイミング逃した事を悔やんで、ストロングさんに ご指導頂いて、なんとかプログラムを終了しました。

まだまだ必死な私ですが、子供と一緒に何かが掴めそうな気がしてきました。褒める事の絶大な効果を目にしたので、ぜひ続けていきたいと思います。

なにを読んでいただきたいかというと「必死だった」ということなんです。1日30分そばに座って「褒められる事」を必死で「探し」たってとこです。でも、せっかく子供を褒めてやってもイイことがあるのに「褒めるタイミング逃し」まくっていたわけです。

これをもったいないと言わずしてなんという。そう指摘されて、だから「必死」で探したんです。あなたも必死で探してほしい、子供を褒めてやれる点を。

この方、ノリ勉の途中でこんなことがあった。

・・・ノリ勉以外の算数も途中式を抜かさないように子供自身で気をつけるようになりました!

アカデミー賞とは程遠い私の褒めですが、今日は下の小2の子供が助っ人に入ってくれました。(下の小2の子供は)ノリ勉の邪魔をしないように自ら隣の部屋に行ってくれるのですが、正答率100%!時間短縮!と発表したときに、隣の部屋から盛大な拍手。

ノリ勉が終わった後も「お姉ちゃんスゴイね!」とアカデミー賞ものの褒めを披露してくれたため、上の子はノリノリです。

小2の子は自然とできる!!「お姉ちゃんスゴイね!」と素直に言える。すばらしい!

「正答率100%!時間短縮!」できたら、すごいことですよ。だから盛大な拍手をした。以上なんです。

でもね、上のお子さんは自分の出した成果と外からの素直な褒めにノリノリになっていく。褒められることもないのに無理して褒めろなんて言ってない。

最初は褒めてやれるようにしてやるんです。そう、できる問題をやる!できる問題なんだからできるんです!それを速くやるんです。速くやっても正答率100%、このすばらしさがわからない?

下流や河口に流れに身を任せて一直線に進んでいかない子供は褒められることが多い子です。

でも、ただ褒めりゃあイイってもんじゃない。「褒める」ってことは価値観の伝達です。

態度が悪くても成績がイイとします。親は成績がイイから褒めた。だったら「成績がイイ」と「態度が悪い」はセットで評価されたと子供は思うというか、勘違いする。価値観の伝達が間違って伝わるんです。

ボクなら「成績がイイからって、その態度はなんだ!態度が悪くっちゃ成績が良くても生きていけねーんだぞ!」っていう。皆さんがどういうかは知らないけれど、ボクはそういう。

なにを子供に伝えたいかっていうと「態度が悪くて成績がイイ」なんて長続きしないから。末永く保ってほしい行動を習慣にするために褒めるんだから。間違ったことを褒めたら、その間違ったことが習慣になっちゃう。

ぜひ必死になって子供の褒められること探してください。褒めることがないなら、褒めてやりたいことをやらせて褒めてやってください。言葉が苦手なら盛大な拍手だけでイイ。

この前、ウチの高校生の次男坊がテレビの前でうつぶせで寝そべっていたんです。無愛想を絵に書いたような次男坊で、
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褒めてやることもなくなりつつあるというより会話自体が小中生の頃に比べるとずいぶん少なくなりました。家にも夜しかいないし、かわすとしたら小さい声で「おやすみっ」「おう」くらいのもんですよ。

その次男坊が寝そべっている足、ふくらはぎを見てね「あれ、お前、ふくらはぎ太くなったなあ。太もももだいぶん太くなったんじゃないか?」って、まあ親技ではあるまじき、恥ずかしながら「なんの意図もなく」姿を見たまんまを言ったんです。

そしたらどうですか。

5ドルの価値もない「無愛想な顔」が一気にですよ、もう一瞬にして「100万ドルの笑顔」になりましてね。

いきなり立ち上がってきて、後ろ姿を見せながら「そ、そう? 筋トレ頑張ってるからかなあ。この前体育の先生にも後姿見て、でかくなったって言われたんだよね」って破顔一笑ですわ。
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うれしかったんでしょうなあ、やっぱり。だって自分でなんとか筋肉をつけたいって思ってんだし、その上、足の筋肉は自分では見え辛くてでかくなったこともわかりにくいんでしょ。

加えてボク以外にほかの人にも言われて「やっぱり見た目もでかくなっているのかも!?」なんて確信めいたものを感じたのかも・・・

ニキビ面の17歳がこの目の輝かせようですからねえ。まだまだ「必死」で探せばあるのかもです。まあ、だからといって、筋肉褒めた次の日に再びボクの前に現れて後姿みせて「どうかな?」なんていうのはやめてほしいですがね。

1日じゃ何にも変わらねぇーんだよ、タコ!

あなたも今日、風呂上りに子供の後姿を眺めてみてください。もしかして・・・
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うれしい報告

小6 エコ太陽さん

入試実践テクニックDVDは娘と一緒に見ました。なんとなくわかったという感じで、これから塾のテストで試してみます。

家で入試問題をやるときにはテクニックをやらせようとしますが、時計を見ない。時間を書かない。序盤の難問にじっくり取り組む。などストロングさんからすると、とんでもない問題点がいっぱいです。

受験校は時間配分でミスしたら時間が足りなくなる学校なので少しずつ身につけていきたいと思います。4教科あって本番までにみにつくかしらと少し心配です。

親子で頑張りますので、まだまだいろいろとご相談して迷惑をおかけしますが、宜しくお願い申し上げます。

塾のテストもだんだんと入試仕様となりつつあり、実力やこれまでの勉強の蓄積を問われるとともに、入試問題への処し方も大きな要素になってきています。

入試問題への処し方とは「時間配分」「問題の取捨選択」などです。

これからの模試、難しくはなりますが、塾内の偏差値でいえば今までと多少の上下はあっても、ガクンと点数や偏差値が下がることはないはず。

だって受験者層は大きくは変わっていないわけですから。

しかし、我が子はガクンと下がった・・・となれば、単元で大きな抜けがあるか、入試問題への処し方がわかっていないかのどちらかでしょう。

「取れる問題を確実に取る」が受験生には求められています。取れない問題は取れません!

取れる問題を見分けて、そこに時間をかけて確実に点数を上積みする。それには訓練がいります。

実力をつける勉強と共に、入試問題への処し方の訓練。早いうちに始めましょう!

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