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こんにちは、ストロング宮迫です。

先日、読売新聞に保護者意識調査の結果が出ていました。

この調査は、マナーに関する意識を調べる目的で5都県の小5~中3生とその保護者を対象に実施したものだそうです。

この記事のうち、意識調査の数値結果を紹介します。

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※この毎日親技は2014年6月30日に配信したものです

2014年05月09日 読売新聞

「学力」より「優しさ」が大事

保護者に「育てたい子ども像」について九つの類型を示して尋ねたところ、「とてもあてはまる」とした回答の割合が最も高かったのは、

「心が優しい」で83%

「社会のルールを守る」が82・4%で続き、

「勉強ができる」は22・4%に過ぎなかった。

ところが、中学生に「なりたい人物像」を同じ類型で尋ねると、

「勉強ができる」を「とてもあてはまる」とした割合が最も高く、68・8%

次が「社会のルールを守る」で63・4%だった。


「マナーを学ぶべき場」を尋ねた設問では、保護者の9割が「家庭」を選んだ。

一方、中学生に「マナーをよく教わる場」を聞くと、「家庭」(44・6%)と「学校」(42・9%)が拮抗きっこう。具体例として「道徳の授業」のほか「部活」を挙げた生徒が多かった。

どうですか? 調査結果は親のあなたの感覚と合致するものになっているでしょうか。

「勉強ができる」と「社会のルールを守る」は大部分のところで重なり合います。

つまり、ルールを守る意識があるから勉強もできるようになる。逆に言えば勉強ができるようになりたい場合はルールは守らなくちゃならない。

これが成立するのではないでしょうか。

ルールは守らないけれど勉強ができる・・・なんてことは、確かにあるけれど、特に学年が上がれば上がるほど少なくなっていきます。

淘汰されるんですよね、ルールを守らない子供は。

また、この新聞記事では一番最初に見出しとして

「学力より、人間力?。」

としたうえで、

小中学生と保護者を対象に香川大教育学部の加野芳正教授が行った意識調査で、親は子どもの将来像について「勉強ができる」ことより、心の優しさや規範意識を重視していることがわかった。

とあります。

これはおそらくこの記事を書いた記者の見解と思われますが、

どうしてこうやって「勉強ができる」と「心の優しさや規範意識」は対立していると考えるのでしょうかね?

実際にそう思っているのか?

そう書くほうが読者を引きつける?

「学力より、人間力?。」と書くほうが高尚に見えるから?

さっぱりわからん。

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すでに書いたように「勉強ができる」と「規範意識を重視」は実に相性がいいものですし、また「心が優し」くて「勉強ができる」子供をたくさん知っています。それは十分両立できる

というか、それを目指すべきでしょう

「成績は悪くても心が優しい」では希望する大学にも行けないし、希望する就職もできないですよ、実際のところ。

そして「心が優しい」を勉強をする過程で学ぶことは十分可能ですし、勉強を頑張っていくなかで「心が優しい」という意味を知る題材はそこら中に転がっています。

別々に考えないことです。

ここでは「成績がイイ子」という言い方を使っていますが、これは「勉強ができ」て「心が優しい」子供のことですからね。

ハイ、ちゃんと両立できますから、皆さんが翻弄されないことを祈りますし、ぜひ両方を目指していきましょう。

両立を目指さないと「勉強だけできる」じゃあ、先で困るんですから。

実際、順番にもいろいろあって「勉強ができる」ようになったことで「心が優し」くなった子供も山ほど知っています。

たとえば、子供は他人よりなにかがよりうまくできるようになるとつい自慢します。鼻高々になったりもする。それが進めば傲慢に、そして嫌われます。途中で気づけばいいんですが、気づかなければ、他の子どもに「お前こんなのもできないのかよ!」なんて言ったりもするでしょう。

でも、そういうことを言う子供は、すぐにそのあと「こんな問題ができなくなる」んです。

不思議なんですが、本当にそうなんです。

それはたぶん一言でいえば「舐めている」からだと思います。

ちょっとできることを「すごくできる」と勘違いしているだけなんですよね。

クラスの中ではすごくできるかもしれないけれど、学校ではどうか? 塾ではどうか? 県内ではどうか? 全国ではどうか?

そういう視点は全然ないんですよね、子供は。

だから親が教えるんでしょう。「お前さあ、これくらいでできるなんて思ってたらウンコだぜ」そう親が言うわけでしょう。

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言わない親もいますよ。そういう子供は1つ外の世界に出たら、やられるわけですよね、あっさり。コテンパンに。

ただ外に出なかっただけだから。

小学生の時、校内のソフトボール投げで50メートルくらい投げたら、すげぇー!となった。で、市の大会に出たら70メートル投げたのがいた。ガックリ・・・そういうもんでしょう。

校内の成績で人をバカにしてたら、1つ外に出たら今度は自分がバカにされるんです。県の大会に出たら、全国の大会に出たら、もっとひどい目に合うでしょう。

初めは自慢して、鼻高々になって・・・ここまでは誰でも経験します。この先、傲慢になって嫌われて・・・この過程へ進むのは親も周りの大人も教えてくれなかった子供だけです。

だって1つ外の世界に出たらわかるもの。全国模試を受けたら自分の自慢がどういうものだったかすぐわかっちゃう。

その体験や経験が「人を優しく」するわけでしょう。

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己の欲せざる所は、人に施すなかれを実生活で知ることになるわけです。

また、先に書いた「舐めている」というのは裏返せば「謙虚でない」ってことです。

謙虚でなければ、まず人の言うことが聞けなくなる。

勉強って、まずは人の言うことを聞く、教えてもらうことで成り立っているわけですから、それができないでどうして勉強ができるようになるか。

ならないですよね。

もちろん勉強は教えてもらって、そのあとでどう処理するかも関係してくるけれど、教えてもらう部分が壊れたら自力では・・・そう、高校生くらいになると、まったく処理できなくなる。

人の言うことが聞けなくなると、人には優しくなんてできない・・・じゃないでしょうか。

だからね、これらは

「心が優しい」
「社会のルールを守る」
「勉強ができる」

おおむねセットなんです。

別々のものじゃなくて、セットで考えていくべきだし、セットで考えられた人がずっと「成績がイイ子」で進んでいける

勉強面において、小学生で脱落する子供、中学生で脱落する子ども、高校生で、大学生で脱落する子供がいると思いますが、この3つが学年が上がるほどより精度よくセットで上がっていかなければ、成績は維持できない。

だから、この3つはバランスよく追い求めていくべきものですよね。3つのうち、「勉強だけできる」という子供もなかにはいるけど、そういう子供は大学か社会に出て脱落しますから。

この3つは「勉強ができる」うえにおいては実に相性が良いもの同士ですから、どうか3つセットで、あとは各家庭の加減でバランスよく追い求めていってほしいと思います。

受験勉強っていうのは、よく他人を蹴落とす競争だって言われるけれど、実は自分との闘いですからね。

他人に蹴って落とされるんじゃなくて、自分で勝手に脱落していくものです。

すべての結果は自分との闘いの結果。だからこそ、一度くらい受験に敗れても復活できるし、浮かれた者は次に脱落する。他人は関係ないんです。

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さて、もう1つ、別々ではなく、セットで考えて追い求めてねと思えるもの、石川雅信明治大学准教授の地域社会の教育的機能についてを紹介します。

ここに石川雅信明治大学准教授が柳田國男の教育観 「平凡教育」の重要性という項目で以下のように書いておられます。まずは読んでいただきましょうか。

地域社会の教育的機能について
石川雅信 明治大学准教授

4 「平凡教育」の重要性―柳田國男の教育観

地域社会の教育的機能について考える場合、柳田國男の「平凡教育」の概念は多くの示唆を提供する。

柳田は若者を教育する方法を「平凡教育」と「非凡教育」の二つに大別した。

この内「非凡教育」は書物を読むことを特色とするとしているが、現実的には学校教育を指している。

「非凡」であること、つまり他より優れていることを求める教育であるから周りの者はみな競争相手である。結果的に順位や序列を生みやすい教育である。

「非凡教育」の歴史は短いが、明治維新以降、書物を読み外界を知ることが非常に役立つ時代が出現したため、こちらが主流を占めるようになった。

そして、もう一方の「平凡教育」を低く見るようになったのだという。

これに対して「平凡教育」とは古くから日本の社会で綿々と引き継がれてきた教育法である。

周りの人々と同じように秩序を乱さず一人前に生活できる能力の養成を目指す。

そこで一番嫌われるのは手前勝手、横着、自分さえよければいいという態度、人に迷惑を与えて顧みないという行為である。

年長者を見習い、土地の慣習、先例に従う日常の生活をとおして行われる教育で、基本的に保守主義の傾向をもつ。

柳田は、この教育法について彼が「笑いの教育」と呼ぶ独特の教育論を展開する。

「平凡教育」においては、多くの場合、手本になるような良い言行を褒めるというよりは、消極的な方法、つまり何か過失を犯した時に叱る方法がとられた。

それも日常の忙しい生活の中で行われるので、長い時間をかけて説いて聞かすのではなく、たいていは諺のような短く気の利いた、笑いを誘うような言葉で、過失なり欠点を批評する。

若者は、笑いものにされないように行動するようになる。

特に、男女が一緒にいる場では、配偶者選択をしなければならない若者にとって、笑いものにされるのは大きな苦痛でもあったという。

「平凡教育」は身につけるべき資質に欠けるところがあれば非難されるが、一定の水準でその資質が備わっていれば村のメンバーとして認められるわけで、順位や序列を生む要素は少ない。

柳田は「平凡教育」、「非凡教育」それぞれの長所短所をあげつつ、「平凡教育」の重要性を強調した。

「非凡教育」が一般に高く評価されるようになったのは、社会的な栄達につながるといったように、その効果がはっきりしているからである。

しかし、そのことで「平凡教育」が価値の低いものであると考えるのは間違いであると主張する。

日常生活のなかでくり返し行われる「平凡教育」は「非凡教育」よりもはるかに長い歴史の中で形成されたものであり、その「平凡」を深く知ることは、自らが担ってきた文化を内省する契機ともなり、先人の長い経験を学ぶことでもあるとしている。

この著作は柳田が1937年に旧制第二高等学校で行った講演を文章化したものであるが、「非凡教育」を受けて高級官僚の道を歩んだ柳田自身が、当時の学校教育のエリート達に「平凡教育」の重要性を説いているところが興味深い。

記述によれば、70年ほど前に講演で、「非凡教育」を中心に受けている人に「平凡教育」の重要性を説いているとのこと。

現代の私たちは「平凡教育」、「非凡教育」、どっちかをしておけばいいのではなく、どっちもしなければならないのではないでしょうか。

各家庭で違うのはその強弱だけで、バランスよく、両輪どっちも追求して子供に接していかないといけない。そして、それは十分両立しうるとボクは考えています。

片方の車輪がでっかくて、もう片方が小さいとガッタンゴットンと走りにくいものです。

片方は車輪があるのに、もう片方には車輪がついていなければ、傾いてギーギー音を立てて引きずって走るようになる。それは実に生きにくいでしょう。

たとえ車輪は小さくても両輪がバランスよく同じくらいの大きさのほうが走りやすい。それはつまり生きやすいってことではないでしょうか。

えっ、車輪は両輪とも大きいほうがいいって!?

そうなりたいなら、余計でも両輪のバランスを取りながら時間をかけてやっていく必要があります。

「非凡教育」で大いなる成果を上げるためには「平凡教育」がその土台となるのですから。

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うれしい報告

ノリ勉[算・数] 5日目の報告

小4 ジンベエザメさん

◆正答率の推移:(100)%→(100)%
◆時間の推移:(6)分(31)秒→(6)分(23)秒

◆「できない問題」へ取り組む様子はどうでしたか?:

まさにノリノリでした!

本当に分からなかったの?と思う位に楽しそうに説明をしてくれました!

◆親の気づき・反省・問題点:

説明をする事であやふやな部分が自分の中で整理づけができたようで、計算に入ると得意になって解いていました。

途中式を1つ省略して計算した所が間違えていたのですが、本人があっ!と気づいて省略せずに式を書き直す事ができました。

途中式が、塾の先生みたいに書けたね~と言うと嬉しかったようです。

独り言を言うと整理づけできるし、間違えも気を付けられるんだよ!とストロング先生のお話を話しました。今日は、ブツブツ言いながら解答をしていました。

また、早速 きれいに書いた解答のノートを机に貼りました。本人もまんざらではない顔つきでした。

7月13日に毎月行われる模試があります。前回 偏差値が後1点上だったら、上のクラスに行けたようだったので、今回のテストは張り切っています。

毎日、子どもが変わっていく様子に、周りの家族も驚いています。

今日も習い事で遅くなり「早く寝ろ!」と言う夫に、「これで休んだら意味がない!」と反論し、子どもも「そうだ!そうだ!」といそいそと机に向かっていく息子を見て、夫も何も言えなくなったようで、

「ママは、自衛隊に入った方が良かったんじゃないか…。」とつぶやいていました。数日前には、考えられない私達の行動です。

また、息子が「塾に行ってから算数が苦手になったけど、ママとするようになってから得意になった。」と夕食の時、話していました。

今まで、この子は受験なんてムリと暗澹たる思いでネットを検索していた時に、偶然ストロング先生の親技に出会いました。本当に神の助けでした!この出会いに感謝です。

更に、このメールを通して、足りない自分に気付かせていただく事で、より理解する大きな手助けとなっております。

受験はこれからですが、まずは小さな一歩が進めるようにしていくつもりです。

これからもご指導よろしくお願いしますm(_ _)m

目の前で子供が成長していくのを実感してみていられることほど幸せを感じることはありませんよね。これが親にとって最高のご褒美。

ただねえ、それがまたどこかでつまづくことがあります。

あんなに喜んでやっていたのに・・・と思う場面にこれから出くわしていくでしょう。

そのときに今回のノリ勉を思い出してほしいんです。最高のご褒美となったノリ勉を。

欲張らず、できることをやって、その場で成果をだし、ハイタッチして終了する。その単純で偉大なサイクルを忘れずにやる。

うまくいかなくなったとき、それは子供のレベルが上がったときですね。

レベルが上がればやれる量も増えるし、難しい問題にもチャレンジし始める。親も今まではこれくらいだったけど、今はこれくらいはできると見積もりも高くなる。

で、うまくいかなくなるんですね。

そうなったら今一度最初のノリ勉を思い出す。いっぺんにドカンではなく、小分けにして成果を感じさせる。

やる問題はまずはできる問題から。そこで乗せて少し難しい問題へ。手順は一緒ですから。

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