こんにちは、ストロング宮迫です。
ちょっとずつ暖かい日から暑い日が増えてきましたね。
暑い日がやってくると、外を歩いていても日陰と日向では同じ服装、同じ道を散歩していても、くたびれ方が違うのがよくわかる。
同じ距離を歩いているはずなのに日陰を選んで歩くと、日向を歩き続けた時と疲れかたが全然違う。
坂道を歩くにしても、同じ靴を履いてても、きちんとひもを締めた靴とひもを緩めたユルユルの靴だったら、やっぱりくたびれ方が違う。
それって勉強も同じだと思うんですよ。
やること、やらねばならないことも一緒、範囲も一緒。あとはどこを歩くのか。
いつも言うように親技では、同じ歩くならばできれば涼しく、疲れにくい日陰を、靴の紐ははしっかり締めて歩きやすくして歩く、勉強でいえば「できる問題」を先にしっかりできるようにして歩け!と。
行先も距離も同じなら、疲れにくい、効果の出やすい道を歩いた方が先々の道のりは長いんだから、そっちの方がいいんじゃない?っていうわけです。
いや、ウチは常に日向歩いて、ガンガンに日焼けしつつ、鍛えるために鉛の入った靴を履いて、それでも疲れにくい身体と体力を身に付けるんだっていう考え方の人もいるだろうから、それに文句はない。
議論する必要はないんです。それは選択の問題ですから。
ただね、「あいつ、なんか全然勉強していないのにすっごくよくできるなあ」って思える連中が周りにいる場合・・・
そういう場合、生まれつきの性質とかセンスとか持てる者と持たざる者の環境とかで判断しがちだけど、実は同じ服で同じ靴で歩いているのに、歩き方と歩く場所によって結果がまるで違うって場合もあるってことですよ。
同じ時間勉強しているのに、ダラダラ集中しなかったり、答えを考えもせずに丸写したり、一方では集中して丁寧な字で時間を計って全速力で解く。
同じ道を歩いても日陰と日向、同じ歩き方でも靴の紐がユルユルとシメシメだったら、違う結果になる。全然、まるで違う結果になりうるってことです。
その歩く道と歩き方を考えもせずに「ウチの子はアホだから」とか「集中力がないから」とか勝手に結論付けて、子供を断罪するようなことは、できれば避けてほしいなというのが親技の願いです。
罪はね、どちらかというと子供側ではなく、親側のほうにあると思うからさ。
さて、前回ここで親技について「受験生ですが今からでも間に合いますか?」って相談が一番多いと書きました。
なので、もう1つ、今回は2番目に多い相談をここで取り上げ、多数の相談メールの返信に代えさせてください。
親技について、また親技の教材の相談で2番目に多いのは「今からでは遅いですか?」って相談です。特に受験生ね。
遅いか早いかって言ったらね・・・
もうかなり遅いの。だいぶん遅いの。だいたいは周回遅れなんです。相談メールを送ってくる人はね。
だから、ここで「早めのスタートを切に希望します」って散々書いているんだから。
でね、親技で早めにスタートを切ってねと言っているのは「人より先先行くためじゃないんですよ」
子供との勉強の旅は、子供自身のこれからの旅はね、これからも長いんですよ。
受験だって少なくとも2度は突破しなくてはならないんだから。
そのとき、問題は必ず起こるから。問題が起こったとき、早めにスタートを切っていれば、余裕をもって対処できるじゃないですか。
深夜に電話がかかってきて「明日の朝7時までに1000万用意してください」って言われたら困るでしょ?
だって普通は用意できないもん((+_+))
あのね、たとえだから、「ウチはすぐに用意できますけど」なんていう突っ込みはいりませんからね(;^ω^)
早めに余裕もって対処するために「早めのスタートを切に希望」しているだけなんです。
ここで勘違いしてほしくないのは、
問題に対して早めに余裕もって対処したら解決できて、
遅めで余裕なく対処したら解決しない
ってことじゃないんですよ。
勉強に関しての問題はね、「解決しない」ってことも多々あるんですよ。
対処してもうまく解決しないことなんて山ほどある。
大事なのは、解決することではなく、きちんと考えて対処するってことなんです。
「宿題が多すぎて全部できません!」っていう問題が起こったら、「じゃあ、できるものだけやろうよ」って提案して対処する。
「100点満点のテストで20点でした!」っていう問題が起こったら、「じゃあ、次は40点目指してやろうよ」って提案して対処する。
これって「宿題が全部サクサク済む」「次のテストでは100点になっちゃった」なんていう「すばらしい解決」にはならないじゃないですか。
親技では「あなたの問題は解決します」って言ってるんじゃないですよ。
今のあなたに出た課題は「3」なので、いきなり「解決10」を目指さずに「まずは5」をやった方がイイですよっていう提案なんです。
これも勘違いしてほしくないんですが、親技は「問題の解決を目指さない」って言っているわけじゃないんです。
問題を解決したいなら「順番がありますよ」って言ってるんです。
「100点満点のテストで20点」の子供が次回のテストで100点目指す勉強したら、たいていは同じ20点か、勉強量が増えたのなら良くて30点になる、いや30点にしかならないんです。
なんでかっていったら、「20点の子が100点を目指す」ことで、その子にとって必要不可欠の勉強がおろそかになり、余計で無駄な勉強を結果的に多くすることになるから。
「大きすぎる目標」を掲げて努力した結果、「今は必要じゃない」勉強も多くして、それは結果として点数には反映されないって現象を生むんですな。
でも、受験生だし、入試もあるから「100点を目指してやらないと志望校に行けないんです」と親も子も切羽詰まって言う。
でも、努力した「10」が実際にはテストでは「2」しか反映されなかったら、次が頑張れないという副次的な効果も生みます。
先に書いたように子供たちの勉強の旅は、これから少なくとも二度は受験の山を越えていかねばならない10年仕事なので、末永くやり続けていかねばならない旅でしょ?
だからね、淡々といつも同じように末永く努力を続けるために「余裕をもって対処」できるように「早め早めにスタートを切ってね」って言ってるだけなんです。
早めにスタートさえ切ってれば「20点の子は次は40点を目指す」ことが可能になる。そう思ってやろうとしてもできる。
しない人も多いけれどね。
20点の子供に実際は余裕は全然ないかもしれないけれど、20点の子が「次に40点目指す場合」と「次に100点目指す場合」を比べたら、その余裕の違いはわかるでしょう。
階段は一段ずつ上がるべきなんです。
なぜならば、先が長いから。
ダッシュして階段上がっても途中で休んでたら、ヘンな習慣がつくんです。
「またダッシュして上がればイイじゃん、少しくらい休ませてよ」ってなるの。
言われた親は、少し無理させているという意識もあるから「確かにそうだよな」って思っちゃう。
ダッシュして追い付いたり、追い抜いたりする成功体験があると余計に「またダッシュすればいいじゃん」って人は思うんですよ。
学年が下になればなるほどダッシュしてもすぐ追いつけたり、追い抜けたりするんだけど、勉強の内容の質と量が上がり始めるととね(人によるけど一般的には高校の勉強内容くらい)、ダッシュしても「あれれ、追い付かないぞ」ってなる。
ある時期から短いダッシュでは追いつけない分野に入っていく。
だんだんとね、短期的なダッシュではわからなくなったり、追いつけなくなったり、こなせなくなったりという現象が出てくるの。
ダッシュしても追いつけなくなったときのなんともいえない焦燥感って想像できます?
それが「ダッシュ&休み」を繰り返し、そのたびごとに追い付く成功体験を積み重ねてきた子供だったとしたら、ダッシュしても相手の背中さえ見えないときの絶望感はいかほどのものかってことなんです。
最初は「そのうち」って思えるけれど、すぐに放り出してしまいたくなる。センスのせいにしたりね。
できるだけ同じペースで、学年ごとに体力もつけ、机に集中して座れる時間も増え、知識が増えて耐久力と我慢と努力を末永くしていくために、それを可能にするために「早めのスタートを切に希望」しているだけなんです。
受験生の家に家庭教師なんかでいくと「ダッシュさせる」んですよ。
子供が走る速度だけ間に合わないから、そばで家庭教師が自転車漕いでロープででひっぱるの。
短い期間だからできることなんです。入試をゴールに設定しているからそれが可能になる。
家庭教師の役割は入試まで全速力以上のスピードで走らせて、人より少しだけでイイから先んじてゴールさせること。
それが仕事なんです。
じゃあ、受験後はどうするの?ってことなんです。
ダッシュしたから休んじゃうの?
そうする人が多いのは確かです。でもそれじゃ、すぐ後れをとることになる。
入試後は同じレベルの、力が均質で拮抗した連中との戦いなのに、入試後から入学まで1か月も2か月も「休憩」して、入学後も、もうちょっとだけ「休憩」する。
入学後まもなくなら、ダッシュして追い付けるだろう。
でも、今度は、ダッシュしたから夏休みでまた休憩するの?
外部の力は大いに借りたらいいし、利用したらいいし、大いに活用してほしいと思っているけれど、外部の人はそれぞれの時期と学年で与えられた役割があるから、熱心な人ほど情熱をもってそれを果たそうとする。
それらの外部の各人が果たすこれらの役割を、だれかが相対的に見てコントロールしていかないと・・・
外部の人の評価は「よりダッシュさせたもん勝ち」なんです。
全体を考えない(そういう役割じゃないから)で、子供のこの先の人生を考えない(そういう役目じゃないから)で、その時すべきことを全力でやって子供にダッシュさせる!
ボクはそれがすごく得意なんです(*^-^*)
そりゃあ、感謝もされるよ。「センセーだからここまで走ることができました(ToT)」なんてね。
問題は、あなたの子供はそれでいいんですか?ってことなんです。
ダッシュして達成したら、そりゃあ、生徒の達成感はすっごいよ。
万能感がすごくでるし、「オレはやればできる」感はハンパないです。
で、あなたのお子さんはそれでイイんですか?ってことなんです。
あなたのお子さんはどうかわからないけれど、ウチの子はそれじゃ困る!っていうのがボクの考えなんです。
不必要に燃え上がる燃料を投入してもらって、一瞬で燃え尽きるような、結果的にそうなるようなやり方はしたくないんです。
これは好みの問題であり、選択の問題です。
まあ、今の世の中、「それでイイ」って方も多いんだろうけれど、親技では「それではダメだ!」って考えているんです。
子供たちの勉強における「10年戦争」の最初の3年ほどをダッシュして大勝して、万能感をもって、あとの「7年の戦争」を勝ち切る保証はないですから。
というか、10年戦争を最後まで走らずに、劣等感なんかをもって社会に出るなんて、まっぴらごめんなんです。
アンコが入ったたい焼きは海を泳げない。
「いやあ、あの学校に入りさえすれば、もうあとは何も言うことはありません」作戦なら、
お金を可能な限り投入して外部の誰かに子供を全速力でダッシュさせてもらえばイイ。
親技では、一時のダッシュによる「戦勝」に価値は見出さないというスタンスです。
ここも勘違いしてほしくないのは、親技が「勝ちはいらない」ってが思っているわけじゃないってことです。
ここでいう「一時のダッシュによる戦勝に価値は見出さない」の戦勝(戦に勝つ)は「大勝」を指し、それを最初からは目指さないっていう意味であって、
親技では小さい努力を小さい結果に結びつけて、それを末永く積み重ねて、結果として「大勝」に結び付けていければ最高じゃないかってことです。
付け加えれば、この小さいことを積み重ねる作戦は、いっぱい積み重ねてきたのに「期限がある入試」までに間に合わず「大勝」を勝ち取ることができない可能性が大いにあるってことなんです。
どの入試でも、あらかじめやっておかないといけないことはすでに決まっています。
最難関校なら「校庭200周」
難関校なら「校庭120周」
中堅校なら「校庭50週」
下位校なら「校庭20週」
こんなふうにあらかじめ走っておかねばならない量は決まってる。どれくらいのタイムで走るべきかもあらかじめわかってる。
入試で各学校に出願する受験生はそのあらかじめ決まっている量とスピードを「こなした者」が受験するのが暗黙の了解だ。
もちろん「校庭を130周しかしていない」けれど、チャレンジで最難関校を受ける者はいるけど、その場合は塾の模試で「合格可能性30%」とかが受ける前に出てる。
あとは何年かけてこの「校庭○○週」の量をどれくらいのスピードで走るかだけ。
スタートが遅い者は、早くスタートした者よりも、速いスピードで走らなければならないのは当然だ。
あとはどれくらいのスピードで走るか。
子供は持っていき方次第では、相当なスピードで走る力を持っています。潜在能力はみんな持ってる。だからだいたいの子供は速く走らせたいなら走らせることはできる。
けど、ここまで書いてきたように長いスパンでの、10年戦争における「ダッシュ&休憩」問題があるのと、無理して走らせることによる途中での「故障」問題が出てくる。
子供はうまいこと乗せて、うまいこと教えてやったら走りまくるが、急激に走ることによる故障やストレスは当然ながら出る。
どのあたりで故障するか、ストレスの限界値はどのあたりかは「走らせようとする者」がちゃんと見極めないと、最終的には故障して走るのをパッタリやめたり、例の「ダッシュ&休憩」問題に行き着く。
親の方で、誰にも教わっていないのに、子供をうまいこと乗せて導いていくのがうまい人がいるんだけど、「うまくいきすぎて」やりすぎちゃう、やらせすぎちゃう。
このまま行ったら「どこまでも上り続けていくんじゃないか」って「うまい人」自身が万能感に包まれて、それがゆえに子供を壊す事例もたくさん見てきた。
だからね、子供が「もうやりたくない」とか言って、あなたに反抗して勉強しない現象が出てくるのは、ある意味で親であるあなたが救われているってことでもあるんですよ。
子供の勉強のやり方、やらせ方がうまくないってこともあるけれど、子供自身がSOSを発信するってことは「今のままじゃやれませんよ」って信号でもあるんだから。故障の前に信号を発してくれてるわけだからね。
だから、課題や問題が出るのは悪いことじゃない。
ニキビがちょこっと出たら考えますよね?
「食い物が悪いのかな」
「生活習慣の問題かな」
「日焼けしたからかな」
「石鹸の問題かな」
「肌が弱いのかな」って。
なーんにも考えずにテレビでやってたから「プロアクティブだ!プロアクティブでイイですよね?」て聞かれても、それがあなたに合うかどうかはボクにはわからない。
ピッタリ合う人もいれば、合わない人もいる。ピッタリあった人は言うよ「やっぱプロアクティブはすごいよ」ってね。
どの道を通って登山をしようとしているのか。
スケジュールは? いつまでの登頂?
装備は? 人員は?
天候は? バックアップは?
資金は?
それを踏まえればみんな歩む登山道は違うし、違っていいってことです。
親技の教材について2番目に多い相談「今からでは遅いですか?」についていえば「遅い!」っていうのがだいたい当てはまる。
みんな遅すぎるよ!
だからといって、早くから準備している人は「先先行く」ことばかり考えていて「先先行ったがそこは行き止まりだった」なんてことを繰り返して「無駄に行ったり来たりして」、その過程で子供から「もうやらない」なんて言われているから、早い人も遅い人も、どっこいどっこい、「目くそ、鼻くそを笑う」だ。
早めのスタートを希望はするが、それは「先先行くため」じゃなく、自分のペースで走り続けるため。
それが果たして自分のペースかどうか、これで走り続けられるかどうかは、子供や環境によって違うから、だから余裕をもって対処して、試行錯誤するために早くスタートする。
だから「遅いスタートになってしまった・・・」なんて、全然問題はないですよ!
ただし、遅いスタートを自覚するなら、ここまで書いてきた「ダッシュ&休憩」問題を念頭において、他人や結果も気になるだろうが、自分たち親子が取り組むべき優先課題からきちんと対処すること。
受験生にとっては、今はもう5月も終わりがくるから、そろそろ志望校の判定がどうのこうのとかいって、塾から出される宿題の「入試問題」なんかに取り組むだろうけれど、それはできないから。
受験生は、どういうレベルの学校を受けるにせよ「4つの峠」は越えなければいけない。
「基本の峠」「応用の峠」「発展の峠」そして最後に「入試の峠」だ。
受験生はみんなこれら4つの峠をすべてを越えなければいけないけれど、志望校によってあらかじめ示されている課題は違う。
最難関校なら「校庭200周」
難関校なら「校庭120周」
中堅校なら「校庭50週」
下位校なら「校庭20週」
つまり登山する山の高度が違うんだ。最難関校がエベレストとするなら、難関校は富士山で・・・というように。
ただし山の高さだけで受験の難易度は決まらないから、山の高さだけで単純に決まらない。
こんな感じか・・・
最難関校:剱岳【レベル90/平均斜度9度/総歩行時間16時間10分】
難関校:剱岳【レベル68/平均斜度6.5度/総歩行時間12時間30分】
これは全国の登山・トレッキングコース 難易度ランキングというサイトに出ていたものですが、同じ山でも通り道が違えば、レベルも斜度も総歩行時間は変わるらしい。
受験もこれと一緒。
勉強する内容、つまり範囲は同じだから。あとは求められる深さで難易度が変わってくるだけだから。
受験生だろうが、入試間近だろうが、
◆親の言うことを聞かない
◆勉強する習慣ができていない
◆勉強をしても点が獲れない
◆できる問題をボコボコ落とす
こんな感じならば、最初のハードル「基本の峠」を越えていないということになるのでここからだ。
「基本の峠」を越えていない者が「応用や発展の峠」、はたまた「入試の峠」にアタックしようもなら、当たって砕けた!になるからね。
「基本の峠」を越えるための親技の教材は『10の鉄則』&『親子ノリノリ勉強法』です。
土台となる考え方を知りたいなら『10の鉄則』、勉強の習慣がなく、ちゃんとした勉強ってどういうものかわからないなら『親子ノリノリ勉強法』。
「基本の峠」がクリアできていれば、
「(子供はウザイと思っていても)親の言うことを聞く」
「「やりたくはないけれど)勉強する習慣はある」
「勉強した分だけは点が獲れる」になっていくから、
そうなれば、次は狭い範囲週間単位のテストで安定して納得できる点数が獲るための「応用の峠」に進み、次は広い公開・実力テスト対策である「発展の峠」に進むことになる。
「応用の峠」は中学入試なら「復テ対策講座」であり、高校入試なら「30点上げよう会」です。
親技してみようかって思ったときに、「基本の峠」はもうクリアしているなら「応用の峠」から参戦すればイイし、「応用の峠」がクリアできているなら「発展の峠」から参戦すればイイ。
ご自身で判断してご自由に参戦してください。
参戦が遅れてしまったので、今から内容を知ってしまったら、かえってその分怖くなると思われる方もいるし、そういう%E