こんにちは、ストロング宮迫です。
まもなく関西の中学入試が解禁日を迎えます。親も子もシビれる日が連続します。今までやってきたことをしっかり出してくれることを願うばかりですね。頑張れよ~
今日も今までと同じように過ごしましょう。
食べるものも、見るテレビも同じでイイ。寝る時間だって起きる時間に合わせて調整してきたはずです。
入試前だからって、いつも寝ない9時とかに床に入っても寝られはしないし、食べつけないものを食べたりすると、明日腹が痛くなっちゃったりしますからね。
入試で問われるのはこれまでの数年間。じたばたせずにいつも通り!これが鉄則です。
さて、今週愛知県で先生を対象の研修会でお話しをさせていただきました。
昨年10月の岐阜に続いての中部地区での研修会での講演、現場の先生方の生のお話は実に勉強になりました。ありがとうございました。
あちこち呼んでいただいて行くと、それぞれの地域に情熱を持った先生がたくさんいらっしゃることが実感できます。
そうした先生に子供たちはちょっと背中を押してもらって頑張り、「やれるんだ」とか「いけるぞ」とか体感し、それをまた認めてもらって前に進む。
ささやかな成功体験を積んで積んで積みまくって子供たちは大きく成長していくんですな。
あなたの周りにもそういう先生が必ずいるはずです。ぜひ探してほしいですね。
ただ気をつけてほしいのはそうした先生は決して有名な方ではないということです。無名であなたのすぐそばにいるという感じの人です。
ボクが中学生の頃、通っていた進学塾の英語の授業が全然理解できなくて、それならと薦めてくれる人がいて東大卒の、地域では有名な人の家庭教師のところにも通ったけど、もっとわからなくて困ったことがあります。
とにかく一生懸命聞いても聞いても、言ってることがまったく理解できないんですな。
こうなるとさ、自分の頭が悪いんだって、自分を責めるようになる。だって、向こうは東大卒だからさ。
結果として何が起こったかというと、東大卒の家庭教師の先生のところには、たしか2人か3人で一緒に通っていたけど、ボクは途中で居眠りしちゃった・・・
だって、聞いてもわからないんだもん!
それでボクは、不真面目な生徒ってことで、クビになりました。
東大卒の家庭教師の先生が正しくて、居眠りしているボクが間違っている。当然周りの見方もそうなりますよね。
理解できない自分がダメなんだ!と思ってた。
今なら、生徒にわかるように話さない先生が悪いとハッキリ言えますけどね!(^^)!
A君にも、B君にも、アホなボクにもわかるように、言い方を変えたり、先生はしなきゃいけない。
先生のオレは変わらん、お前たちがわかるようになれ!は、反則だ。
で、困ってイジけていた頃に出会ったのが近所の無名なおばちゃん、土井先生でした。
土井先生は「こんなのわからないの?」という態度を決して示さず、難しい言葉も使わずに丁寧にアホなボクにもわかるように、怒ることなく、何度も説明してくれました。
「ははあ、英語ってこう理解すればいいんだなあ・・・・」と、すごくうれしくなったことを今でもハッキリ覚えてる。テストが終わったら、まず最初に見せに行ってましたもの。
「わかる」ってことは喜びです。
「わかる」は次に必ず「もっとわかりたい」という欲求を生みます。それは同時に「わかっている」ことをテストで表現したいという思いにつながります。
だって、わかるんだもん!
だから「授業がわかる」ということがすごく大事になってくる。
授業を一生懸命聞いても半分わからなければ、喜びは出ない。喜びが出なければ「もっとわかりたい」という欲求も出ない。当然それを表現したいとも思わない。
親がよく子供に「自分のことなので自分からやってほしい」というけれど、それは「わかる喜び」を体験させた上で望むべきことであって、それもせずに「自分で・・・」なんて言うのはチャンチャラおかしいと体験上思います。
ボクが「自分でも頑張ろう」と思えたのは進学塾に通っている時でもなければ、東大卒の家庭教師の先生ところに通っている時でもなかった。土井先生に習ってからでした。
いかに有名な塾や先生が講師であっても、その子供にとって合うかどうかは別物です。ボクにとって最高の先生はまったく無名で知られてもいない近所のおばちゃんの土井先生だった。
土井先生が「わかる喜び」をボクに教えてくれて、「わかった」ボクを褒めて認めてくれて、それが推進力になって、テストにそれが出るようになった時、ボクの中で第一次「わかる喜び」は爆発したんです。
その爆発した時の感覚はちょっと言葉では表現できないなあ。
ワァァーッて感じかなあ・・・
「わかる喜び」はその後、第一次を経て、第二次、第三次と続いていくべきものです。
その後に続くためには、記念すべき第一回目、第一次「わかる喜び」が到来しなくちゃならない。
あなたのお子さんにとっての「土井先生」が誰なのか?
ボクはその第一回目の「わかる喜び」は親が家庭で与えてやることができると考えています。
そうすべきだと思う。一番カンタンで、一番安全だから。
第一次「わかる喜び」が爆発した子供は自分自身もうれしいけれど、それを見ている者もそれ以上の喜びを感じられる。イイ顔しますから!
皆さんよくご存知の山本五十六さんの有名な言葉、講演に行ったら、いつも話をするんですが、
やってみせ言って聞かせてさせてみて褒めてやらねば人は動かじ
話し合い耳を傾け承認し任せてやらねば人は育たず
やっている姿を感謝で見守って信頼せねば人は実らず
今の多くの親は「やってみせる」こともなく、「言って聞かせて」だけしかしていない。言うだけです。
でも、それじゃ人は動かない。子供は動かない。
動かせない人は育てられないんじゃないでしょうかね。
第一次「わかる喜び」を教えてくれた恩人ともいうべき土井先生が今どうしていらっしゃるか、ボクは知らない。恩知らずと言われても文句も言えませんな。
でも、そうした恩人が何人もいて今のボクは成り立っていることは間違いないし、土井先生がボクにしてくれたことをボクも誰かにしてあげたいとは思う。
安部譲二さんは返せない恩は次の世代に返していけばいいんだといい、それを確か「恩の先送り」と書いていらっしゃった。
「わかる喜び」、この何物にも代えがたいものを誰があなたのお子さんに与えてくれるか。
実に重大な問題だと思います。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・・
小4 ヤスキチさん真理が書いてありました。実践あるのみと思い、取り組んでいます。
鉄則8と9が出来ていなかったと反省しました。毎日勉強は頑張っているけれど、成績に直結しない。なんとなくモチベーションが保てないでいる。悪循環を断ち切らないと、と思いました。
算理は、鉄則9で3つ目のステップまで落とし込むこと!お子さんが頑張っているのですから、成果を出すのは親の義務ですぞ!!