師走を迎えてこの1年を振り返りますと、どうしても3月の東日本大震災のことになります。

地震、津波、原発など人知の想定を超えた事態が起きる中、多くの人が今日という日を無事に過ごすことができるありがたさを感じました。子供たちが普通に笑顔で学校に通えるありがたさ。

受験勉強という苦しい枠組みで生きている人も、実は当たり前に受験ができるというありがたさに感謝の気持ちが湧いた。まだまだ大変な状況で過ごされている方も多い中、「当たり前」の大事さ、貴重さ、重みを感じざるをえません。

そういう視点、「当たり前」の重みを意識した視点から現在の受験生のうまくいかないこと、悩んでいること、思い通りにならないことなどを見てみると、まったく違うものが見えてきたというメールを今年はたくさんいただきました。

苦しい状況は相変わらずにもかかわらず、違うものが見えたという人が多く出たということは、人はモノの見方、考え方、気持ちの持ち方によって、まったく違う感覚を味わえるというのはあながちウソでもないのだろうと思います。

皆さんにとってはどんなん1年だったでしょうか。

1つ、未だに大きな問題として残っている原発の問題について、先日2時間近くの映像を見ました。

考えさせられることも多かった映像だったので紹介します。

このPDF資料を見ながら映像を見たらいいですね

資料・映像へのリンクは「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」。

起きた事象から何を学ぶか?

そのためには起きた事実を整理して結論、教訓を引っ張り出す。結局のこの繰り返ししかないのかもしれませんね。

もう1つ、今年中日ドラゴンズの監督を退任した落合博満さんについても記しておきたいと思います。落合博満さんが発している言葉というのは聞けば聞くほど、「成績がイイ子の親」が言うこと、考えていることと非常に共通点があるからです。

決して野球のことを語るつもりはありませんから、お付き合い下さい。

落合さんの言葉でこういうのがあります。

webスポルティーバ 2011年11月11日
落合監督と選手たちとの8年『絆~衝撃退任から始まった奇跡』

理想の野球とはどんなものか。落合に聞いたことがある。

「オレの理想の野球って何か。みんなわかっていないよ。1点を守るとか、足を使うとかではない。競争を勝ち抜いた奴らで戦うことだ。お前ら(チーム内で)白黒つけたんだから、今度は相手と白黒つけてこいって。そうすれば、監督は何もしなくていいんだ」

守りの野球はあくまで勝つための方法論だった。激しい競争を勝ち抜き、指揮官の助けすら必要としないプロフェッショナルを9人、送り出すこと。それこそが、落合の理想の野球だった。

受験でも、テストでも、たいていは受けに行く前に勝負ってついているもんなんですよね。

当日の出来不出来というのは当然あるとしても、当日の出来不出来からして受けに行く前の段階で結果がほぼ見えているというのが本当のところでしょう。

スポーツ選手がよく「明日もしっかり準備して臨みたい」などと言いますが、テスト前日の準備はもとより、そのテストに臨むにあたっての長い間の準備があってこその話でしょう。その準備とは、たとえば塾内のクラスの昇降、つまりで「お前ら(チーム内で)白黒」つけたんだから、今度はテスト
(入試)で白黒つけてこい!

前回紹介した浅田次郎さんの「おまえが誰にも負けるはずがないだろう」と言えるのはまさにその事前の勝負で白黒つける競争を勝ち抜いた上で送り出したものだからこそ言える言葉でもあります。

競争もせず、入試に行く前に厳しい勉強もせず、なんとなく机に座って勉強にした気になっている子供に

「おまえが誰にも負けるはずがないだろう」

と励ますつもりで言ったとする。

結果、入試でダメだった。「あれ負けたジャン!?」と子供。でもそれは当然。だって根拠はなかったわけだから。これでは親子の勉強における信頼関係は構築できません。

褒める材料もないのに褒めたり、勉強をしてもらうためにおだてたりしていると、子供たちは妙な方向に走っていきますと何度も書いてきました。

落合さんが吐く言葉というのも親の皆さんにはとても参考になるのではないでしょうか。

webスポルティーバ 2011年11月15日
『逆風~物言わぬ指揮官、沈黙のわけ』

落合は選手を褒める時も、叱る時も、やはり純度100%の言葉を浴びせる。遠慮も、情もない、混じりっけなしの言葉は、そのまま監督・落合からの評価だ。それが選手にとって己の力量を計る指標となる。

「お前、このままだと今年で引退だな」

今季から加入したベテラン佐伯貴弘は、落合からこう言われ続けてきたという。実績のある選手ならば、腹を立てそうなものだが、佐伯はグラウンドでも、ベンチでも、落合の言葉を求めて、耳をそばだてる。

「落合監督の言葉っていうのはそのまま受け取ればいいと思う。いいものはいい、だめなものはだめ、と言ってくれる人だから。おかげで、サビを落とせたよ」

中日から戦力外通告を受けた佐伯は、今、現役続行を心に決めている。地球の裏側に行ってでも、やろうと決めている。落合の言葉がベテランの心に、火をつけたのだ。

また、この8年間、落合から最も叱咤されたであろう荒木雅博はこう言う。

「監督から『頑張れ』なんて言われたことはない。どこがいいか、どこが悪いか。そこを指摘される。あの人がいいと言ったらそれは本当にいいんだと思うし、だめと言ったら本当にだめなんだなと思える」

本音むき出しの言葉だからこそ、選手からは信頼される。技術を追求するプロ同士の間には建前など邪魔なだけなのだ。

外に向ければ「毒」となる落合の言葉は、内に向けては「薬」となる。

「成績がイイ子の親」は子供から絶大な信頼があります。信頼はしていますが、子供たちはそんな親を「ウザイ」と思っていたり、「ウルサイ」とは感じているんです。

しかし、その言われる言葉については絶対の信頼感がある。「ウザイ」けど、信頼しているというのが本当のところです。それは落合さん同様、混じりっ気のない本音の言葉だからではないでしょうか。

まさに

あの人がいいと言ったらそれは本当にいいんだと思うし、だめと言ったら本当にだめなんだなと思える

そこにウソはない。

遠慮も、情もない、混じりっけなしの言葉は、そのまま監督・落合からの評価

この評価は成績がイイ子のいる家庭においては、試験や入試に行く前の判定としてほぼ間違いのない判定となる。それは実に厳しい闘いです。だって入試やテストに行く前の家庭学習の勉強の段階で、日々判定されちゃうわけだから。

それも「いい」とか「悪い」は、本人が納得せざるを得ない正確な判定。それが親によって下される。この親が「いい」と言えば「いいんだな」となる。「悪い」と言われれば「これじゃダメなんだ」と判断できる。そこに絶大な信頼が生まれる礎がある。

多くの子供たちは「頑張れば大丈夫よ」「あなたはやればできるわ」と親から甘い判定をされて、実際に「戦場」に出てみれば、ハチの巣になって帰ってくる。

子供は「こんなはずではなかった・・・・」これがテストごとに繰り返されれば、信頼感は醸成されない。

成績がイイ子というのは、すでに家庭内で「厳しい条件」の中をくぐり抜けてきた子供たち。厳しいけど、絶大な信頼感がある親というバックボーンを背景に家庭内のキツイ競争、親のキツいけど厳しい判定をくぐり抜けて「戦場」に出てきた子供たち。

そんな子供たちにとって、家庭内の判定が一番きつかったりする。外の判定のほうがラクなんてことも。きつくても、その言葉が本当なら、聞くのはきついけど、うざいけど、あなたの意見を聞かせてほしいとなる。

だって、その言葉がこれから進むための道標になるのだから。

もう少し書かせてください。

つい最近出版された落合博満著『采配』から勉強に関して親の考え方に役立つものをいくつか抜粋して紹介します。

落合博満さんが2004年に監督に就任した際、誰一人選手をクビにすることもなく、どっかからイイ選手を取ってくることもなく、「現有戦力を10%から15%底上げして優勝する」と宣言しました。

そして、その宣言通り、監督就任1年目で優勝した。

落合博満著『采配』112ページ

表現は悪いかもしれないが、私はあらゆる手を尽くして選手を洗脳した。

そうして戦った選手たちは「勝てるのかな。勝てないのかな」から「あら、このメンバーで勝っちゃった。やっぱり練習すればかてるのかな」という気持ちに変化したのだと思う。

この取り組みを振り返って言えるのは、組織を統括する立場になった者は、まず部下たちに「こうすればいいんだ」という方法論を示し、それで部下を動かしながら「やればできるんだ」という成果を見せてやることが大切だということだ。



ひと口に「成果」と言っても、業種によってさまざまだろう。重要なのは、自信をつけさせ、それを確信に変えてやること。自信をつけさせても、結果が伴わなければ「ここまでやってもダメなんだ」となってしまう。

そして、一定の成果を出して部下が「やればできるんだ」と実感したら、「実力以上のものを出そうとするな。できる範囲で一番いいものを出してくれよ。そして、できる範囲を広げていくんだ」と自己成長を促してやればいい。

野球でもビジネスでも「できることをしっかりやる」のが成果を上げる鉄則だろう。



何事も最初が肝心だと言われているが、組織力を高めていくためには、現場を預かった人間の第一歩が大切だと身をもって感じたのである。

仕事でも勉強でもなんでもすべての基本ですよね、これって。「やればできるんだ」と厳しい練習を課し、その上で成果をきっちり出す。

そのことで次にまたやろう。きつくてもやればやるほど成果が出るんだとなる。そういう意味では他の方も同じようなことを言っているでしょうし、ストロングも似たようなことをここで何度も書いてきました。

しかし、現実は、多くの親は「勉強はこうすればいいんだよ」と示すこともなく、ただ「勉強しろ」「勉強頑張れ」「やればできるから」と叱咤だけし、成果がでなければ「なにやってるんだ」「やる気ないの?」「ちゃんとやったのか?」なんて怒っている。

そして、それがこれまでたった1回やった失敗です!というのであれば、挽回のしようもありますが、何年も同じようなことを結果が出ていないのに繰り返している家庭が実に多い

こうして子供は親への勉強に関する信頼をしなくなり、ただただ「うざい親」だけの親になり下がってしまっている。「やればできる」という親の言葉は、「じゃあ、お前がやれよ」なんて返されて、挙句の果てには「中学生なのに自分で勉強ができません」と嘆いてみせる。

嘆きたいのは子供ですよ!と。

監督就任1年目の落合監督は今までにない猛練習を課し、洗脳し、「こうすればいいんだ」という方法論を示し、「やればできるんだ」という成果を見せながら1年を過ごし、見事優勝というものすごい成果を叩き出させた。

Webスポルティーバ 2011年11月11日

もし、(監督就任の1年目の)あの年に負けたら、選手はどうせ練習しても勝てないと思っただろう。やったことに成果が出たから、オレの練習が普通になっていったんだ」

それほど1回目、つまり親と初めて勉強して臨むテストというのは大事になる。そうじゃないと、「どうせ練習しても勝てない」と子供たちはすぐに思っちゃう。

子供たちのやる気の賞味期限がきれるわけですね。子供たちのやる気の賞味期限が切れて一旦腐ってしまったら、元に戻す労力は並大抵ではない。

親は最初のかかわりから細心の注意も払わずに接しておいて、子供のやる気の賞味期限を放置したにもかかわらず、「ウチの子はやる気がない」「センスがない」「集中力がない」と子供を責める。

けど、いったん「腐ってしまった」子供たちに猛練習を課すのは至難の技です。猛練習を課せなければ、成果も出にくくなり・・・

結局、親子で「ウチはどうせやっても・・・・」となるか、なにかすばらしい魔法があるに違いないと高額な教材を買いこんでみたり、合格実績がたくさん出ている塾に行かせることで夢の続きを見ようとするが、元が腐っている土壌に花は咲かない。

こうして書くと読むに耐えないような無残で冷酷な内容になってしまいますが、親がしたように子供はなるのが現実。

まず変わるのはやっぱり親でなくちゃ!

落合博満著『采配』102ページ

・・・選手はミスを恐れずにプレーすることが求められる。ここで考えなければならないのは、ミスをする原因だ。

大きな原因のひとつが、自分の能力を超えたプレーをしようとしてしまうことだろう。多くのファンの前でグランドに立てば、ある種の興奮状態になり、活躍したいという欲も芽生える。

だが、普段の練習でできないことは、どんなに頑張っても実践ではできない。ゆえに、レギュラーになって活躍したいと思うなら、

1、できないことをできるように努力し

2、できるようになったら、その確率を高める工夫をし

3、高い確率でできることは、その質を高めていく

この段階を踏まなければならない。だから、私は2の段階にある選手を起用する際に、3をクリアしたレギュラーと同じようにやってほしいとは思っていない。

むしろ、何とか2のレベルをしっかりこなしてほしいと考えている。実は、2の段階の選手が2のレベルのプレーをそつなくこなすこと、すなわち「自分のできることをしっかりやること」ですら、高い緊張感を伴うグラウンドの上では簡単ではないのだ。こうした理由により、私は若い選手にありがちな「ミス」を責めない。

ただ、ミスの原因は冷静に分析し、次に同じようなミスを繰り返さないように仕向けていく。



では私が選手を叱るのはどういう場面か。

それは「手抜き」によるミスをした、つまり、自分のできることをやらなかった時である。

8年間の就任期間中に常に上位の成績を残し続けた1つの理由は、こういう考え方にあるのではないでしょうか。「成績がイイ子の親」もほぼ完全に同じ考え方で子供たちに接しているといっていいでしょう。

たとえば「家でやったらできたのにテストでは間違ってる」と嘆く方がいます。

しかし、プロ野球選手が

多くのファンの前でグランドに立てば、ある種の興奮状態になり、活躍したいという欲も芽生える

ように子供たちも、テストに、入試に臨めば、「ある種の興奮状態になり」、イイ点数を取りたいという「欲が芽生え」ます。「ある種の興奮状態になり」、欲が芽生えた時、家ではできていたこともできなくなる可能性は高くなる。

家庭では反復してできるようになった問題も、ある確率でテストではミスしてしまう。

「自分のできることをしっかりやること」ですら、高い緊張感を伴う

テストでは簡単ではないのだ。

だから、

ありがちな「ミス」を責めない

ミスは出るものだと考えて、親は「ミスの原因は冷静に分析し、次に同じようなミスを繰り返さないように仕向けて」いかなくちゃならない。

「次回はミスしないようにしよう!」と誓うだけではミスが減らないですから。ミス防止としては、家庭でうまくできた時と同じようにすることがミスの防止の1つでしょう。

図を描く、線分図を描く、途中の式をかく、筆算はちゃんとやる、丁寧な字で書くなどなど。ミスしたことは叱らないけれど、それらの「自分がやるべきことをやらない」で、つまり、いつもと違う「手抜き」をして間違えれば、叱る。

受験生が受けている塾の模試なども、特に受験間近のこの時期の模試はそうですが、時間の割にかなりの量とレベルの問題が並んでいます。

1問でも多く解きたいというのは受験生の心情としてはわかりますが、後半部分が間違うならまだしも、前半部分の計算や基礎知識の確認部分をポコポコ間違っているのはまさに実力以上のことを模試でしようとした結果ではないでしょうか。

普段の練習でできないことは、どんなに頑張っても実践ではできない

のです。いろいろと手をつけて多くを間違えるくらいなら、「できる問題」「できそうな問題」に絞って、それらに全ての時間を費やして全部正解にしろ!

ほとんどの入試で100点じゃなくちゃ受からないテストなんてないんだぞ!

そんな風に受験生には話していますが、これも常日頃の練習なくしてはできません。

落合博満著『采配』121ページ

選手には、できる限り自由にさせたいと考えている。だから、キャンプや合宿所生活にはつきもののと言える門限は設けていない。


最低限の約束事だけを決め、選手たちのことを「見ているだけ」でいいと思う。

ただ、「見ているだけ」という考え方は、選手を「大人扱い」することではない

野球の世界では「大人扱い」といえば、次のようなケースが思いつく。

1、プロや社会人チームが、高校、大学で高い実績を上げて入ってきた選手に対して、あれこれ細かく指導するよりも、自分のスタイルで気持ちよくプレーさせてやろうとすること

2、高校や大学の最上級生、あるいはプロや社会人のベテラン選手の練習を自主性に任せようとすること

気持ちよくプレーさせてやろう、自主性に任せよう、実に耳ざわりのいい言葉である。ただ、耳ざわりのいい感覚は、少しでも使うニュアンスを間違えると、まったく違う意味合いになってしまう。

私が話を聞いた範囲で言えば、「大人扱い」は指導者が選手に気を遣っているだけというケースが少なくない。要するに「大人扱い」ではなく、「特別扱い」をしているだけなのだ。



何とか実績を上げようとするが、自分のスタイルで自主的に練習しているだけでは、壁にぶち当たると跳ね返す力が乏しい。自己成長させるための引き出しをいくつも持っていないからである。

そして、指導者もこう考えるようになる。「これだけ自由にプレーさせているのに、大学時代の力がほとんど出ていない。もう伸びない選手なのだろうか」それで選手を見切ってしまうようでは、指導者も無責任と言わざるを得ない。

私が選手をできる限り自由にさせたいと考えているのは、自由というものが最大の規律になるからである。そう仕向けながら、グラウンドの上で「見ているだけ」の場面では、決して選手を「大人扱い」せず、選手が成長していくための道を作ってやろうと、つぶさに観察しているのだ。

「大人扱い」ではなく、「特別扱い」しているというのは、親はよくよく考えなければならないことでこれ以上付け加えることはありません。

また、「自由というものが最大の規律になる」のはその通りで納得なのですが、実際は「自由というものは好き勝手にやりたい放題できるということである」という解釈がまかり通っているのは残念で仕方がありません。

それらを踏まえて、厳しさもなく、子供の「自主性」に任せてて、結果が出ないと、他の子と比較して嘆く親は論外としても、やっぱり今の親は

「観察」が足りない

と思います。

全然子供が見えていない。

「勉強」というのは、それが単独で、独立して存在しているわけではありません。

人から何かを聞く姿勢や物事の取り組み方、モノの片づけ方、人間関係のポジションの取り方、文具やモノに対する扱い、挨拶や返事、性格や悩みの打ち明け方などなど、それぞれの子供には特徴や傾向がある。

勉強はそれら子供の特徴や傾向の土台の上に乗っかって表れてくる1つのものです。

勉強を頑張らせたいなら、勉強の話ばかりでなく、学校のこと、友達のこと、塾のこと、趣味のこと、最近のマイブームのことなどなどたくさん話して、お子さんを観察してほしい。

勉強の関するヒントって、勉強以外の面で表れていることもたくさんありますよ。

落合博満著『采配』51ページ

私の場合、野球という仕事においては、二兎も三兎も追う気持ちがなければタイトル争いを制することができなかった。首位打者、本塁打王、打点王のタイトルを一度に手にする三冠王は、まさに「三兎を追って三兎を得る」という気構えで成し遂げたものだ。

しかし、そうやって仕事で大きな成果を上げようと取り組んだことにより、私の人生の中で犠牲にせざるをえないこともあった。

そのひとつが子育てである。長男・福嗣を授かったのは33歳の夏だった。

自分の分身だけに可愛くて仕方がなかったが、ちょうどロッテからドラゴンズへ移籍したシーズンで、セ・リーグの野球に早く順応し、4度目の三冠王を獲ってやろうとと必死に野球と向き合っていた時だった。

正確に書けば、私が子育てをしなかったというよりも、妻がさせなかった。

プロ野球選手という仕事は肉体が資本ゆえ、息子を風呂に入れたりすることも負担になると考えたのだろう。

事実、私は家にいる時間も野球のことを考えていたし、他の人が寝ている時間もバットを振っていた。

息子に構う時間はなかったのだ。些細なことかもしれないが、今にして思えば、風呂に入れたり遊びの相手をしてやりたかった。

だが、当時は私だけがそうしていたのではなく、プロ野球選手の家庭は同じような感じだったはずだ。

もっと言えば、企業戦士の家庭も似たようなものだったのではないか。

子育てを含む家事全般は、妻の役割という時代だった。

それから25年が過ぎる間に、社会の考え方は変わってきた。

夫婦共働きの家庭は珍しくなくなり、家事も主婦と主夫が協力する。それは時代の変化と受け止めればいいが、最近は仕事と家庭という部分だけでなく、あらゆる面で「何かに没頭する」時間が少なくなったように感じている。

プロ野球選手も、1年の3分の2は家を空けるという状況こそ変わっていないが、帰宅すればプロ野球選手から夫や父親に変わる人も増えた。

野球という仕事に打ち込みながら、家庭人としての存在も両立しているイメージだ。

私から見れば、そうやって生活できているのは羨ましい。恵まれた時代になったのだ。

ただ、それによってプロとして大成するチャンスだけは逃してほしくないと思っている。

1日、1日と生活していく中で、さまざまなことをそれなりにこなそうとすれば、どうしてもバランスを取ろうとするため、ひとつのことに深く取り組む、すなわち没頭することができない。

そして、それを一定の期間継続すると、没頭するという感性を忘れてしまうのである。



古臭いことを言っていると思われるかもしれないが、社会の考え方が変わっても、社会人として台頭するためのプロセスは変わっていない。そして、これからも変わらないだろう。

自分の目標を達成したり、充実した生活を送るためには、必ず一兎だけを追い続けなければならないタイミングがある。

進学や資格取得のための勉強、昇進を見据えた仕事のスキルアップ、独立を目指して青写真を描く時期。

それだけに没頭して首尾よくものにできれば、また新たな道も開けてくる。

奥さんや子供たちと楽しむ時間も得られるだろう。だからこそ、大きな成果を得るためには、何かを犠牲にすることもあるという覚悟をしておきたい。

ストロングはここ何年間かは、ずっと「バランスを大事にして下さい」というメッセージを出し続けてきました。

そういう意味でいうと、落合さんとは真逆のことを言ってきたと思います。

1日、1日と生活していく中で、さまざまなことをそれなりにこなそうとすれば、どうしてもバランスを取ろうとするため、ひとつのことに深く取り組む、すなわち没頭することができない。

そして、それを一定の期間継続すると、没頭するという感性を忘れてしまうのである。

なんかはストロングには痛い部分で、ゆえに世の中で突きぬけた存在になれない原因かもしれないなとも思います。

親ならたとえば「仕事」・「家庭」・「趣味」、子供たちなら「勉強」・「部活」・「遊び」などのバランスを取ろうとすれば、どうしても「没頭することはできない」のは間違いありません。

自分の目標を達成したり、充実した生活を送るためには、必ず一兎だけを追い続けなければならないタイミングがある。

それが一流になるための条件なのかもしれませんね。

ストロングなんかは「平凡こそ黄金」と思っておりますので、この領域には達したことがないのでなんともいえませんが、後輩などには「なにもかも、うっちゃって没頭するのは35歳まで」と言っています。

まあ、子供を授かった年齢にもよりますが、一応の目安として35歳過ぎたら、仕事も趣味もイイが、同じくらいのバランスで子供たちのこともちゃんと見てやれと。

これって落合さんの理論からいえば「お前ら一流になるな!」って言っているのに等しいのかもしれませんね。

どっちを選択するかは皆さんが判断してください。

ストロングが35歳過ぎてからバランスを重視して、子供たちのことをよく見ってやってくれと言っているのは、仕事でうまくいっても、子育ての穴埋めはできないと思うからです。

「仕事」の失敗は「家庭」では取り戻せないし、「趣味」の楽しさで「家庭」失敗は取り戻せないと思うからです。

先にあったように落合さんは

仕事で大きな成果を上げようと取り組んだことにより、私の人生の中で犠牲にせざるをえないこともあった。そのひとつが子育てである。

と書かれています。

犠牲になった「子育て」でたとえば落合家でどんなことが起こったかというと、落合さんの長男の福嗣さんの著書にはこんな親子対談があります。

監督とは「落合監督」で、息子が長男の福嗣さんです。

落合福嗣著『フクシ伝説』80ページ

監督:ふ~ん。まあ、オレもオマエも過去はいろいろあったけどな。

息子:イジメ、不登校、反抗期、自殺願望・・・ってフルコースだもんね(苦笑)。

監督:フフフ、そうだな。

息子:ボク、子供の頃から世間では「悪童」って言われてたみたいだけど、実際は周りから相当、イジメられてたんだよね。中学時代には野球チームの先輩OBから大ケガするほどの暴
力も受けてんだよ。

監督:結局、あのときの暴力でオマエは両ひざをやられて野球ができなくなったんだもんな。でもな、あの頃、オレはオマエがそういう風にイジメられてることを全然、知らなかったんだぞ。オマエ、オレには何も言わなかったし。

息子:そりゃ言えないよ(苦笑)。とーちゃん、そのことを知ったら何するかわからないでしょ。

監督:だな。それこそ、ここじゃ言えないようなことだってやってただろうと思う。

息子:まあ、今だから言うけどホント、ひどいイジメばっかりだったんだよ。「オマエは親父から野球を教えてもらっているのに、なんでそんなに下手なんだ」とかさ。そんなの知らねーよって!!

監督:そもそもオレ、オマエにじっくり野球を教えてはなかったのにな(笑)。

息子:ね、理不尽すぎるよ。

監督:まあ、イジメっていうのはいつの時代も理不尽なものだよ。

息子:一番、大変だったのは高校時代。ほかの部のヤツらと1対7でケンカしてボコボコにされたのは悪夢だったね。それから学校に行くのがイヤでイヤで。挙句の果てに登校拒否になっちゃってさ。

最初はお腹痛いって理由で1週間くらい休んでたんだけど、かあちゃんは「気づく」わけだ。で、「どーちゃんが心配するだろ。学校に行かなくてもイイからとりえず外に出ろ」って言われて、しょうがなく近くの公園で時間を潰すようになって・・・。

監督:オレの高校時代そっくりそのまま(笑)。やっぱりオマエはオレの子だよ。オレも先輩からの体罰がイヤで学校に行かない時期があったんだ。

高校に入ってすぐレギュラーで4番。だからそれをひがむ先輩がオレを槍玉に挙げて、毎日、暴力だったよ。なんでオレはこいつらに殴られなきゃいけないんだって・・・・で、学校に行かなくなったたんだ。



息子:・・・でも冗談じゃなく一番、イジメがひどかった時期、ボク、死のうと思ったことあったんだよ。それこそ死に方まで考えたから。



息子:結局、かあちゃんが、「じゃあ一緒に死ぬよ。どうやって死のうか?」って10ぐらいの方法を挙げてきてくれてさ。よくそんなに出してきたと思うよ。で、それを聞いてたら「死ぬのって大変だな」って萎えてきて。

監督:アハハ。そんなこともあったなあ。今だから笑って話せるけど。

息子:その次の日だよ。ボク、かあちゃんの枕元に手紙を置いたんだ。「ホントは死にたいんじゃなくて、「解決」したい。でも、どうしたらいいのかわからないから「死にたい」って表現しかできないの」って書いてさ。

監督:アイツはその手紙をまだ大事にとっているんだぞ。あれは我が家の家宝だよ。

幸い奥さんがしっかりされていて、母子でいろいろと共有されていて大事に至らず、現在は福嗣さんも活躍されているようなのでなによりなのですが。

ただ一歩間違えば、落合さん一家でいえば、お母さんがうまく受け止められなかったとしたら・・・すごく怖い話だと思うんです。

そして、福嗣さんが言っている言葉、

ホントは死にたいんじゃなくて、「解決」したい。

でも、どうしたらいいのかわからないから「死にたい」って表現しかできないの

これってすごく詮無くなる言葉ですなあ・・・

でも、ガキって皆そうだと思うんです。

いろいろと思うことがあっても、うまく表現できない。

言葉の引き出しがないというか、知恵の引き出しもなくて、今起こっている現象なり、事態なりが表現できなくて、処理できなくて、結果的には「死にたい」で括ってしまうようなことが・・・

くしくも落合さんが別のところで述べていた

何とか実績を上げようとするが、自分のスタイルで自主的に練習しているだけでは、壁にぶち当たると跳ね返す力が乏しい。

自己成長させるための引き出しをいくつも持っていないからである。

そんな子供たちだからこそ、落合さんが言われるのとは逆の言い方になりますが、親はある時期から仕事や遊びや趣味や地域の行事などとのバランスを考えながら、

成長していくための道を作ってやろうと、つぶさに観察

してやる時間があったほうがいいのではないか、いや努力してでも、ある種仕事の一部を犠牲にしてでも時間を取るぞと考えたほうがいいのではないかとストロングは思うわけです。

特にたいした問題もなく、幸せに学校生活を送っていける子供たちも多いのでしょうから、それほど気張る必要はないのでしょうが、我が子にこの手のことが起こった際にはすぐに手を差し伸べてやりたいなあとつい思ってしまうのです。

ただ、そんなバランスを考えていたんでは、いっぱしの仕事を成し遂げることもできずにも終わるのかもしれないのですが・・・

そういう意味で落合一家は、それぞれがバランスよく各自の役割をキッチリ果たしていたという点で「没頭」と「バランス」がうまくミックスされた稀有の家庭であったともいえるのかもしれませんね。

さて、どうしますか、皆さん!!

ぜひ一度考えてみて下さい。

落合監督、永い間ご苦労さまでした。あなたがいなくなったことでプロ野球を見る楽しみがほぼなくなりました。

またどこかで監督になることを楽しみに待っております。押忍!

おススメです!
https://www.youtube.com/watch?v=fnGof8OV0yk
取れそうで取れないところにひたすら打つ落合ノック
https://www.youtube.com/watch?v=alrTEImF2jw&f…

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うれしい報告

小5 Nさん

(省略)社会連休、といいつつ、案外時間はとれないもの
ですね…。

それでも、3日間で4時間ぐらいは、「机にかじりつく」スタイルで勉強させたのですが、残念ながら思ったほど成果はあがりませんでした。

どうも、やり方がまずいようです。

理科などは、ぱっと覚えられるのに、社会になるとどうしても覚えられない。興味が持てないからでしょうか。

時間をかければいいわけでない、ということがわかりました…;;

そこで、何とか興味を持てるよう、イメージを持ってもらいたいということで、半日、思い切って江戸東京博物館へ連れて行ってみました。

試験範囲と重なるところもあり、帰ってきてから勉強しているとき、「ああ、あれね!」ということはありました。

中学入試まんが攻略BON! 歴史(上巻)(下巻)」を買いました。

大喜びで読みふけっていましたので、食いつきは良かったです(笑)。

親が見ても、わかりやすいですね。どうもありがとうございます!テキストを読むより、こっちを熟読させています;;

「漫画(全20巻ぐらいのもの)は与えてみたけど、ダメだった…」と思っていましたが、長すぎたようです。

漫画にもいろいろあり、こっちがダメならあっち、というように、親技は深く駆使しないとダメなのですね~勉強になりました!(省略)

中学生なら1年かけて勉強する歴史を4、5ヶ月で一気にやる中学受験。次から次へとあれやこれやと重要用語の連発で実感のないまま、どんどんススム進む。

なのに高校入試よりも問題が難しかったりするからねえ・・・

「ああ、あれね!」そう思ってもらえる材料ならとりあえず試してみたいものです。

何がヒットするかは子供によって違いますから。

「机にかじりつく」スタイルですごくよく覚えるけれど、1週間後には跡形もなく忘れている子もいますし、漫画を読んで試験に関係ないエピソードばっかり覚えている子もいる。

ただ苦しくてもまず1回目、頑張って流れや用語を覚える作業は絶対必要。それがないと始まらないですから。

その上で、各人各家庭ができる工夫をやってみる。

子供だってタイヘンなのですから!!

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