こんにちは、ストロング宮迫です。
子供たちのGW週間が始まりますね。この前も書きましたが、夏休み前のひとまとまりの時間が取れる期間です。
特に受験生は準備と覚悟をもってしかと臨まれたし。
先日、タイガー山中が首都圏最難関の私立中学校に入学した親の方と話したことを聞きました。
タイガー山中は思ったそうです。
ちょっと親技、ラクにとか効率的にとか言いすぎてるのかもしれないねと。
首都圏最難関の私立中学校に合格された親の方は言ったそうです。
「隙間という隙間はいつでも勉強していました。10分あれば10分。たとえ5分であっても、そこに時間があるなら勉強していた」と。休みの日は1日13時間。
「塾のテキスト、宿題、プリント類で逃した問題はただの1問もなかった」「すべてをやりきった」と。
私たちは最難関校に合格するために1日10時間は当たり前という世界で生きてきましたが、そうやってしんどい話ばっかりすると、やりきれなくなることもあって、ややもするとラクな方法や効率的な方法ばかりに目を向けていなかったかと。
たしかに少ない時間でより効率よく勉強することが膨大な知識が問われる入試では大事です。
ただ、空いた時間の5分とか10分があれば、やれることをぶち込んでやり抜いてしまう。
そんな話をボクたちは、最近あまりしてこなかったんじゃなかろうかというのがタイガー山中の意見でした。
そうかもなあ・・・
全部やれなかったらそれでもイイ。やったことがテストでちゃんとできていれば一歩前進。そんなふうに言ってきました。
そのことについて、間違っているとは思わないけれど、時間をかけてでも、寝る時間を少し削ってでもゴリゴリと指定の範囲を力づくで、疲れるけれど全部やりきってしまう。
そんな気概や覚悟がもしこのメルマガを読んで少しずつ薄まっていっているようなら、それはボクの責任です。
首都圏最難関校に受かった子供にも無駄もあったろうし、非効率的な部分も多々あったでしょうが、ゴリゴリで時間という名の生活の持ち駒を引出しからすべて出し尽くして勝ち取った。そんな話だったそうです。
よく「質」と「量」の話をするけれど、仮に勉強において「良質のものを少量」と「悪質なものを大量」が勝負したらどっちが勝つか?
最難関校なら実は勝負はわからないのかもしれません。
もちろん「良質のものを大量」にすれば、勝つのはたやすくなるけれど、「大量」に勉強するのはなかなか骨が折れるもので、誰しもができるわけじゃない。
だからこそ、「良質」のものを確実にちゃんとやることを優先するのだけれど、その連中たちに「悪質なものも含めて大量」に勉強した者が勝ち取るものがあるってことですね。
タイガー山中が話した最難関校に受かったお子さんの親が決して「悪質なもの」をやらせていたってわけじゃないです。
生活のほとんどの時間を使ってぜ~んぶやりきってしまう、3回やりきってしまう、そんな根性とブルトーザー並みの馬力で頑張って勝ち取ったのは女の子。
タイガー山中の話を聞いていろいろと考えさせられました。このGW、いっちょうやってみませんか。生活のすべてを勉強にぶち込んでみる生活を!なにかみえてくるものがあるかもです。
「ウチはちょっと無理かも・・」と思った方にはぜひ読んでいただきたい小説北方謙三著『破軍の星』集英社文庫 の一節があるので紹介しましょう。
この本は中学生くらいの子にはぜひ読んでほしい本ですが、舞台は鎌倉幕府が倒れ、後醍醐帝の建武親政が開始された頃、後醍醐帝は、公家と武士の危うい均衡の上に立ち、帝の地位を守り抜こうとしていました。
その1つの施策として、公家の北畠親房の長男・顕家に陸奥守を命じ、
六の宮(のちに義良親王、さらにのちに後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向させました。この顕家の陸奥への下向は、白川以北に強大な朝廷の勢力を作り、関東に勢威を誇る足利尊氏に背後から圧力をかけることになる。
一方、危うい均衡の上に成り立っている建武親政を表すかのように、武士の棟梁たる足利尊氏の弟直義は成良親王を奉じて鎌倉に下り、関東八か国を統治。公家に奉じられた義良親王、武士に奉じられた成良親王は、それぞれ後醍醐天皇の皇子で、かつ同じ母から生まれた御子です。
自分の息子をそれぞれ相対立する勢力に戴かせ、どちらが生き残っても時代の帝を継がせる、どちらが勝とうと、帝位さえしっかりと握っていればいいという権謀術数が張り巡らされたそんな時代の話です。
元祖・仁義なき戦いとでも申しましょうか。
そんな中、とうとう足利尊氏が建武政権に叛し西上、京に向かって攻め入ります。
この報を受けて、陸奥の多賀城にいた北畠顕家は当時としては信じられない速さで京に向かう足利尊氏を追いかけます。
少し長いけれど引用します。
「この戦は、迅速をもってよしとする。兵をあまり休ませることはできぬ。みんな覚悟せよ。苦しい行軍になろうが、生きるために駆けるのだ。そう思え」
六の宮にも、苦しさに耐えて貰わねばならなかった。それもまた、六の宮が生きるためである。
として、宮城県から京都までただただ「生きるために駈けはじめた」のでした。
場面では六の宮(のちに義良親王)は8歳くらいでしょうかね。顕家を「親」、六の宮を「子」と置き換えて読んでいただくとよろしいかと。
成さねばならぬことがあると覚悟している人から幼子に対する厳しい叱咤がなされます。
「父上も、輿にお乗りください。ただし、御所様とは別々に。できるかぎり、輿は軽くしなければなりません。八人の兵に、担がず持たせます。無駄な飾りも取り払います。寒さは、重ねて衣服をつけることで、耐えてください」
輿を持って駈ける。それだけで、兵にはかなりの負担がかかる。次々に兵を交代させた方がいい。その人選を、多聞丸にやらせた。
「御所様、よくお聞きください」
顕家は、六の宮を親房の手から抱きとって言った。
「輿で駈けます。この軍勢だけ、のんびりとというわけには参りません。戦なのです。よろしいですか。兵どもは、これから何度も闘って、死ぬ者も多く出るでしょう。みんな、御所様をお守りするために闘うのです。輿の上が、寒くつらいのはわかっております。しかし、弱音を吐かれてはなりません。私がいいと言うまで、降りてもなりませんぞ。我儘を申されれたら、輿に縛りつけてお連れします。あるいは、馬の背に縛りつけて」
「わかった」
短く、六の宮は言った。
「御所様のために走り、御所様のために闘い、死ぬのだということを、忘れてはなりません。御所様のお命も、兵どもの命も、同じひとつの命なのです」
「我儘は言わぬ。心配するな、顕家」
「よろしゅうございます。すぐに進軍いたします。白河で待つ本隊に、追いつかなければなりません」
「輿がなければ、馬に乗ろう。馬もなければ、この脚で歩こう。戦で、人が多く死ぬことは知っている。ひとりだけ、楽をしようとは思わぬ」
馬蹄が響いた。輿を中心に置き、前後を騎馬隊が挟む恰好にした。戦のための軍勢というより、警固のための軍勢なのだ。ただ、本隊と同じ速さで進軍させよう、と顕家は決めていた。
「進発できます」
秀通が報告にきた。
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顕家は馬に跳び乗ると、軍配を振った。一斉に騎馬隊が走りはじめる。顕家は、もう輿の方は見なかった。
こうして多賀城から白河関、下野那須、鎌倉、駿河を全速力で駆け抜け、遠江へ入る。
兵も馬も、疲れきっている。
六の宮の異状を聞き、顕家は仮の陣屋に駈けつけた。
「朝より、しばしば吐かれておる。お疲れなのであろう」
そばに付いた親房の顔も、頬がこけ、土気色になっていた。
「顕家です、御所様。わかりますか?」
六の宮が薄く眼を開いた。
「大事ない。おまえは、軍勢の指揮をしなければなるまい。なにゆえ、ここにおる?」
「いま、野営しております。また夜が明ける前から進軍をはじめなければなりません」
「わかっている。早く、京へ着きたい」
「それまで、耐えていただけますか?」
「顕家」
親房が口を挟んだ。
眼に、怒りの色を浮かべている。しかし、六の宮の軍勢だけを、遅らせるわけにはいかなかった。遅れた兵は、六の宮の軍勢に加わるだろう。後ろに加われる軍勢があれば、兵は遅れる。それに、六の宮の軍勢だけが狙い撃ちにされることも、避けなければならない。
「耐えていただかねばなりません。倒れ、そのまま死んでいく兵も出ています。凍えて死ぬ者も、少なくありません。それは御所様のためであり、主上のためでもあります」
「耐えられる。心配はするな」
「兵糧も少なく、飢える兵も出ているのですぞ。一度食べたものを吐き出すとは、何事でございますか」
「悪かった」
「耐えていただきます。それがお気に召さなければ、京に入ってから、この顕家の首を刎ねられればよい」
「もう、吐かぬ。死すとも吐かぬ」
六の宮が、眼を閉じた。閉じた目蓋から、水滴が盛りあがってくる。顕家は、六の宮の額に手をやった。熱はない。
「泣けるだけ、御所様は幸せでござる。遅れた徒は、まだ駈けております。いまも、野営の火だけを目印に、何千もの兵が駈けておりますぞ。その兵は、到着するとすぐに眠り、未明にはまた駈けねばなりません。泣く暇も、食う暇もないのです」
「わかっている、顕家。すまぬ」
「眠られませ。眠れば、力は戻ります。そして、明日の朝、少しだけ食されればよい」
兵糧の配給は、一日一度で、それもわずかな量だった。途中で徴発しようにも、大軍が三度往来した街道沿いには、米一粒残っていなかった。寒さと飢えで死んでいる農民を見るのも、めずらしくなかったのだ。
「顕家、御所様だけ、遅れてはならぬのか?」
「なりませぬ。御所様が遅れることは、全軍が遅れることです。すでに、京では激しい闘いがはじまっております。京が陥るまで、あと何日か。たとえ足利尊氏が京に入ろうとも、すぐに陣容は整えられません。それまでに、到着しなければならないのです」
「駈けながら死ぬ兵が、数えきれぬほど出ているそうではないか」
「戦です。屍を踏み越えても駈け抜ける者だけが、生き残ります。それは御所様も変りません」
「健気に耐えておられる。戦とは、むごいものじゃのう」
「このむごさを、いまの帝がどれほどお知りになっているか」
「顕家、帝は戦をしたくてされているのではないぞ」
「わかっております。ただ、政事の中で、いま少し武士のことを考えられていたなら、足利尊氏がこれほど力を持つこともなく、したがって大戦にもいたらなかったでしょう」
「いまは、それを言う時ではあるまい」
「ですから、駈けるだけなのです」
親房が、大きく息をついた。
こういうのを帝王学というんでしょうな。
身をもって知る。身をもって教える。教えるべきことを愛情と厳しさをセットで教える。
顕家18歳、六の宮8歳という設定ですから、その年齢を考えるとさらに感慨深い気がします。
小説と言うなかれ。
準備が整わなくても、時がきたら駈けなければなりません。夜を日に継いで駈け続けなければならないときがある。
苦しいです。駈け続けるには理由がいります。理由があってもヘタレます。ヘタレたら、必要であれば「一度食べたものを吐き出すとは、何事でございますか」と叱咤もしなければなりません。
このとき、自然と雄叫びが出てくるものです。それが「オォー」なのか「いくぞー」なのか「よーし!」なのかはわかりませんが。
勉強において親技でハイタッチを推奨しているのもそのためです。
このGWがあなたの家にとって「生きるために駆ける」ときなのかはわかりませんが、確実にゴリゴリと音を立てて駈け続ける者がいることを知っておいてください。
その音を聞け!
GWに駆ける者は多賀城から京に着いてしまうかも・・・そこで得られる自信は彼ら彼女らをさらに大きく成長させることでしょう。
迷わず行けよ、行けばわかるさ!押忍!
追伸.
今回の後半の北方謙三さんの小説の引用、タイガー山中が絶対に「あれって必要なの!?」って言ってくるに違いない。
でも、ボクの答えは決まってる!
「あれが本論よ!」ニン(^^)
中1 ジョーさん
ストロング宮迫先生
その節は大変お世話になりました。
春休み中は教えていただいた通り、完全に自由にはさせず、油断せず先取り学習をさせました。
おかげさまで入学早々の実力テストでは約350人中、国語21位、英語1位、数学168位で、総合では38位に食い込めました。
進学した中学はコースが分けれており、子供の通うコースより上のコースが2クラスある中での結果なので、まずまずの結果だと喜んでいます。
英語はほとんどみな100点だったので油断はできませんし、とにかく、数学の引き上げが今後の最大の課題になりそうです。
中間テストを5月末に控えて、やっぱり不安になり(笑)、大変ありがたい返信をいただき恐縮しております。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
この春に中学受験を終えたジョーさんは今年1月にすでに登場していただきました。
1/26「合格」ってとこだけに目を奪われないようにしてほしい
全体で38位はなかなかの滑り出し!
課題はもちろん168位の数学であります!!
中学受験でやったいけドン法を駆使してこのGW中にバチバチと撃破して中間テストに臨んでもらいたいですね。
今の時期の勉強はやったらすぐに、あっという間に効果が出ますから!ファイト!