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こんにちは、ストロング宮迫です。

7月も終わっちゃった。とにかくあっという間ですなあ。成果を求めて頑張るべし!!

1つ業務連絡をさせて下さい。

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※この毎日親技は2014年7月31日に配信したものです

さて、大きく報道されている長崎県佐世保市の同級生殺害事件に多くの方が震撼していることでしょう。

時事通信によれば、県警捜査1課の調べに対し「中学生の頃から、人を殺してみたいという欲求があった」という趣旨の供述をしているとのことで「ネコを解剖したことがあり、人間でもやってみたくなった」と遺体を損壊した理由を説明。

また、中学生だった昨年秋、少女の母親が病死し、父親はその後、再婚。今年3月ごろには、少女が父親に激しい暴力を振るい、入院させていたことが判明しているとのこと。

事件が起こるたびに親は我が家を省みていろいろと考えるんですが、結論はだいたいテレビのコメンテーターが言うくらいのことなんじゃないでしょうかね。ボクも同じです。

報道を見てなんだかワイワイガヤガヤと言い合って議論したような気持ちになって、考えたような気分でいる。もちろん我が家の問題は未解決のままです。

ここでは河合隼雄著作集『流動する家族関係』からいくつかの記述を紹介しました。

お父さんは好きなことばかりしてるじゃないか!

チック症の少年

きょうだいは他人のはじまり

河合隼雄著作集『流動する家族関係』は河合先生のいくつかの著作をまとめているものですが、このなかに『大人になることのむずかしさ』という本も収められています。

この中から佐世保市の同級生殺害事件でもあったといわれる家庭内暴力について少し紹介しましょう。

河合隼雄著作集『流動する家族関係』の中から

『大人になることのむずかしさ』より

青年期というのは、今までに建てたひとつの家を壊して新しい家を建てかえるのだ、と思うとよく解るときがある。

子どものときに、子どもなりの家ができあがるのだが、それは仮小屋であって、それをベースとして仕事をなしつつ、結局はその仮小屋も壊してしまって、新しい家をつくらねばならない。

仮小屋がしっかりしていないと新しい仕事をしてゆくのに差支えるのはもちろんだが、仮小屋に力を入れすぎて、まるで本屋にでもできそうなのをつくっておくと、建てかえが大変である。

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家庭内暴力をふるう子どもの多くは、仮小屋をたてるときに、親が妙に張り切りすぎて、本屋まがいのものを建てさせたようなところがある。

したがって、それを壊すのには相当な「暴力」が必要なのだ。つまり、子どもを育てるときに、親が「よい子」に育てようとしすぎて、大人の小ぢんまりした存在のような子どもをつくりあげていることが、家庭内暴力の例では多いのである。

家の建てかえの比喩を続けて用いると、この問題は次のようにいうこともできる。

家の建てかえの際に、大きい家を建てようとする人は、基礎を深く掘らねばならない。したがって、基礎を深く掘りすぎることによって、問題が生じてくる可能性も大となってくる。

つまり、以前に比べて、現代の子どもたちは基礎を深く掘らねばならぬので、なかなか大変なのである。これを心理的に言えば、現代の子どもたちは、より深いこころの問題にぶつかっている。

たとえば、ある高校生が母親に対するとき、個人としての母親としてではなく、彼女の背後に存在する母性というもののもつ深淵に対しているのである。

つまり、その高校生は自分の心の奥深くに存在する母なるものとの対決に迫られることになる。そこで、母親が何気なく部屋にはいってきても、それは外的には確かに何も大したことではないのだが、それは子どもにとって「侵入」― それも怪物か何かの― と受けとめられ、彼はそれと「戦う」ために暴力をふるうことになるのだ。

実のところ、彼のなすべきことは、母なるものとの内的な戦いであるのに、彼はそれを外界に存在する母親へとぶつけてしまうのである。

佐世保市の同級生殺害事件の詳細はまだわかりませんが、この河合先生の記述で多くは説明されているのではなかろうかとボクは考えています。

また、こうした事件が起こると、「誰が悪かったのか」に議論が集中します。

特に今回の佐世保の事件では「少女の母親が病死し、父親はその後再婚」という報道があり、その後に「家庭内暴力と一人暮らし」という流れのようですから「お父さんが悪い」という方向に結論付けられていくでしょう。

ただね、「少女の母親が病死し・・・」以降は流れであって、もっとその前の『大人になることのむずかしさ』の部分を私たちは考えるべきじゃないかと思います。

河合隼雄さんは「意味を探れ」と書いておられます。

河合隼雄著作集『流動する家族関係』の中から

『大人になることのむずかしさ』より

ある大学生が登校もせず下宿にひきこもって、外に出なくなってしまった。このようなことが起こると、大人はすぐに「原因は何か」と考えたがる。

そのときにどうしても問題を早く片づけたいという焦りがあるだけに、原因 ― 結果の鎖を見出すのに短兵急になりがちであり、「子どもの意志が弱すぎる」ことが原因と考えて叱責する。

あるいは、「大学の教官が学生に冷淡すぎる」ことが原因と考え、教官を非難する。ところが、一方、大学の教官の方では「親の過保護が原因」と考え、親を攻撃するかも知れない。

原因探しはしばしば「悪者探し」となり、それも大人たちはとかく自分以外の者を悪者に仕立てようとするので、互いに攻撃し合ったり、一緒になって子どもを責めたてたりするが、問題はなかなか解決しないのである。

そこで、この学生が登校せずに下宿にひきこもっている「意味は何か」という問いを発すると(その答えはそれほど簡単には出て来ないであろうが)、焦って悪者探しをする態度からは皆が解放され、その事象が早く片づけねばならぬ嫌なこと、という見方ではなく、そこから何かブラスのことを引き出せる可能性のあること、という見方に変るであろう。

このように考える方が、はるかに建設的となってくる。原因 ― 結果の連鎖を探り出そうとする態度は、ややもすると目を過去にのみ向けさせ、そこに存在する悪を見つけて攻撃したり、後悔の念を強めたりするだけで、そこから前進する力を弱めることが多い。

意味を探ろうとする態度は、むしろ未来へと目を向け、そこからどのように立ち上ってゆくかという建設的な考えに結びつきやすいのである。

このようにいっても、人間は因果関係によって事象を見ることがあまりにも好きであることと、そのような見方は自分を局外者において、安全地帯から他人を批判できやすいこととのために、なかなかこのような思考パターンから逃れられないのである。

これに対して、意味を探る態度で事象を見ていると、知らぬ間に、自分が局外者でなくなっていることに気づかされるであろう。

「意味」というものは周囲にある多くのものを関係づける作用をもっている。

因果の場合は直線的に―そしてそれはしばしば実状とは異なるものなのだが―何かと何かを結びつけるだけで終ってしまう。

意味の場合は、二つのものを直線で結びつけるだけではなく、多くのものが関連し合って、ひとつの全体を形成しているのである。



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ところで、青年期においても年齢が低くなるほど、ここに述べたような問題提起とか意味の探求などということは、本人には何ら意識されることなく、本人としてはつまずきの現象のなかでただ困り果てていることが多い。

このような青年に「意味を見出せ」などといってもはじまらない。われわれ大人としては、彼をまず実際的に立ち直らせるように、慰めたり、援助したり、励ましたりしてやらねばならない。

しかし、そのような実際的援助に終始していても、われわれ自身が意味を見出そうという姿勢をもってていると、青年たちは自分が単純に悪者扱いをされたり、軽蔑されたりしていないこと、そこに何らかのプラスの意味が内在しているらしいことを感じとって、無用の悔恨に悩まされることなく、早く立ち直ることができるのである。

短兵急に原因と結果の因果関係に走って「誰が悪いのか」に行く前にその事象の「意味を探る」、「これってなんのサインなのかな?」って考えるってことですよね。

これは自分たちに何を知らせようとしているサインなのか。多くの親はそれらのサインを毎日見逃しまくっていますから。ぜひこのあたりはこの事件をキッカケに考えてほしいところです。

最後に河合隼雄著作集『流動する家族関係』でにキーワードの一つである親子の「対話」とか「対決」について紹介して締めとします。

河合隼雄著作集『流動する家族関係』の中から

『大人になることのむずかしさ』より

・・・・・今までは自分は子どもを束縛し過ぎて失敗した、だから、これからは放任主義でゆこう。こんなに考えても、うまくゆくものではない。

叱るのがいいのか悪いのか。管理するのか放任するのか。このような単純な二者択一的な議論は、およそ意味がないようである。

それほど簡単に「よい方法」が見つかるのなら、誰もがそれをしているだろう。

教育学や心理学の専門家といわれる人でも、自分の子どものこととなると困っているところをみると、おそらく誰にでも適用する「よい方法」などないと考える方がいいだろう。

子どもの自主性を尊重するということは、親の自主性も尊重するということである。

親は、子どもの態度が悪いと判断するかぎり、やはりそれを子どもに伝えねばならない。

しかし、これは、今までのように、親が絶対に正しくて子どもはそれに絶対に従えというのではない。

子どもの自由を奪いたくはないが、さりとて、いつまでも怠けているのは困るのである。こうなると、親も一方的に押しつけるのではなく、自分の人格をかけて子どもにぶち当らねばならない。

自分の今までの子育てに対する反省や、自由に対するジレンマを意識しつつも、やはりいうべきことはいわねばならないのである。

この本を読み進めていくと、自分はよく無事に「大人」になったなあと感慨にふけりたくなります。それほど今の子供たちが「大人」になるのはむずかしい。

そのむずかしくしている理由について知りたければ、河合先生の本をお読みください。

この記載がある河合隼雄著作集『流動する家族関係』はアマゾンでは安く出回っていたがあっという間になくなってすでに高い物しか残っていないですが、単著『大人になることのむずかしさ』はまだ古本で20冊ほどあるみたいなので、気になる方は早めに見ておいてください。

このメルマガより断然タメになりますよ!

河合隼雄著作集『流動する家族関係』より

人間の幸福や、生き方について簡単なルールはないようである。ただ、どこまで誠実に自分の生き方について考え、生ききるかということになるのであろう。

自分の幸福のみを単純に考え、子どもの幸福を無視するのは、まったく馬鹿げているし、子どもの幸福のみを考えて、自分たちの生き方をまげてしまうのも望ましいことではない。

片方のみを重視する人は、結局はそれをも失ってしまうことになるだろう。人生の問題は、あれかこれかの選択としてではなく、あれもこれも担うことによって解決に至ることが多いように思われる。

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うれしい報告

季節柄、勉強方法と親のかかわり方の見直しをするべく、たくさんの方がノリ勉に参加されています。

ノリ勉「英語」を終わっての感想

中2 ジャスミン母さん

◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:

不定詞の用法、そして、今回集中的にとりくんだユニット3の範囲の修得、毎日一定時間、前向きに、子どもに学習に取り組ませることに成功した。

娘も、どれくらいやれば、英単語や英文を暗記できるかをつかんだと思う。そして、娘と私が、一緒に、同じ目標にむかって、前向きに取り組めたことが、最大の成果です。

◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか?あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:

ただ、横に座っているだけなら、邪魔なだけだったでしょう。今回のように、事前事後の準備を怠らず、一緒にやる勉強の時間の成果を最大限に狙っていくことで、はじめて、親がそばでみる意義を子どもに感じてもらえるのだと痛感しました。

ただ、「勉強しなさい。どれだけできた?何これだけしかできていないの!なにやっていたの!」の繰り返しでは、親は、全く迷惑な存在でしかありません。

一日、30分でいいから、一緒にやって、手応えがあったと感じてもらえる時間を、これからもつくっていきたいと思います。

この夏休み、同じ手法で、教科書の単元を一つずつ戻って、1学期の復習を確実にやっていこうと決意しました。

◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:

楽しかったです。特に、ここ半年くらい、定期テスト前日の必死モード以外は娘から拒絶されていましたが、久しぶりに、楽しい気持ちで勉強させてもらいました。

忙しい中、準備をしっかり行い、ノリ勉での指示もかなり読み込んで、その趣旨を十分に理解いただいたジャスミン母さんだから、得られた成果でした。

この夏の目標、「英語を得意科目に!」目指して、まだまだ続く夏休み、頑張ってくださいね。ありがとーーー!

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