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こんにちは、ストロング宮迫です。

シルバーウィークが終わってしまいましたね。その現実を受け入れられない気持ちを写真で表すとこんな感じでしょうか。


ニュースでは、敬老の日に敬老の集会に向かっていた91歳の方が同じ集会から帰る途中の86歳の人が運転する車にはねられて死亡したという絶句してしまうような事故があったと流れていました。

総務省が発表した2015年1月1日時点の住民基本台帳に基づく人口動態調査によると、出生数は約100万人で、65歳以上の老年人口が年少人口の2倍を超えたそうです。

14歳以下の年少人口は約1631万人(総人口の12.93%)
65歳以上の老年人口は約3268万人(総人口の25.90%)

また、総務省が「敬老の日」に合わせ2015年9月発表した高齢者の人口推計では、

65歳以上の人口推計3384万人 人口に占める割合26.7%
80歳以上の人口推計1002万人 人口に占める割合 7.9%

80歳以上の人口推計は初めて1千万人を超え、女性は10人に1人が80歳以上

年齢別では、
70歳以上は2415万人(総人口の19.0%)
75歳以上は1637万人(総人口の12.9%
85歳以上は 501万人(総人口の3.9%)

ものすごいことになっているわけですな。

高齢者が増えて支える側の人数が少なくなっているわけですから、そもそもが手が足りないのが現状です。子供を観察したり、そばで勉強を見る時間がないと嘆く人が多いのに、その上親たちの面倒なんて・・・というのもまた現実なのでしょう。

しかーし、私たちの親が運よく70歳を越えたら、そう70歳を越えると、わけのわからないことをし始めます

単にボケるというその前段階で赤ん坊並みの行動様式をしめしたりする。実際にはシッコ、ウンコのお漏らし問題から始まって、病気もあるし、風呂のお湯は出しっぱなしとかガスつけたまま居眠りとかね。

まあ、誰でも、若くて元気な者でも、そうした失敗はするわけですが、1回失敗したら気をつけられるのが今の私たちですが、70歳を越えると途端に「気をつける」ってことができなくなるような気がします。気をつける気がないってわけじゃないんです。気をつけようと思っているんだけど、何度も何度もやらかしてしまうって感じです。もはや自分では歯止めが効かせられないんでしょうね。

いろんなところが「自分のモノ」ではなくなって緩んでくるんじゃないかと想像しています。

ある意味じゃあ、子供と一緒です。でも子供なら、1回の失敗では気をつけないけど、5回目くらいでは気をつけようかなって兆候が見える。よくなっていく兆候がまだ見える。しかしお年寄りは、よくなる兆候がまるで見えずに、だんだん緩まっていくから、面倒くさいってなるのだろうし、子供よりも腹が立つんじゃないか。

実際、自分の親を見てても、腹が立つことが結構ある。ええ加減にせーよ!って思うことが多々ある。

でもね、そこに至るまでの親子関係なり、面倒を見てくれて、めし食わしてもらって学校に行かせてもらったりした親子の歴史も脈々とある。だから、単純に腹が立ったからといって、しばいたり蹴っ飛ばしたりはせずに、もう少し「曲線をたどって」我慢したり言い聞かせたりする(できる)。まあ、逆に親子であるがゆえにひどく怒り飛ばしたりも出てくるんだろうけれど。

ただそうした親子の歴史がまるでない他人が見たら、お年寄りのわけのわからない行動や言動は、「曲線もなくただ一直線」に腹立たしいだろうし、ブチ切れることも日常茶飯事なんじゃないのか。

実際に先日、大阪市の特別養護老人ホームで、職員が97歳の入居者の首を絞めた疑いが強まったとして殺人未遂容疑で逮捕されました。容疑者は「日々の介護に疲れていた。高齢者を介護する苦しみを誰かに気づいてほしかった。殺意があったかは分からない」と供述しているとか。

誰かに気づいてほしいから首を絞めるなんていうのは、介護される側にとっては勘弁してくれって話なんですが、容疑者が23歳の若者と聞いて、寂しさゆえに不良行為をする少年少女と同型のものだと推測できる。

しかし、最近映像つきで報道される老人ホームでの暴行、暴言の類は、まさに「曲線もなくただ一直線」に腹立たしく怒っていると感じられます。

同じく大阪市の特別養護老人ホームでは、7月、ヘルパーから元入所者の男性(77)が暴行・暴言をされたと訴えた訴訟で、特養側に慰謝料60万円の支払いを命じる判決を言い渡しました。

深夜の連続コールにヘルパーブチ切れ ”修羅場”の認知症介護

「もっかい殴られたいんか、お前」「なんぼでも来い」。人手不足が常態化する夜間の特別養護老人ホームで、ヘルパーと認知症の入所者との修羅場の一部始終を録音データがとらえていた。

大阪市内の特養で男性ヘルパーから「殺すぞ」と言われたり殴られたりしたとして、元入所者の男性(77)が損害賠償を求めた訴訟で、大阪地裁は7月、特養側に慰謝料60万円の支払いを命じる判決を言い渡した。


次男は判決後の記者会見で「認知症のために父が法廷で証言できない中、ICレコーダーの音源だけでここまで戦うことができた。身辺録音は高齢者虐待の抑止力になる」と話した。


ただ、判決は「男性はナースコールを控えてほしいと要請されながら、必ずしも緊急事項とはいえない苦情を繰り返した」とし、いらだちのあまり突発的に感情を爆発させたヘルパーに一定の”同情”を示した。

さらに「慢性的な人手不足から、身体的にも精神的にも過酷な介護の現場の実情を考えると、懲罰的な慰謝料を算定するのは相当でない」とも言及した。・・

この場合は、たとえば「10分間に計7回、立て続けにナースコールを鳴らした」と書かれていますが、15分ほど勉強したら「もう疲れた」とかいう子供と同じですからね。

そりゃあ腹は立つわ、舐めとるんかって「歴史を共有しない」関係では「一直線上」で怒りに結びつく。

子供なら怒られたら気をつけてってこともあるけれど、70歳を過ぎたらもう気をつけられなくなっている可能性もありますからね。その上、ボクが自分の親を見て思うのは、若い頃の性格がより強固になっているようにも思えます。

つまり、反抗心の強い者はより反抗的に、頑固な者はより頑固に、なんでも集中してやる者は集中が執念になっていくような、そんな感じで「いちがいな人」になっていくんじゃないでしょうかね。

そうして考えると、私たちの壮年期および中年期前半の今は親は70歳を越えて「いちがいな人」になって、子供は一番注意して見ないといけない時期も重なってもっとも困難な時期なのかもしれませんね。

だからといって、親も子も全部放ってしまって「自分のことだけ」を考えて生きていくとすると・・・

親世代を見て学ぶべきことを知らずに自分たちが高齢者になるから、今の高齢者よりも私たちはもっと「いちがいな人」になりうるんじゃないか。

言うことを聞かない、我が子なのに思い通りにならない子供と接することを面倒がって全部放ってしまうと、子供の視点に降りて考える習慣を放棄することになるので、やっぱり「いちがいな人」になっていくんじゃないか。

全部を親も子も完璧には面倒を見きれないけれど、折り合いをつけて全部は放棄はしないってことにしないと、自分にとってよりより未来になりえないんじゃないか。

ボクは頑固で、人の言うことは一切聞かない人間なので、たぶん今以上に「いちがいな人」に成り果てて、20年もすればナースコールを始終鳴らしまくって若いあんちゃんに「もっかい殴られたいんか、お前」ってしばかれるんでしょう。

いや、それ以上やっかいものになって突き落とされるのかもしれない。だから、子供だけじゃなくて、私たち親も「今が大事」なんですよね。

今の性格や行動は年をとれば、自然とより先鋭化してより強固なものになりうるから、だんだんと今のうちに「丸くなって」おかなくちゃいけない。

最初っから「丸い人」は年をとったら、のっぺらぼうになるから、今は角があってトゲトゲしくてもいい。ただ上流から下流に流れる過程でいろいろと頭をぶつけて少しずつ角がとれて「丸くなった」ときにイイ年寄りになれないかなあと夢想する。

味のある「丸」になるためには、面倒くさくても、親とも子供とも付き合わなくちゃ、考える材料を失ってしまう。

親は未来の自分で、子供は過去の自分なんだから。苦労なんかじゃない、結局自分のためなんだから。

「苦労させられたって思っている人」はそれが年取ってから出るから、やっかいです。そして子供に「苦労かけやがって」とメチャクチャいわれるのかも。

「親という鏡」と「子供という鏡」は自分をより多面的に見つめる、ある種の道具です。自分では自分は見えないからね。

子供が親がやったほうがイイよって言ったことをまるでやらないという現状があるとするなら、その姿が「今のあなた自身の姿」なのかもしれないな、そう考えたり、気づくことが鏡の役割。

「じゃあ知らない、勝手にしなさい」って言ったら、今のあなたとウリ2つの子供ができあがる。毎度あり!

自分では自分は見えないからね。でも、親や子供を見たら、そこに自分が写っているから。

ドイツの宰相・ビスマルク

愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。

と言ったそうですが、「他人の経験」から学ばなくても、親と子供から学べばイイ。そこにあなたが写っている鏡があるのだから。

敬老の日だからと考えてたら、結局最後はこんな気持ちになってしまいましたわ。


トホホ・・・
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うれしい報告

『10の鉄則』の感想、続々と・・・

中2 まーしゃさん

ほぼ創刊時からメルマガを読ませていただいていましたので、理解はできているつもりですが、いかんせん、長男の成績が…。

これは実践できていない、ということなのですね。読むだけじゃだめ。長男にいっているせりふが自分に返ってきています。

通塾していることでかえって学習内容の把握が難しくなっています。

ここで塾を辞めるか、それとも、塾の先生ともっとコミュニケーションを密にして、しっかり把握するか…どちらか、ですよね…。

成績アップは3ヶ月もあれば十分できるし、悪くともその兆候は出せる。ただし、成績低迷が長く続けばそれだけお子さんを引っ張る力は加速度的に大きくなり、親の負担も増えます。

その上、書いていらっしゃる通り「焦るあまり、あれもこれもどれもたくさん!と要求していました。」ということにもなる。

受験学年になれば、「もっともっと・・・」の思いはさらに強くなる。

しかし、一番大切なのは今のお子さんの現状です。

中2だろうが、受験学年だろうが、「これくらいはできていないと」とか「これはできて当たり前」という感覚は通用しません。

積み上げてきた結果からそういうことが言えるわけですから。1科目30分から始めましょう。次のテストですぐ結果が出ます。もちろんテスト前の家庭学習で毎日成果を出していればですが。

お子さんの成績を上げたいなら「本気で取り組む」ことが大事だと思います。

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