こんにちは、ストロング宮迫です。
今年4月を過ぎてから、とにかく身の周りのものを整理しようと思って、2年着ていない服は廃品回収に出し、2年見ていない資料は捨て、どうしてもというものだけパソコンに取り込むようにしています。
日々の仕事と生活があるので、なかなか思ったとおりには進みませんが、少しずつスッキリしてきつつあります。
一番かさばるのは、やっぱり本で長い間、大事にとっていた本も2年触っていないものは廃品回収に出すと決意したものの、学生時代のものは、「ああ、これは古本屋で7,000円だったんだよなあ。これを買うために3食ぬいた」だとか、「これはもしかすると子供が読むかもしれないから置いておかなくちゃ」とか、1冊1冊について買った場所と助けられた本の一節などをつい眺めてしまうなど、とかく思い出もつきず、整理するはずがますます愛着が出てしまう始末で、全く処分が進まないなんてこともありながら、ようやく今ある本はほとんどが本棚に収まるところまで処分できました。
ボクは本を読む時、気に入った箇所があるページには折り目をつける癖があって、再び手にとった時にその折り目を見たら、どこに感心したり、そのときなにを学んだかがわかります。
折り目の付いていない本は、そのまま廃品回収に出すとしても、折り目のついた箇所はどうしても気になって、折り目のついた本は、我が家にいるとても美しい女性に手伝ってもらって、折り目の箇所をすべてスキャンしてもらっています。
スキャンしてもらったものは自分用、将来の子供用に分けて整理する。
※この毎日親技は2013年10月5日に配信したものです
皆さんに読んでいただいて参考になるものといえば、たとえばこちら。「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則著『ソウルメイト』で、これは息子が読みたいから置いておいてくれと言われたので廃品回収には出さずに手元にあります。
息子の部屋に行った時、これがふと目に入って、パラパラめくって折り目をつけた箇所にあったものがこれです。読者の皆さんには、言わずもがな内容ですが、受験、勉強、偏差値などに毎日顔と尻を引っ叩かれている皆さんに改めて読んでいただきたい。
木村秋則著『ソウルメイト』 79ページ
今、スーパーに並んでいるリンゴは、ほとんど同じ大きさです。
だから、もしかすると子どもたちは「リンゴは全部同じ大きさなんだ」と思っているかもしれまんせん。
しかし、リンゴは千差万別。
流通するリンゴより一回り大きく育ったリンゴもあれば、小ぶりなリンゴもあります。また、虫食いや病気で穴があいていたり、キズついたりしているリンゴもあります。小さいリンゴは加工用ですが、大きければいいかというとそうではありません。これも規格外になってしまいます。大きぎすぎるのも、消費者には好まれないのです。
一つひとつ手に取って選果をしているときは、真剣そのものです。そしてふと「かわいいなあ。このままタンスに入れてしまっておきたいなあと思います。どんなに小さくても、形が悪くても、病気や虫にやられていても、一生懸命育ってくれたことにかわりはありません。どのリンゴも1年間の努力が詰まったおいしいリンゴです。
だから、私は大きさによって値段を変えません。そして、いつまでも大切にとっおきたいと思うのです。
大きいリンゴはよくて、小さいリンゴや虫食いリンゴは悪い。それは、間違った考えです。
もしかすると大きいリンゴはたくさん努力したかもしれません。小さいリンゴは努力が足りなかったかもしれません。でも選果をしていると、小さいリンゴが「今年は小さかったけど、来年はがんばって大きくなるよ」と言っている気がしてくるのです。
その言葉どおり、実際に小さい実しかつけなかったリンゴの木が、次の年には大きな実をつけてくれたりするのです。
話はそれますが、子どもを育てるときにも、この気持ちが大切なのではないでしょうか。学校のテストで80点以上取った子どもはよくがんばった子どもで、30点以下だった子はがんばらなかった子ども。そう一概に言えるでしょうか。
30点しか取れなかったとしても、精いっぱいやったのかもしれません。
学校の先生の多くは、子どもに勉強を教えていい成績を取らせることが、自分の仕事だと思っているようです。そして、高い点数を取る子がいい子だと判断しています。それは、本来の仕事とずれているのではないでしょうか。
子どもを育てるのも、リンゴを育てるのと同じ。リンゴが主役であるように、あくまでも子どもが主役、大人は脇役です。
先生や親、周りの大人の仕事は、子どもたちが本来持っている自分の能力を十分出せて、成長しやすい環境をつくるお手伝いをすること、そして、社会のために貢献できる大人になるよう導いていくことではないでしょうか。
ひとつとして同じリンゴがないように、子どもたちも十人十色ですべて違います。子どもが本当に自分の興味あるものに出会ったら、勉強しろと言わなくても勝手に勉強を始めるでしょう。
周りの大人は、その子の特徴をよく見ていいところを伸ばし、夢中になるものを見つける手伝いをすればいいのです。そして、愛情をたっぶりとかければいいのです。
賛否はあるにしろ、内容については、ほとんどの読者の皆さんには納得していただけるものなのではないかと思います。
ボク自身も大いに納得するところであります。
・「子どもが主役」で親は脇役
・成長しやすい環境をつくるお手伝いをする
・子どもたちも十人十色
・その子の特徴をよく見ていいところを伸ばし
・夢中になるものを見つける手伝いをすればいい
ただ1箇所、う~んと親の方がたぶん唸る場所があって、
子どもが本当に自分の興味あるものに出会ったら、勉強しろと言わなくても勝手に勉強を始めるでしょう。
ここですかね?
おそらくここの「勉強」は、学校や塾での勉強、受験勉強を指しているのではなくて、「興味のあるもの」が見つかったら、子供はそれについて「勝手に勉強をします」よ!って感じでしょうか。
問題は、たとえば、興味のあるのはAKBで、握手を50回したいから同じCDだけど何十枚も買いたいとか、AKBの動画やDVDなら飽きもせず真夜中まで見ていますなんていう事例。
子供からしたら「自分の興味あること」をやっているけれど、親からしたら「もう少し違う方面でないのかしら」「もう少し身を入れて本分である勉強にも目を向けてほしい」そんなふうに食い違ってくるのではないでしょうかね。
実際には、そうしたアイドル熱が高じて、そのマニアックさが功を奏して、放送作家やテレビ業界の方面に進める人もいるでしょう。本を出す人だっている。ただ、そういうふうに進んでいっている人は意外と大学も有名どころに中退はしたけれど在籍はしていたとかという場合が多いように思われます。
つまり、そこそこか、それなりにかは勉強もしている、その能力があって、それの上にマニアックな嗜好が乗っかっているというふうに思うわけです。絶対条件ではないけれど。
別にどこの大学を出ていようが構わないし、勉強が全てとは思わないけれど、少なくとも与えられた課題をやって提出するとか、期限が決まったテストに向かって勉強するとか、イヤな勉強にどう立ち向かうかとか、どう工夫してラクして点を取ろうかなど、小中高の12年間、最低でも6時間授業を受け続ける中で考えられなければ、マニアックさは活かされないということではないでしょうかね。
学校や塾は子供に「学」をつけてくれるものではなく、そうした試みの装置なだけですから。
そういう意味で、木村秋則さんのいわゆる一般的な考え方には大いに賛成なんですが、親の方はそれをどう捉えて、どう解釈し、どう子供たちに接していくかはもう1回自分で咀嚼し直さなければ子供の前で跳ね返される可能性もあるでしょう。
「とにかく人生で興味があるものはAKBだけ」そういう子供がこの文章を読むと、大いなる誤解をすることだってあり得る。
現にボクは対象が「AKB」でなかっただけで、木村さんの本ではないですが、同じようなことが書いてあった文章を読んで「学校や塾の勉強などの興味のないことしなくても良い。実際の人生で社会に出て使うことがない受験勉強はする必要も意味もない」というふうに真面目に都合よく自分で解釈し、いわゆる目の前の受験勉強から逃避した過去があるものですから、長々と書いた次第です。
もう1つ、
30点しか取れなかったとしても、精いっぱいやったのかもしれません
についてもカンタンに触れておきます。
確かに精一杯やって30点しか取れないってことは実際にあります。
まあ、これはどういうテストか、難易度によっても違うわけで、仮に公立の小学校や中学校のテストであれば、狂ったように頑張って30点しか取れないってことは、まずありません。
繰り返しますが、難易度によっても違ってくるので一概には言えませんが、死ぬほど勉強をやって30点というテストを公立の小中学校では作っていませんから。いくら頑張っても100点にならないってことはザラにあるけれど、その逆はあまりない。
それを踏まえた上で、「精一杯やって30点」なら全然いいし、そういう子供は次のテストでは必ず上がります。精一杯やるならね。
実際、子供が
「今年は小さかったけど、来年はがんばって大きくなるよ」
と似たようなこと、「悲しませてごめんね。今回は上がらなかったけれど、次のテストでは絶対上げるからね」などと子供から言われたことは何度もありますし、その思いや覚悟に、また力不足の応援を後悔し涙したことも数知れない。
そういう子供は先で「大きな実をつけてくれたりする」ということも多々ある。その精一杯の加減は子供それぞれだし、そこに親の知恵、それは勉強のやり方や押さえ方、暗記や演習のやり方などですが、これらが加われば、同じ子供の精一杯でも点数で差が出る。
できる問題は「もうできるからやらない!」とよく子供は言いますが、そう言っていた問題をテストでいくつ落としていることか!
だから、精一杯子供がやっているなら、点数なんてどうだってイイともいえます。文句はない!ケチもつけない!今のままでよし!
問題は、精一杯やっていないってことだし、能書きばっかりたれて手を動かさないことなのですから。その上、頑張ってもないのに点数が悪かったり、下がったりすると、一人前にモチベーションも下がる。「やっても無理」とか「意味ないし」とか。
舐めるなよ! お前は、リンゴさんよりだいぶんレベルが低いじゃないか!
だから、親は
子どもを育てるときにも、この気持ちが大切なのではないでしょうか。
と言われても、「でも、ウチの子は・・・」とか「勉強面では少し違って・・・」とかつい言ってしまうわけですよね。
だから、ボクは子供は頑張らせないといけないと思っています。負荷をかけなくちゃいけないと思っています。それはメチャクチャ負荷ではなく、今の子供にとって1つ上の負荷ですからね。
たとえそれが勉強方面でない方に向かうとしても、それはかまわない。
しかし、ここで過去に取り上げた宮崎駿監督の少年時代の軍艦マニアの話でも、架空の道具作りの話でも、読書でも、漫画でも、マニアックさをさらに突き抜けていく負荷がいる。
小説とマンガとアニメでは鍛えられる感性と思考力が違うから、全部をまんべんなく浴びるといいんじゃなかろうか。特に10代のとき。大量に。
— ヨシムラ マリ (@coromegane) 2016年7月21日
あるところまで頑張らせたり、負荷をかけることで推進力がつけば、あとは子供が勝手に、まさに木村さんが言うように
子どもが本当に自分の興味あるものに出会ったら、勉強しろと言わなくても勝手に勉強を始めるでしょう。
親が与えるもの、それが勉強でもスポーツでも習い事でも、軍艦でも、本でも、始まりがある。キッカケは大半が親です。
だから、親が与える環境や材料やアドバイスや価値観が大事になる。ただ一緒に暮らしていれば、勝手に興味のあるものを見つけて突き抜けていくなんてことはない。
リンゴだって、種をまけば、虫にも気をつけるだろうし、とにかく観察して「声なき声」を聞くようにするでしょう。子供はいちおう言葉はしゃべるけれど、全部言っているわけじゃないからね。そこはリンゴの木と同じように目を凝らして観察して探らなくちゃいけない。
実はそういうことを簡潔にまとめると、木村さんの言う
周りの大人は、その子の特徴をよく見ていいところを伸ばし、夢中になるものを見つける手伝いをすればいいのです。そして、愛情をたっぶりとかければいいのです。
と、こういうことになるのではなかろうかと。それはボクが勝手に書いているだけのことですから、木村さんの真意はまた別にあるのかもしれませんけどね。
「虫食いや病気で穴があいていたり、キズついたりしている」子供たちも、たくさんいます。親自身に虫食いにされたり、病気にされたり、傷つけられている子供だっていっぱいいる。それでも太陽に向かって枝を伸ばし、根を張って踏ん張らなきゃならない。
でも、子供一人じゃすぐヘタれて逃避して倒れちゃう。誰が励まして頑張らせて負荷をかけるんですか!
基本的には親でしょう。
リンゴ以上に頑張らなくてもイイ。リンゴと同じくらい頑張る!
頑張ってできたリンゴ、すなわち子供は、少々虫が食っていようが、小さかろうが、色が悪かろうが、世の中に自分の力で立って歩いていける。
ゆめゆめ甘やかすなかれ。
合言葉は「リンゴくらい頑張れ!」愛情を持ってね。
・・・・というようなことをページをめくりながら、あれこれ考えていちゃ、本の整理は進みませんわな。反省!
受験に向かって親がするべきことは山ほどあります。受験までのこと、受験後のこと、それらは今から考えておくべき問題です。
去年も実際ありましたが、「入試1週間前になにをしたらいいですか?」という質問がありました。
ええーーーー、決めてなかったの!??という問題です。シナリオのない受験ほど怖いものはありません。
あなたは「受験3ヶ月前にやること」意識していますか?