こんにちは、ストロング宮迫です。
本日も寒さの洗礼を受けつつ、首都圏の中学受験生が出撃、また中学生も高校入試へ続々と出撃中です。
【まだまだ続くよ、厳しい寒さ】
2月1日から2日にかけて、関東地方で再び雪の予報が出ています。3日以降の約1週間も全国的に厳しい寒さが続く予想。防寒対策は万全に!「体感温度指数」はこちらをチェック!https://t.co/Q7Mz0WAUBS pic.twitter.com/pUKoA0WOwm— tenki.jp (@tenkijp) 2018年1月30日
たぶん送り出した親の方の心境は・・・・
ですよね?
「精一杯やったら、堂々と帰っておいで!」
それでよし。まだまだ闘いの日々はこれからも続いていくわけだし、終わりはしないし、「死ぬこと以外はかすり傷」だし、「生きてることが丸儲け」なんだからね。
なかには「結果がすべてだよね」という人もいるけど、親技のスタンスは、「イイ結果」も「悪い結果」も受け止めて、次に生かす!そして、ただただそれを繰り返すというものです。
「あそこで失敗してよかった」と未来で言えるようにしていくだけ。
「あの時ダメだったことが今活きてる」と未来で言えるようにするだけ。
そうするために「出た結果を受け止める」んだから。
で、その「結果を受け止める」とともに大事になってくるのが親や周りの「結果に対する評価の仕方」です。
結果の評価は、相対的なものでいえば「0か100か」とか「足りたか足りてないか」「合格か不合格か」って二者択一の話になりがちだけれど、親の方にものさしとして持っていてほしいのは「絶対評価のものさし」だということはここでは繰り返し述べてきました。
正確にいえば、「相対評価」だけじゃなく、必ず「相対評価と絶対評価」をセットで子供に駆使してほしいということになります。
「子供をつぶす」のはカンタンだ!
相対評価「だけ」をして、「結果はすべて」っていえば、子供の心はすぐに折れる。すぐじゃなくても3年もすれば、粉砕される。学年が進んで負荷が上がれば、すぐに木っ端みじんにできる。
問題は、親がそうするつもりじゃないのに、事実上そうしてるって事例がたくさんあるってことなんです。
たとえば、こういうこと↓↓↓
練習してきたことをすぐにもう1回やらせてみたら、ちゃんとできた!
これをボクは「すごいこと」って思うけれど、多くの親はそうは思わないらしい。
「昨日やった問題を今日やったらできたなんて、そんなの当然」とかね。
つまり、ボクの生徒と親の皆さんの子供では、同じことを成し遂げても、「すごいなあ。やるなあ、立派だよ!」と「できて当然!当たり前」という真逆の評価が出てくる。
では問題です!
どちらの子供がこのあと頑張るでしょうか?
どちらの子供がノリノリで勉強をするでしょうか?
答えはわかるでしょ。
子供は今までと同じままだし、子供がやってることも、何も変わらない。
でも、子供に表れる現象は変わってくる。
なにゆえそんなことが起きるのかといえば、「親の子供に対する評価が間違ってるから」とボクは言ってきた。
どう解釈するかはあなた次第、親の方次第なんです。
昨年の年末から「親の変身キャンペーン」をやり、この前から、第2期生となる2月からの新学年で中学受験を目指す方に対して、「新学年・変身キャンペーン」をやっています。
※第2期生、定員一杯でもう〆切られていたらスイマセン
これらで変身するのは「子供」じゃなく、「親」であり、何を変身するかといえば、「評価の仕方」を変えるってことでもあります。
年末のキャンペーンの時は「なにを成果と考えるか」をよく考えてほしいと書いたけれど、すぐ変えられて、すぐ結果が出るのは、「親の評価の仕方」を変えることです。
親自身の問題だけ解決すればよろしいってことになる。
親の評価の仕方を変えるには、親の意識を変えるしかない。見てるものは同じだ。同じものを見てるのに、違う評価ができるってことです。
それは子供にオベンチャラを言えってことではないし、すごくないことをすごいって言い張れってことでもない。点数や偏差値だけが成果じゃないから。
そのためには、「なにがすごいことなのか?」を親が知り、認識する必要があります。あなたが持ってる基準をもう1回再検討する必要があります。
「こんなカンタンな問題」「こんなもの」「ああ、あの基本問題ね」「たったこれだけ」・・・・
これらはなにを基準に、誰を基準に評価され、判断されているのか?
勉強するのは子供であり、入試に出撃していくのは、あなたじゃない!子供だ!
その上で、今の評価の基準をもう1回真剣に考えてみる。その評価の基準でも、あなたは壊れないかもしれないけれど、子供が壊れるかもしれないから。
そもそも「子供たちはみんな褒められる天才」なんだから、親は褒めてやることはいくらでもできる。
もし、「ウチの子には褒めることがない」というなら、親の役割、親の仕事の完全な放棄だともボクは思います。
そして大きく成長する「子供の土台となる考え方は、親の考え方次第」でこれから大きく左右されることになる。「自分を褒める材料」を見つけられない子供がなんと多いことか。
お前さ、自分のこと、自分でもっと評価してやれよ!
たしかに最後まで頑張り切れないところは課題としてあるさ。
でも、お前の評価って「その項目しか」ないの? 評価項目はたった1つ?
最後の詰めの部分まで頑張り切れません、確かにそうだ、だから0点なの?
なに、自分に厳しくして酔ってるの? それがイイと思ってるの?
評価項目はたくさんあるんだぞ!そのうちの1つが0点だとしても、他で得点してるところもあるだろ?
お前の自分に対する評価の仕方だったら、善人は100%善で、悪人は100%悪ってことになるんじゃない?
善人にも悪の部分があり、悪人にも善の部分はあるんじゃないのか?
白か黒かで、きれいに分けられるものなのか? グレーの部分だってあるだろ?
お前の評価の仕方じゃ、世の中の人は全員クソって評価になるけど、それでOK?
↑↑↑これはこの前、ある子供にボクが問うたことそのものなんですが、それはそっくりそのまま親の子供に対する評価の態度に通ずるものがないでしょうか?
それは大きく言えば「人間への理解」とも言えないでしょうかね。
子供の勉強に対して、そんな大げさな・・・という態度もあり得ます。ただ仕事でも、子育てでも、子供の勉強でも、スポーツでも、「全ての道はローマに通ず」なんじゃないか。
同じ子供を見て、親が違う見方、違う評価が意識してできたら、仕事に対しても、同僚に対しても、世の中に対しても同じように違う見方、違う評価が生まれてくるんじゃないか。ゆえに子供に対する、面と向かい合うのは親の修行とボクは思ってる。
1回ね、子供のことを違う評価ができたら、感じることも、思うことも違ってくるから。試す価値はあるよ。
サトママさん
わくわく・どきどきで聞かせてもらいました。第一子の為すべてが初体験(受験・反抗期・等々)ですのでここはひとつプロの意見をと思い主人の許可をもらい親カツ講座に申しこみました。
2月号は、しっかりと受け止め私にはかなりぐっときました。そして、主人で練習して私が言おうと思いましたが、どんどん興奮して感情的になるため主人にまかせました。
当の本人は、ぬかにくぎ、のれんに腕押しといつたとこでしようか手ごわいですね~笑。次号楽しみにしています。
来年のこの頃、どんなことになっているかなんて子供は想像だにしていませんからね。だからこそ、親だけでも準備して、覚悟して、手を打っていかないといけません。
今年の夏までの6ヶ月を制したものが、その先の夏休みも、秋もそして入試さえも制するのです。
のんびりムードに流されず、お子さんにサトママさんのメッセージを伝え続けていってください。